その手の熟練なら、魔法の構成を読んで、相手がどんな呪文を発動させようとしているのか知ることができる。
彼も、その強大な魔力を全身で感じ取っていた。激しくぶつかり合う闇の力を。
「かなりの状況のようですね。まさか“あれ”に匹敵する魔力を持った人間……いや、エルフですか……がいるなんて。さくら亭が吹き飛ばないことを祈りますが……」
彼は前傾姿勢でさくら亭へ向かっていた。
「やった、か?」
声を発したのはリサ。爆発点にいたパティは気絶しているようだった。エルはその場に座り込んでいた。
「……うだな」
エルの声は疲れきっていた。全力で魔法を使うことがいかに体力を消耗するか。しかも邪竜の力とほぼ同等、あるいはそれを上回るというところだ。
「で、こいつが元凶か。かと言って持つわけにもいかないし」
銀色の刃が冴える剣は、パティの手を離れて床に落ちていた。これを握ってしまえば、さっきの二の舞だ。
「魔剣か、やっかいだな」
エルはなんとかはっきりとした声をあげた。辛そうな声で、無理をしているのが分かる。リサは言葉を手で制した。
「魔剣だって鞘に入れてしまえば普通の剣と変わらない。そうでないと持ち運べないからな。ましてやパティに渡すことなんてできっこない」
机の影に隠れていた鞘を見つけると、リサは言った。
「ま、慎重に慎重に」
本来は剣を鞘に差し込むというべきなんだろうが、今回は鞘を剣にはめるというほうが正しいかもしれない。リサは鞘を持って、地面に倒れている剣に滑らせた。
剣が鞘に完全に収まったのを確認してから、リサは剣を持ち上げた。
「ふー、それにしても立派な剣だねえ」
「大丈夫か?」
エルの声。大丈夫かというのは、操られないかどうかということだろう。
「ああ、なんともない」
やっとエルとリサに安堵の表情が浮かんだ。もっとも、エルの表情は一秒とたたないうちに変わったが。
「ったく、迷惑な剣だな」
「まったくだ。なんとかなったからよかったものの……」
続きを言おうとしたとき、カウベルが荒々しい音をたてた。
「いや、まだです。油断しないでください」
入ってきたのは旅人風の男だった。
「あんた、いったい?」
「彼女を見てください」
リサは怪訝そうな顔をしたが、促されるがままにパティのほうに向き直ってその意味を理解した。
「今さら剣を奪ったところで、何も変わらないよ。力はここにあるんだから」
蔑むようなパティの口調は変わっていなかった。
「どういうことなんだ?」
パティには聞こえないように、リサは男に小声で訊ねた。
「また後ほど説明します。それより、今は彼女を救うほうが先決です」
「ああ、分かった。しかし、どうすればいい?」
「アタシにはもうさっきみたいな魔法を使う力は残っちゃいない。剣がなくなったとはいえ、こっちのほうが不利なんじゃないのか?」
パティを救うすべは彼しか知らない。リサもエルも、彼に賭けることにした。
「剣を貸してください」
彼は腰に剣を下げると、すうっと鮮やかなしぐさで剣を引き抜いた。
「彼女の時間を止めるくらいの魔法は? ええと……」
その質問が自分に向けられていることはすぐに分かった。それと、名前を知らないために呼べないということも。
「エルだ」
そう言う必要があったかどうかは知らないが、とりあえず言っておいた。彼が苦笑いを浮かべたのを見て、言うべきじゃなかったと後悔はしたが、
「エルさん、できますか?」
「まあ、それくらいならなんとかやってみる」
「なら、彼女が魔法を使おうとした瞬間で止めて下さい。あとはなんとかします」
タイミングの指示。なかなか難しいタイミングではあるが、できないわけではない。
「1回で成功する自信はないがね」
「……分かりました。では、成功するまでお願いします」
「ああ」
彼はパティと対峙した。
魔法を使う瞬間にというのは、意外と難しかった。
彼の攻撃を避けては、呪文なしで魔法を放つパティには、これといってタイミングを計るものさしはない。
「タイムズ・ウィスパー」
適当に魔法を仕掛けてみるが、効果はない。エルが疲れているせいもあるが、とにかく相手の隙を突かないことにはどうしようもなかった。
「無駄だよ、無駄」
パティが魔法を放つ。刹那、彼は剣を盾にしてそれを受け止める。
「タイムズ・ウィスパー」
