モーツァルト全作品・草稿・スケッチ年代順目録への注解・凡例

ケッヒェル作品目録について

法律学者であり植物学・鉱物学の大家、ルートヴィヒ・リッター・フォン・ケッヒェル(1800-77)は1862年に約10年間の研究・調査の成果として『失われた作品、未完の作品、編曲された作品、疑わしい作品、書いたことにされた作品の報告をともなうヴォルフガング・アマデー・モーツァルトの全作品年代順主題目録』をライプツィヒのブライトコプフ・ウント・ヘルテルから出版した。主部626曲の他に付録として、かつて存在したが失われた作品が11曲、未完の作品が98曲、モーツァルトの作品に基づく編曲が75曲、真作かどうか疑わしい作品が47曲、モーツァルトに帰せられた偽の作品が63曲含まれていた。(今でもこの初版のケッヒェル番号が参照される理由は単にケッヒェルへの敬意からだけではない。度重なる改訂により作品の同定が難しくなってしまっている上に、最近では改訂そのものが実態に追いついていない状況のため初版が普遍の拠り所となっているのである。)

1905年のヴァルダーゼーによる第2版は小さな改訂が加えられたのみであったが、1937年の第3版はアルフレート・アインシュタインにより、多くの改訂、順序の変更、真贋の逆転、新発見の追加がなされた。アインシュタインは未完成、失われた作品も年代順の目録本文に移したが、あるものは付録の中に入れた。ケッヒェルの番号が既に多くの文献に使われてしまっていたので、新しい年代については別番号としてアルファベットを小文字で付けた(ケッヒェル=アインシュタイン番号と呼ばれた)。1947年にアインシュタインはアメリカで第3版の補遺を追加している。「ケッヒェルが十分に音楽家でなかった」ために様式分析に因る年代設定に弱点があるとしたアインシュタインではあったが、結局は自身の音楽的直感に頼るしかなく、逆にケッヒェルの取った文献学者的資料批判の態度を軽視したため、事実と憶測がないまぜになり、恐るべき誤りが混入してしまっている。

東西ドイツに分かれたブライトコプフ・ウント・ヘルテルが東ドイツで第4版と第5版を出したが、これは1937年のリプリントであり、補遺は反映されていない。

1964年、新モーツァルト全集を中心とする新しい研究ムードの中でギークリング、ヴァインマン、ジーバースにより第6版が出版された。付録が全面的に改められた他は、アインシュタインと同様の新番号付けが採用されている。以来我々は2重、3重番号を使う不便さを余儀なくされてきた。しかし前述の通り、この第6版も現役で使うにはもはや役に立たなくなっている。ヴォルフガング・プラートが学問的資料研究の軽視への警鐘を鳴らしたまさにその年に出版された故に、資料批判が不十分であり、変更を要する項目が数え切れないほど出てきているのである。第7版、第8版は第6版とまったく同じ版である。

今日、1964年から30年以上経ち、筆跡研究・用紙研究の成果が定着し、新モーツァルト全集主部が完成した時点で、ようやく新しいケッヒェル目録の出版準備が進められている。コーネル大学音楽学教授哲学博士ニール・ザスラウが編集主幹となり、ウルリヒ・コンラートとクリフ・アイゼンを共著者とし、8人の編集顧問を連ねた『新ケッヒェル』は2000年を目標に出版作業が進められている。第9版という呼び方を捨てた『新ケッヒェル』の編集方針は次の通りである(1994年6月26日開催の日本モーツァルト協会特別講演会でニール・ザスラウより発表)。

いろいろ聞き及ぶ情報を総合すると具体的には次のような手法をとるようである。まず、ケッヒェル初版の番号を尊重し、二重番号制を排除する。更にその番号が年代順にそぐわなくなっている場合は(ほとんどの番号がこれに該当)ケッヒェルのKにアステリスクを付ける。例えばフルート四重奏曲 イ長調 はK*298と呼ぶ。もちろん、ケッヒェル番号の全くない曲には新しい番号がつく。そして、各曲を年代順に並べる。恐らく、曲の配列順は行番号のようなもので識別されるであろうが、それはあくまでも編集番号であってケッヒェル番号ではない、ということになるものと思われる(私のケッヒェル目録も年代順に並べるのに新しい番号が不要であるが、それと同じ考え方をとろうとは、まさにコロンブスの卵的解決策!ただしパソコンではケッヒェル番号で検索が容易だが、本の場合は索引にどうしてもページか編集番号が必要となるためややこしさは残るであろう。1994年にザスラウに直接「新ケッヒェル」の電子化について見解を尋ねたが、出版社の利益を守るためのセキュリティがまだ万全でないとのことから答えは否定的であった)。年代が決定できない作品をどこにおくかは問題で、ザスラウも新しい方法を開発すると言っていたが、番号順の配列から解放されれば年代不明曲としてケッヒェル番号付きで別に纏めておくことも可能であろう。

