茂尻炭鉱に残る炭鉱住宅群





春日町の炭鉱住宅






茂尻炭鉱は赤平市の東部に位置する炭鉱でした。大正7年大倉鉱業の手により開坑し、昭和6年に茂尻炭鉱株式会社として独立するも昭和10年三菱鉱業株式会社が買収し雄別炭鉱鉄道株式会社茂尻鉱業所となります。戦後昭和21年に雄別炭鉱鉄道株式会社は三菱鉱業株式会社より独立し、その後雄別炭鉱株式会社と社名の変更があるものの茂尻の全盛期は雄別炭鉱の傘下で迎えることになります。そして昭和44年4月のガス爆発をきっかけとして昭和45年に閉山となります。閉山後、茂尻炭鉱株式会社が設立され露天掘りが行われるものの昭和49年に完全に石炭採掘は終了し茂別炭鉱の歴史は閉じることになりました。



茂別炭鉱の跡地は今はエースラゲージ株式会社の施設になっています。



立坑櫓のあった建物も中央の立坑櫓が撤去されて再活用されていました。



その奥の西側の建物も再活用。



線路脇の事務所のあった前に昭和49年に慰霊の意味も込めて茂尻炭鉱の記念碑が建てられました。



茂尻炭鉱の炭鉱住宅は大きく根室本線沿いの平坦地や南の丘陵地に立地していました。平坦地の炭鉱住宅は今もかなりの割合で現存しています。写真は栄町の炭鉱住宅で段々上にあったはずの炭鉱住宅は歯抜け状態になり廃屋も目立ちます。しかしながら個人で建替え増築をした家屋もあったり、人の営みを強く感じることができる場所です。



栄町でも標高の高い場所にあった炭鉱住宅は完全に撤去されていました。そして選炭場の跡地には広大な工業団地が造成されていました。



北海道旅情報巻頭  3-1.炭鉱町を旅する
茂尻炭鉱に残る炭鉱住宅群