はじめての障害(ジャンプ)レース
'00 障害(ジャンプ)レースをふりかえる

 
★ここが変わった! 障害(ジャンプ)レース '00

 2000年の中央競馬の日程などのあらましは、99年11月18日に日本中央競馬会(JRA)から公式発表されています。そのうち、障害レースに関する「主な」変更点は次のとおりです。いわば「ジャンプ元年」で大改革のあった1999年に比べて、小さな変更となっています。

中山グランドジャンプ、外国馬も参加可能に
 2000年から、4月に行われる中山グランドジャンプ(J・G1)競走に外国馬8頭以内の範囲で参戦できるようになりました。平地レースでは「ジャパンカップ」競走などにおいて「地の利」のある日本勢が活躍していますが、中山グランドジャンプでは勝ち馬こそ日本馬だったものの、外国馬もハンディキャップにめげずに上位に食い込みました。
 なお、国内において、海外の馬が出られるレース(「国際競走」といいます)には大きく分けて、費用(馬の輸送代など)を海外陣営が自費で負担するものと、費用を日本側(中央競馬会)が負担するもの(国際招待競走)の2種類がありますが、中山グランドジャンプは後者で、より外国の馬が出やすい条件となっています。

阪神スプリングジャンプの距離が変更
 3月に阪神競馬場で行われる阪神スプリングジャンプ(J・G2)競走の距離が、現行の3800mから100m延長されて、3900mとなりました。3800mの距離設定はスタートしていきなり(70m先)障害が立ちはだかっている形になっていて、各馬横並びの迫力ある飛越シーンが観られる反面、かなり危ないものであったので、より安全面に重点を置いたものと思われます。

新潟ジャンプステークスは、千葉県で
 2000年は、新潟競馬場が改修工事のため使えない関係上、8月に行われる新潟ジャンプステークス(J・G3)競走は、代わりに千葉県・中山競馬場で行われました(レース名の変更はなし)。距離も3200mから3350mへと変更となっています。コース取りは最後の直線に置き障害が置かれる「外回り」コースで、ゴール直前にスタンドの真ん前で迫力あるジャンプが観られました。

インターナショナルジャンプジョッキーズ競走の廃止
 障害レースで活躍している海外の騎手を招待し、国内の実力騎手とその腕を競っていた「インターナショナルジャンプジョッキーズ」競走が廃止となりました。各騎手が乗る馬(すべて日本馬)は「くじ」によってあてがう形でしたが、特に海外騎手は「走らないだろう」と目されていた馬を上位に食い込ませるなどして、大きな見せ場をつくっていただけに、廃止は惜しまれるところです。
 なお、平地競走でも同様の趣旨の「インターナショナルジョッキーズ」競走が廃止となりました。
 

【番外編】00年の制度変更によるものではないのですが・・・

海外騎手が、日本の障害レースを乗りに・・・
 日本の中央競馬においては、海外の騎手が一定期間「日本の馬」に乗って「日本のレース」に出ることができるという短期免許制度(注:この制度は「招待」ではないので、経費は自費負担)があります。平地レースの分野では以前からこの制度により年に数人の海外騎手が来日、活躍してきました。
 さて、2000年になって障害レースにおいて初めて短期免許制度により海外の騎手がやってきました。その騎手とは、フランスのティエリー・マジョルクリック騎手、27歳(00年1月現在)。名字カタカナ表記の頭3文字から「魔女」の愛称も付いた・・・ようですが、男性。免許は障害専門、期間は00年4月10日まで(3カ月間)で、関東エリアを中心に1月16日からレースに出てました。が、国際レース「中山グランドジャンプ」競走で乗る予定だったフランス馬「ヴァポレット?=Vaporetto」号が出走を辞退したため(だと、ちまたで言われています)、3月5日を最後に短期免許を返上しました。日本国内の成績は8戦1勝で、この1勝は最後の騎乗レースで挙げたものでした。



 
★ '00JRA賞障害(ジャンプ)部門受賞者

00年最優秀障害馬 ゴーカイ

 
 00年の最優秀障害馬は、障害レースの最高峰といえるJ・G1レースの勝ち馬ゴーカイ号とランドパワー号が候補でしたが、その中から春の中山グランドジャンプ競走で並みいる海外の強豪を蹴散らしたゴーカイ号がその栄誉を手にしました。

 ゴーカイ号は平地レースで1勝後、障害レースの世界に転向。まだ(障害レースで)未勝利だったころの99年春、インターナショナルジャンプジョッキーズ競走(現存せず)において海外から招待された女性騎手(マドレーヌ騎手)が、馬券的には全く人気のなかったこの馬を2着にもってきたのをきっかけにジャンパーとしての素質が開花しました。得意戦法は、後方一気の追い込み。なお、ゴーカイ号は00年JRA賞のあらゆる部門を通じてただ1頭の関東所属馬であり、障害レースの世界においても関西所属の猛者たちに立ち向かう「東の一匹狼」的存在であります。

 父はジャッジアンジェルーチ号、母はユウミロク号。1993(平成5)年5月6日生まれ。性別♂。(写真は00年東京ハイジャンプ時のもの)


 
00年最優秀障害騎手 熊沢重文騎手

 00年最優秀障害騎手の栄誉は、99年に引き続き熊沢重文(くまざわ・しげふみ)騎手が手にしました。

 さて、00年の熊沢騎手は、障害レースだけで17勝を挙げ、「快挙」と言われた99年の16勝を上回りました。これは、障害レースの勝ち数としてはもちろん中央競馬所属騎手の中でトップであります。ただ、00年においては重賞レース(大レース)勝ちがなかったこと、それと、どういうわけか熊沢騎手が騎乗している馬はスピードタイプが多く、スタミナ勝負のJ・G1競走の騎乗機会がなかなかないのが悔やまれるところ。

 なお、熊沢騎手は平地レースにおいても活躍しており、かつてコスモドリーム号で「優駿牝馬(オークス)」競走を、ダイユウサク号で「有馬記念」競走を制した騎手、といったほうが、一般には通りがいいかもしれません・・・。1968(昭和43)年1月25日生まれ。



 
★00年障害(ジャンプ)レース記録番外編?

00年障害レース落馬王 林満明騎手・山本康志騎手(五十音順)

 かなりの高速で馬を操りながら生け垣などを飛び越える障害レースでは、騎手の落馬はつきもので、「落馬は障害の華」とも言われています。それでは00年の障害レースにおいて、どの騎手が一番多く落馬したんでしょう? 調べてみた結果、林満明(はやし・みつあき)騎手・山本康志(やまもと・こうし)騎手が6回の落馬で、記録を分け合っていたことがわかりました。参考までに、最優秀障害騎手・熊沢騎手の00年障害レース落馬回数は「4」でした。

 障害レースで(平地レースでもそうであるが・・・)騎手が落馬するとその馬がらみの馬券はパーになってしまい、騎手自身もケガの危険性があるため、やはり落馬はしないに越したことはありません。でも、障害レースでの落馬数自体は決して恥じる記録ではないもの。先発タイプ野球投手の「負け数」と同じく、それなりの「実力の証」でもあるからです。

 林満明騎手  00年障害レース10勝。1966(昭和41)年10月31日生まれ。
 山本康志騎手 00年障害レース0勝(2着4回)。1977(昭和52)年2月28日生まれ。

 

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