しかし『新ケッヒェル』を待ち、今や誤りが数多く発見されたケッヒェル第6版を手書き修正しながら使っていくのはあまりにも不便であると言わざるを得ない。少々不完全でも、また、ザスラウの方針を踏まえなくても今現在の研究成果により暫定のカタログが出来ないものか以下試みてみた。

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提示した作品目録について

提示した作品目録はモーツァルトの完成した作品・失われた作品・未完成の作品 (草稿・スケッチを含む)・編曲作品・疑わしい作品・偽の作品を含む全作品を収録することを目的としている。記載内容は作品名称、作曲地、作曲年などを真贋情報・整理番号と併記するにとどめ、冒頭主題、自筆譜・筆写譜・初版・ファクシミリの所在、参照事項などは専門書に委ねた。目録としては不十分この上ないが、全作品の存在が認識できるので上記『新ケッヒェル』完成までは活用出来るであろう。

年代順配列をとった理由は、従来のケッヒェルカタログの便利さを受け継いだためである。断片・スケッチを含め同一配列に収めたのはモーツァルトの作曲過程を直感的に理解しやすくしたかったからであり、そのため、検索の手間を犠牲にした (ブラウザの検索機能を用いて、求める曲をケッヒェル番号や、曲名で捜しあてていただくことはできる)。

目録の配列方針について他の作曲家の状況を参考までに以下に纏めてみた。年代順を採用している目録は決して多くない。しかし、困難さをものともせずに年代順に固執する研究者が継続的に輩出していることも見て取れる。心強い限りである。

作曲家作品目録の状況

(1) 年代順による番号

作曲家番号出典
バルトークSzスールーシ番号 (1956出版/1965改訂)
ボッケリーニGジェラール番号 (1969出版)
ドヴォルザークBブルクハウザー番号 (1967出版)
M.ハイドンMHシャーマン/チャールズ番号 (1993出版)
モーツァルトKケッヒェル番号 (1862出版/1964第6版)
シューベルトDドイッチュ番号 (1950出版/1978改訂)

(2) ジャンル別番号

作曲家番号出典
C.Ph.E.バッハWqヴォトケーヌ番号 (1905出版)
同上Hハルム番号
J.C.バッハTテリー番号 (1929出版/1967改訂)
J.C.F.バッハWヴォールファート番号
J.S.バッハBWVシュミーダー番号 (1905出版)
W.F.バッハFファルク番号 (1913出版)
ブクステフーデBxカルシュテット番号 (1974出版)
ヘンデルHWVバーゼルト番号
J.ハイドンHホーボーケン番号 (1957出版)
M.ハイドンKlクラフスキー番号 (宗教曲のみ)
同上Pペルガー番号 (1907出版) (器楽曲のみ)
リストSシール番号 (グローブ音楽事典第5版1954出版/1961補巻)
パーセルZツィンマーマン番号 (1963出版)
ヴィヴァルディPパンシェッル番号 (1948出版)
同上Rリオム番号 (1974出版/1979改訂)

(3) その他基準による番号

作曲家番号出典
ゴットシャルクROオファーゲルト番号
リストRラーベ番号 (1931出版/1968改訂)
D.スカルラッティKカークパトリック番号 (1953出版)
同上Lロンゴ番号 (1906-8出版)
シュッツSWVビッティンガー番号 (1960出版)
トレッリGギークリング番号
ヴィオッティGジャゾット番号 (1956出版)

