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Foggia

フォッジャ  <2002年> 戻る

戦災で観光資源を失った街

フォッジァは、プーリア州北部では最大の都市。もちろん街の歴史は古い。
ただ、街の規模が大きい割に、観光名所の類はあまりなし。地震や大戦時の被害が大きかったため、イタリアならではの史跡や旧市街はあらかた破壊されてしまったようだ。
あまり街歩きをしようとは思わなかったけれど、プーリア北部の街に出かけるには、どうしても寄らなければならない交通の要衝。近郊へのバスの拠点になっている。結局、二回に分けて二泊もすることになった。
実際に歩いてみると、観光地じゃないなりに、ノルマン期に創建された立派な大聖堂とその近辺の古い街並みが見られる。大聖堂近辺では、何匹もの野良犬が大通りのど真ん中で寝そべっていたりしていた。のどかと言うよりは退廃的な雰囲気を漂わせる犬たちであった。

Palazzo Imperiale

議会の元祖の元祖?

右の写真は、フェデリコ2世の王宮跡。悲しいかな、扉口だけが残った。
今は市立博物館の壁の一部でしかない。通り抜けはできません。

ところで、話がかなり飛ぶけれど、イギリス議会発祥のきっかけとなったのが”シモン・ド・モンフォールの議会”。で、この議会の発案者であるシモンがお手本にしたのが、フェデリコ2世がここフォッジアで開催した帝国議会だったと言われている。
この議会には、支配者層だけでなく、各都市の市民代表も招集された。たいした成果はあがらなかったようだけれど、フェデリコの斬新な発想が、後々イギリスの議会制発展の端緒になったとも言える。

ホテルぼろぼろ

フォッジャには、モンテ・サンタンジェロに向かう途中で1泊し、数日後、ルーチェラに行くために1泊した。
最初の日には、駅にも近い三つ星ホテルを選んだ。
外観もまあまあだったため、さっそくそこに宿泊することにしたのだが、中に入ってびっくり。星が三つとは思えないくらい安くてぼろかった。フロントのおじさんもやる気なさそう。学生の頃、選択肢が星一つ以下のみだった頃の旅を思い出す。しかし、懐かしいどころではなかった。騒音がひどくて眠れないときた。

そんなわけで、数日してフォッジャに戻ったときは、ためらわずに街で唯一の四つ星ホテルに飛び込んだ。
立派な建物だったために最初の日には敬遠したホテルだった。ちと高いかと心配したものの、実際には三つ星クラス程度かそれ以下のお値段。設備などもそれなり。
どうやら、この街では星を一つ半ほどマイナスして考える必要があるようである。


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<旅行メモ>

バーリからFSで行ける。ICなど全ての列車が停車するので行くのは簡単。バーリからの日帰りは余裕で可能。
駅前の広場がバスのターミナルも兼ねているので、ルーチェラやマンフレドニア行きのバスの便もわかりやすい。