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Gioia del Colle

ジョイア・デル・コーレ  <2002年> 戻る

ビアンカ・ランチャに憧れて

ジョイアの城は、皇帝フェデリコ2世の恋人ビアンカ・ランチャが暮らしていた場所である。
もっとも、ただ「暮らしていた」というわけではなくて、皇帝から不義の疑いをかけられ、ビアンカ・ランチャはこの城に幽閉されてしまったという言い伝えもある。そして、その疑いを晴らすために、自分の美しい胸を傷つけた、という痛ましい物語までもが伝えられている。
なにしろ、彼女の恋人は神をも畏れぬ独特の性格を持ち主だったわけで、その苦労は並大抵のものではなかったのだろう。
悲劇は皇帝が死んでからも続いた。彼女と皇帝との間の息子マンフレディは、シャルル・ダンジューとの戦に敗れ、若くして命を失う。息子も、ホーエンシュタウフェン滅亡期の悲劇的ヒーローになってしまう。

そのマンフレディは、この城で生まれている(諸説あって確かではないらしいが・・・)。
そのせいだろうか、ビアンカ・ランチャが暮らした「皇后の塔」の居室には、どこか家族団らんの雰囲気が感じられた。
壁際に、腰掛け用の段差が設けられていて、ちょうど二人が向かい合って座れる小部屋なんかが用意されている。中世の城には不似合いな、温もりのある小さな部屋だった。幼いマンフレディもその部屋で遊んだりしたに違いない。
こんなの監禁場所じゃないし、なんだかフェデリコらしくない。そう思ってしまう。
あの残忍な皇帝様も、実はビアンカ・ランチャにはメロメロだったのではなかろうか。この城は、愛する人への激しいジェラシーと優しさとが同時に感じられる場所だった。

ともあれ、東西の美女を知り尽くした皇帝様が惚れ込んだのだから、ビアンカ・ランチャはさぞかし綺麗な人だったのだろう、なんて思う。ホーエンシュタウフェン家を滅ぼしたシャルル・ダンジューも、ビアンカ・ランチャにだけは命を保証し、そしてご所望になったという話もあるようだ。彼女の美貌は評判だったに違いない。
「皇后の塔」の居室に佇みながら、どんな女性だったのだろうと想像してみたりする。ちなみに、そのときビアンカ・ランチャの容姿として私の脳裏に浮かんだのは、ある一枚の写真だった。大物の某写真家が、東北地方で野良着を着た若い女性を撮った作品・・・あれっ? なぜか日本人。しかも東北人!
どうも美しい人というと、私の場合、なぜか日本人の姿しか思い浮かばないのだった。

玉座の間 もっとも、この城のハイライトと言えば、やはり「玉座の間」の方だろう。
部屋に入って行くと、いきなりフェデリコの玉座が奥に見える。そのときの玉座との微妙な距離感がいい。確かに玉座は遠く、威厳ありげだ。でも、皇帝様の顔の表情などは、部屋に入った瞬間から、はっきりとわかったに違いない。
フェデリコについて、「彼と初めて会ったとたんに魅了されてしまった」と書き残した人物がいる。その人物が皇帝と出会った瞬間とは、きっとこんな風だったのではないか。玉座を眺めながら、そんな想像までしてしまった。
実際のところ、その壊れかけたボロボロのイスに、あのフェデリコが本当に座ったことがあるのかどうか、いまいち信用できない気もする。それでも、フェデリコの痕跡としては一級品だ。しかも「お手をお触れにならないで下さい」とか書いてない!
で、実際に座ってみたい気もしたけれど、さすがに皇帝様の玉座に腰掛けるのは畏れ多く、ちょっと触るだけにして帰る。

Chiesa Madre

フェデリコ観光本を買う

この城は、現在は歴史的資料を展示する博物館として利用されている。
城内のカフェテラスがチケット売り場になっていて、ついでに書籍の販売店も兼ねていた。
当然、フェデリコ関係の書籍が多い。イタリア語版ばかりで、ほとんど読めないものばかりなのだが、観光本のようなものはつい買ってしまう。
今回は、フェデリコ関係の史跡の写真がたくさん掲載されている本を買った。
しかし、これが私にとっての危険なワナだったりする。本をめくるたび、こっちも行きたい、あっちも行きたいという気持ちになる。あっちもこっちも、電車やバスでは簡単には行けないのだけれど。

このとき、カフェテラスのお兄さんから受け取ったお釣りで、初めてユーロの1チェンテージモ硬貨を手にすることができた。あのフェデリコが建てた城、カステル・デル・モンテがデザインされたやつだ。
そういえば、1チェンテージモ単位で律儀に釣り銭をくれるような店には、私はずっと巡り会えていなかったのである。
この小さな硬貨を手にして顔がほころんだ私に、なぜかお兄さんが握手を求めてきた。それでもって「あなたもフェデリコに興味があるんだね」って、何となくお互いの気持ちが通じ合ってしまう。
だめだ、「またジョイアに来ます。次回は泊まりがけで。」とか言っちゃいそうになってる。展示品の関係でビアンカ・ランチャがらみの場所をちゃんと観られなかったことだし・・・。

散策での発見

実は、城に辿り着くまでの散策で、かなりジョイアの街が気に入っていたのだ。
最初は、城を観ること以外の目的はなかった。というか、城があるということしか知らなかったし、その城が街のどこにあるのかさえ事前には把握できていなかった。

そんなわけで、駅からは大まかな見当だけをつけて歩き出し、街を散策しながら城を探すことにしたのが、適当に歩いていたら、アーチ状の通路やアラブ式の中庭のような広場が見つかった。プーリアらしいバロック様式の美しい教会にも出くわした。
前もって情報をもたずに入ったのが良かったのかも知れない。歩きながらの発見があって楽しかった。ちょうど、アルタムーラとマルティナとの中間地点だけあって、両方の街の性格を兼ね備えた街という印象だった。

道を歩いて行くと、”道”に洗濯物を干しているおばさんに出くわしたりする。家の中から声をかけてくるおっさんもいた。プーリアの中でも、とりわけのんびりとした雰囲気のある街だった。
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<旅行メモ>

バーリとターラントとの間を結ぶFS線で行ける。
駅舎を出て、おおよそ斜め左方向に行ったあたりが城のある旧市街。

駅舎を出ですぐの道ばたには、街の地図が描かれた看板があった。しかし、何だかゴチャゴチャと道が描いてあって、城までの道順は解読不能だった。ただ、おおよその見当だけはつけられた。