<第6章>

劇作家マキャベッリ


もし見物のみなさまがあまり笑わぬその折りは、 喜んで葡萄酒を漏れなく振る舞う所存。
「マンドラーゴラ」(前口上)

マキャベッリ像 あまり知られていないが、マキャベッリは意外に多くの文学作品を残している。
代表作は、1518年頃に書かれた喜劇「マンドラーゴラ」。ルネッサンス喜劇の傑作と言われ、現代でもときどき上演される古典である。

喜劇「マンドラーゴラ」は、貞淑な人妻に惚れ込んだ主人公カリマコが、その夫婦を騙して、人妻のベッドに潜り込むという下品なお話。
カリマコはフランス帰りの医者になりすまし、不妊に悩む夫婦にマンドラーゴラという薬を勧める。この薬を妻に飲ませれば子どもができるのだが、一つだけ難点があるとカリマコは切り出す。難点というのは、薬を飲んだ後で最初に交わった男が死んでしまうこと。ただし、毒は最初の男が吸い取ってくれるので、2度目からは安全なのだそうだ。この最初の男の役を、通りがかりの青年を連れ込んで押しつければよい、とカリマコは言う。とは言え、見ず知らずの男と妻がベッドをともにすることに、夫婦は難色を示す。しかし、法律家の夫は、カリマコが怪しげなラテン語をしゃべるのを見て、初対面のときからすっかり信用し切っている。貞淑な妻の方も、買収された聖職者がうまく説得し、最後には承諾してしまう。
そして、いよいよマンドラーゴラご服用の日が来る。妻が薬を飲んだところで、夫は、道を歩いていた男を屋敷に連れ込み、寝室に放り込む。この男が、実はカリマコなのであった。
こうしてカリマコは目的を達するわけだが、実は、その人妻は彼の計画を全部見抜いて、騙されたふりをしていただけだった、というオチで閉幕する。

もう一つ「クリツィア」という喜劇も書いていて、養父が美しい養女を自分のものにしようと企むという、これまた下品なお話。
これらの喜劇は、イタリア各地で上演され、好評を博していた。「君主論」が出版されるのは彼の死後のこと。生存中のマキャベッリは、政治論を書いた人というよりも、喜劇作家として知られていたのである。

ダンテの家 マキャベッリは、喜劇の上演で歌われる歌曲の詩も書いている。
彼は、文学好きの母親の影響からか、若い頃から詩を書いていたし、ダンテやペトラルカの作品を愛読していた。まあ、詩人としての評価は今ひとつだけれど、決して政治論一点張りの人物ではなかったのである。
ちなみに、マキャベッリはダンテに最も影響を受けた文人、との評もある。ダンテに関しては、「わが祖国の言葉についての談話もしくは対話」という作品の中で、マキャベッリがダンテの徹底したフィレンツェ嫌いを皮肉る文章を書いていて、これが結構おもしろい。「彼はあらゆる点で才能、学問、見識にこの上もなく優れた人物であることを示しているにもかかわらず、いざ自分の祖国について語るとなると、…ありったけの悪口を言い募るのである。フィレンツェを悪しざまに言うことしか出来ないので、…その土地柄を非難したり、その習慣や法律をけなしたりしたのである。『神曲』の一部でそうしたばかりではなく、全作品で手を変え品を替えやってのけた。」詩聖ダンテの意固地な側面を見事に浮き彫りにしたこの一文に、私は笑いが止まらなかった。

評判の喜劇を書いただけあって、マキャベッリ自身も、意外におもしろい人物だったと伝えられている。
おそらく、冗談や皮肉で、いつも周囲の人を笑わすようなタイプだったと思われる。書記官時代、書記局の座談の中心はマキャベッリだった。サンタンドレアの山荘で「君主論」などを書いていた頃も、居酒屋に入り浸って近所の常連たちと賭トランプに興じ、立ち寄る旅人たちと会話を楽しんでいた。かなりのおしゃべりだったのではなかろうか。

落書き マキャベッリが書いた笑える作品としては「カストルッチョ・カストラカーニの生涯」という伝記もある。 実在の傭兵隊長の生涯を書いたものなのだが、ただし、ほとんどの話がマキャベッリのでっち上げ。
この作品で笑えるのは最後の部分で、カストルッチョはこう言った式の”カストルッチョ語録”となっている。「陶器やガラスの壺を買うさい、いいものかどうかを見分けようと最初に鳴らしてみたりする人たちが、妻をめとるとなると見るだけで満足するのは驚きだ」とか書いてある。ところが、これはラエルティウスの「列伝」からほとんど拝借してきたもので、カストルッチョが言った言葉でもないし、マキャベッリのオリジナルでもない。古典でおもしろい文章をみつけたのを披露し、皆を笑わせたかったのだろう。彼ならではの、いたずら書きなのである。

文章にいたずらを仕込むマキャベッリ。法律家や聖職者を笑いものにするマキャベッリ。尊敬してやまない詩聖ダンテさえも、皮肉ってはばからない。
このことを考えると、「君主論」のような政治論に関しても、マキャベッリが全部大まじめに書いていたのか疑わしくなってくる。
「君主論」には「君主は、…しなければならない」といった教訓が散りばめられているのだが、マキャベッリが陰でニタニタ笑いながら書いたものだとしたら、今までとは全く違った読み方をしなければならないはずだ。たぶん、政治論の方はまじめに書いたのだろうと思うのだが、何とも確信はもてない。
いたずら好きのマキャベッリのこと。もし彼が、”思慮のある人なら、一流の諧謔を読みとれるはず。思慮のない人はせいぜい真に受けて失敗するがよい。”なんてことを考えながら、大まじめを装った政治論を書いていたとしたら…。
「君主論は共和主義者の教科書」と書いた天才ルソーは、マキャベッリのいたずらを見抜いていたのかも知れない。


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