新登川炭鉱・谷に広がる笹原








穂別町長和のさらに奥には新登川炭鉱という小さな炭鉱がありました。炭鉱があったのは昭和21年から昭和29年の間のほんのつかの間の間でした。かつての炭鉱集落があった地のすぐ脇を石勝線が通過します。



炭鉱の中枢があった場所にあったコンクリート構造物。





写真左は穂別ダムの脇を北上し石勝線をまたぎ最終民家を越し穂別川を渡った場所からのもの。穂別川を渡る橋は強度の問題のためか仮設の橋に切り替えられていました。平成15年の台風による劣化もしくは北海道横断自動車道の工事車両の通過のためと思われます。写真右はその橋の脇にあった商店跡の廃屋。



そしてそのすぐ先には新登川小学校の基礎の跡が残ります。開校は昭和21年と開鉱と時期を同じくしますが廃校は昭和45年と廃鉱からさらに16年を経ることになりそのタイムラグは何を意味するのでしょうか。



新登川炭鉱の最奥部。荒野、笹原がかつてここに炭鉱があったことを教えてくれます。私が訪問したときは盛況で他にもう一組訪問者がいました。話したところ北海道横断自動車道の工事関係の方でした。 この一帯は膨張性地圧や大規模な地すべりを引き起こす可能性がある蛇紋岩の山でトンネルを掘ることがいかに大変かを教えて頂きました。



新登川炭鉱の炭鉱住宅の基礎と思われます。



穂別町稲里に炭住橋という気になる名前の橋があったので行ってみたのですがそれらしきものは何もありませんでした。ここから西に入った谷筋に小さな炭鉱があった模様でその住宅があったのではないかと推測しています。



北海道旅情報巻頭  3-1.炭鉱町を旅する







新登川炭鉱・谷に広がる笹原