はじめての障害(ジャンプ)レース
'03 障害(ジャンプ)レースをふりかえる
 
 
★ここが変わった! 障害(ジャンプ)レース '03

 2003年の中央競馬日程等のあらましは、'02年11月27日に日本中央競馬会(JRA)から発表されました。'03年の障害レースに関して、'02年からの変更点は、ほとんどございません。東京競馬場でのコース改修工事のために場所と距離を変更(中山競馬場・3350m)して行われた「東京オータムジャンプ」競走が、本来の場所・距離(東京競馬場・3300m)に戻った程度です。

 

 
★ '03JRA賞障害(ジャンプ)部門受賞者

'03年最優秀障害馬 ビッグテースト

 
ビッグテースト号  '03年は、例年、年2回行われる障害レースの最高峰といえるJ・G1レースのうち、暮れの「中山大障害」競走が、雪の影響で翌年('04年)初めに順延となりました。そんな状況の中、大砲のごとく唯一行われたJ・G1(=大レース中の大レース)ランクのレース「中山グランドジャンプ」競走を制したビッグテースト号、あるいは「京都ハイジャンプ(J・G2)」競走をはじめマシンガンのごとく計4つの「J・G2」「J・G3」ランクの大レースを制したウインマーベラス号、これら2頭が最優秀障害馬の候補となっていました。
 そんな事実上の一騎打ちの状況の中で行われた記者投票の結果、大レースは「中山グランドジャンプ」競走1勝のみながら、海外からやってきたなみいる強豪を退けた功績は大きいということで票を集めた「大砲タイプ」ビッグテースト号のほうに軍配があがり、最優秀障害馬に輝きました。

 父はノーザンテースト号、母はクラフテイライフ号。1998(平成10)年3月9日生まれ。性別♂。(写真は'04年1月に行われた「中山大障害」競走時のもの)

 
 
'03年優秀障害騎手 嘉堂 信雄騎手

 '03年優秀障害騎手の栄誉は、嘉堂 信雄(かどう・のぶお)騎手が手にしました。嘉堂騎手は障害レース専門の騎手で、'02年の勝ち数は11勝。J・G3ランク以上の大レース制覇はなかったものの、コツコツ勝ち数を稼ぐいぶし銀の活躍で、1978年のデビュー以来約25年の歴戦を重ねた上で初めて優秀障害騎手の栄冠に輝いています。1953(昭和28)年7月28日生まれ。

 


 
★'03年障害(ジャンプ)レース記録番外編?

'03年障害レース落馬王
 熊沢 重文今村 康成浜野谷 憲尚 騎手

 かなりの高速で馬を操りながら生け垣などを飛び越える障害レースでは、騎手の落馬はつきもので、「落馬は障害の華」とも言われています。それでは'03年の障害レースにおいて、どの騎手が一番多く落馬したんでしょう? 結果から申し上げますと、熊沢重文(くまざわ・しげふみ)・今村康成(いまむら・やすなり)・浜野谷憲尚(はまのや・のりひさ)騎手の3人が落馬4回でトップを分け合いました。なお、浜野谷騎手は、'02年に続き2年連続の「落馬王」です。

 さて、「落馬王」といいますと一見不名誉な記録のようですが、決してそうではありません。落馬王とは、すなわち普段は活躍している証。数多くの障害レースに出ることができなければ「落馬王」にはなれませんし、だいいち障害レースに出るたびいつも落馬しているようでは、いずれ障害レースにお呼びがかからなくなります。また、落馬の際に全治○カ月とかいうケガをして長期戦線離脱をしているようではその年の「落馬王」にはなれないわけで、「落馬王」はすなわち危機回避能力に優れていることの表れでもあります。

 一方、勝ち数のほうに注目してみますと、浜野谷騎手は'03年障害レース9勝で、上に挙げた嘉堂騎手に次ぐ障害レース勝ち数2位。もう少しで「最多勝利・最多落馬」という快(怪?)記録というところだったのですが、惜しくも達成なりませんでした。

 なお、参考までに、'03年優秀障害騎手に輝いた嘉堂騎手の落馬回数は、2回でした。

熊沢重文騎手
 '03年障害レース6勝。1968(昭和43)年1月25日生まれ。奇しくも浜野谷騎手と同じ誕生日(4つ違い)です。

今村康成騎手
 '03年障害レース3勝。1978(昭和53)年10月19日生まれ。

浜野谷憲尚騎手
 '03年障害レース9勝。1972(昭和47)年1月25日生まれ。奇しくも熊沢騎手と同じ誕生日(4つ違い)です。

 

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