◆◆◆ 電脳PiCARO ◆◆◆第3弾記事

YSGA一押しシミュレーションゲーム
(RHINO)Decision in France徹底紹介

(RHINO)デシジョン・イン・フランス:全24ターンキャンペーンリプレイ


 平成10年5月30日(土)から31日(日)の2日に渡り、米軍:SebT氏、英軍:O林氏(18ターンまで)、独軍:YaG氏、リプレイ記録:山内の4人で行なわれた当SGの対戦においては、戦争にまつわる殆ど全ての現象が生起し、ゲームの展開を追うだけではなく、実際に戦った本人達の内面性にまで迫るリプレイをお届けします。本来リプレイとは、広く普及して欲しいと願う、隠れた傑作SGの対戦を通じて体験できたものを文章のなかに還元し、共通の知識とする事を目的としていますが、今回はそれぞれのプレイヤーの心境に重点を置いて編纂されています。
 いつも神経質なまでに自軍の損害を嫌うあのSebT氏が、一体何故、1つのヘックスを占領する為に延べ6個師団分の総ステップ数に匹敵する屍山血河を築くに至ったのか?。また、慎重(兵力温存)の度が過ぎていつも悲鳴の絶えないO林氏が米軍のお株を奪う前進を果たし、SebT氏に妬まれたのは何故か?。そして防戦本職を自ら任じ、激しい自己肯定の精神に裏打ちされたYaG氏から見た、連合軍の2人とは何だったのか?。  加えて、単なるバトルレポートに終わらぬよう、リプレイ終了後には当SGに於ける作戦研究論も展開され、単一のリプレイとしてはまさにゴージャス過ぎると言っても過言ではない内容となっています。

○プレイヤーの紹介
  • 米軍プレイヤー SebT氏
     まわりにドイツ軍ファンが多いので米軍ファンになったというアマノジャク的性格の持ち主。自分が全く損害を出さず,相手を一方的に叩く勝ち方でないと納得できない理想主義者でもある。そのためか,少しでも自軍に旗色が悪いと士気が低下し易いが,プレイに対する真摯な姿勢と飽くなき作戦研究には見習うべき点も多い。

  • 英軍プレイヤー O林氏
     「勝者こそが常に正しい」という歴史の王道を追求し,全ての戦争を正義と悪の対立と見なす勧善懲悪的思考の持ち主。氏の「物量第一」,「人命尊重」,「兵力温存」主義の信奉は,もはや大戦後期のドイツ軍などは「プレイ不可能」という段階にまで達しており,「空軍の援護がないと攻撃しない」などというブルジョア的な発言が飛び出す始末。しかし,対戦するとなぜか血みどろの叩き合いに終始することが多い。

  • ドイツ軍プレイヤー YaG
     画一的で無個性な連合軍よりも雑多な編成のドイツ軍ユニットに愛着を感じるマイナー指向派。どんなに絶望的な戦況でもゲームを楽しめる自虐的プレイヤー。ムーブにかける時間が短いことが自慢だが,それだけいい加減な証拠。

  • 記録者 山内氏
     その類稀な人格と巧みな弁舌で今や「日本でも有数の精鋭クラブ」と呼ばれる本会会長の座に居座り,外渉,内渉をも兼務する総統である。自らを「軍事的天才」と称し,「若きヒトラー」,「ツァーリ」,「ポポフ」等の異名を持つ。年間プレイ回数は,四百回とも五百回とも言われる。


    独軍初期配置

     初期配置はほぼ史実どおりに指定されているので,大幅な選択肢はない。自由配置のマウルティアは3個中の2ユニットを英軍方面に配置し,第654重駆逐戦車大隊(ヤークト・パンターを装備)はサン・ローの守備につけた。重戦車は,ボカージュ戦で威力を発揮するだろう。サン・ローは,この他に第2降下猟兵軍団司令部と第3降下猟兵師団,第2SS装甲師団の精鋭が固めている。コタンタン半島先端部は歩兵師団だけの薄い防御とし,第17SS装甲擲弾兵師団と装甲教導師団をそれぞれサン・ローの北と南に配置。カーン方面では,カーン市内に第1SS装甲軍団の第12SS装甲師団と88ミリ高射砲が陣取り,その1ヘクス西側の平地(ヘクス2132 史実では112 高地があった)にも第21装甲師団プラス重戦車を配置して万全の体制で英軍を待ち受ける。戦線後方には4個装甲師団が増援に駆けつけてくる途上にあり,間もなく戦線に到着する予定である。なお,第1ターンの独軍は,予備を指定できない。

    * * * ドイツ軍の事前計画 * * *
     Decision in Franceのドイツ軍には,戦略的に取り得る選択肢が大きく分けて2つある

    1.ノルマンディ半島での断固とした抵抗
     ノルマンディ半島は,事実上マップ中で最も防御に適した地域になっている。ボカージュは,装甲ボーナスを無効にして戦闘後前進を減少させる効果を持つ。また,戦線が半島の付け根にあり,幅が狭いために部隊の集中配備が可能である。しかも,初期セットアップされた部隊は全て準備防御態勢にあるので,防御力が2倍になっている。欠点としては,連合軍の橋頭堡がすぐ近くにあるので,常に前線が連合軍の集中した連続攻撃に晒されることだろう。
     このゲームの開始時には,すでに連合軍の橋頭堡は確立されているので,これを破壊することは容易ではない。やはり地形を利用しての遅滞と反撃が作戦の中心となるだろう。

    2.戦略的撤退による退却戦闘
     連合軍のマップ外突破勝利条件のために,ドイツ軍がノルマンディから早期に撤退することは困難である。セーヌ川は防御に適してはいるものの,長大で曲がりくねっているので,隙間無く埋めるためには多くのユニットを必要とする。利点としては,補給線が伸びるために,後退すればする程前線への連合軍の圧力が減じられていくことと,第15軍の早期解放がなされるということがある。このゲームでは,移動直後の部隊は防御力が2倍にならないので,戦線が流動的になるとドイツ軍には厳しいものがある。この作戦では,かなり思い切って戦線を後退させることが必要だが,足の遅い歩兵が逃げ遅れる危険性も高いだろう。
     今回は,私は前者の方法を行うつもりである。理由としては,第一にヒストリカルな作戦を採ることで,まだこのゲームをプレイしていない方に史実と比較したゲーム展開を見てもらいたいからだ。
    このため,選択ルールの「総統の意思」(ドイツ軍は,4ヘクスサイドを敵ユニット又は海岸線によって囲まれない限り,ヘクスをカラにすることができない)を採用することになる。
     第二には,西部戦線の戦いはノルマンディで全てが決せられると考えるからである。突出してきた敵に対しては,全力で反撃を加えるつもりだ。
     したがって戦いは持てる戦力を全て注ぎ込んでの徹底抗戦を考えている。ノルマンディ戦線が突破される時は,ドイツ軍が滅びる時だろう。

    【連合軍の方針】
     勝利ポイントを得るためには、地図盤西端からの早期退出とSeine川の渡河が必須条件です。その上で、Antwerpを含めた地図盤東端を目指す必要があるのですが、大量得点につながるものの、どれだけ達成できるかは疑問です。
    自軍の勝利ポイントが増やせないならば、ドイツ軍に勝利ポイントを渡さなければ良い訳で、要塞港湾の占領と敵ユニットの捕捉撃滅が目標となります。Parisを正面攻撃により占領するのは困難でしょう。
    ドイツ軍ユニットの戦闘力は高く、ボカージュで準備防御を行なっていれば、容易に突破はできません。補充能力の差を利用して消耗戦に持ち込み戦力を漸減、その後、Caen周辺やコタンタン半島西岸で突破、総統命令により前線からの撤退が遅れるドイツ軍を包囲して消耗させ、機動戦により東進します。
    限られた時間の中で効果的に進撃するためには、早期の突破と補給線の切断が必要でしょう。
    ドイツ軍の装甲戦力に損害を与えるため、また、アメリカ軍の戦区への圧力を減らすためにも、絨毯爆撃はイギリス軍戦区に対して行なうべきだと思います。

    ●アメリカ軍の方針
    このゲームに関してはYaGさんと対戦した経験が無いため、ドイツ軍の方針を正確に予測することは困難です。しかし、日頃から激烈な対戦を重ねているO林さんがイギリス軍プレイヤーである以上、わざわざ奇をてらってアメリカ軍戦区を重視するようなことは無いでしょう。恐らく私は、O林さんの悲痛な叫びを聞きながら、(比較的に)“お気楽プレイ”を展開できるでしょう。
    初期配置の部隊に加えて、アメリカ軍戦区に送られる増援として考えられるのは、精鋭第353歩兵師団を中心に盤外から現れる歩兵師団のほとんど全て、重戦車大隊、第2SS装甲師団+1個装甲師団、といったところでしょう。強力な装甲師団が少ないとは言え、ステップ数はかなりの数になります。1対1の戦力比が見込める場合には、積極的に戦闘を行ないたいと思います。ボカージュでの前進は困難ですが“断固とした強襲”は敵戦力を漸減した後、3対1以上の場合で無ければ行なわないつもりです。

    ◆英連邦軍の方針
    「大軍をもってヨーロッパ大陸奥深く侵攻する、それだけでドイツの人間どもの心胆を寒からしめることが出来ましょう。高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処することになろうかと思います」

     今年の“PiCARO”のリプレイ記事が“Decesion in France”に決まったのはいつのことだろう?ふと気が付くとメンバーに組み込まれていた。
     私は正直、このゲームにあまり馴染みがない。勿論、プレイするのは今回が初めてという訳ではないけれど、過去に何回プレイしたかすら正確に覚えていないほどだ(たぶん今回で3度目くらいだと思う)。
     そんな私が、今回、なぜか英連邦軍を担当することになった。
     かつて連合軍側を担当してプレイしたこともあるけれど、突出させた英軍1個軍団が独軍の猛反撃によって壊滅させられたという経験が断片的に思い出される程度・・・。
     今回、プレイに先立ち、事前に作戦計画を文章にしておくようにとの山内会長の指示だったが、この文章を入力している現在、ルールも殆ど覚えていないような有り様で、当然、具体的な作戦など立案できよう筈がない。
     そんな私だが、今回のゲームの展開については十分に予想することが出来る。
     米軍を担当するのは、数回のソロ・プレイ、対人戦をこなし、このゲームの戦闘序列、ユニットの数値を記憶するまでに至ったSebT氏であり、このゲームでの熟練度に於いて私との格差は歴然としている。対する独軍プレーヤーのYaG氏がこれを見逃すとは考えられない。当然、英連邦軍組み易しと判断し、装甲軍団を私の担当正面へ集中してくることが予想される。
     そして、わが英連邦軍の稚拙な攻勢は、老練なドイツ軍の鉄壁の守りに破砕され、観戦する山内会長はSS装甲軍団の大活躍に狂喜乱舞・・・。嗚呼、英連邦軍の大苦戦が目に見えるようだ。これはもう、予想というよりも、むしろ確信といえるかもしれない。
     ゆえに、今回のプレイで私が成すべきことは、予想される独軍の行動を逆手にとり、敵の装甲兵力を可能な限り英連邦軍戦区に引きつける、という一点に絞られるだろう。苦しい消耗戦となることが予想されるけれど、損害に屈するわけにはいかない。米軍の突破は、わが英連邦軍の働き如何に懸かっているのだ!
     そうそう、第4のプレーヤー、山内会長の存在も見落すわけにはいかないだろう。
     例によって山内会長は、「中立的」立場からプレイに参加し、プレイの記録、コメントを担当することになっている。だが、私は、去年の沖縄戦によって、彼の「中立」というものがどのようなものかを学んだ。まして今回は欧州戦線である。ナチス贔屓の彼が大人しくしている筈がない。
     本物の戦争がそうであるように、軍事作戦のみが戦争ではないのだ。
     山内会長がドイツ側に荷担、“電脳攘夷”派の急先鋒、SebT氏を刺激して英米の離間を画策していることは容易に推測される。
     確かに、SebT氏と私とでは理想とする世界が異なるかもしれない。しかし、ナチス打倒という、より崇高な目標を共有する我々に、そのような卑劣な小細工が全く無力であるということを、彼は、山内会長は、間もなく知ることなるだろう。
     そう、今年こそ、悪を斬り捨てて正義をしめすのだ!


    第1ターン(44年6月25日〜27日)天候:荒天

     荒天ながら米軍、複数ヘックスから攻撃集中できる2ヵ所の独軍に対して低比率(1対1と3対2)をものともせず強襲、両軍ともそれぞれ1損害ずつを出す。米3・独1の割合で損害を出すなら米軍許容範囲と豪語するSebT氏にとり結果は上々。これに対し英軍はカーン直接攻撃を避け、カーン包囲を狙ってその背側に対して3対1攻撃を敢行。両軍2損害ずつを被るも、英軍戦闘後前進には至らず。しかし米軍より多く敵に接している英軍の攻撃がこの1ヵ所だけだった事に米軍のみならず独軍にまで消極的姿勢を批判される始末。独軍の増援は航空阻止に邪魔されて直接戦線投入に至らず。独軍が後方予備とした部隊を目視確認した(予備マーカをめくって見た)SebT氏、「見ちゃイカン!」とYaG氏に注意さる。

     増強ユニットは第3機甲師団。第2機甲師団と同様に2ステップのCC(戦闘団)を分割し、歩兵軍団に配属。序盤での理想的な編成にする。
    独軍の初期配置では、米軍戦区の両端が弱点に見える。荒天や戦力不足のために低比率だが、攻撃開始。両方とも成功。幸先が良い。
    航空妨害を精鋭第353歩兵師団の直前に置く。トラックを使われれば意味が無いのは分かっていたが、間接的に英軍に貢献できる。独軍の移動も、ほぼ読み通りなので、ちょっと満足。

    Invasion Normandy
    (第1ターン)
    「イングランドは、各自がその職務を全うすることを期待する」 Adm.Nelson
     第1ターンの連合軍の攻撃は、悪天候にも拘らず、英米ともにまずまずの成果を挙げた。このターンの攻撃目標選定については、米軍情報部から提供されたウルトラ情報(SebT氏は、熱心なソロプレイ研究により、独軍の初期配置をほぼ正確に把握していた)に依存するところが大であった。

    ○第1ターン 「ボカージュ戦のはじまり」
    米軍方面:
     案の定,米軍はSS師団を恐れたのか半島先端部を攻撃してきた。米軍の2箇所の攻撃ではどちらも「断固とした強襲」を使用しておらず,独軍を出血させることだけが狙いのようだ。第1ターンの米軍の攻撃を見て,このゲームに習熟しているはずの米軍プレイヤーのSebTさんが,意外に「消極的」であると感じた。

    英軍方面:
     第1ターンの英軍は,米軍に輪をかけて消極的な攻撃ぶりだった。しかし英軍を担当するO林さんとの過去の対戦経験から,近い将来必ず物量頼みの総攻撃をかけてくることが予想された。


    第2ターン(44年6月28日〜30日)天候:晴天

     米軍、晴天を利してコタンタン半島西岸の独軍に攻撃集中。独軍も重戦車シフトを貰えるヤクトパンター大隊を、空爆の危険を犯して2ヘックス予備移動させ比率を3対1に減らす。米軍もここを突破口とすべく「断固たる攻撃」を宣言し勇躍サイを振るも賽悪(出目が悪いの意)の1・2であり米軍のみ2損害。前進も無し(ヤクトパンターが参加していなければ4対1で前進できた)。サン・ローに対する初めての攻撃も、相手がダス・ライヒSS装甲師と第3降下猟兵師とあって1対1で攻撃失敗、しかもお互い大兵力による戦闘である為、米軍は一挙3損害を被りそれを全て第29歩兵師に適用して一戦直ちに基幹面に凋落す。独軍はこの攻撃により1損害を出したのみ。相次ぐ攻撃失敗、大出血に「3対1なら許容範囲」と嘘吹くSebT氏であったが、はや計画案に相違して動揺隠すべくもなし。英軍は1ターン目に引続きカーン背側を2対1攻撃するにとどまる。しかも攻撃失敗し英軍1損害のみ。独軍は米軍の失敗に乗じてコタンタン半島西岸に精鋭353歩兵師と88高射砲を増派、殊勲のヤクトパンターも1歩後方へ下げて予備となし余裕の対応。英軍戦線においても、見るからに頼もしい黒塗りのSS装甲師団を次々前線に投入しO林氏を牽制。

     増強ユニットは機甲ではなく歩兵師団を揚陸。欲を言えば2個欲しいが、O林さんの手前、我慢する。戦力が減少している機甲師団から、さらにCCを分割する。
    損害を受けた師団を後続の師団と入れ替え、St.Lo攻撃開始。敵戦力の漸減を目論む。右翼でも攻撃を継続。晴天ならば攻撃あるのみ。
    St.Loの結果は許容できるが、必勝を期した半島西岸で大失敗。許すまじ重戦車!(ホントは駆逐戦車だけど)。取り逃がしたから、次のターンも使われてしまう…。しかも増強しやがった! どうしてO林さんはCaen西方の平地を攻撃しないんだろう?

