はじめての障害(ジャンプ)レース
'04 障害(ジャンプ)レースをふりかえる
 
 
★ここが変わった! 障害(ジャンプ)レース '04

特別競走&一部を除く重賞競走のレース番号統一化
 オープン特別競走(上記「障害レースぷろぐらむ」において緑字で表示されているもの)は一部を除き「第8レース」、J・G3及びJ・G2ランクの重賞競走(大レース)は、一部を除き「第9レース」に統一されました。

「中山大障害」競走、年2回実施
 障害レースの最高峰といえるJ・G1ランクの重賞競走は、春に「中山グランドジャンプ」競走、暮れに「中山大障害」競走の年2回行われていますが、前年('03年)暮れの「中山大障害」競走が雪の影響で翌年('04年)1月に順延になったため、結果'04年は「中山大障害」競走が1月と12月の年2回実施されました。これはアクシデントによるイレギュラーな変更であるため、当然のことながら本年限りです。

【番外】「グランドマーチスメモリアル」競走の実施
 '04年がJRA(日本中央競馬会)発足50周年であることにちなみ、各時代の中央競馬を彩った名馬の名を採ったメモリアル競走が実施されますが、障害レース部門名馬の代表としては「グランドマーチス」号('70年代初頭ごろに活躍)が採り上げられました。ただし、名馬のメモリアル競走は、中堅ランクの平地レースとして統一されているので、「グランドマーチスメモリアル」競走についても平地レースとして行われます。「グランドマーチス」号は、「『京都大障害(当時)』競走を4回制覇した」というのが選出の理由になっているので、「グランドマーチスメモリアル」競走は、「京都大障害」競走の生まれ変わりといえる「京都ジャンプステークス」競走の翌日(5月15日)に実施されました。

 

 
★ '04JRA賞障害(ジャンプ)部門受賞者

'04年最優秀障害馬 ブランディス

 
ブランディス号  例年、障害レースの最高峰といえるJ・G1レースは年2レース(春と暮れ)実施されますが、'04年に限っては年3回(年始めと春と暮れ)実施されました。これは'03年暮れに行われるはずだった「中山大障害」競走が、雪の影響で翌年('04年)初めに順延となったためです。

 さて、'04年の最優秀障害馬は、年始めの「中山大障害」競走と春の「中山グランドジャンプ」競走を勝ったブランディス号、暮れの「中山大障害」競走を勝ったメルシータカオー号、そして「京都ハイジャンプ」競走など計3つの「J・G2」「J・G3」ランクの大レースを制し、年間通しての「露出度」に関しては前述2頭よりもずっと上だったロードプリヴェイル号、これら3頭がが最優秀障害馬の候補となっていました。

 そんな中で行われた記者投票の結果、J・G1レースを2回制した功績の大きさから、ブランディス号が最優秀障害馬に輝きました。この馬は、「中山グランドジャンプ」競走を勝った時点で、まさに千載一遇であろう「J・G1レース年間3勝」の偉業達成の期待がふくらみましたが、暮れの「中山大障害」競走を前にして脚に故障が生じ出走を断念、そのまま引退となったのは誠に残念です。

 父はサクラバクシンオー号、母はメゾンブランシュ号。1997(平成9)年3月20日生まれ。性別「せん」(去勢されたオス馬)。(写真は'04年4月に行われた「中山グランドジャンプ」競走時のもの)

 
 
'04年優秀障害騎手 熊沢 重文騎手

 '04年優秀障害騎手の栄誉は、障害レースで年間11勝を挙げた勝沢 重文(くまざわ・しげふみ)騎手が手にしました。熊沢騎手は、このタイトルに関しては'02年以来、2年ぶりの返り咲きです。さて、熊沢騎手はかねがね、「『中山大障害』競走に勝つことが夢」と口にしていましたが、彼が障害レースで乗る馬はどういうわけかスピードタイプの馬(=スタミナの問われる「中山大障害」競走には不向きな馬が多い)が多く、「中山大障害」競走の「勝利」どころか「参戦」すらなかなかかないませんでした。そして'04年12月、ロードプリヴェイル号にまたがっての「中山大障害」競走出走がかないました。しかし、結果は5着と敗退。こちらの夢は、'05年へと続きます。1968(昭和43)年1月25日生まれ。

 


 
★'04年障害(ジャンプ)レース記録番外編?

'04年障害レース落馬王 浜野谷 憲尚 騎手

 かなりの高速で馬を操りながら生け垣などを飛び越える障害レースでは、騎手の落馬はつきもので、「落馬は障害の華」とも言われています。それでは'03年の障害レースにおいて、どの騎手が一番多く落馬したんでしょう? 結果から申し上げますと、浜野谷憲尚(はまのや・のりひさ)騎手が落馬5回でトップ。浜野谷騎手は、なんと'02年以来3年連続の「落馬王」です。

 さて、「落馬王」といいますと一見不名誉な記録のようですが、決してそうではありません。落馬王とは、すなわち普段は活躍している証。数多くの障害レースに出ることができなければ「落馬王」にはなれませんし、だいいち障害レースに出るたびいつも落馬しているようでは、いずれ障害レースにお呼びがかからなくなります。また、落馬の際に全治○カ月とかいうケガをして長期戦線離脱をしているようではその年の「落馬王」にはなれないわけで、「落馬王」はすなわち危機回避能力に優れていることの表れでもあります。

 なお、参考までに、'04年優秀障害騎手に輝いた熊沢騎手の障害レース年間落馬回数は、0回。'03年の熊沢騎手は、実は落馬王(注:上記・浜野谷騎手とタイ記録の落馬回数)であったのですが、その汚名を挽回。立派!のひとことです。

浜野谷憲尚騎手
 '04年障害レース1勝。1972(昭和47)年1月25日生まれ。奇しくも熊沢騎手と同じ誕生日(4つ違い)です。

 

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