歌登の山間に眠る本庫鉱山





わずかに残る遺構



本庫鉱山は歌登町の函岳の山麓にあった銅、鉛、亜鉛などを産出した鉱山です。歴史は新しく昭和22年に小樽の今井作治により探鉱が開始され昭和25年に三井鉱山との資本提携により本庫鉱業が設立され本格的に操業が開始されました。坑口はオフンタルマナイ川左岸の平安坑を主に右岸にも昭栄坑を抱え、採掘から精鉱までをこの地で行っていました。選鉱場は昭和36年に完成し50t/日の処理を行っていましたが後に処理機能は拡張されています。資源の枯渇により昭和42年に閉山になりました。


歌登の志美宇丹市街から大奮の集落を過ぎひたすら行った果てに本庫鉱山はあります。舗装が切れダートの道を不安になるくらいオフンタルマナイ川沿いに遡っていくのです。その入り口ともいえるのが楓橋。



途中に新しい林道オフンタルマナイ線の分岐がありました。



雪に埋もれた橋梁。この付近に集落が広がっていたのか、それとも上徳鉱山の分岐か。



沈殿池。堰堤は比較的新しい感じがします。



末広橋。橋の中央に昔はゲートがあった模様。これより奥に鉱山の中枢機能があったと考えられます。




選鉱場の跡と思われる広い敷地。



最深部にはわずかに施設の跡が残ります。何の目的の建物かは不明。



終点。冬期も除雪されているのかしっかり転回所が設けられています。その場所には新しい建物が一棟あり排水の中和処理目的のものではないかと推測しています。


(地域別情報4-19-3.枝幸・歌登周辺に地図と周辺案内があります。)

北海道旅情報巻頭  3-1.炭鉱町を旅する
歌登の山間に眠る本庫鉱山