    苦難の始まり
    (第2ターン)
    「卵の殻を破らなければ、雛鳥は産まれずに死んでゆく。我らは雛だ、卵はドイツだ。ドイツの殻を破らねば、我らは生まれずに死んでいく。ドイツの殻を破壊せよ」
     幸先よしと思ったのもつかぬ間、このターンの連合軍の攻撃は、晴天にも拘らず粘り強い独軍の抵抗により、ことごとく失敗した。
     わが英連邦軍も、戦線に到着したばかりのLAH師団が防御態勢を整える前に先制の一撃を与えようと企図したが失敗した。

    ○第2ターン 「重戦車出現」
    米軍方面:
     ヤークト・パンターの介入により,辛くも半島先端部を保持できた。どうやら米軍は一度決めたら同じ場所に攻撃を継続する傾向があるようなので,補充された88ミリ高射砲旅団と精鋭の第353 歩兵師団を投入し,敵が諦めるか攻撃箇所を他に変更せざるを得ないような体制を取った。また,サン・ローが初めて攻撃を受けたが,敵に大損害を与えて撃退した。

    英軍方面:
     このターンには,SS装甲師団が続々と到着した。英軍が前に出てこない以上は,先手を打って戦車集団で英軍前線を攻撃することも考慮したが,自制することにした。


    第3ターン(44年7月1日〜3日)天候:晴天

     米軍、増強著しい独軍戦線を睨んで難考。戦局打開の為、英軍とも協議に及ぶが物別れに終わる。かくなる上は慎重居士のO林氏に模範を示すべく、88高射砲の待ち受ける半島西岸に対して2対1攻撃を敢行、お互い1損害で88が除去された為、米軍更に1損害。しかしボカージュながら前進の結果を得て独軍を退却させる事に成功。後退する独軍は「撤退は予定通り」と言いつつ「増強したのにすぐ後退とは淋しいね」と洩らす。サン・ローに対する2度目の攻撃は低比率(3対2)ながらお互い2損害と最良の結果をもたらす。これを見た英軍、「道義的責任を感じて」新たな攻撃を決意。しかしその目標は米・独軍の予想を裏切り、戦線東端の溢水地越え攻撃であり、しかも失敗お互い損害なしとくれば「英軍サボタージュ疑惑」を米軍が叫ぶのも当然か!?加えて英軍歩兵補充が余るに至っては「我等米兵は血風惨雨・・・」と声を詰らせるSebT氏に、独軍の同情も集中、独軍の補充も米軍戦線に集中。英軍の意外な東端攻撃に脅威を感じた独軍、増援で来たSS第102重戦車大隊を東端へ迂回さす。これを見た英軍O林氏「損害を出さずに重戦車を引きつけた!これが真の戦略だ」と豪語。

     増強ユニットは歩兵師団。
    St.Loの南を英軍(加軍)で攻撃できないものかと考えたのだが、ルール上、できないと判明。
    第5ターンの絨毯爆撃はCaenに行なったらどうかと提案するが、O林さんの考えは違うようだ。
    攻撃は前回と同じ。結果は大成功。しかし英軍は、また、平地を攻撃しない。英軍戦区で損害が出ないため、第2SSに補充が来る。これじゃあ、幾ら攻めてもキリがない!

    Britain stands Alone
    (第3ターン)
    「YSGAのプレイにおいて、かくも多くのプレーヤーが、かくも少数のプレーヤー(私だ、私のことだ)に、かくも多くの非難を浴びせたことはなかった」
     LAH師団の到着で敵の戦線が強化されてしまったので攻撃目標の選定に苦慮したが、結局、最も手薄なカブール方面を攻撃した。
     当時、英軍戦区に独軍の装甲兵力を誘致するというのが連合軍総体としての基本戦略であり、これの実現のために英連邦軍は、攻撃を継続する義務を負っていた。
     プレイ中、記録者である山内会長には、この攻撃義務について、米国に対する「道義的責任」と説明した。
     すると狡猾な山内会長は、早速、この発言を政治的に利用した。「英軍プレイヤーが、道義的な責任から(やむを得ず)攻撃を実施しているに過ぎない、と発言した」などと、言葉巧みにやや歪曲した表現を用いて米軍側に伝達したのである。
     この頃、米軍はコタンタン半島北部で激戦中、既に多大な出血を強いられていた。この米軍苦戦の原因は、英軍の牽制作戦の効果が不十分であることに他ならず、米軍側は英軍の戦闘ぶりに不満を募らせていた。
     このような状況下に於ける先の山内会長の「中立的」コメントである。
     さらに独軍が、追い打ちをかけるように「敵は英軍にあらず」と発言、英連邦軍の攻撃が如何に軽微なものかを強調することによって米軍の不信感を煽った。
     この独軍の発言が、英米の離間を狙った政治的なものであることは明白である。実際に、独軍が英連邦軍の攻撃を無視し得なかったことが、この裏の独軍ターンに、SS102重戦車大隊をカブール地区への派遣するというムーブによって裏付けられている。重ねて言うが独軍が英軍の存在を無視することは出来なかったのである。

    ○第3ターン 「第2次サン・ロー攻撃」
    米軍方面:
     米軍が再び半島先端部を攻撃してきたことには驚いたが,当初よりここではあっさりと下がることに決めていたので,退却は予定されていた行動と言える。サン・ローに対する2回目の攻撃でも米軍は「断固とした強襲」を使用せず,損害に見合った成果を上げているとは思えない。実際,このゲームの独軍は,「断固とした防御」を行うのか否かの判断が最も厳しい選択となるので,米軍ががむしゃらに前進を狙ってくるようであれば,精神的にもかなりの重圧となっていただろう。

    英軍方面:
     この頃,英軍は主戦線とは関係のない比較的防御の弱い独軍前線への探査的な攻撃に終始しており,その弱腰ぶりが米軍からも批判の槍玉に上がっていた。当然独軍の主力は健在であり,米軍戦線への戦力の一部転用も十分に考えられる状況だった。


    第4ターン(44年7月4日〜6日)天候:晴天

     英軍、ポーランド機甲師団揚陸。揚陸ポイントを優先的に英軍に渡す米軍は「今、恩を売っておいて後でツケを払って貰う」と暗に攻撃を切っ突くも、「レンドリースを踏み倒したソ連の例も有り」と受け流される。米軍、戦線屈折部に対して集中攻撃するも憎きヤクトパンター除去と引き換えに2損害を被る。第3次サン・ロー攻撃も、独SS101重戦車大隊全滅と引き換えに3損害。英軍も「世論に押される格好で」カーン西隣の平地を英二個軍団43戦力で攻撃。守るは準備防御でパワー2倍の第1SS、21装甲師と88高射砲=最終防御力70(キャ〜!!)であり、シフトにより1.5対1に持ってこれたものの結果は英軍のみ1損害を被っただけに終わる。相次ぐ1ヵ所限定攻撃の失敗に米軍からは「デキ・レースだ」と疑われ、独軍からは「史実通りで良し。戦車が潰れるのみ」と呑気に褒められるに至って、O林氏「皆に脅されて嫌々攻撃したのに両軍から批判されて、連合軍やってる気がしない〜!!」と泣く。あくまで「人道的作戦」にこだわる英軍の人類愛に感動した独軍は、米軍にも人命の尊さを教育すべくサン・ローの第2SS装甲師を一歩下げて補充を与え予備とする。

     第5ターンの絨毯爆撃にエリート・ボーナスを組み合わせるため、英軍に増援を譲る。O林さんの発言に、ちょっと不愉快。
    右翼の攻撃は、Carentan西方へ。溢水地帯のために戦闘比が上がらない。しかも、重戦車シフト付き。泣けてくるゼ。攻撃は二ヶ所とも成功。ただし、どちらも重戦車を除去しただけで、師団には損害無し。重装備部隊がいなくなっただけでも喜ばなければいけないのだが…。
    うるさく英軍を誹謗中傷していたら、ようやく平地を攻撃した。防御力70は確かにすごいが、30足りなくても、1足りなくても、1対2は1対2でしょ? 攻撃失敗に、がっかり。
    英軍戦区で損害が出なかったので、独軍の補充は、またも第2SSへ。冗談じゃ無い! 怒りの矛先は弱腰の英軍へ。

    A House Divided
    (第4ターン)
    「28日前、私達は自由の精神と平等を旨とする新しい橋頭堡をこの大陸に築き上げました。今、私達は激しい内紛のさなかにあり、連合軍が永続できるか否かの試練を受けているのです」
     増強ポイントの配分については米軍主導で行うというのが連合軍の基本方針であったが、このターンのSebT氏はこの権利を放棄して英軍側に優先権を与えた。既に前のターンには、第5ターンから可能となる絨毯爆撃の決定権も米軍側から譲渡されていた。言うまでもなく、英軍戦区での大規模攻勢を強く望む米軍の政治的工作である。
     当時、英連邦軍の消極性を批判する声はターン毎に高まり、独軍プレーヤー及び山内会長の謀略発言は言うに及ばず、これに扇動された米軍からも激しい非難が集中していた。ことに、同盟国たる米国からの非難が最も辛辣だったことは英軍将兵の心を大きく傷つけた。おそらく、米国のイギリス大使館では投石騒ぎが後を断たなかったに違いない。
     世論に押し切られる格好で、カーン西方の112高地(ゲーム上は平地)で攻勢が開始された。4個師団プラス2個旅団という参加兵力は、英連邦軍にとってゲーム始まって以来、最大規模の軍事行動であった。しかし、対する独軍は、高射砲大隊に支援された装甲2個師団が周到に準備された陣地線を構築しており(準備防御)、この攻勢は敢えなく撃退された。
     幸いにして損害は極めて軽微であった(1ステップロス)が、それ故、多大な損害を強いられ続けている米軍プレーヤーは(独軍及び「中立」プレーヤーの巧みな宣伝戦術の影響もあり)英連邦軍の誠意に対して、ますます疑惑の念を深めるに至った。
     因に、この時点での英軍の損害累計は4ステップなのに対し、米軍はこのターンだけで5ステップを損耗し、累計での損害は16ステップに達していた。

    ○第4ターン 「エプソム作戦」
    米軍方面:
     ボカージュ戦において特筆すべき活躍をしていたヤークト・パンター大隊がついに除去されたことは,悲しむべき事件であった。第101SS 重戦車大隊も第3次サン・ロー戦で敵に大損害を与えつつ全滅しており,補充の苦しい独軍としては,このような損害が続くことを考えると,前途に暗雲が広がっていく気持ちがした。

    英軍方面:
     ようやく英軍が重い腰を上げて112 高地ヘクスを攻撃してきたが,その攻撃ぶりは史実そのもので,「大々的計画と大々的物量投入のあとに,ダイナミックに欠けるへっぴり腰の攻撃」というマイヤーの言葉を思い出した。しかし,前線の独軍将兵の頭上には,絨毯爆撃の恐怖が迫っていた。

    第5ターン(44年7月7日〜9日)天候:晴天

     英軍、エリートシフト欲しさに第1空挺師揚陸。これを見た独軍「信じられん!空挺を海輸とは」と驚く。英軍、さっき威力偵察して大敵確認済のカーン西隣の平地に対し初の絨毯爆撃!第1SSと21装甲師それぞれ1損害を被った上に、重爆3シフトを得た5対1攻撃を喰らって一挙4損害の大打撃を受けて敗走。「(へっぴりとの批判に)堪えに堪えた攻撃成果を見よ!!」と叫ぶ英軍は1損害を出したものの前進は突出を恐れて1ヘックスだけに止める。それを横目に見つつ米軍も、再びカランタン西隣に対して2対1攻撃を行なうも自分だけ1損害を被り、第4次サン・ロー攻撃も両軍1損害のみと低調。「姿勢は強硬なのに結果が弱腰の米軍。それ比べて英軍は弱腰なのにイイ所だけ持って行くとは・・・。もはや敵は独軍に非らず!英軍なり」とばかりにSebT氏の憤りは燃え上がった。対してO林氏は、これまでYaG氏と対戦する事十数回「言わせて貰えば、彼は前進防御の人であり、そのうち兵力減退し、突如戦線瓦壊に至るであろう。焦って攻撃し、いたずらに損害を増やすのは独軍の策にはまる事である」と論破。独軍は、米英の確執を更に煽るべく、今占領されたカーン西隣に対し、カーン市街の第12SS、10SSを主力とする両側面から初めての反撃を敢行。ロケット砲旅団や503重戦車大隊まで投入した3対1攻撃の結果、平地に進出した英軍は3損害を喰らって退却、独軍も2損害を被って平地前進は危険と判断。平地は無人地帯と化した。

     絨毯爆撃は大成功。喜色満面に自分の戦い方を正当化するO林さんが憎たらしい。O林さんの言うことも、一つの考え方ではあるが…。英米の反目は、ここに極まれり。5対1なんて、いつになったら見られるんだろう?
    米軍の攻撃は不調。先の見通しが立たない。
    独軍、すかさず英軍に反撃。消耗させてなかったんだから、そりゃあ反撃も激しいサ。

    My Finest Hour
    (第5ターン)
    「どわっはっはっ、見たか!B-17量産の暁にはドイツなど、あっという間に叩いてみせるわ!」
     このターンから絨毯爆撃が可能となる。米軍側はカーンの早期奪取を望んでおり、既に極めて控えめな口調ではあったが、カーンに対する爆撃を要請されていた(第3ターン)。
     私にとってもカーンは魅力的だったが、結局、112高地を攻撃することに決めていた。その理由は、より高いオッズにより、より大きな戦闘結果が期待できることにあった。この当時、英連邦軍は、軍事的理由よりもむしろ政治的理由から大戦果を必要としていたからである。
     目標ヘクスに対する威力偵察を兼ねた第4ターンの攻撃の失敗により、図らずも、単なる大攻勢だけでは既に米側の世論を納得させ得ないまでに不満が高まっている事が実証されていた。
     ところで、肝心の112高地に対する攻撃は、絨毯爆撃により独装甲師団2個に対し、1ステップずつの損耗を強要、続く5対1攻撃で「A1/D4前進4」という空前の戦闘結果を得た。
     くぅぅぅっ、苦節5ターン、味方にまで「へっぴり攻撃」などと罵られた日々。その屈辱を耐え忍んできたが、ようやくにして、その苦労が報われる時が訪れたのだ。
     見よ!英連邦軍を悩ませ続けたドイツ装甲軍団が尻尾を巻いて逃げて行く。彼奴等め、思い知るがいい!正義のあるところ、悪の栄えたためしはないのだっ!

    ○第5ターン 「絨毯爆撃」
    米軍方面:
     サン・ロー戦は,後方のSSライヒ師団が予備移動でサン・ロー市街に進入し,損害を受けて再び補充のために通常移動で後方に下がることの繰り返しだった。常にサン・ロー市街をフル・スタックで守備していなかった理由は,米軍がサン・ローに隣接する弱体なヘクスを攻撃する危険性が絶えずあったためだ。それにしても米軍のサン・ロー攻撃は執拗で,ユニットを粗末に扱い過ぎているのではないかと敵のことながら疑問を感じた。

    英軍方面:
     ついに恐れていた絨毯爆撃が例の112 高地ヘクスに対して行われた。英軍は1ヘクス前進しただけであったが,土地を占領されることよりも,精鋭装甲師団が簡単に壊滅的打撃を受けてしまう絨毯爆撃を伴う攻撃の効果には恐怖すら感じた。しかし,当初の方針どおり突出してきた英軍に対してはマウルティアを投入して反撃を行い,これをたたき出すことに成功した。ここで再び戦闘後前進で112 高地ヘクスに進出するか否か判断に迷ったのだが,前進部隊が準備防御がつかない状態で更なる英軍の攻撃を受けることは必定であり,絨毯爆撃の恐ろしさを味わった直後ということもあって,部隊をオルヌ川の対岸に留めることにした。この判断がはたして正しかったのかどうか,後々も私の頭を悩ませた。なぜならば,この112 高地ヘクスに敵が進出すると,両隣のカーンとボカージュ・ヘクスに対して3正面からの攻撃を許すことになるからだ。そもそもこのヘクスは,マップ・スケールの関係で平地ヘクス扱いなのだが,史実同様にカーンを攻略する上での要地なのだ。私は,言葉による相手プレイヤーへの心理戦を試みた。曰く「このヘクスは,キラー・ゾーンにしてあるから進入したら袋叩きだよ。」
    だが,対戦経験が豊富な英軍プレイヤーのO林さんがこんな手に引っ掛かるだろうか?