エルの魔法の発動、が、遅い。
「ちっ、タイミングが合わないな」
「焦るな、エル」
リサの声だ。リサはずっと彼を見ているだけかと思えば、ナイフを握ってすぐにでも投げれる体制にいた。ひとりでは敵わなくとも、援護はできる。
「私がナイフを投げる。それと同時に魔法を詠唱する。たぶん、それでうまくいく」
エルは無言で頷いた。そして、リサの動きを凝視する。ちらっと彼の動きも見る。
(うまくいけばいいが……)
頭を不安がよぎったのが先か後か、リサが足を踏み込んだ。
「たあっ!」
リサのナイフが一直線にパティを狙う。全く同時に彼が剣を薙ぐ。
「タイムズ・ウィスパー!」
遅れて、エルの声が響いた。
その瞬間、パティがどうなったかは分からない。視界が真っ白になって、1センチ先すら見えないのだ。
詞的に言えば薄い黄色? だが、実際は光に包まれているのか、あるいは闇に覆われているのかもしれない。とにかく、何も見えない。
数分後、やっと視界が開けてきた。まだ目がチカチカするが、大した問題ではない。
「パティは?」
「どうなった?」
エルとリサが同時に呟く。
「すー、すー」
ふたりの目に止まったのは、床に倒れて寝息を立てているパティだった。そして、そのすぐそばに剣を持った男。とは言っても、剣はすでに鞘に収めてあるが。
「うまくいったようです」
彼の言葉を境に、さくら亭は何事もなかったような静けさに包まれた。
「いったい、あんたは何をしたんだ? 何も見えなかったんだが、あんたは何が起きたか、いや、何を起こしたか分かっているんだろう?」
パティが無事そうなのを確認してから、リサは彼に訊ねた。
「魔の力を、剣に戻しました。鞘から抜かない限り、魔剣としての力は働きません」
単刀直入な答えだった。もちろん、リサやエルはよく分からなかったが、これ以上聞いても理解できそうにない――聞く意味がない――のでこれ以上の質問はしなかった。
「彼女も救えたことですし、もう行きますが……、よろしいでしょうか?」
彼は質問を促した。が、ふたりは何も言わなかった。何を言えばいいのか分からなかった。何も言うべきではないと感じた。
彼は一礼した後、ゆっくりとカウベルを鳴らしてさくら亭を出た。
「しかし、どうするんだ?」
死んだように眠っているパティをあきれて見ているエル。
「私が部屋まで運んでくよ。それとも、叩き起こして文句でも言うか?」
リサはパティの頬を叩くしぐさをしておどけてみせる。
「そうしたいんならアタシは止めないが?」
それに対してエルは、言い返して否定を表現する。パティ自身がやろうとしてやったのなら話は別なのだろうが。
「まさか」
言いながら、リサはパティを軽々と担ぎ上げる。そのまま階段を上ってパティの部屋へ向かう。
「アタシは帰るよ」
エルはふたりに背を向けて歩き出した。リサは階段の手すりをコンコンと2回叩いて音を立てた。
「ん?」
エルが振り返る。
「ありがとう、助かったよ」
「ああ」
リサはベッドに肘をついてパティを見ていた。もちろん、ベッドはパティのベッドで、その上でパティが眠っている。
「操られてた間の記憶はあるんだろうか。いろいろ話は聞くが、記憶に関してはどっちの説もあるからなあ」
操られている間の記憶がすっぽり抜けている場合と、操られていても意識がある場合。たまに、別の(もちろん偽の)記憶が埋めこまれている場合もある。
「パティが起きて、聞けば分かるだろうが……聞くべき……じゃないんだろうな」
リサは立ち上がった。
「最終的に被害という被害も無かったわけだし、このことを知っているのは私とエルだけだ」
パティの部屋を出て、ドアを静かに閉じる。音を立てないように、慎重に。
「ま、どうしたって一番辛いのはパティだしな」
リサは静かに階段を降りた。さくら亭にはまぶしいほどの朝日が降り注いでいた。
平和なエンフィールドの一日の幕開けだった。
実は、この3章、途中まで書いたところで誤って消してしまうというアクシデント(完全に僕のミス)があったんですが、とりあえず完成しました。
1章、2章と比べ、文章量が少なくなりました。(行数はほぼ同じなんですが)
とりあえず、この章がお話の結末ということになります。が、あと1章ほど続けます。簡単に言うと「エピローグ」かな。では、お楽しみに。