はじめての障害(ジャンプ)レース
'02 障害(ジャンプ)レースをふりかえる
 
 
★ここが変わった! 障害(ジャンプ)レース '02

 2002年の中央競馬日程等のあらましは、'01年11月29日に日本中央競馬会(JRA)から発表されました。'02年の障害レースの体系は基本的には01年と同じで、変更点はわずかです。ただし、東京競馬場の改修工事に伴うレース開催場所の変更がありました。主だった変更点は、次のとおりです。

「東京オータムジャンプ」条件変更
 秋に行われる「東京オータムジャンプ」競走は、本来行われるべき東京競馬場がスタンド&コース改修工事のために'02年夏から'03年春にかけて使用することができないため、'02年に限ってはレース名をそのままにして中山競馬場に場所を移し、距離(例年は3300m)を3350mに変更して行われました。

オープン特別レースのスタート時刻繰り下げ
 障害レースのうち、オープン特別競走障害レースぷろぐらむ緑色で表示しているレース)のレース番号が、原則として従来の第8レースから第9レースへ変わり、スタート時刻が平均30分ほど繰り下がっています。

中山競馬場「未勝利」レースの距離変更
 中山競馬場で行われる障害レースのうち、未勝利競走(障害レースぷろぐらむで黒色で表示しているレース)は従来、原則として「2700m・直線ダート」で行われてきましたが、9月以降は距離が180m延び、原則として「2880m・直線ダート」の条件で行われるようになりました。これに伴って、道中飛び越える障害の数がひとつ増え、より確実な飛越技術が問われるようになっています。(この件については、'02年7月28日JRAから発表)
 

【番外編】ロシェル・ロケット騎手来日・偉業達成!
 '02年10月、日本における障害レースの短期免許を取得した4人目の外国人騎手であるロシェル・ロケット(Rochelle Jane Lockett)騎手がニュージーランドからやってきました。こんどはなんと女性騎手! 女性だからと甘く見ることなかれ、腕のほうは確かで、'00〜'01年シーズンは43戦14勝で、ニュージーランド障害レースリーディング1位に輝いています(ちなみに'01〜'02年シーズンは61戦8勝で同5位)。'72年1月26日生まれの30歳('02年10月現在)、免許期間は'02年10月12日から'03年1月11日までで、関西地区(京都競馬場・阪神競馬場)を中心に騎乗。ただし、「活躍」したのはむしろ関東エリアの中山競馬場のほうで、'02年暮れの「中山大障害」競走を制覇しています。ちなみに、女性騎手が重賞競走(大レース)を勝ったのは、平地レースも含めて中央競馬の長い歴史の中でも初めてという偉業です。
 なお、下に掲げている「ギルデッドエージ」号の写真において、馬にまたがっているのがロケット騎手です。
 
【番外編】エディ・ラム騎手も!
 '02年5月、日本国内の障害レースの短期免許を取得した外国人騎手としては3人目の騎手がやってきました。その名はエディ・ラム(Eddie Lamb)騎手で、ヒルズ騎手(下記参照)に続くニュージーランドの騎手です。'99〜'00年シーズンはニュージーランド障害レースリーディング1位、'00〜'01年シーズンは53戦7勝で、同7位に位置していました。ラム騎手は、'01年に外国馬「ランド」号に騎乗する形で来日、「ペガサスジャンプステークス」競走で圧勝、それに続く「中山グランドジャンプ」競走では道中「巻き添え落馬」の憂き目に遭うも、その場で馬に再度またがって「根性の完走」を果たしたことで、日本のファンにもおなじみであります。'68年11月28日生まれ、33歳('02年5月現在)。免許期間は、'02年5月9日から同年8月8日までで関西&西日本エリア(京都・中京・阪神・小倉の各競馬場)を中心に騎乗、この間に3勝をあげました。