    第6ターン(44年7月10日〜12日)天候:曇天

     米軍、補充3に力付けられ3度目の戦線屈折部攻撃。しかし天候の悪化で1対1にしかならず米軍のみ1損害で失敗。ビックレッドワン歩兵師と第2歩兵師が完全戦力に復活したのでサン・ローの南隣を新たに攻撃。ここには基幹部隊2つしか置いていなかった独軍は急遽、予備拘置していた装甲教導(Lehr)師団を投入、比率は1対1に低下し結果はお互い何も無し。英軍は前ターンの独軍反撃基点の一つであるボカージュヘックスを3対1で攻撃、お互い1損害を払って独軍退却。これによりカーン市街だけが突出する形で戦線が形成される。独軍は累積する損害に「ここが正念場」を宣言。盤上に身を乗り出して戦線整理に務める。普段は兵の損耗を極端に嫌う米軍:SebT氏だが、必然的消耗戦であるボカージュ戦にナイーブになっているのをいい事に、独軍はこれ見よがしに押され気味の英軍戦線から第9SS装甲師を引き抜いて米軍方面へと威示移動。これを見たO林氏「英軍なめられてるなぁ、この状況化でSS装甲引き抜きとは」。

     曇ってしまった。今まで晴天が続いたのが幸運だったのだが、支援の1シフトが無くなるのは痛い。溢水地帯は、またも失敗。足掛かりが欲しいため、St.Loの南を攻撃。予想通り、英軍戦区からLehrが駆けつける。この期に及んで、まだ、英軍の負担が軽くなるような行動をしてしまう自分が疎ましい。
    第9SSが転進してくるだとォ? O林さんでなくても驚くゾ!

    112高地
    (第6ターン)
    「さて、またまた大活躍の503重戦車大隊のみんなは元気かな? この前の戦闘では、わが同志のポーランド軍精鋭部隊がお相手しましたけど、お味はいかがでした?」
     112高地に前進した連邦軍は3個装甲師団を基幹とする猛反撃の前に一旦撃退されたが、独軍はこの高地を奪回せず緩衝地帯とした為、連邦軍は再度112高地に前進、112高地を再占領するとともに、隣接する独第2装甲師団を蹴散らして地歩を固めた。
     これに対し独軍は、この期に及んでも英軍戦区からSS装甲師団を引き抜いて米軍戦区に転出させた。
     独軍プレーヤーは否定したが、連合軍の当初の目論見とは異なり、経験豊富な米軍を重視、兵力を米軍方面にシフトしていることは明白であった。

    ○第6ターン 「スプリング・ボード」
    米軍方面:
     このターンには,米軍が攻撃の矛先をサン・ローからその南のボカージュ・ヘクスに変えてきた。以前から予備として控えていた装甲教導師団を投入する場面がついに訪れた。天候も味方をしてくれて事なきを得た。
     米軍方面に布陣している装甲師団は,わずか2個に過ぎなかったので,オルヌ川方面は歩兵中心で守り,第9SS装甲師団を戦線中央部に振り向けることにした。米英軍境界線近くの英軍の動きが全般的に不活発であるので,条件さえ整えばここで反撃できるかも知れない。

    英軍方面:
     恐れていたとおり,英軍は112 高地ヘクスを跳躍台にして戦線の拡大を図ってきた。第2装甲師団がボカージュで守っていたにもかかわらず,英軍の攻撃に耐えることができなかったことは誤算だった(とは言っても,英軍はこの攻撃に機甲部隊の主力を投入していたに違いない)。英軍方面は,予想を上回る苦戦の様相を呈してきた。こうなると,前ターンに僅か1ヘクスの戦闘後前進を躊躇したことが悔やまれる。もはやオルヌ川の対岸で守備を固めるしかないだろう。次の英軍の攻撃は,おそらくカーン方面に指向されることが予想される。

    第7ターン(44年7月13日〜15日)天候:晴天

     米軍、不退転の決意(4度目)でカランタン西隣の溢水ヘックスを2対1攻撃、結果はお互い損害は無いものの独軍に退却を強要。また一歩米軍は地歩を確保。この成功に気を良くした米軍は第5次サン・ロー攻撃を1対1で敢行。しかし賽悪の目で米軍のみ2損害。前進の出目は良かったので「断固たる攻撃を宣言していれば退却させれらたのに!」と地団駄を踏む。英軍は独Lehr装甲師団の米戦線移転に鑑み、更に軍担当境界線正面のボカージュヘックスを4対1攻撃、独軍に1損害を負わせた。さらに5ターン振りにカーン背側の平地(守るは絨毯爆撃で破襴破襴の第1SS装甲師ら)に4対1攻撃、英1独2の損害で独軍を退却させ、英軍カーン背側に進出成る。米軍のサン・ロー攻めで損害を出す第2SS装甲師に優先的に補充が廻される為、英軍方面の独軍が弱体化している現状は、史実で英軍がカーン市街を我攻めして、その間に米軍が突破したるが如し。 しかし独軍も英軍の突破を戒めるべく、カーン市街に立て篭るSS装甲師2個を基幹とする左右三方からの「断固たる」3対1反撃を、英軍突破基点であるオルヌ川河口の森ヘックスに対し敢行。森・艦砲・晴天の不利を克服し独軍損害2前進4の結果を得て、英軍を敗走させ河口を占領。カーン背側に突出した形の英第1機甲軍団は孤立した。

     特に必要という訳ではないのだが、増強ユニットは第12軍団HQ。戦線が狭いため、全ヘクスがHQ付きになってしまった。
    Carentan西方をようやく占領。St.Loは大失敗。
    英軍は非常に順調のようだ。英米の役割が逆転してしまっている。ツライ。
    さすがはYaGさん、独軍が反撃に出た。Caenを占領しなければ、こうなる事は分かっていたのに…。

    カーン包囲
    (第7ターン)
    「ドイツの皆サン、カーン市はイギリス軍が完全に包囲しました。手を挙げて出て来なサイ」
     いまや、サン・ローが史実におけるカーンの役目を果たしつつあることが次第に明かとなり、大規模な突破は英軍戦区で行われるべきとの見方が強まった。
     世論はカーン攻略を求めたが、私はカーンを包囲(このターンに隣接する5ヘクスが英軍の支配下となった)することにより、独軍の撤退を強要することにした。独軍プレーヤーが自らの意志で屈辱的な「撤退」の選択肢を選択するべきだと考えたからだ。

    ○シ7ターン 「カーンの包囲」
    米軍方面:
     サン・ローが通算5回目の攻撃を受けたが,A2の損害を与えての余裕の防御戦である。サン・ローを守備する第3降下猟兵師団と第2SS装甲師団は,最も米軍を出血させた部隊として記憶に留めておくことにしよう。

    英軍方面:
     米英軍の境界ヘクスは,比較的攻撃を受けないため,それ程強力な部隊を配置していなかったのだが,前のターンに装甲教導師団が出ていった隙を突いて英軍が攻撃してきた。僅かな兵力にもかかわらず,良く守ったものである。この方面に割く兵力はなかったので,もしも前進されていたら危険な事態になっていただろう。
     一方,カーン方面では,英軍が直接市街を攻撃することを嫌い,カーンの包囲を狙った攻撃を仕掛けてきた。
    この結果,カーンは周囲6ヘクス中の5ヘクスを敵ユニットが占めることとなり,周囲ではカーンの放棄が囁かれた。しかし突出した英軍も容易に包囲攻撃を受ける位置にあった。しかも英軍が前進した後に残されたヘクス内には僅か1ユニットしか存在せず,ここを取れば前進部隊の補給を絶つことができる。幸い敵は防御予備を残していないので,不利な条件(艦砲,森林,晴天)にもかかわらず十分に勝算が立った。結果的には,英軍を逆包囲することに成功した。

    第8ターン(44年7月16日〜18日)天候:荒天

     無作為天候チェックになってから初の荒天。独軍が反攻を開始した途端の荒天に「ヒトラー天気と呼びたいね」と独軍大満悦(荒天だと独軍には重戦車が補充される)。独軍に余裕を与える訳にはいかない米軍は、更に地歩を確保すべく半島西岸の突出部に対し1対1で我攻め。賽振りを巡り一悶着あるも、お互い1損害で決着。そのやり取りで動揺した米軍は確かめもせずに第6次サン・ロー攻めを宣言、計算後まさかの最低比攻撃に憂い顔のSebT氏。結果、米軍4(!)独軍1の損害に「きょ、許容範囲よ・・・」と強がるも、これまでのサン・ロー戦における累積損害が米軍15損害、独軍6損害と知らされるに及んでは「ちょっとタバコ吸ってくる」と言い残し、しばしの退室。英軍もこれまでの慎重姿勢は何処へやら、孤立した1個軍団を救出するのではなく独軍にカーンを放棄させるべく独空軍地上師団が単独で守るカーン南隣を「断固として」4対1攻撃。独軍は2損害を被り壊滅、英軍も2損害を支払うもカーン周囲5ヘックスの包囲完成。対する独軍、ヒトラー天気を活かして、さっき奪われたカーン南隣(守るは英近衛機甲師、近衛機甲旅団、ポーランド機甲師の黄金トリオ)に対してカーンのSS2個師を基幹とする南北三方からの「断固たる」2対1反撃を敢行。独2英1損害と断固攻めによる前進1の結果に、英軍不退転の「断固たる防御チェック」で応え、ポーランド機甲師によるエリート修正のお影でギリギリ踏み止まる事に成功(ポ機甲師1損害追加)。

     英軍が大ピンチのこの時に、よりによって天候は荒天。ダイスを振ったのが、散々悪態をついていた私だっただけに非常に気まずい。
    半島西岸への攻撃のとき、ダイスを二つとも振り直そうと思って伸ばした手が“6”の目を見た瞬間に止まり、反射的に一つだけ振り直してしまった。展開が思わしくないとは言え、瞬時に反応してしまった自分の卑しさに、我ながらビックリする。大目に見てくれたYaGさんに感謝。その影響で、天候のために2シフト不利になっている事を失念。St.Loに最低比で攻撃を仕掛けてしまう。相手にも損害を与えられたので、結果オーライ。
    独軍の反撃に対して、英軍は何とか踏みとどまる。私もホッとした。

    カーン攻防戦
    (第8ターン)
    「SS第1装甲軍団は、今後カーン要塞部隊と呼ばれるだろう」
     独軍はカーンを手放す気は無いらしい。包囲されたカーンの独軍が反撃してきた。この反撃により英第1軍団が逆包囲され、カーン攻囲戦は大きな山場を迎えた。
     こちらも断固たる意志を示さねばならない。即時、救出作戦を発動。救出部隊には包囲軍のうちで最も弱体な第16空軍野戦師団を攻撃させた。救出部隊は「断固たる攻撃」によりこれを撃破しつつ前進、英第1軍団との連絡線を回復。一方、第1軍団は現地を死守、カーンの5方向包囲態勢は堅持された。
     これに対し独軍は、なおも屈せずに大規模な反撃を実施、再度の解囲を狙ってきた。英連邦軍はあわや潰走かと思われたが、「石壁」ポーランド機甲師団の鋼鉄の意志の前に独軍の野望は潰えた。

    ○第8ターン 「断固とした戦い」
    米軍方面:
     ようやく米軍のサイの目にもつきが出てきたと思った矢先に,サン・ローで大出血サービスをして貰えた。いくら「許容範囲」などと負け惜しみを言ってみても,SebTさんがこの時点で平常心を失っていたことは確かである。この後も執拗にサン・ロー攻撃が続行され,米軍はもはや抜くに抜けない泥沼に足を踏み込んでいた。このため,独軍は英軍の突破への対処に全力を傾注することにした。

    英軍方面:
     このゲームは,ZOCの拘束が甘いので,相手を包囲することは比較的容易だが,罠に掛かった敵を壊滅させることも簡単にはいかない。英軍は,包囲陣を内と外から食い破り,オルヌ川を越えて更なる突破兵力を進出させて,一歩も引かない覚悟を示した。ここは,先に引いた方が負けである。この戦闘は,両軍の精鋭部隊が正面からぶつかる屈指の激戦となった。「断固とした強襲」に対する「断固とした防御」の応酬があり,遂に英軍は戦場に踏み留まることに成功した。この反撃の失敗により,カーンの保持は絶望的かつ意味を無くしてしまった。

    第9ターン(44年7月19日〜21日)天候:曇天  カーン西方の突破口を更に拡張すべく、オルヌ川対岸の森ヘックスに対し、2度目の絨毯爆撃。標的となった独第2装甲師は1損害を喰らった上に怒涛の6対1攻撃を受けて、更に2損害を負い破襴破襴になって敗走。これによりオルヌ川防衛線は崩壊。米軍、気を取り直して半島西岸に対し2対1攻撃、賽の目振るわず米軍のみ1損害。もはや執念と化した第7次サン・ロー攻撃は1対1でしかなく、米2独1損害に終わる(前進の目は6で最良だったのだがボカージュで打消)。それでも米軍曰く「独軍に確実に損害を負わせているという点に於いて攻撃は成功していると言える」。
     独軍、オルヌ川ラインの崩壊に伴い遂にカーン市街からSS軍団を、占拠中のオルヌ河口を通って撤収させる。カーン放棄に関してYaG氏は「独軍として強調しておきたいのは、カーンは一度も攻められる事無く、攻撃発起点としての役割を終えて転進したという事だ」と発言。これを受けてO林氏は「ヒトラー暗殺未遂事件(7・20)は、カーン死守にこだわる総統に対し陸軍首脳が計画したものだろう」と応酬。

     増強ユニットは第7機甲師団。戦力が低いため、補充ポイント代わりに使う。
    予定通り、二度目の絨毯爆撃も英軍戦区へ。順調に成功。うらやましい。O林さんに文句を言うばかりで、いっこうに戦果のあがらない自分が恥ずかしい。
    独軍はCaenを放棄。的確な状況判断だ。

    カーン解放
    (第9ターン)
    「大ドイツと言えども敗れることはあったのです。遅まきながら英軍との和平を。話し合いによる西側連合軍との共存の道を!」
     先の独軍の反撃発起ヘクスのひとつが2回目の絨毯爆撃の目標ヘクスとしてプロットされており、絨毯爆撃と続く6対1攻撃により第2装甲師団に壊滅的大損害を与え撃退した。このHex2233の確保と敵装甲兵力の摩耗によりカーン周辺の地歩は固められた。
     ここに至り、独軍は反撃を断念しカーンより撤退する。
     独軍側の突然の方針転換に、連合軍側では、爆殺未遂事件の後遺症により意識が朦朧としているヒトラーから強引にカーン撤退の許可を取り付けたのではないかとの憶測が流れた。

    ○第9ターン 「カーンの放棄」
    米軍方面:
     米軍は,英軍と比較して前進ペースが遅れていたために攻勢正面が限定されたことは確かであるが,それならば攻撃は全力を上げて行うべきであった。手詰まりの状況を打開するために「断固した強襲」を行っていれば,低比率攻撃でも前進できた可能性があったはずだ。今回の第7次サン・ロー戦における大損害も,「断固した強襲」を宣言していれば十分に報われていただろう。痛恨の前進サイの目6であった。

    英軍方面:
     独軍は,ついにカーンを放棄した。米軍とは対照的に,英軍は一度も攻撃することなく主目標の占領に成功したわけだ。たとえ自主的に放棄したとしても,カーンの失陥は大きな意味を持つ。「カーンの戦い」を契機に,独軍が橋頭堡を蹂躪して連合軍を大陸から追い落とす可能性は永遠に失われたのだ。

    第10ターン(44年7月22日〜24日)天候:曇天

     米軍4度目(「ここから突破を進展させなければならぬのだ!」)の半島西岸に対する1対1攻撃、結果はお互い1損害のみ。SebT氏血眼の第8次サン・ロー攻撃は、機甲2個軍団集中で1.5対1に比が上がったものの米軍が1損害を被っただけだった。英軍は、さらに突破を深めるべくファレーズへ続く道路上の平地ヘックス(守るは第277歩兵師と、1回目の重爆で再建中の第1SS)を4対1で攻撃、出目にも恵まれ、お互い1損害で独軍を退却させて前進。
     これを受けて独軍は直ちに反撃、貰える全てのコラムシフトを得てカーンから転進してきたSS軍団(SS12HJ、SS10Fr)さっき英軍が進出したファレーズ前面ヘックスに対し5対1攻撃。独1英2前進1の結果を得て、英軍撃退に成功。カランタン半島西岸の突出部は一歩撤収して戦線直線化。第15軍から部分解除された第116装甲師が戦線に到着。

