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というわけで、ホテルの人にバス乗り場の場所を聞いてみた。"Venosa-Maschito"に行きたいのでバス乗り場を教えて欲しいと頼むと、ホテルのお姉さんがバス会社に電話をしてくれて、発車時刻と乗り場を教えてくれた。おまけに、翌朝はホテルのお姉さんにバス乗り場まで車で送ってもらった。
と、そこまでは順調だったのだが…。駅行きのバスが来ない。
仕方なくホテルに戻って話をしてみると、様々な勘違いがあったことが判明する。ホテルのお姉さんは、"Venosa-Maschito"が駅名を意味するとは思わず、私がVenosaからMaschitoという街に行くバスに乗りたいのだと思っていたらしい。
なぜこうした行き違いが生じたかというと、私の説明不足もさることながら、別の事情もあった。
そもそも、駅へ行くバスの便が存在しなかった。この街からバスに乗ることは他の街へ行くことを意味するのが当然だったという事情が話を複雑にしていた。駅へ行くバスはないという話が信じられず、私が”駅からバスに乗ってここに来た”とホテルのお姉さんに説明すると、
”バスは駅から来ます。でも、ここから駅には行きません。ハハハッ。”
私が"Non ci credo!(信じられない)"と言うと、ホテルのフロントにいた3人が一同声を揃えて"Non ci credo!"
ご唱和いただきありがとうございました。なるほど停留所がないわけですわ。
それならばタクシーを呼んで欲しいと頼むと、
”この街にタクシーはありません。ハッハ。”
とのご返答。やはりそういう街でしたか。ホテルの人から”私たちが駅まで送ります。”という言葉を聞いて安心したものの、冷や汗をかかされた。
一見怖そうな、ダークスーツに身を固めたお兄さんに駅まで車で送ってもらった。見かけの割に実は親切な人で、私一人のために食事の用意をしてくれたのもこの人だった。この怖そうなお兄さんが私の荷物を待合室まで運んでくれ、駅で握手して別れる。この様子を窺っていたほかの乗客たちは、一人も待合室に入って来なかった。
ローマ時代の石材でできた街
まあ、ヴェノーサは今でこそこうした田舎街の一つに過ぎないが、ローマ時代には繁栄した街だった。この街からはローマ時代の有名な詩人オラツィオ(ホラティウス)が輩出している。私はよく知らない人だけど。
街の歴史は非常に古い。市民はローマ時代の街の遺構から石材を持ち出して新しい家を建ててきた。そのため、街のあちこちの家で、ローマ時代の彫刻などが施された石材を見ることができる。街そのものが古代ローマの博物館といったところか。
ヴェノーサの町はずれにあるトリニタ修道院でも、新しい教会を建て増しするにあたり、近くのローマ時代の遺跡やヘブライのカタコンベなどから、かなりの石材が取り出された。建築が途中で放棄されているため、壁が剥き出しになっていて、使われている石材に刻まれた彫刻や文字がよくわかる。
トリニタ修道院は、ロベルト・ギスカルドを含むオートヴィル兄弟の墓所となっている。ロベルトの墓碑銘が昔の歴史家によって確認されているのだが、その墓碑銘は今はないらしい。やはりどこかの家の壁に塗り込められているに違いない。
ダニエラ、ダニエレ
城の中を見て外へ出ると、城を見学しに来ていた子どもたちに取り囲まれる。どこから来たのか、何をしているのか、名前は何と言うのか、といった質問責めにあう。
子どもたちのうちに"Daniele(ダニエレ)"という男の子がいたのだが、私がうっかり”Daniela(ダニエラ)”と呼んでしまった。そしたら、ムッとした表情で"Daniele!"と言い返されてしまった。イタリアの人名では、若干の例外を除いて、語尾が"a"で終わるのは女性の名前である。彼は自分は女ではないと怒っていたのだ。即座に謝る。このことがきっかけで、逆にダニエレとは親しくなれた。
引率の先生が子どもたちを呼んでも皆私から離れない。まあ、変な外人の方が城の博物館よりおもしろいか。遠くで先生が困った顔をしているのを見て、私が先生のところに行くように促した。さよならを何度も言って、ようやく解放される。
なお、主要都市からVenosa-Maschito駅まで行くのは結構大変。説明するのもややこしいので省略。公共の交通機関を利用すると陸の孤島に近い。車で行くのがお勧め。