油谷芦別炭鉱と三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道



油谷芦別炭鉱は昭和22年4月に開鉱、昭和23年からは芦別駅まで索道で運炭を行っていました。その後、昭和24、25年に三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道と分岐した油谷炭鉱専用線が開通。選炭機も相次ぎ完成。周辺の福利厚生施設も整えられていきました。芦別五山のひとつとして複数の坑口から年産10万tを産出していましたが長くは続かず、昭和40年3月に終掘、昭和41年閉山しました。現在その跡地には芦別温泉や公園が整備されています。



選炭場のあったエリアは芦別温泉が整備されたエリアとは場所が離れた盤の沢川左岸に位置し、現在でもコンクリート構造物が残ります。現在残されたものから諸施設を推測するのは難しいですが広場にはホッパーがあったと思われますが解体され、それより上段の選炭機の基礎等が残ってるようです。



筒状に続く構造物や煉瓦の遺構もありました。これらは周辺の鉱業所内の建物が点在していたエリアです。煉瓦遺構はさらに上段でも確認できました。坑口については周辺に一坑から六坑まで複数あったようですが見当たるものはありませんでした。



三菱鉱業所専用鉄道の橋脚、擁壁などが盤の沢川に沿って残っていました。


参考文献 平成21年 北海道炭鉱資料総覧 空知地方史研究協議会



北海道旅情報巻頭  3-1.炭鉱町を旅する
油谷芦別炭鉱と三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道