     相変わらずの攻撃。歩兵戦力が枯渇してきたので、定石破りの機甲師団投入。毎ターン、何かしらの損害を与えているのだから文句を言う筋合いではないのだが、敵を弱体化させている実感が全く感じられない。
    英軍は着実に戦果を上げているが、段々、他人の戦区など興味が無くなってきた。
    独軍が英軍戦区でまたも反撃。曇天はこれがキツイ。

    On to Falaise
    (第10ターン)
    「ドイツ軍に如何ほどの戦力が残されていようとも、それらは既に形骸である。敢えて言おう、カスであると!」
     独軍はカーン撤収に際し、戦略的撤退を強調していたが、2度の絨毯爆撃と同市を巡る一連の消耗戦により、英軍正面の独軍は、明らかに弱体化していた。カーン占領に伴い戦線が整ったため内陸部への侵攻を開始する。
     だが、戦線の直線化に伴い兵力の運用にゆとりが生まれたのは敵も同様であった。内陸部へ前進を続ける連邦軍は、ファレーズ近郊でSS装甲師団を含む独軍の大規模な攻撃を受けた。

    ○第10ターン 「突破ラインへの道」
    米軍方面:
     第8次サン・ロー戦。米軍に1損害。
     コタンタン半島では,カーン方面の英軍の進出に合わせて戦線を後退させ,直線化を図ることになるだろう。ただし,前線の背後には必ずと言って良いほど空軍マーカーが置かれているので,思いどおりに部隊を再配置することが難しい。

    英軍方面:
     ファレーズ方面に進出を図る英軍に反撃する。英軍占領地区は膨張し続けており,突破ラインを越える時期がいつになるのかが焦点となりつつある。「総統の意思」ルールの無効化と「第15軍の解放」がなされるためである。第116 装甲師団の到着は喜ばしい限りだが,もう1〜2ターン早く来ていれば十分活躍できただろう。

    第11ターン(44年7月25日〜27日)天候:曇天

     史実ではコブラ作戦(「突破」シナリオ)開始のこのターン、米軍は苦悩しつつ第9次サン・ロー攻撃を発動、結果は損害無し。戦線が直線化された半島正面ではカランタンへ延びる道路のあるボカージュヘックスを2対1攻撃するも、お互い1損害に終わる。これまでの流血により最低ステップにまで陥った米第5、29、30、90歩兵師団が、補充の当てもなく海岸にたむろする姿に「坂の上の雲」旅順へ続く墓標の群を連想。凄じいまでの米軍難攻振りにYaG氏、自分の立場を度外視したアドバイスをSebT氏に送る。米軍慰霊の念に燃える英軍は、独軍に撃退されたファレーズ前面ヘックスに対して3対1攻撃を敢行、出目も冴え渡って独2英1損害の上、前進3の結果を得て元カーン駐在のSS軍団を敗走させ、勢いを駆ってファレーズで再建中だった独21装甲師に対して5対1の機動強襲、結果は独2英1損害で21装甲師あえなく壊滅、ファレーズに前進してしまうと独軍死守命令が無効になってしまうのであえて前進はせず。独軍は部隊のやり繰りに終始、目立った行動は無し。

     増強ユニットは第4機甲師団。オマハ・ビーチの屍を見て会長が悲鳴。他の二人は呆れた様だ。突破シナリオの開始時と比べて、米軍の遅れは英軍の進出でカバーできていると言えるのだろうか?第17SSの両脇を攻撃。右翼で損害を与えたものの、St.Loはスカ。YaGさんから助言される始末。自分の士気が低下しているのが分かる。英軍の攻撃は大成功。素直に喜べない自分がイヤになる。

    Breakout Normandy
    (第11ターン)
    「戦争は、敵の望んだ特効薬さ。上等じゃないか、幾らでも薬をくれてやろう」 W.T.Sherman
     独軍の挑戦を受けてたつ。ファレーズ前面での戦闘は、サイの目に恵まれて大成功。戦闘後前進により、遂に突破ラインへ到達する。これの突破も可能であったが、死守命令が失効してしまうので突破せず、隣接する第21装甲師団を壊滅させ、敵の戦線の突破口を広げた。

    ○第11ターン 「ファレーズの戦闘」
    米軍方面:
       第9次サン・ロー戦。双方損害なし。

    英軍方面:
     米軍が際限のないボカージュ戦で苦しんでいる間に,英軍の先頭集団は独軍の戦線の乱れに乗じて機動強襲を連発。準備防御をしていないユニットの各個撃破を狙っているようだ。これは英軍の終始一貫した戦術で,前線に到着したばかりの部隊が目標となって大損害を被るケースは度々見られた。早くもファレーズを明け渡すはめになったが,敵は前進しては来なかった。

    第12ターン(44年7月28日〜30日)天候:曇天

     米軍、半島正面のボカージュ帯で立て続けに攻撃失敗、サン・ローの代わりに3正面から攻撃した戦線屈折部(川と溢水帯で守られ)は、完全戦力のSS17ゲーツ・フォン・ベルリッヒンゲン師団とV.H.ハイテの第6降下猟兵連隊が陣取り1対1の低比率、恐る恐る宣言した「断固たる攻撃」も賽悪の目で米軍のみ2損害とあっては、記録を取っていた筆者の方が悲鳴をあげる始末。怒り心頭に達した米軍は次ターンの絨毯爆撃を屈折部の第17SSらに叩きつけるべく計画。戦闘疲労症に陥ったSebT氏は航空阻止を配置する事を失念。対して絶好調の英軍は、独軍死守命令無効も恐れずにファレーズを占拠、そこを基点としてファレーズ東隣の平地に対して最大比7対1攻撃を仕掛け、英1独2前進4の大戦果を挙げて2ヘックス先まで突進、更にその奥の(さっき敗走させた)SS軍団に対し機動強襲、「せいぜい5戦力程度」と侮っていたら大間違いで最低比攻撃 に転じるも賽の目に助けられ英2独1損害の結果で済んだ。
     英1個軍団の突出を見た独軍:YaG氏は、指揮刀一閃晴天を仰ぐの軍欲が勃然として湧き起こり、まず突出した英第12軍団に連絡を繋ぐ英近衛機甲師団が単独で守るファレーズ東隣の平地を、第116装甲師等で挟撃しこれを一挙に壊滅に陥れる事に成功。英12軍団が孤立した所を三方からSS装甲黒だかりで4対1攻撃、しかし結果は前進1。退却しなければ損害無しで済む英軍は「断固たる防御チェック」を行なうも賽悪の目によって1損害を喰らった上に、敵ZOCを潜って退却、これにより3損害が追加適用されて正にガントレット状態となった。米軍戦線の独軍は、半島正面の防衛ラインを一歩下げサン・ローとクータンスを結ぶ並列ラインを組む。

     英軍が突破ラインを越えた。ヒトラーの死守命令が無効になった。
    曇天だが進まねばならない。西岸と第17SSのいる最後の溢水地帯を攻撃。YaGさんの助言通りに“断固とした強襲”を宣言。しかし…、こんな時にこのダイス目! あまりのショックに無口になる。
     突破を狙って最後の絨毯爆撃を計画するが、独軍は自発的に撤退。悪い事は重なるもんだ。独軍の反撃により英軍が大損害を受けた。このまま連合軍は負けるのか?

    連邦軍最大の危機
    (第12ターン)
    「最大の危険は、勝利の瞬間にある」 Napoleon Bonaparte
    ファレーズを巡る一連の戦闘による戦果に気をよくした私は第12軍団を突出させ過ぎたあげく、その機動強襲の際、SS2個装甲師団および高射砲大隊の待ち伏せに会い大損害を受けた。戦線後方には2線級兵力しか存在しないと侮っていた私の判断ミスであった。
     独軍は、この機に乗じて大規模な反攻に転じ、近衛機甲師団を撃破して第12軍団を孤立させた。退路を断たれた第12軍団は、SS3個師団他の集中攻撃を受け壊滅的打撃をうけた。

    ○第12ターン 「白鳥の歌」
    米軍方面:
     サン・ローに隣接してこれまで全く攻撃を受けなかった北の「保養所」ヘクスに対して初の攻撃がなされた。米軍は,ここに第17SS装甲擲弾兵師団が無傷で存在することは先刻承知のはずであったが・・・。

    英軍方面:
     ついに英軍が突破ラインを越えて進出してきた。このターンの独軍の反撃は,プレイ前に思い描いていた通りの展開で,突出した英軍をほぼ包囲殲滅することに成功した。だが,これは独軍最後の組織的な攻撃の成功であり白鳥の歌でもあった。

    第13ターン(44年7月31日〜8月2日)天候:荒天

     米軍、第10次サン・ロー攻撃、独軍は予備拘置していた第3降下猟兵師団を投入して1対2の低比率にまで下げる。どう贔屓めに見ても戦運は去ったと思われたが結果は米3独2損害という賽良の目に恵まれた。英軍も荒天を突いて第12軍団救出の為にファレーズ東隣を「断固」2対1で挟撃。英2独1前進1によって、孤立していた第12軍団、SSの重囲を破って戦線復帰。
     独軍、O林氏に対する鉄拳制裁は成ったとしてSS軍団を一歩下げ補充・予備とする。サン・ローの第2SSも下げて予備とする。荒天なので重戦車も貰え、言う事無しのYaG氏であった。

     荒天になり得る最後のターンに荒天とは…。ダイスを振ったのは、また私。しかも、よりによって前回と同じく英軍が包囲されている時。悪気は無いッすョ、O林さん! 結局、荒天だから絨毯爆撃はできなかったなんて事は慰めにもなりゃしない。第7ターン以来、晴天を見ていない。航空支援の受けられない連合軍なんて…。こんな貧乏な戦争は、まっぴらだ。
    ヤケになってSt.Lo攻撃。負けて当然の攻撃でなんでこんなに良い目が出るんだ!
    独軍は冷静に再編成。どんどん気分が落ち込んでくる。

    激闘!第12軍団
    (第13ターン)
    「我々も苦しいが敵も苦しい。勝利はこの一瞬を頑張り抜いた方に訪れるのだ!諸君、もう一息だぞ」
     カーン攻防戦の時と同じく危機的状況に陥ると天候が悪化する「ヒトラー天気」に悩まされた。それでも、全滅寸前の第12軍団の救出に辛うじて成功し、なんとか体面を保つことが出来た。
     しかし、この第12軍団突出に誘発された一連の戦闘により、機甲師団が2つも失われたのは痛かった。勝ちに驕ったことによる無用の損害であり、今回のプレイでの最大の痛恨事である。この2個師団はその後2度と再建することは出来なかった。

    ○第13ターン 「小康状態」
    米軍方面:
     荒天にもかかわらず,またもや米軍がサン・ローを攻撃してきた。低比率での戦闘であったが,予想外の損害を受けてしまった。

    英軍方面:
     前ターンの反撃でやや戦線が安定化したと考えられたので,装甲師団を前線から引き抜いて防御予備とし,補充再編に努めることとした。

    第14ターン(44年8月3日〜5日)天候:晴天

     米軍、半島西岸に「断固」3対2攻撃を行なうが、賽悪の米軍だけ2損害で頓挫。第17SS等の守るサン・ロー西隣ヘックスに対する2対1攻撃は独軍に1損害を負わせた。第11次サン・ロー攻撃では第2SSの予備投入で3対2の低比率ながら独2損害を与える奮闘振りを見せたが、米軍もまた3損害を払い米28歩兵師は初戦たちまち最低面に激減。早速「血のバケツ」師団の異名をとる。この段階で補充の当てもなく最低ステップでふらつく米歩兵師団は5個余り。一方停滞著しい米軍戦線とは対照的に、英軍は3個軍団による最大比攻撃を戦線東部のListeuxに敢行。英1独2前進2を得て、引続き機動強襲を南隣の独363歩兵師に対し5対1で仕掛け、これに2損害を与えた。これにより英軍、東方へ大きな突破口を開ける事に成功。
     独軍は度重なる英軍の攻撃成功により戦力低下。乱れた戦線の補修に長考状態。ファレーズ東隣の平地に対しSS軍団で4対1反撃。独1英2損害を与えたが、前進の目に恵まれず失地奪回成らず(O林氏「退却無しならウチの勝ちだね」)。

     西岸への“断固とした強襲”は、またもや大失敗。宣言したときに限って前進だけでなく損害まで与えられなくなるのはナゼだろう? 弱気になるには十分な展開だ。St.Loでは両軍、大損害。敗残ユニットの山が私を責めている様だ。
    英軍の大突破が間近。しかし、米軍がこの有り様では軍境界はどうしよう?

    東方への進撃
    (第14ターン)
    「逃げられた、と言うより見逃してくれたのか」
     猛威を振ったSS軍団が戦線後方に後退した為にファレーズ方面の戦線は安定した。この戦闘の反省から攻撃がやや慎重となる。攻勢主軸を東方に旋回させ、セーヌ河に向かいゆっくりと前進する。
     セーヌ河前面に展開する独軍は極めて弱体化しているが、側面を先のSS装甲軍団に脅かされており大胆な前進が出来ない。また、ユニットの絶対数の不足から、この頃より作戦正面の拡大が負担に感じられるようになる。米軍戦区との境界線付近は僅かな兵力しか配置出来ず、軍団マーカーで隠ぺいする危険な状況であった。

    ○第14ターン 「終わりの始まり」
    米軍方面:
     米軍が全戦線で攻勢に出た。何とか跳ね返すことはできたものの,はじめからこの方法を採られていたら,相当な脅威になっていたに違いない。

    英軍方面:
     前々ターンの反撃で相当の打撃を与えたものと評価していた直後でもあり,まさかこれほど早く英軍が大攻勢に出てくることは予期していなかった。こちらも装甲師団に重戦車を付けて包囲攻撃を狙ったのだが今度は見事に失敗し,これ以降戦線のバランスは大きく連合軍に傾き始めた。「終わり」が始まろうとしていた。

    第15ターン(44年8月6日〜8日)天候:晴天

     米軍、第12次サン・ロー攻撃を宣言。これに対し独軍恒例の第2SS装甲師の予備投入を行なわず、三方からの5対1攻撃を受けて独1損害を喰って独第3降下猟兵師団、最低面となって退却。12次に及ぶ消耗戦で実に米軍24ステップを失わしめた「米兵屠殺場」サン・ロー遂に陥落す!勢いを取り戻した米軍は3個機甲師団投入でクータンスを4対1攻撃、米1独2損害前進を得て独77歩兵師壊滅。英軍もここぞとばかりに、戦線東部の両端で独歩兵師を高比率攻撃。独711歩兵師に2損害を与え最低面で敗走させ、Listeux南東の森を守っていた独363歩兵師を壊滅に追込んだ。
     独軍、サン・ロー、クータンスの相次ぐ陥落に戦線を全体的に1ヘックス後退させるが、航空阻止が邪魔で充分な防御戦力集まらず。

     シビレを切らして二個機械化軍団を前線に投入。歩兵戦力が、もう、もたない。独軍が諦めてくれたお陰で、これまで見たことの無い高比率。感涙に噎びそうになる。12回目にして、ようやくSt.Loを占領。情けなさ過ぎて喜ぶ気にもなれない。Coutancesも同時陥落。英軍も順調で、独軍戦線ついに崩壊か?