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提示した作品目録の凡例

beiあるいは→包含関係にあるときに使用。現物を見ないと詳細関係が不明のものが多い。
断片(Fragment)前後(時間)方向に完結していない作品。縦(声部)方向には状態を問わない。制作時に断片にするつもりで書くことは無いから、作曲者の意図に反し前後が紛失した完成作品・草稿・スケッチのことである。(Cf.未完)
deestラテン語の「無し」の意味で、K.deestはケッヒェル番号無し。なお、下記コンラートの番号が付いた作品はK.deest表記を省略した。
fol.rおもて面
fol.vうら面
Frフラグメント(含草稿・未完作品)番号(ウルリヒ・コンラート:Mozart. Catalogue of his Works Compositions, Fragments, Sketches, Arrangements, Manuscript Copies, Texts, 2006による) :年号とアルファベットの組合せで1曲を表すが、年号あるいはアルファベットが正確に作曲年代あるいは作曲順を表しているとは限らないことに注意する必要がある。
〔第1番〕旧全集によるジャンル毎の通し番号
疑作真贋の定まらない作品
偽作モーツァルトの名前で流布しているが真作でないもの。作曲者が判明したものは偽作とは書かずに作曲者名のみ記した。
Kウルリヒ・コンラートによる年代
K.ケッヒェル番号。括弧で新しい番号を示す。複数ある時には右側が新しい番号である。
LML.モーツァルト
MHM.ハイドン
未完冒頭から残っており、ほぼ完成に近いが、終止和音が書かれていない作品。また、終楽章、終幕が書かれていない作品。
N新モーツァルト全集による年代
NMA新モーツァルト全集
Pヴォルフガング・プラートの筆跡研究による年代
rev.同じケッヒェル番号で改訂版がある場合をrev.番号で区別
散逸モーツァルトが作曲したとされるが、自筆譜、筆写譜、印刷譜のいずれも現存しない作品。
スケッチ作品の要素を書き出したもの。厳密には終止形があるものは通しスケッチ、そうでないものは部分スケッチという。メロディ・スケッチ、スコア・スケッチ、対位法スケッチなどスケッチの目的を明記する場合も多い。
Skスケッチ番号(ウルリヒ・コンラート :Mozarts Schaffensweise, Vandenhoeck & Ruprecht in Götingen, 1992による)。年号とアルファベットの組合せで1曲を表すが、年号あるいはアルファベットが正確に作曲年代あるいは作曲順を表しているとは限らないことに注意する必要がある。
Skbスケッチ葉番号。コンラートによる。年号が番号の基本になっているがこれも正確に年代を表しているとは限らない。ギリシャ文字枝番のスケッチ葉は完成作品の中にスケッチ葉がある場合に使われている。アルファベット枝番の場合は専らスケッチのみ書かれた葉である。続くアルファベットはその葉(複数のことも多い)に書き付けられたフラグメント・草稿・スケッチの1曲分ごとに与えられており、ほぼモーツァルトの記入順と思われる順に振られている。
草稿(Entwurf, draft)全声部が設定されており、作品全体の見通しが読みとれる以上に書き込まれた稿。
Tアラン・タイソンの用紙研究による年代
WAMW.A.モーツァルト
zu完成作品のケッヒェル番号の前に付けて「完成作品〜のための」の意味。コンラートによる。コンラートで明記ない場合に[ ]付で追記したものもある。なお、コンラートは共通綴じの作品をbeiという表記で参照しているが、後世の綴じも混合しており誤解を招くため採用を見合わせた(bei K.435bなど明らかに後世の綴じである)。
[62.1、ザルツブルク]作曲年代、作曲地。ただし、作曲開始日、完成日、演奏日のどれかには統一できない(未完成曲は作曲開始日に着目した)。また、年代順配列に厳密さはない。一応、用紙の製造年代以降に作曲があり、スケッチ・草稿の後に完成曲がくるようにしている(中にはハ短調ミサのドナ・ノービス・パーツェムのようにスケッチが後にあるものも例外的にある)。年代の異説は括弧付で後置。
=ケッヒェルの同一版内で同一曲に異なる番号が付いている場合に使用。またケッヒェル番号とフラグメント番号との間、あるいはケッヒェル番号とスケッチ番号との間で同一曲の場合に使用。
《 》作品の表題。括弧付の表題は後世の通称。
「」歌詞の冒頭、あるいは歌曲の通称。

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作者:野口 秀夫 Hideo Noguchi
E-mail: ホームページを参照ください。
URL: http://www.asahi-net.or.jp/~rb5h-ngc/j/koechel-n.htm
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(作成:1997/10/25、改訂:2021/5/19)