豊羽鉱山・消えゆく北海道最後の金属鉱山










かつては全国各地にあった金属鉱山も減少を続け平成17年において日本の大規模な金属鉱山は鹿児島県の菱刈金山と札幌市の豊羽鉱山の2ヶ所だけです。その豊羽鉱山もついに平成18年3月に閉山のニュースが流れました。日鉱金属のプレスリリースに依ると資源の枯渇が原因とのことで資源採掘、新規探鉱のコストが採算ベースに合わず長期的視野でも回復が見込めないとのことなのでしょう。

豊羽鉱山は大正3年に久原鉱業が開発に着手し5年に操業が開始されました。すぐに休山になるも昭和4年には日本鉱業に事業が継承され戦後からは本格的な開発がされました。昭和48年に日本鉱業から分離され子会社豊羽鉱山となり、その後親会社が平成4年に日鉱金属に改組され、事業は縮小合理化が続く中での閉山発表でした。豊羽鉱山は亜鉛を主体に産する鉱山ですが半導体の原料でもあるインジウムを含有することも有名でこのことが今まで存続してきた要因ともいえるでしょう。

豊羽鉱山は平成6年8月に初めて訪問、平成17年5月、平成20年5月に再訪しました。





鉱山事務所入口。写真左(平成6年8月)と写真右(平成17年5月)とも看板の標語は10年の時の経ても変わっていませんでした。



写真(平成20年5月)では坂の上の建物は消失し、看板の豊羽鉱山の文字も欠けています。



写真左(平成6年8月)に写っている建物は手前の三角屋根の建物が労働組合、その奥は鉱山事務所です。さらに奥のドーム状の建物が選鉱場です。写真右(平成20年5月)は上から眺めた労働組合と鉱山事務所。



選鉱場。



写真左は鉱山事務所入口にあった案内図。炭鉱と比較すると労働集約的な産業ではないながらも典型的な鉱山集落が展開していたことが分かります。平成17年2月1日の従業員数は170名とのことですが今どれだけの人がここに住んでいるのでしょう。豊羽鉱山は札幌市内ながらも最も近い市街の定山渓温泉までの距離は13kmあり隔絶した集落であり閉山となれば短期間で無人の地となることが予想されます。写真右は平成6年の豊羽鉱山のバス停。確認を忘れましたが小屋はなくなり今は更地だったと思います。



平成14年3月に廃校になった豊羽小中学校。校舎はなかなかの規模を誇りますが廃校時の生徒数は10人を割り札幌一小さい学校でした。



写真左(平成17年5月)の時点では閉山が決まったもののやはり現役鉱ならではの活気があり嬉しくなります。建物直下のトンネルはかつて使用された坑道かもしれません。写真右(平成20年5月)では坑道の上の建物が消失しています。



道路脇の谷間にある沈殿池(平成17年5月)。



閉山後も沈殿池は管理されると思っていたのですが平成20年5月にはすべて撤去されていました。



寮(平成17年5月と平成20年5月)。解体済。



平成20年5月の診療所。解体済。



平成20年5月のスキー場。撤去済。



向かう途中に通洞跡の碑がありました。



北海道旅情報巻頭  3-1.炭鉱町を旅する
豊羽鉱山・消えゆく北海道最後の金属鉱山