    英軍プレーヤー退場
    (第15ターン以降18ターン迄)
    「神に感謝する。私は義務を果たした」 Adm.Nelson
     これ以降、あまり記すことがない。
     英軍正面の敵は単独防御する師団が目立つようになり、容易に戦闘比を計算できたが、こちらも東方に前進すると南側面を守るユニットが不足してしまうので、思うように前進出来ない
    。  止むを得ず米軍に側面援護を要請する。独軍に兵力不足を悟られてしまうが、作戦正面が拡大すると攻勢を維持出来ないので仕方がない。独第15軍の兵力がセーヌ河沿いに展開する前にこれを渡河したいが難しい状況である。
     この頃、第12次にまで及んだ凄惨なサン・ロー攻防戦がようやく終息、米軍戦区でも高比率攻撃が目立つようになる。そして第17ターン、米軍はアブランシュで遂に突破を果たし、この時点で主役交代といった感じ。私個人のノルマンディー戦は第18ターンをもって終了した。

    ○第15ターン 「サン・ローの陥落」
    米軍方面:
     前ターンの英軍の進撃により,ノルマンディの戦いは事実上終焉を迎えたものと考えられた。伸びきった戦線を整理するために早急にコタンタン半島から部隊を撤収させなければならない。今後の戦いは,これまでの土地の確保を重視した陣地戦から,部隊の保全を図る退却戦に移行することになるだろう。この頃から米軍機甲師団の存在が不気味に目に付くようになってきた。サン・ローとクータンスに米軍が突入したが,今やこれらの街は米軍にとって通過点の一つに過ぎなかった。合計12回にも及んだサン・ロー攻防戦は,呆気なく幕を降ろした。

    英軍方面:
     いつものことながら,英軍の攻撃は独軍前線の弱体部分を突いたもので,単独で守る歩兵師団は有利な地形にいてもなす術なく撃破される運命にあった。英軍はセーヌ川への進出を窺っている気配であり,増援として到着した第15軍の歩兵師団は,ルーアンでセーヌ川を渡河して逐次英軍方面に送り込まれた。

    第16ターン(44年8月9日〜11日)天候:曇天

     米軍、半島西岸のGranvilleを守る独353歩兵師に絨毯爆撃適中。1損害を与えた上に重爆シフト3を得て最大比攻撃を自信を持って行なうが、賽悪のピンゾロで独1損害前進1。大山鳴動して鼠一匹とはこの事か。奇跡的に生き残った最低面の353歩兵師は退却、米軍は一歩進むことしかできなかった。サン・ローから下がった第2SS等に対する三方からの「断固」4対1攻撃は両軍1損害前進1を得て、独第3降下猟兵師を壊滅させ、残りを退却に追込んだ。英軍も攻勢継続で、アルジャンタンへ続く道路に立ち塞がる独708歩兵師に対し正面2ヘックスからなる最大比攻撃で一挙2損害を与え最低面で敗走させ、Listeux東隣の森にいた見せ掛けだけの独86軍団(内実は2個連隊)に対する4対1攻撃でも、お互い損害無しで独軍を退却させる事に成功。
     独軍、米軍方面でアヴランシュからVire−オルヌ川まで大幅に戦線後退。第116装甲師も米軍方面へ移動する。

     時機を逸した絨毯爆撃をGranvilleへ。大突破と機動強襲を目論み機械化軍団を投入。結果はピンゾロ! 終始コレだヨ…。St.Lo南方への“断固とした強襲”が成功。初めてだ。
     独軍戦線が整理されるが、もはや戦力は無いはずだ。残りターン数が気にかかる。

    ○第16ターン 「目標グランヴィル!」
    米軍方面:
     これまで米軍は何度も絨毯爆撃地点を読み違えていたようだが,グランヴィルに対する最後の絨毯爆撃は的確な時期と場所で行われた。ここで大突破されていたら,多数の独軍部隊が一気に包囲される事態に陥っていたかも知れない。戦線をアヴランシュまで下げることにした。歩兵の退却速度に合わせなければならず,ヤーボの妨害も受けるので,1ターンに退却できる距離は1〜2ヘクスに限定されてしまう。

    英軍方面:
     ようやく米軍と英軍の歯車が噛み合ってきたようだ。米軍は史実どおりアブランシュ方面から突破を図り,英軍はセーヌ川に向けてじりじりと進撃を開始した。英軍は部隊の確実な撃破を心掛けており,決して無理な前進はして来ない。

    第17ターン(44年8月12日〜14日)天候:曇天

     米軍、遂に血塗られたボカージュ地帯を抜けアヴランシュ前面の平地に進軍。しかもアヴランシュ東隣の平地には独353歩兵師残余(最低面で2戦力)しかおらず、蹂躙攻撃の絶好の機会であったがSebT氏気付かず。仕方なく戦闘期になって最大比攻撃でこれを壊滅。アヴランシュの東隣に前進。アヴランシュ自体にも4対1攻撃を行ない敵に1損害を強要。英軍も先ほど退却させた敗残の独84軍団を再度4対1で攻撃、中の2個連隊を壊滅させ軍団HQだけ裸で敗走。また、アルジャンタン前面のボカージュヘックスに立て篭る独第2装甲師に対し6対1攻撃を仕掛け、2損害を与えてこれを壊滅。独軍戦線の破綻覆うべくもなし。
     独軍、もはや英軍に隣接したままでは準備下攻撃の餌食となる為、全体的に1ヘックス後退。米軍方面においてもアヴランシュさえ放棄して、その後に流れるSelune川沿いに防衛線を構築。

     Avranchesの西でオーヴァーランを宣言する事を失念。しくじった。突破と機動強襲の格好のマトだったのに。独軍、さらに後退。突破ラインがようやく見えた。

    ○第17ターン 「ヤーボの恐怖」
    注釈:
     ノルマンディ戦を特徴づける因子の1つに,連合軍の圧倒的な航空優勢が上げられる。このゲームでは,晴天時の戦闘で連合軍に有利な修正をつけるという合理的な処理で,これを旨くあらわしている。それに加えて,独軍は一定の距離を移動すると自動的に機銃掃射を食らうので,絶えず目に見えないヤーボの脅威を感じながらプレイし続けることになる。これだけでも相当なものだが,更に最高で6枚の航空機マーカーが移動妨害の嫌がらせをするためにマップ上を飛び回るのだ。航空機マーカーが置いてあるヘクス内に独軍ユニットが進入すると,自主的に混乱しない限り機銃掃射を受けることになり,これが予備の移動や戦闘後前進にまで全て適用されるのである!機銃掃射はユニット毎にステップの消耗を要求する厳しいものなので,ただでさえ移動力が足りない独軍には大きな足かせとなる。簡単ではあるが,これだけ効果的な航空ルールもないだろう。上記のルールが分かっていないと,退却戦に移行してからの独軍の真の苦しみが理解できないと考えてあえて長々と説明した。なぜ史実の「ファレーズ包囲戦」が独軍に「地獄」と呼ばれたのかを,読者はこのリプレイで十分に味わうことができるだろう。

    米軍方面:
     アヴランシュが直接攻撃を受けた。この街は言わばコタンタン半島の出入口である。米軍はまず玄関の戸を叩き,次いで無理やりこじ開けようとしていた。ボカージュの戦闘で大損害を出した歩兵に代わり,米軍の主役は機甲師団になりつつあるようだ。SebTさんは,はたしてパットンになれるだろうか?

    英軍方面:
     アルジャンタン方面に対する英軍の攻撃は熾烈を極め,多数の部隊が壊滅した。晴天時に準備強襲を受けると戦闘比が2コラムも連合軍側に有利になるので,強力なユニットを集中させない限り,同じ場所を長時間守ることは困難だ。しかも敵は独軍が装甲ボーナスを打ち消せないヘクスを狙い撃ちにしたので,損害が耐えられない程に増大してきた。準備攻撃を避けての1ヘクスの撤退も,ヤーボの妨害にあって陣地の構築もままならない。

    第18ターン(44年8月15日〜17日)天候:晴天

     米軍は撤退した独軍に追いすがり、移動マーカが置かれた形で強攻。アヴランシュ背後のSelune川越えで5対1攻撃、米1独2前進2を稼ぎ、川越え前進チェックにも成功して対岸へ渡河、余力を利して隣の平地に陣取る独275歩兵師を側面から6対1で機動強襲、これに1損害を与えて敗走させた。こうして開けた突破口を機動予備が進出、Fougeresにまで隣接した。またボカージュにあるFlersに対しても2対1攻撃を仕掛け、両軍1損害を得た。英軍もセーヌ河口へ向けて攻勢を続行し、Lisieux東方2ヘックスの平地に(南仏から)到着したばかりの独第9装甲師に対し2対1攻撃を行ない、これも両軍1損害を受けた。
     独軍は、これまで仕事の無かった独航空阻止と交通渋滞マーカをアヴランシュ渡河点と英軍Lisieux交差点に配置。もはや事ここに至ってはアヴランシュ方面には連続した戦線は築けず、英軍正面以外では大幅撤退となった。

     機動戦が始まったため、準備強襲が得られない。ボカージュを抜けたわけではないので、意外とキツイ。やはり頼みは機械化軍団による機動強襲だ。

    ○第18ターン 「アヴランシュの突破」
    米軍方面:
     アヴランシュ後方に敷いた川沿いの防御ラインは,あっさりと突破されてしまった。ブルターニュへの進出に立ちふさがる予備兵力はもはやない。それどころか,この突破によってノルマンディ地区の全独軍部隊が包囲の危険に晒されることになった。渡河点に交通渋滞マーカーを置いたことが唯一の応急措置だった。

    英軍方面:
     このターンは,O林さんが英軍を指揮した最後のターンとなった。ここまでの英軍の攻撃は敵ながら見事なもので,私が意図していたノルマンディでの遅滞防御作戦は,英軍の力によって打ち砕かれたと言っても過言ではない。

    第19ターン(44年8月18日〜20日)天候:晴天

     米軍、戦線の綻びから第3機甲師、第9、80歩兵師からなるブリタニー半島制圧部隊を盤外突破させ、少ないながらも2勝利得点を獲得。南部突破を目指す米軍はFougeresの森に止め置かれた最低面の独91空輸歩兵師を戦車軍団で蹂躙。その穴を通って次々と快速部隊が突進。先鋒の第3機甲偵察連隊は一気に大都市ル・マンに肉薄、引かれたチットは独軍警戒部隊ではなく仏レジスタンスだったので見事ル・マンを解放。第4機甲偵察連隊はル・マンの横を通って更に南下、小都市ANGERS東2ヘックスに到達。迂回され背後に取り残された形の独軍敗残部隊は次々と米軍に取り囲まれ壊滅していく。英軍戦線との繋ぎ目であるボカージュ端Domfrontでも、守る第17SSと降下猟兵連隊に対し米第1戦車軍団(第4、6機甲師、102機甲連)が2対1攻撃を行なって、両軍1損害を被った。英軍は引き継ぎ直後という事もあってか、セーヌ河口へ向かう攻勢は鳴りをひそめ、南に対する攻撃を重視。まず独80軍団(内実2個連隊)の立て篭るアルジャンタンに対する最大比攻撃で英1独2損害前進4を得て、独80軍団HQだけになって敗走。アルジャンタン東方2ヘックスの平地を守る独第116装甲師と第89歩兵師に対する4対1攻撃でも損害は発生しなかったもののこれを敗走させた。Bernayに陣取る独第9装甲師に対しても英1独1前進2の結果を得て、これを占領する成果を挙げた。
     独軍は、米軍の突破・浸食を受けて苦しい撤退移動。カレー海岸の第15軍も次々解除してセーヌ河畔へ向かわせる。

     このターンから全連合軍を指揮する。全軍の半数とは言え“戦場の霧”ルールのあるゲームを途中から受け持つのは不安が大きい。昨日の別れ際にO林さんからは、英軍戦力は弱体化していると注意された。独軍の装甲師団の位置についても教わったのだが、どこがどこやら分からない。
    米軍、ようやく地図盤西端から突破。あと1ターン早ければ3VPだったのに。機甲師団を突破させたのは勿体無いが、歩兵師団が屍ばかりなので仕方がない。
    機甲偵察連隊で敵補給線を切断しに行く。Le Mansが無血占領できたのは大きい。YaGさんの“引き”の弱さに乾杯!
    戦闘をするためには作戦移動が使えないので、師団は思っていたほど進撃できない。交通量マーカーも邪魔だ。突破が遅れたせいで補給堡は最前線にいる。トラック・ポイントも最大数のため、燃料が不足する事は無いだろう。
    これまでとは一変して、移動に時間がかかる。だが、楽しくなってきた。
    海岸近くの英軍は小河川を挟んで接敵するだけにとどめる。O林さんの言う通り、戦線の長さに比べて部隊が弱い気がする。だが、南方へは戦闘を仕掛ける。準備防御が何だ! 損害も出るが面白いように前進が付く。こんなに英軍は、お気楽だったのか!

    ○第19ターン 「電撃戦」
    米軍方面:
     ついにSebTさんが本領を発揮できる時が来たようだ。機械化部隊を組み合わせた米機甲軍団のフル・スタックが,オーヴァーランと機動強襲の猛威を振るいだした。
    ヤーボの妨害を受ける前線の独軍部隊は身動きがとれず,後方地域には米軍機械化騎兵部隊が道路網を伝って浸透し始めた。交差点の要所に部隊を配置して足止めとしたが,師団単位の敵が進出して来る前に何としても防衛線を構築しなければならない。ゲームも終盤を迎え,時間との戦いになってきた。

    英軍方面:
     英軍は,アルジャンタンにまで進出して来た。連合軍が全独軍の包囲を意図しているとしたら,北方の英軍部隊がアルジャンタンを抜けて南下し,一方南方から北上する米軍が独軍の補給線を断ち切るためにルーアンとパリに通じる道路を押さえつつ罠を閉じようとするだろう。「ファレーズ・ポケットが再現されるかも知れない」私は思わず呟いた。

    第20ターン(44年8月21日〜23日)天候:晴天

     米軍、突進先鋒の2個機甲偵察連にトラック補給を与え、ル・マン解放の連隊はパリ一番乗りを目指し東進、都市CHARTRESに隣接したところ引かれたチットは独軍警戒部隊で停止。機甲偵察連隊が盤上を駆け巡り、独軍の逃げ遅れた部隊が次々と後続する米大部隊に踏み潰されてゆく。米軍方面では戦線の綻びから巻き込む形で敗残の独軍が次々多正面攻撃を受け、細かく確実に損害を受けてゆく。勢い任せで最も南にあるボカージュヘックスに陣取る独軍を攻撃したところ、装甲教導師団出現で1対1攻撃となり米軍だけが1損害被った事ぐらいが独軍の慰めとなった。英軍方面でもパリ方面へ向けた攻勢が続き、戦闘後前進の余力で行なう機動強襲も入れれば4ヵ所で高比率攻撃を実施。至る所で独軍に出血を強要、地道に退却させていた。米軍ようやく補充に余裕が出てきたのか戦線後方でウロウロしていた「血のバケツ」歩兵師を2段階回復させる。対して英軍の歩兵は一切補充を必要としない温存ぶりで、引き継いだSebT氏の怒り爆発。独軍のYaG氏は「戦車から損害出す事が多いから仕方無いよ」とO林氏を弁護。
     独軍、道路を寸断され補給切れの危機迫る。これに鑑み、一兵でも多くセーヌ方面へ離脱させるべく機動を試みるが、随所に米軍の先遣隊が立ち塞がり、全体で3ヘックスほど撤退しただけの短い戦線を構築。ファレーズ包囲網の脅威をヒシヒシと感じる。

     機甲偵察を突出させ補給線を切る。Chartresの無血占領はならず。機械化軍団で戦線後方を蹂躙。北方からも歩兵で圧力をかけるが、効果はあがらず。よりによってLehrに負けたため、YaGさんを喜ばせてしまった。
     英軍の南東への進撃も順調。なにぃー、歩兵補充が余っているだとぉー!O林さんのサボタージュの動かぬ証拠だ! YaGさんがO林さんの代わりに弁解する姿も“英独密通”の証に違いない。O林さんはParisで丸坊主だ。
    もはや、連合軍の移動を妨害するものだけが敵と言える。時間が足りん!