【番外編】ウェイン・ヒルズ騎手、奮闘す
 '01年12月から'02年3月にかけて、ひとりの外国人騎手が日本の障害レースの短期免許を取得、レースに騎乗していました。ニュージーランドからやってきたウェイン・ヒルズ(Wayne Hillis)騎手です。
 障害短期免許による来日外国人騎手は、'00年に来日したティエリー・マジョルクリック騎手(フランス)につづくふたり目であります。ヒルズ騎手は、'62年6月22日生まれ・39歳('01年12月現在)。'00〜'01年シーズンは51戦8勝という実績で、ニュージーランド障害レースリーディング4位に位置していました。
 かつて北海道の牧場で3年半ほど働いていたという、少々変わった経歴も持っていたヒルズ騎手の免許期間は'01年12月5日から'02年3月4日までで、関西エリア(京都競馬場・阪神競馬場)を中心に騎乗し、計4勝(騎乗するレース数の少ない障害レース専門の騎手にとっては、「3ヵ月で4勝」は、いい成績です)を挙げて、その手腕ぶりを示しました。

 

 
★ '02JRA賞障害(ジャンプ)部門受賞者

'02年最優秀障害馬 ギルデッドエージ

 
  '02年は、障害レースの最高峰といえるJ・G1レースの勝ち馬のうち、春の「中山グランドジャンプ競走」の勝ち馬が、JRA賞の対象外である外国馬(オーストラリアのセントスティーヴン号)で、一方暮れの「中山大障害」競走の勝ち馬ギルデッドエージ号は、他の大レース(J・G3クラス以上)では全く勝ち星がありませんでした。また、J・G2とJ・G3ランクの大レースを2レース以上勝った馬も存在せず、JRA賞の最優秀障害馬部門は「該当馬なし」になるんじゃないかのウワサも立つほどに混沌としていました。

 しかし、ギルデッドエージ号は「中山大障害」競走時、女性騎手(ニュージーランドのロシェル・ロケット騎手)を背にしていて、「日本中央競馬史上初の女性騎手による大レース制覇」というインパクトの強いレースを演出したという功績もあって、記者投票の結果、最優秀障害馬として選出されました。

 父はティンバーカントリー号、母はモントタヤーラ号。1997(平成9)年5月6日生まれで、奇(く)しくも'01年の最優秀障害馬だった「ゴーカイ」号と同じ誕生日(4つ違い)です。性別♂。(写真は'02年中山大障害時のもの)

 
 
'02年最優秀障害騎手 熊沢 重文騎手

 '02年最優秀障害騎手の栄誉は、熊沢 重文(くまざわ・しげふみ)騎手が手にしました。'02年は障害レースだけで13勝。熊沢騎手は、'99年と'00年に最優秀障害騎手となっていますのでいわば「返り咲き」の形です。'02年の大レースについては、「ホッコーアンバー」号にまたがって「京都ジャンプステークス」競走を制しています。障害レースばかりでなく、平地レースでも大活躍している典型的な「二刀流」騎手です。1968(昭和43)年1月25日生まれ。

 


 
★'02年障害(ジャンプ)レース記録番外編?

'02年障害レース落馬王 浜野谷 憲尚騎手

 かなりの高速で馬を操りながら生け垣などを飛び越える障害レースでは、騎手の落馬はつきもので、「落馬は障害の華」とも言われています。それでは'02年の障害レースにおいて、どの騎手が一番多く落馬したんでしょう? 実は、浜野谷 憲尚(はまのや・のりひさ)騎手が落馬6回でトップでした。

 さて、浜野谷騎手の弟(浜野谷 憲吾)は競艇選手でその道では第一人者ですが、一方でボート転覆も多く「転覆王」として知られています。兄のほうは、相対的に馬のレヴェルの低い関東地区に所属していることもあって、なかなか大レースの勝ち星には恵まれませんが、ゆくゆくはJ・G1クラスの大レースを制覇して、弟と同じように「落馬王」の名を名誉の称号にしてほしいところです。
 参考までに、'02年最優秀障害騎手に輝いた熊沢騎手の落馬回数は、3回でした。

浜野谷憲尚騎手
  '02年障害レース5勝。1972(昭和47)年1月25日生まれ。奇しくも熊沢騎手と同じ誕生日(4つ違い)です。

 

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