北炭鹿ノ谷倶楽部


■北炭倶楽部について

北海道炭鉱汽船(北炭)は明治時代から空知を中心に多くの炭鉱を経営していました。 そして炭鉱が栄華を誇った時代に北炭は3地区に倶楽部を建設しました。 倶楽部とは保養所、もしくは迎賓館的な性格のもので、来客の接待などに使用されぜいを尽くした建物です。 そんな倶楽部も現在は現存するもの、取り壊されたもの様々です。


■北炭鹿ノ谷倶楽部

夕張市内の夕張から清水沢、紅葉山に至る一帯は北炭の炭鉱が林立していた地域です。 そんな夕張の鹿ノ谷に炭鉱倶楽部の中でも最も規模の大きい北炭鹿ノ谷倶楽部はありました。 北炭が大正2年に建設したもので本館、別館を併せると1、600uにも及ぶ施設です。 現在は夕張市が夕張鹿鳴館として一般公開しています。NHK朝の連続テレビ小説すずらんでも使われました。

外見的には純粋な和風建築ですが中に入ると和風の宿泊設備や板の間の洋風の会議室など多彩です。 そのどれもが明治、大正時代を彷彿させてくれるものです。 そして部屋の細部の装飾品、電灯、カーテンなどに目を凝らすとひとつひとつがすばらしいのです。 建物はかなり広いのでゆっくり時間をかけ見てほしい建物です。

(交通:新夕張-[JR25分]-鹿ノ谷-[JR3分]-夕張)







北海道旅情報巻頭  3-1.炭鉱を旅する
北炭鹿ノ谷倶楽部