    ○第20ターン 「潰走」
    米軍方面:
     前線の独軍が弱体と見て米軍は一斉攻撃に出た。歩兵部隊は次々とオーヴァーランを受けて壊滅したが,生き残っていた装甲師団は簡単には引かなかった。米軍は包囲よりも正面攻撃のために主力を投入した。恐らく燃料問題がネックになっていたのだろう。南方で進撃している部隊は弱小なので,仮にこれらがセーヌ川と独軍部隊の中間に割って入り英軍と手を結ぶにしても,包囲陣を締めつけるには戦力不足のはずだ。だが,今はひたすら逃げるだけだ。

    英軍方面:
     連合軍の目は逃げ遅れつつある独軍部隊の方に向けられており,当面の間は英軍がセーヌ川の渡河を目指して海岸線沿いに攻撃してくることはなさそうだ。苦しい戦力の中から2個装甲師団をはじめとする部隊を英軍戦線より引き抜き,南下させて米軍の進出に対処することにした。

    第21ターン(44年8月24日〜26日)天候:晴天

     米軍、独軍総撤退に伴い大進撃。ロレーヌ河沿いに大きくカーブを描いての進出となた。自由フランス第2機甲師もル・マンに入城、パリを睥睨す。ル・マン上空に独軍航空阻止がある為、米軍の部隊機動に混乱生む。独軍戦線の西端の森に立て篭る装甲教導師と第5降下猟兵師に対する攻撃は2対1で結果なにもなし。LehrマニアのYaG氏は大満足。第17SSが守るAlencon正面の森では両軍1損害を出す1対1攻撃が行なわれた。英軍は、独戦線中央を喰い破る勢いで、AlenconとLaigleの間の平地を突破。独軍が米軍に対して割り当てた精鋭装甲師群を包囲すべく、Alencon前面の森にまで機動強襲をおこなった。米軍の蹂躙攻撃解決の結果、Alencon背後の森にいた独第15軍HQが壊滅し、この森を米軍が占拠した事により10ヘックスからなる“Alencon包囲網”形成さる。包囲されたのは装甲第47軍団、歩兵80、84軍団(Lehr、第2SS装甲、17SS装擲師、第5空挺師、第272歩兵師、2個連隊)の3軍団HQ、5個師2連の大兵力。ファレーズ程では無いのが救いだが、精鋭装甲師3個の残置は痛烈だ。また大都市オルレアンを目指す機甲偵察と独第1軍HQがChateudunの森で差し違えるなど、独軍組織の崩壊を如実に感じさせた。
     独軍は、SebT氏に名を成さしめぬよう“Alencon包囲網”の救出を断行。まずル・マン解放の小癪な米3機甲偵察連を、独第9SS、第9装甲師らの4方攻撃で壊滅させ、前進の余勢を駆って独58軍団がNogent-le-Rotrouで休む米15機甲偵察連を機動強襲、しかし独2米1前進1を得て米連隊を壊滅させたが自らも軍団HQを失い第9装甲師まで傷つく始末。しかしこれにより包囲網南端に到達し、辛うじて解囲に成功。傷ついた第9装甲師には後方から第9SS装甲師も前進して合流、以後9・9コンビで戦う。

     戦線の向きが南北方向に変わりつつある。Le Mansで大渋滞とは、機動戦になって初めて独軍航空ユニットが目障りになった。
    再びLehrに負けるとは…。不甲斐ないぞ、歩兵師団!
    全機甲偵察を突出させた事と、英軍の戦闘後前進によって“Alencon包囲網”が完成。YaGさんの苦痛の表情が私の喜びだ。補給切れになれば、拘束部隊さえ必要が無くなる。
    何と! 救出に来た! 移動した機甲偵察は弱かった。救出部隊に損害が出たのが慰めか。

    ○第21ターン 「アランソン・ポケット」
    米軍方面:
     ついに米軍の主力が南方に旋回して来た。しかし重要な交差点であるル・マンは交通渋滞と空軍のマーカーで移動妨害をしてあるので,包囲戦に本格的に参加するまでに少しは間があくだろう。そこで,アランソン付近で孤立した部隊に補給線を通すための限定的な攻勢に出た。少しでも時間を稼ぐことが狙いだ。米軍の2個機械化騎兵が吹き飛び,孤立部隊は一時的にせよ補給線を引くことができた。

    英軍方面:
     連合軍プレイヤーが1人になったせいもあり,今や米軍と英軍は完全な連携のもとに戦いを進めている。アランソン・ポケット内には6個師団があったが,その中には2個装甲,1個装甲擲弾兵,1個降下猟兵師団の精鋭が含まれるので,敵も簡単には掃討できないだろう。

    第22ターン(44年8月27日〜29日)天候:晴天

     米軍、包囲網を喰い破ったSS軍団(内実はさっきの9・9両師団)に対し、威力偵察的オーバーラン宣言、もちろん比が立たず戦闘期へ持越しとなる。パットン第3軍HQ、補給堡と共に最前線近くのNogent-le-Rotrou南2ヘックスにまで進出。ロレーヌ河の大都市オルレアンに隣接した米機甲偵察、レジスタンス蜂起を招くが独守備隊により一掃された。先ほどのオーバーラン不成立の戦闘は4対1で解決され、両軍1損害を得てSS軍団敗走、敵ZOC抜けも加わり更に1損害を負う。かくして永久に“Alencon包囲網”は閉じられた。前進する米第7軍団(第4、6機甲師、戦車連)は余勢を駆って近隣の独271歩兵師を最大比機動強襲で滅ぼし、更に包囲網内の第47装甲軍団を6対1で急襲。これにより装甲軍団HQが壊滅、中の276歩兵師も1損害払って敗走するが、敵ZOC抜けとなって追加2損害で結局壊滅。更に機動強襲でAlencon東隣に位置していた独84軍団(内実は敗残の第17SS、空挺連)を5対1で攻め、2損害を与え敗走。これも敵ZOC抜けで追加2損害となって全て壊滅。包囲網内最後の80軍団HQも別に攻められて壊滅。これにより包囲網は2ヘックスにまで緊縮され、残るはLehr、第2SS装甲師と第5降下猟兵師の精鋭3個のみ。英軍もLaigle東隣を単独で守る独116装甲師を5対1で攻め英1独2前進1の結果を得て、116装甲師を壊滅。大都市ルーアンの南西でも第15軍から派遣されてきた第245貼付師団を一喝して敗走させた。
     独軍、戦線の完全崩壊を受けて、セーヌ河目指し散を乱して潰走。第12SS装甲師に至っては航空阻止を強行突破して1損害を被った。それでも連合軍のパリ進軍/セーヌ河渡河を阻止すべく、申し訳程度の戦線を張りパリ正面の都市CHARTRESにも守備2個連隊を割く。今や危篤状態にある“Alencon包囲網”の精鋭3個師は、第5降下猟兵師を足留めとして留置。Lehr、第2SS装甲師を以て重囲を破って南に脱出を図るが、2対1で独2米1前進1を得たに過ぎず失敗。補給切れによる消耗チェックではLehr装甲師が1損害、捨て殺し同然の第5降下猟兵師は実に2損害を被った。セーヌ河口前面で守っていた独軍は、この方面の英軍が積極的に攻めてこなかったので、無事セーヌ東岸へ渡り、新たな戦線を築く事に成功。このターンだけで独軍は実に22ステップを失った。

     包囲内部の部隊に動き回られるのもウルサイので潰しにかかる。面白いように除去できる。結局、生き残りは精鋭三個師団になった。さすがエリートと褒めてやろう。
    解囲が不可能になったので、独軍は一目散にSeine川へ。消耗チェックで3ステップ・ロス。期待通りのYaGさん。

    ○第22ターン 「セーヌ川への退却」
     連合軍はトラック・ポイントを大量に投入して補給堡を前進させることにより,前線の補給問題を解決させた。こうなると孤立部隊の救出に向かった部隊ですら包囲されかねない。ポケット内の部隊は完全に見捨てられることになった。
     セーヌ川前面の戦いは,このターンをもって終了した。生き残った各部隊は,逐次セーヌ川の背後に撤収を開始したが,多くの部隊が対岸に取り残されて敵の攻撃を受けることになった。

    第23ターン(44年8月30日〜9月1日)天候:曇天

     米軍、独軍の大崩壊により進撃追い付かず。もはや破襴破襴のLehrと第2SS装甲師、セーヌ渡河が事実上不可能と悟ったSebT氏により腹いせの包囲6対1攻撃を受けて壊滅。第5降下猟兵師も一蹴され壊滅。結局“Alencon包囲網”から誰も脱出できずに終わった。Nogent-le-Rotrou東2ヘックスの森に立て篭っていたSS軍団(9・9コンビ師団)も三方から最大比攻撃を受け、独1損害・前進5の結果を受け、パリ前面3ヘックスの所まで転げるように5ヘックス敗走。その他パリの前面一帯(パリ市街から6ヘックス程離れている)で5ヵ所の高比率攻撃が行なわれ、ことごとく独軍大打撃を受けて敗走。特にDreux北西にいたSS第1軍団(最低面の第12SS、10SS装甲師)は三方から攻められた上に敵ZOC抜けを強要されてあえなく壊滅。また、セーヌ河河口近くの大都市ルーアンに独85歩兵師を敗走させた英第1軍団がセーヌ河に初めて隣接するも、もはや渡る術なし。
     独軍は英第1軍団のセーヌ渡河を阻止すべく、東岸に師団を配備。敗残部隊を撤退させ、包囲されぬよう直線化を図る。いずれにせよ後1ターン堪え凌げば独軍の勝ちと思われ、交差点附近に妨害部隊を撒いて米軍の迂回を阻止する行動に出る。

     進路が開けたのは良いが、作戦移動のために思うように戦闘ができない。Seine渡河が不可能な気配。とりあえず、戦闘可能な部隊で暴れておく。被包囲下の独軍は全滅。

    ○第23ターン 「戦線崩壊」
     このターンには,セーヌ川を前にして多数の装甲師団が壊滅した。しかし,連合軍はセーヌ川を渡ろうとはしなかった。パリの完全占領には時間が足りないと踏んだのだろう。

    第24ターン(44年9月4日〜6日)天候:曇天

     遂に最終ターンを迎え、米軍何とかセーヌ渡河できないか熟慮するが、渡河すると必然的にパリ蜂起を招来し、独軍をパリ市街から一掃できずにゲームが終わると減点3VPなので無茶はできず。独軍の交差点防御によりパリに大部隊を突入させる事もできず、かくなる上はセーヌ西岸の残敵掃蕩に専念し、独軍残存ステップ数を減らす事によって敵の勝利得点を減少させるといった消極策しか取り得ず。各所で掃蕩戦の結果、ロレーヌ河畔の大都市オルレアンを解放。前ターン取り逃がした9・9コンビこと第9、第9SS装甲師を5対1で攻撃するが1損害しか与えられず、生き残った第9SS装甲師はパリ近郊2ヘックスまで敗走して、米軍の追撃から逃れた。その他、若干の損害を強要したものの目立った勲功は無かった。
     独軍はセーヌ河沿いに薄い戦線を張り、曇天の装甲補充を使って、今ターンに壊滅したLehr装甲師団を後方で復活させ、一人悦に入る。

    VPを得られるほどの大軍はSeine川を渡河できない。名を取るために機甲偵察を渡河させようかとも考えたが、Paris蜂起が起きるため断念。独軍除去に専念。しかし、Paris近郊に取り逃がす。
    結局、Seine川を渡れず、VPでも敗北。機動戦は堪能できたが山ほどの反省と後悔。O林さん、スマン。
    装甲補充でLehrが復帰。さらに敗北感が増す。

    ○第24ターン 「終幕」
     もしもあと数ターン残っていれば,連合軍は史実どおりの快進撃を行い,アントワープの奪取にも成功していただろう。最終ターンまでに,独野戦軍の主力はほぼ壊滅していたからだ。
     これこそデザイナーが意図していたことであろうが,ノルマンディ戦線の突破以前と以後では,別ゲームをプレイしているような気がした。連合軍は,突破が成るまでは英軍が主体となって積極的に前進を図り,アブランシュを抜けた後では米軍が猛進撃の主役となった。連合軍を2人のプレイヤーが担当すると,史実と同様に両者の連携問題がクローズアップされて楽しめるだろう。今回のプレイでも,両プレイヤーの個性の違いが如実に出ていたと思う。独軍は1人で担当したので,部隊の移動や戦闘での集中には融通を効かせることができたが,常に2人のプレイヤーを相手にしているという重圧も相当なものだった。
     最後に,結論から言えば,Decision in Franceは師団規模の作戦級ゲームとしては,最も優れたシステムを持つゲームの1つである。シミュレーション性,プレイアヴィリティのどれをとっても文句のつけようがない。師団規模でこれほどノルマンディ戦の雰囲気を感じさせてくれるゲームはないだろう。じっくりプレイしても2日間で十分に最終ターンまで到達するので,特に歴史性を重視して個々の部隊に思い入れを持つ方には絶対にお勧めである。なぜ今までこのような優れたシミュレーション・ゲームが話題にならなかったのか不思議なくらいだ。

    ◆ゲーム終了後、勝利得点を計算したところ、連合軍は「ブリタリー半島突破で」2点、「英本土に保持する完全戦力の空挺2個師により」2点の合計4点であり、独軍は「要塞港湾」5ヵ所全て保持で5点、「装甲ステップ」残存2で0点、「その他のステップ」残存40で3点の合計8点となったので、連合の2倍の得点差を得て独軍勝利が確定した。

    【連合軍:SebT氏の感想】

     今回の企画に参加した他のメンバーから、対戦終了後はもちろん対戦中まで、米軍の行動に関して疑問の声が上がっていた。事前に考えていた方針とのズレも大きかったので、私が自覚している反省点を含めて、行動の理由や背景を説明したい。

    1.「消耗戦」の定義について
    米軍による戦線突破の目処は、7月中(第13ターン)には付けたいと考えていた。地図盤西端への突破によって、第15ターンまでならば4VP、第18ターンまでならば3VPが得られるためである。
    7月末までの各軍の補充ポイントは、米軍=20、英軍=16、独軍=14(天候による補充も考慮)が予想され、連合軍:独軍=5:2となる。増援として投入される部隊も考慮すれば、さらに連合軍(特に米軍)が有利になる。これが「連合軍損害3倍許容範囲論」の根拠である。ただし、この事は序盤から無理攻めを行なえるという意味ではない。
    初期配置から、英軍は全戦線をフル・スタックで配置でき、戦線後方に部隊を持つ事もできる。対して、米軍はCherbourg攻略に1個軍団を投入しており、ユタ戦区では師団数が足りず、連隊ユニットに関しては2ユニットしか与えられていない。増強ポイントの配分を米軍主導で行なったのは、不慣れなO林さんへの配慮である一方、米軍の方がそれを必要としていたためである。
    米軍の戦線は、開始時には6ヘクスにすぎない。西岸で1ヘクスの前進が得られれば、5ヘクスに縮まる。溢水地帯でもあるため、複数ヘクスから効率よく攻撃のできるヘクスは限られている。独軍側から考えれば、相応の攻撃力で攻撃されるヘクスが限定できるのだから、重点を置いて防御するヘクスは少なくて済む。米軍の攻撃は、低比率にならざるを得ない。
    戦闘結果表を見れば分かるように、低比率での2回の攻撃はA2/D1の結果が予想される。ボカージュ戦には重装備部隊が投入される可能性が高いため、攻撃側に追加の1損害を加えA3/D1。自ら望んだ展開ではないが、受け入れなければならない現実としての「消耗戦」である。

    2.「断固とした強襲/防御」について
    今回の対戦中、米軍の行動の中で最も周囲の賛同を得られなかったのが「断固とした強襲」の宣言に関する点だろう。
    戦闘結果表を見ると「断固とした強襲」を宣言しなかった場合、ボカージュ戦での1対1では前進の可能性はなく、戦闘比が上がる度に1/6ずつ可能性が増加する。しかし「断固とした強襲」を宣言した場合には攻撃側に追加の1損害が適用される。1ターンに2ヶ所の攻撃を行なえば、1/3×2の確率での前進と引き換えに、A5/D1といった結果を受け容れねばならなくなる。いくら米軍の補充能力が高くても、この結果は私には受け容れられなかった。実際には、自軍の損害にも拘わらず攻撃を続けていたのだが、これは、他に選択の余地が無かったためであり、積極性とは無縁である。補充の当ての無い師団があれほど生まれる戦い方を選び、さらに空振りの可能性が高い“断固たる強襲”を行なうほどの積極性は、私には無かったのである。
    この判断を、YaGさんは“消極的”と感じたようだ。
    この違いは「消耗戦」あるいは「断固とした防御」に対する認識の違いによるものだと思う。
    米軍に前進の結果を与えたくない場合には、独軍は「断固とした防御」を行なうことになる。エリート・ユニットであれば2/3の確率で前進の結果を打ち消せるが、防御側も5/6の確率で追加の1損害を受ける。「断固とした防御」は消耗戦を意図している連合軍にとって、より望ましいものである。混乱を伴う2ヘクス以上の退却の結果がなく、退却のための余地のある米軍戦区で独軍が宣言する事は無い、というのが私の認識であった。また、1/2の確率でさらに攻撃側に追加の1損害が適用されるのでは、次ターンは再編成のために攻撃が行なえない可能性も大きい。たとえ損害の上では許容できても、スキを作るという点で選択する気にはなれなかったのだ。

    3.「St.Lo攻防戦」について
     参加者だけでなく読者にとっても、ここでの戦い方が米軍の判断ミスの象徴のように感じられるかもしれない。しかし、ここでも私なりの考え方はあったのだ。
    確かに「断固とした強襲」を宣言して前進が得られていれば、結果的に米軍の突破は早まったかもしれない。しかし、序盤の独軍の攻撃力は大きい。損害を受けたまま前進を行なえば四方向から反撃されるし、攻撃位置に残された部隊は、装甲優越のシフト付きで反撃を受ける可能性もある。“前進するのは独軍の戦力を減らしてから”と考えたのは、反撃を恐れたためである。
    何しろ、相手はYaGさんなのだ。山内会長は、YaGさんを“防御戦の権威”と紹介する。YaGさん自身も“どんなに劣勢でも防御戦を楽しめる”と公言している。しかし、私の印象は違うのだ。
    「オペレーション タイフーン」「D−DAY」「レジェンド ビギン」。私がYaGさんと対戦して、猛攻(猛反撃)に晒されたのは、何度あるだろうか? 回数的に少なかったとしても、その強烈な印象は、到底忘れられるものではない。強力な独軍を恐れた以上に、私は、YaGさんを恐れていたのだ。
    理由は他にもある。わたしが“St.Lo”での前進をそれほど望んでいなかったという点である。
    “St.Lo”への前進は、第17SSの篭る北西ヘクスへの3方向からの攻撃を可能にする。しかし“St.Lo”からは河川越えとなる。南東ヘクスへの攻撃は、英軍との境界線が近いため戦線拡大による利点はそれほど大きくない。つまり、自軍の損害を増加させる「断固とした強襲」を宣言してまで、早期に占領するだけの価値を認めていなかったのだ。
    絨毯爆撃が行なわれ英軍の進出が見込めるようになると、私も“St.Lo”の占領を望むようになった。しかし、これはあくまでも英軍の前進とのバランスを考慮した上での発言であり、本当に米軍が欲していた前進は半島西岸でのものであった。
    他の参加者からは、12回もSt.Loを攻撃するのならば“断固たる強襲”の損害など安いものだ、との指摘を受けた。確かにそのとおりだが、私としても、あれほど手間取るとは思っていなかったのだ。
    低比率にもかかわらず、毎ターンのように独軍に損害を与えられたのは幸運だった。しかし、その損害は、重装備部隊で吸収され、補充ポイントですぐに回復された。YaGさんも、補充ポイントは、ほとんど米軍戦区で使った事を認めている。この事が私にとっては予想外の展開であり、米軍の苦戦の原因であった。

    4.私が英軍プレイヤーだったならば
     私が英軍を担当していたならば、Caen西方の平地ヘクス(112高地)で消耗戦を仕掛けていただろう。ここは、英軍にとって3方向からボカージュヘクスを攻撃でき、4方向から“Caen”を攻撃できる要地である。
    それ故、独軍にとっても防御の要であり、軽々しく失う事は出来ないはずなのだ。第5ターンという序盤に112高地を放棄してしまった事はYaGさんの最大のミスだったように思う。
    112高地は平地ヘクスでありボカージュ戦と異なり低比率でも前進が見込める。3対2であれば“前進2”の結果さえ有り得る。それが英軍にとっての助けになる。退却の後に再度進出してきた独軍は準備防御が行なえない。前進の結果が出るまでは苦戦を強いられるかもしれないが“前進2”の結果に対しては混乱を避けるために、独軍が「断固とした防御」を宣言せざるを得ない場合もある。全戦線の中でも、消耗戦を行なうには最高の場所といえる。
    第1ターンから英軍がこの攻撃を行なっている場合、米軍戦区の独軍に補充ポイントが回される事は、ほとんど無い。後退できる余裕のある米軍戦区に対して、英軍戦区での弱体化は独軍にとって死活問題だからだ。
    こうした展開予想から、米軍戦区での私の戦い方は導き出されていたのだ。
    誤算だったのは、O林さんがあれほど慎重な戦い方をするとは考えていなかったことであり、判断ミスは、独軍が重装備部隊や補充ポイントを米軍戦区に回しても、初期の判断を変えなかった事である。

    5. 「英米協調」について
     米軍による英軍批判の背景が、私の狭量さにあることは認める。O林さんの戦い方が私の予想とは全く違っていた事に対して動揺したためであり、批判を繰り返す事で修正を促したかったのである。断っておくが、あくまでも作戦上の齟齬が原因であり、決して“桜”や“薔薇”に心を奪われているO林さんの人間性に思うところがあってのことでは無い事は分かって欲しい。
    不快な思いをさせるほど辛辣な“売り言葉”を最初に発したのは米軍だったが、英軍の“買い言葉”もまた辛辣であった事は強調しておきたい。
    第3ターン、重戦車大隊を英軍戦区に引き付けた事をO林さんが得意げに語る中、米軍は多大な犠牲と引き換えに、第3ターンに高射砲連隊を、第4ターンに2個重戦車大隊を除去していた。第9ターン、“Caen”無血占領を英軍が誇る時点で“St.Lo”では米軍が17損害を出していた。 いずれの場合にもO林さんが特に強調していた点は、英軍が損害を出さずに目的を達しているという点であり、あたかも米軍を“無能故に大損害を出し、かつ目的すら達せられない”と揶揄しているかのように聞こえたのだ。米軍将兵の怒りは“英軍の奴等はオレ達を捨て駒にしているのか”という激しいものだった。
    強力な独軍装甲に対して序盤から攻撃を仕掛けてくれるものと信じて増援や絨毯爆撃の配分にも考慮していたつもりだったのだが、最終的には英軍の歩兵補充が余る展開になっていた事が私の悔しさを増している。
    “あんな腑抜けは、もっと冷遇しておくんだった。”米軍プレイヤーの当時の心境である。

    6.「ダイス目と心理」について
     対戦中の心理も忘れてはならない。
    第2ターン、私は西岸の攻撃に“断固たる攻撃”を宣言した。事前の方針にある通り3対1が見込めたし、次ターン以降、増強される恐れがあったためである。結果は失敗。この時点では、ショックは全く無かった。独軍が増援や補充を投入するのを見て、初期の方針(消耗戦)を継続する事を確認しただけである。
    絨毯爆撃が行われるようになった頃が、決断のチャンスだったかもしれない。しかし、第6ターンには米軍戦区にLehrを呼び込んでしまい、第7ターンには、宣言を行なわずに1ヘクスの前進。第8ターンからは、晴天のシフトが得られなかった事が理由で決断できなかった。
    突破シナリオの開始時期には、英軍戦区とのバランスの悪さに焦りを感じており、YaGさんからの助言もあったため、遅れ馳せながら前進を目的とした戦い方に切り替えようと決断した。しかし、結果は大失敗。決断を覆すには十分すぎる程のショックだった。
    この頃の心理状況は最悪だった。1/2で晴れるはずが悪天候が続き、O林さんも私も、天候のダイスを振りたがらなくなっていた。加えて、絶対に荒天を避けたかった英軍が包囲されているターンに、私は二回とも荒天にしてしまった。全般的に見れば、決してダイス運は悪くなかったのだが、元々消極的な私が決断を躊躇するには十分な状況が重なっていったのである。
     日頃から、1ステップの損害でも士気に影響が出るほどの私が、慣れない消耗戦を行なう事に問題があったのかもしれない。回復不能な程の損害を出し、ツキの無さを感じていた私が冷静に積極策を選択する事は、どう考えても不可能だったのだ。
    対戦前、私は勝利を信じて疑わなかった。ソロ・プレイを繰り返し、システムを理解し、数回の対戦を重ねたお陰で“独軍は眠っていても勝てる”という山内会長の発言に対して“連合軍の突破は成功する”という確信が持てたためである。
    加えて、対戦相手はダイス運の悪さと“引き”の弱さでは定評のあるYaGさんであり、英軍は佐藤副長と並び、例会場での悲鳴が名物のO林さんである。幸運の女神たちで“ハーレム”が造れるほど、ツキも味方に出来ると確信していたのだ。山内会長が言うところの“練度:神”を宣言できるのはこの対戦だ、と。思えば、この妄想が悪かったのかもしれない。幸運の女神から見放され、自分の“読み”の甘さを痛感させられ、残ったものは“対戦してみなければ結果は分からない”という、極めて当たり前の教訓だけだった。

    7.凡将、かく戦えり
     機動戦になってからも、ミスは続いた。
    突破に成功した後、独軍に反撃能力など残されていなかったにもかかわらず、不必要なまでに警戒し、機動兵力以外については戦線の維持にこだわってしまった。北から南への攻撃は、補給が確保できるならば、面で押すのではなく、点で攻めるべきだったかもしれない。余剰兵力を生み出し、突破口から戦線を迂回させた方が効果的だったように思える。
    米軍の師団や軍団は、常に何らかの戦闘に参加できるように移動を行なっていた。突出させたのは機甲偵察だけだったのだが、1ターン分の戦闘を控えてでも、作戦移動を大規模に行なっていれば、結果的に、より多くの独軍を除去する事も、Seine川を渡河する事も可能になったかも知れない。
    英軍戦区では、Risle川で進撃を止めてしまった。河川越えで、二方向からでも1対1程度にしかならなかったためだが、困難な状況でも低比率の攻撃を行なっていた事を考えれば、有利な状況で攻撃を見送った事は、致命的な誤判断といえる。米軍中心の思考に偏ってしまい、状況判断を誤ったのだ。集中力が欠けていたと言って良い。
    St.Maloを攻撃しなかったのは、単純なミスである。独軍がVPを得られるのは要塞都市だけで、町のSt.Maloは、要塞であってもVPには関係が無いと思い込んでいたのだ。VPは、要塞港湾に与えられるものだった。
    最終ターンにParisに近づかなかったのは、人道的配慮によるものであり、ゲーム的な判断によるものではない。占領の見込みが立たない以上、Parisの蜂起を誘発してParis市民の血を無駄に流させる様な事は行なうべきではない。決して、3VPが惜しかった訳ではない事を強調しておく。
    勝利条件上は、独軍8VP、連合軍4VPであるが、あと1ターン早く地図盤西端から退出し、St.Maloを占領し、最後まで盤上にいた空挺師団(二個)を完全戦力に出来る状態で英国本土に撤退させていれば、VPは同点だった。ターン数とVPの設定も見事なゲームだと言える。

    日頃から、戦史での敗将や他人のゲーム・プレイに関して辛口の発言が多い私だが、実際に自分がプレイをしてみれば、この程度である。実戦と違い、敵情を地図盤上で確認できるにもかかわらず、ミスを連発してしまったことが悔やまれる。

    8.Revenge
     反省点は多く、勝利条件も満たせなかったが、ゲーム展開は文句なく楽しめた。これほど完成度の高いゲームは、ちょっと他には思い付かない。
    展開全体について、気が付いた事をまとめておく。

     英軍戦区で独軍に損害を与える事は重要である。しかし、いくら戦果を上げたとしても、英軍単独での戦線拡大や大突破は現実的ではない。部隊の絶対数が足りず、反撃に対しても脆いためだ。今回のプレイでも、戦果に見合った前進結果を得た場合に、戦闘後前進を放棄する場面が余りにも多かった。以前、O林さんと対戦したときのように、英軍は突破ラインを超えずに殴り合い、米軍の突破で“ファレーズ・ポケット”を再現する方が効果的な気がする。
    絨毯爆撃は、突破を約束してくれるほど強力だが、序盤の英軍は、損害さえ与えられれば良いのである。
    Caenを占領するために使用するのならば分かるが、その後は、米軍戦区で前進するために使った方が良かったかもしれない。
    何より大きいのは、米軍の突破が遅れれば、それだけ、Brittanyの占領が遅れるという点である。
    やはり、英軍が独軍を引き付け、米軍が突破という形が、連合軍にとって最も得るものが大きいといえる。
     Le Mansがパルチザンによって無血占領できた事は非常に大きい。独軍の守備隊が現れていれば、さらに渋滞がひどくなり、1ターンの遅れでは済まなかったかもしれない。AngersやLa Fl−heを経由する迂回ルートも考慮する必要がありそうだ。
    独軍は、第15軍の使い方が難しいようだ。初期に移動できた部隊は、戦線に参加する事で役立ちはしたが、結局、殲滅された。戦線投入とSeine川東岸での防御(温存)と、どちらが効果的な使用法なのか、判断がつかない。
    連合軍としても、Seine川の渡河はParis蜂起と密接に関係しているために判断が難しい。数ターン先を読む力にかかってくる。

     今回の対戦で得た教訓を踏まえて、次の機会には、より後悔の少ないプレイを目指したい。

    【英軍:O林氏の感想】

    「合衆国に比べ、わが英連邦軍の補充ポイントは38分の28である。にも拘らず、今日まで戦い抜いてこられたのは何故か? 諸君、私のプレイのやり方が正しいからである!」
     今回のリプレイは、多人数プレイ故に、作戦思想の相違から味方プレーヤーをも含めた三つ巴の戦いとなり、戦中、戦後にわたり三者三様の意見を戦わせることとなった。リプレイの舞台となったのはフランス、ノルマンディー地方であったが、後に「積極的消極論」(積極的に消極論を唱える意)と呼ばれる慎重策を主張して孤立した私にとって、むしろ、前回のリプレイの舞台、沖縄戦の八原参謀の立場を彷彿させるものがあった。
     そこで私も、八原参謀と同様に自らの作戦の是非を第3者たる読者の判断に委ねたいと思い、プレイ中の重要局面に於ける私の判断を以下にまとめてみた。

    1.序盤戦、弱腰批判に対する反論
    「明日の為に今日の屈辱に耐えるのだ。それが男だ」
     まず、独軍を圧倒する物量をバックに消耗戦を展開することは、独軍の戦線を早期に崩壊させる有効な作戦であることに同意する。
     しかし、如何に物量を誇る連合軍といえども無限ではないのだ。また、物量を誇っているのは厳密には連合軍ではなく、アメリカ軍であるという事実を忘れてはいけない。英連邦軍は(残念ながら)後続の師団数、師団1個の固有の戦闘力、補充ポイントのどれをとっても米軍と比べて劣っている。
     米軍は、(多分に政治的な思惑もあっただろうが)、過激な「攻撃側損害対独3倍許容範囲論」を提唱し、独軍に凄惨な消耗戦を挑んだ。しかし、英連邦軍は、このような出血には耐えられない。
     初期に攻撃を控えたのは、序盤戦で多大な消耗を強いられるようなことがあれば、来るべき攻勢の際に十分な打撃力を発揮できない可能性があり、これを避けるべきであると考えたからである。
     なお、第5ターン以降の連邦軍将兵達の奮闘ぶりと赫々たる戦果とが、彼らに与えられた汚名が全く見当外れのものだったということを、何よりも雄弁に証明している。
     なお、臨戦態勢を整えた完全戦力の軍団の存在こそが敵にとって何よりの脅威であり、敵の装甲兵力の牽制という英連邦軍本来の目標実現の近道でもあったと信じて疑わない。
     余談ながら、この「兵力現存主義」の思想こそ、プレイに際してゲームの如何を問わず、時には勝利条件より優先して貫かれている私の信念である。

    2.米軍のサン・ロー攻防戦について
    「男だったら、戦って、戦って、戦い抜いて、ひとつでも多くの敵をやっつけて死ぬべきじゃありませんか!」
     米軍方面、サン・ローでの戦闘が12回に及ぶに至って「断固たる攻撃」を選択するべきだったのでは、という意見なされるようになった。このゲームに馴れていない私には、どちらが良かったのか分からない。勿論、単にサン・ローを確保するのが目的なら「断固たる攻撃」を選択した方が良いのは明かだ。宣言した方が戦闘後前進出来る確率が高いからだ。しかし、より長期的に、即ちボカージュ地帯の突破を目的とした視点から見た場合、「断固たる攻撃」を宣言し続けた仮定すると、ボカージュを抜けるまでの米軍の損害も尋常ではないだろう。如何に物量を誇る米軍と言えども補充ポイントは無限ではないから、おそらく「断固たる攻撃」を連続することによって蒙る大損耗に耐えられないだろう。もし、この損耗が原因でしばしば攻勢を控えるようなことがあれば、結果的に期待されるほど早期にボカージュ地帯を突破することは出来ないのではないだろうか。
     また、米軍の初期の目的が独軍の戦力の摩耗にあったことも併せて考えれば、米軍戦区を担当していなかった私が「断固たる攻撃」を宣言しなかったことについて簡単に結論することは出来ない。
     唯ひとつ言えることは、「断固たる攻撃」の選択如何に拘らず、SebT氏の攻撃自体が非常に「断固たる」ものだった。

    3.カブール方面への攻撃について
    「およそ戦いは、正を以て合い、奇を以て勝つ」  孫子
     第3ターン、カブール方面への湿地越えの攻撃をしたが、この攻撃は、米軍側から全く評価して貰えなかった。
     そこで、この攻撃についてコメントしたい。
     かつて、今回の面子と同じキャスティングで(EP)“D-Day”をプレイした経験は記憶に新しい。あの時の追体験を望んで今回の企画が生まれたと言っても過言ではないかも知れない。
     あの時、YaG氏が軽視していたカブールを抜かれて敗北したのを非常に悔やんでいたのを私は知っていた。そこで今回、ここを突けばYaG氏は無視できないだろうという読みがあった。
     果たして重戦車大隊を拘束する事に成功したのである。
     たかだか1個大隊を引きつけただけに過ぎないではないか、と批判されるかも知れない。だが、このゲームに於ける重戦車大隊は、ただの大隊ではないのだ。戦闘に投入すれば天候、地形に影響されることなく、攻撃、防御に1コラムシフトの特典が得られる優れモノである。ユニットの固有戦力の大きなこのゲームでは、額面の戦闘力で戦闘比を引き上げるのは困難で、コラムシフトのボーナスは非常に重宝する。この点で重戦車大隊は装甲師団にも勝とも劣らない極めて重要なユニットと言える。しかも、重戦車大隊は僅か4ユニットしか存在しないのである。
     当然、ドイツ軍がこの大隊を必要とする場所はカブールなどではなく、他にあった筈である。こうした超レア・ユニットを犠牲も出さずに拘束できたことは、序盤戦に於ける最大の勝利であったと信じている。

    4.「中立」プレーヤー山内会長について
    「座っていればいいわ、それ以上は望みません」
     プレイ開始前から予見していたことだが、「中立」プレーヤー山内会長には非常に苦しめられた。巧みな弁舌で米軍の対英不信を扇動した序盤戦は本当に見事というより他ない。まさに対英批判の集中砲火、しかも味方からの非難が最も辛辣だったことは正直、辛かったことを告白したい。
     独軍を勝利に導いた最大の功労者は(勝利したYaG氏には失礼だが)、序盤で英米連合の絆を完全に断ち切った山内会長と言えるだろう。

    5.絨毯爆撃の目標決定について
    「フフッ、穴に逃げ込んだ鼠をいぶり出すのは絨毯爆撃に限るな」
     まず、絨毯爆撃を2回も融通してくれたSebT氏に感謝したい。おかげで中盤戦はやりたい放題。とても楽しい思いをさせてもらって大満足だった。
     絨毯爆撃の目標を112高地とした理由は既に記した通り、政治的な理由によるところが大である。当時の英連邦軍は、戦果を目に見える形で米軍側に提示する必要に迫られていた。コラムシフトの厳しいカーンを強襲して空振りすることは許されなかったのである。

    6.カーン強襲の可能性について
    「軍に撃たざる所あり、城に攻めざる所あり、地に争わざる所あり」 孫子
     絨毯爆撃のプロットの時は勿論、それ以外の時も常にカーン強襲は魅力的だった。ゲーム中、カーンにはSS第1装甲軍団司令部が常駐し、その戦力を知ることが出来なかった。
     当然、強力な守備隊の存在が予想されたが、その反面、もしかしたら、自軍の出血を極端に嫌う私の性格を熟知しているYaG氏が、カーン強襲の可能性を小と判断して僅かな兵力しか配置していないかもしれない、との思いが常に私の頭の中にあった。
     結局、カーンを攻撃することは一度もなかったが、結果的には正解だったといえる。戦後、この町には高射砲大隊を伴った装甲師団が常駐していたことが明らかにされたからだ。

    7.カーン周辺での戦闘について
    「我々は、敵に包囲される危機にあるのではない。敵を各個撃破する好機にあるのだ」
     カーン周辺部での戦闘は英連邦軍が理想とした形の消耗戦であった。
     膠着した戦線でのドイツ軍は、準備防御の特典を得て非常に強力で、(残念ながら)連邦軍の手に余る存在と言える。
     しかし、カーンを巡る一連の戦闘は流動的であり、攻撃に有利なポジションに移動したドイツ軍の攻撃は確かに強力ではあったが、それらはもはや準備防御の特典は得られないのである。
     損害は決して小さくなかったが、それに見合う打撃は与えたつもりだ。

    8.英第12軍団の突出について
    「中ぐらいの勝利で満足する者は、常に勝者であり続けるだろう。反対に圧勝することしか考えない者は、しばしば陥し穴にはまってしまうことになる」 N.Machiavelli
     既に述べた通り、12軍団の突出は今回のプレイの中で最大の失敗であったと思う。当時、ドイツの予備はカーン周辺部での戦闘で枯渇し、既に存在しないと判断していた。しかし、12軍団を待ち受けていたのは戦力が低下していたとはいえ、連合軍の水準から言えば強力なSS装甲師団であり、しかも2個もいたのである。
     また、116装甲師団の戦場到着を見落としていたのも重大な過失である。この時期、中盤の大戦果に驕っていたことは否めない。

    9.独軍の対米重視について
    「YaGサーン、YaGサン!私、選ばれたの。ドイツ軍を引きつける英軍プレーヤーなのよ。世界一なのよ。だから米軍が突破しなくても大丈夫、寂しくなんかないわ。だから見て、私を見て。ねぇ、YaGサン!」
     サン・ローでの米軍の苦戦は、英軍による敵の装甲兵力の吸引が不十分であった為に他ならない。私は、ゲームの大部分の期間に於いて、独軍プレーヤーが、より経験の豊かな米軍の方を重視しているのではないか、と感じていた。貴重な装甲補充は優先的にサン・ロー正面のダス・ライヒに送られている様子だったし、精鋭のLehrや2FJも米軍戦区を動かなかった。カーン周辺部での戦闘の後でさえ、SS装甲師団が西に向かうに至りこの思いは決定的になった。
     今日では、独軍プレーヤーの告白により、Lehrや2FJが米軍戦区を動かなかったのはヒトラー・ルールの足枷によるもので、SS装甲師団の西へのシフトは英米境界線付近に対する攻勢の準備であったことが明かとなっている。
     この点に於いて、ゲーム中の私の敵情判断は、全くの見当外れだったと言えよう。
     なお、当時の境界線付近の兵力は極めて弱体で、予備もなく、極めて危険な状況だったといえるが、幸いにしてこの攻勢は実行されなかった。

    10.ベートーベン交響曲第9番「合唱」について
    「歌はいいねぇ、歌は心を潤してくれる。リリンが産みだした文化の極みだ」
     YaG氏がクラッシック音楽の鑑賞という高尚な趣味を持つことは広く知られている。この日のBGMもまたクラッシックだった。
     カーンでの戦闘が始まり、独軍の戦線が綻び始めた昼食時、ようやく連合軍にも微笑みが戻ってきた。図らずもBGMにはベートーベンの交響曲、第9が奏でられ、まるで連合軍の心の内を表現するかのようであった。
     この時、SebT氏曰く。
    「これ聞くと、なんかエヴァを思い出すんだよなぁ」
     まっ、シミュレーション原理主義などと粋がってみても所詮は・・・。

    11.最後に
    「この世界には、人の運命を司る何らかの超越的な律、神の手が存在するのだろうか?少なくとも人は、サイコロの出目さえ、自由には出来ない」
     YaG氏のサイの目の悪さは有名である。とくに勝負どころで「まさか」のサイの目を出すことが多い。
     プレイ開始直前、かつて菅野マジックにより散々煮え湯を飲まされた経験のあるSebT氏は、YaG氏と私を前にして、「この面子ならサイの目で負ける気がしない」と笑っていた。また、山内会長は会長で、「今回のリプレイ記事では、O林サンの悲鳴を如何に表現するかが一番の悩みですョ」などと発言していた。
     人の運命など分からないもので、いざ蓋を開けてみれば、サイの目の不運に泣かされ続けたのは、他ならぬSebT氏の方であり、「断固たる攻撃」をことごとく失敗した。そして、悲鳴を上げることになったのは、SebT氏のあまりにも不幸なサイの目を見かねた山内会長自身であった。
     ちなみにその時の悲鳴は「ぎゃぁぁぁ!」であった。なお、長音の部分が震えていたので「ぎゃー」ではなく、「ぎゃぁぁぁ!」としたい。

    * * * 戦い終えて * * *

    戦後明らかにされた連合軍の計画や個々人の回想録を参考にして,現在の目から見た当時の作戦といくつかの場面における疑問点について検証してみよう。

    1.「サン・ロー攻防戦」について
     米軍がサン・ローを攻撃目標としたことは正しかったと思う。ここが早期に陥落するようでは,独軍の防御線にとって致命的だからだ。
     リプレイの中で,私は再三に渡ってなぜ米軍が「断固とした強襲」を使用してサン・ローを攻撃しなかったのか疑問を呈した。米軍プレイヤーは,これほどまでにサンロー戦が長引くとは想定していなかったと言っているが,これは戦闘結果表を見ればある程度想像がつくことだ。サン・ローに対して最も頻繁に行われた戦闘比は1〜1.5対1であった。この比率でボカージュを攻撃すると,「断固とした強襲」を宣言しない限り,攻撃側が戦闘後前進できる確率は0%なのである。「断固とした強襲」を宣言した場合には,1対1でも33%の確率で前進できるのだ。しかも,1対1で攻撃側が何らかの損害を出す確率は83%にも上り,防御側のそれは50%である。つまり,米軍が「消耗戦」を意図していたのだとしても,前進を全く望めないような攻撃では,損害が割に合わないと考えたのである。「消耗戦」を挑むのであれば,相手側にも無理な反撃を強要して消耗せざる得ないように誘導するべきだったと思う。 米軍は,当初からある程度の比が立たない限り,「断固とした強襲」を使用しないことに決めていたようである。米軍が前進してこなかったので,私は優先的にサン・ローに補充をまわすことにした。
    これは,連合軍の目には独軍の米軍戦線重視と写ったのかも知れないが,米軍の攻撃に合わせたというのが実情である。貴重な装甲補充を有効に活用するためには,サン・ローの第2SS装甲師団に与えるのが最適であると判断したからに過ぎない。

    2.「独軍の米軍戦線重視」について
     正直に言えば,第9SS装甲師団の戦線中央部への転用がこれほどまでに話題に上るとは意外だった。8個装甲師団中の6個師団が英軍戦線に集結している状況下において,1個師団を米軍方面に転用したことがそれ程重大だったのであろうか?リプレイでも述べたが,当時米英軍の境界線は全く動きがなく,この方面の敵戦力がかなり弱体であることは容易に想像できた。独軍は装甲教導師団が無傷であり,もう1個師団を投入しての反撃の機を窺っていたところだった。この攻勢は,仮に失敗したとしても,英軍の関心をカーン方面から多少でも逸らすことになっただろう。しかし英軍が予想外に早くオルヌ川の戦線を突破してしまったので計画は御破算となった さて,今回のプレイにおいて,独軍が英軍よりも米軍を重視していたという感想が連合軍プレイヤーより出ている。その根拠として,1つには,補充ポイントを米軍方面の部隊に重点的に送ったことが上げられているが,この理由は上記で述べた通りである。「事前計画」でも記したように,私の基本的な計画は遅滞作戦であり,敵が平地に進出してくるような好機が訪れない限り,反撃は控えるつもりだった。特に,米軍方面にはボカージュが広がっているので,前進されたら前線を下げて直線化を図る考えだった。ただし,もしも早期にサン・ローに進出されていたら,奪回のために反撃せざるを得なかっただろう。その意味でも,米軍のサン・ロー攻撃は脅威であった。一方,英軍方面には装甲師団を集結させて,徹底的な反撃を加えるつもりだった。
    以前のプレイでも突出してきた1個軍団を反撃で壊滅させたことがあったので,今回も英軍を「押さえる」自信があったのだ。O林さんは攻撃には必ず主力を投入してくるので,一気にこれを撃破すれば当分は出てこれないだろうという読みもあった。
    つまり,米軍方面では防御的な防御戦を,英軍方面では攻撃的な防御戦を想定していたのだ。マウルルティアの2/3を英軍方面に置いたのもそのためだ。
    しかし,英軍は大きな損害を受けたにもかかわらず,下がるどころか新手をつぎ込んで前進の拡大を図ってきた。結果的にはこの英軍の積極策が独軍戦線の崩壊を誘引したことになった。
     たとえ勝利条件では勝ったにしても,個々の局面においては,私は連合軍の物量にではなく純粋な勝負に破れたことを認めるのはやぶさかではない。

    3.「アランソン包囲戦」について
     「アランソン・ポケット」内に包囲された部隊の大部分は,米軍方面に配置したものだった。ボカージュ戦ではあまり損害を出さなかった精鋭部隊を退却戦で失ったことは独軍にとって大きな痛手であり,今回のプレイにおける最大の作戦ミスと言える。
     原因は2つある。1つ目は,ヤーボを恐れるあまり,包囲の危険が迫っているにもかかわらず,思い切った退却をしなかったことだ。少なくとも,足の速い装甲部隊だけでも逃がしておくべきだった。
     2つ目は,米軍プレイヤーを甘く見たことだ。
     米軍はアブランシュ突破後に独軍の前線が崩壊したにもかかわらず,あくまでも正面攻撃で独軍を撃破しようと考えているように思われた。
     以前の他のゲームでのプレイ経験に照らし合わせて,慎重なS端さんは戦線の側面を無視するような電撃戦はやらない(できない)と判断した。
     この考えが間違っていたことは,戦史が証明している。ただし,敵は包囲陣内の部隊を掃討することに専念したので,結果的には連合軍がセーヌ川を渡る貴重な時間が失われたことは確かだ。
    さながら,スターリングラード戦で同様な経緯で独A軍集団を取り逃がしたソ連軍を彷彿させる。

    4.「防御戦の権威」について
     前回の「オキナワ」リプレイのプレイヤー紹介で「防御戦の権威」と紹介されたために,私が単に攻められることだけを喜びとする○○と誤解した方も多いことだろう。私は防御戦が「好き」ではあるが,決して「得意」としているわけではないことをここに記しておきたい。
     「前進防御策」について一言述べると,私が防御戦において重要視していることは,部隊の温存でも土地の確保でもない。それは「時間」である。多くのゲームの勝利条件は,史実と比較してより際立った戦果を要求する場合が多い。これは,バランスをとる上で止む方のない処理である。つまり,攻撃側は「積極的」であらねば勝てないということになる。ただし,反対に防御側が単に引き延ばしを図るために漫然と遅滞作戦を採れば良いと言っているのではない。勝利条件だけを念頭に最初から陣地に籠もってひたすら耐えるようなプレイは私の最も嫌うところだ。勝ち負けはともかくとして,ゲームがダレてしまうからである。その意味では,防御側も「攻撃的」であるべきだと考えている。もちろん,ここで述べたことは私の基本的な方針であって,全てのゲームに当てはまるわけではない。相手プレイヤーの性格や個々の状況によっていくらでも変わることは当然である。米軍の瀬端さんがもしも私の反撃を恐れて少しでも消極的になったのだとしたら,それは私の日頃の戦い方が「攻撃的」であるからだろう。つまりこれには相手を気で圧倒する効果もあるわけだ。最近のプレイでは,私は「前進防御」で度々失敗している。例えば「アンツィオ」(AH)や「レイテ1944」(AP)では側面からの二次上陸で戦線が崩壊し,「シシリー」(SPI) では準備された圧倒的な連合軍の攻撃で一方的に叩かれるという事態を招いた。相手プレイヤーはいずれも今回英軍を担当したO林さんで,私の性格も戦法も熟知した上での戦い方を確立したようだ。「オキナワ」の死闘以後,O林さんは完全に連合軍の戦い方をマスターした。それは部隊の温存,圧倒的な物量の投入,絶対に損害を出さない計算された攻撃等々である。S端さんの攻撃スタイルは,基本的には戦線に穴を開けて相手の退却を誘致するというオーソドックスなものである。
    今回のDecision in Franceでは全く反撃を考慮しない遅滞行動に徹したが,私はS端さんとのプレイでは「肉を切らせて骨を断つ」徹底した叩き合いを挑むことにしている。なぜならば瀬端さんは部隊の損耗を異常に気に掛けるタイプだからだ。以前に「オペレーション・タイフーン」(SPI) をプレイした時に,「防御戦では土地を捨てても部隊の保全を図る。」と発言していたので,マスト・アタックを利用してユニットの除去を狙う過激な戦い方をしたものである。「戦争」であるのだから,場合によっては相手が最も嫌がることをしなければならないのだ。

    5.「サイの目の悪さ」について
     「サイの目の悪さ」を云々することは,単なる言い訳になるので多くは語らない。ただし,私はサイの目によってゲームに負けたことはないと言っておこう。つまり「信じられないような悪い目」を出したから負けたというのではなく,もしも平均以上の目であれば有利な状況を作りだしていたのに惜しかったと,むしろ良い方に解釈している。問題なのはそこに至るプロセスであって,サイ振りはその確認作業に過ぎない。「サイの目だけで勝った」プレイからは何の教訓も生まれず,次は最悪の目を出して破れるかも知れない。そういうものだろう。

    6.「BGM」について
     この項目は全くの蛇足であるので,クラシック音楽に興味のない方は飛ばして欲しい。
     山内会長は,ノルマンディ戦についての記録に書かれた兵士たちが実際に戦場で聴いたという曲をリクエストした。ブルックナーの「交響曲第7番」とブラームスの「交響曲第4番」である。
    戦場に相応しいとの理由で,ベートーヴェンの交響曲も流された。
    第5番の冒頭が映画「史上最大の作戦」で使われたことは有名である。その他には,バッハの「無伴奏チェロ組曲」,ドヴォルザークの交響曲「新世界より」等がプレイヤーの疲れた頭を癒した。
     次回は,例えばモーツァルトの全作品を作曲年代順に聴く(延べで1カ月以上かかるだろうが,このような体験ができることは一生涯に何度もあることではないし,モーツァルト・ファンなら死ぬほど羨ましがるだろう。)こと等を考えている。
     それでは,次回のクラシック音楽鑑賞会を楽しみにしておいてもらいたい。

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