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Uncontrollable Force

第2章 シルバーグレーの魔剣

浅桐静人

 背中から吹く風に、パティは目を覚ました。いつの間にか眠っていたようだ。
 机の上にはコーヒーカップがひとつだけ。底にはミルク入りのコーヒーが少しだけ残っている。だが、もう冷めきってしまっていて飲もうとも思えない。
 夜はもう明けていた。数メートル先までは見渡せる程度に太陽が昇っている。もう少しすれば皆が起きるころといったところか。時間で言えば5時か6時か。まだ7時ではないはずだ。
 とりあえず何も考えずに立ち上がる。そういえば、この席はさっき彼が座っていた席だ。彼? そういえば、彼の使っていたコーヒーカップはどこにもない。無意識のうちに洗い場に持っていったのだろうか。
 だが、洗い場にはカップひとつ、皿一枚ない。
「んーと、ひとつ、ふたつ、みっつ……」
 首をかしげながら、棚の中のカップの数を数える。
「あたしが使ったのを入れて……あれ? 足りてる……」
 何度数えても不足は出なかった。
 パティの知らないうちに1つカップを追加したか。彼が自分の分を洗って棚に戻したか。そんなことは可能性がゼロと言ってもいい。一番可能性があるのは……パティの記憶が違っている――彼はもともと存在していない――ことだ。だが、幻想にしてはあまりに記憶が鮮明すぎる。彼の容姿も口振りも性格も、すぐに頭に描ける。
 彼が夢の産物だとしても、それだけのことでしかないのだが、そう思いたくなかった。納得したくない。彼の存在の証拠を見つけたい。
 ふと思い立って、彼が座っていたはずの――さっきパティが座って寝ていた――席に視線をやった。
(……?)
 机の下で、何かが光った。
 目をこすって、もう一度目を凝らす。
「剣? あの人の……」
 パティは衝動的に、それに駆け寄った。よく見ると、僅かに鞘からはみ出した刃元が光を反射していた。
 記憶にある剣と寸分違わぬ大きさ、形。宝石の装飾も全く同じ。間違いなく彼の持っていた剣だ。手に持ってみると、ずっしりと重みを感じた。
「でも、どうしてここに? 忘れるようなものじゃないと思うけど。もし忘れたって、すぐに気付くよね」
 すぐに追いかけるべきか、だが彼がどこへ行ったのか、行くつもりなのかを知らない。下手に追いかけて入れ違いになることも考えられる。
「うーん、とりあえず預かっとこうか」
 やはり取りに戻ってくるのを待つのがいちばんだろう。
 あれこれ思考を巡らせながら、剣を両手に抱える。間近で見ると重みだけでなく手が震える。見れば見るほど立派な剣だ。
 パティは剣を抜いてみたいと思った。その感情を押さえられず、柄に手をかける。そのまま力を込めて引き抜くと、すうっと音を立てて銀白色の刃が姿を見せた。鞘についた様々な宝石をも凌駕する鮮やかな銀色に目が吸いつけられる。ふと力の抜けた左手から、鞘が転げ落ちる。
 ガシン。重い音が叩きつけられる音がした。けっこう大きな音だったが、パティは気にしなかった。ずっと剣を眺めていた。

 がしゃ、ぎいぃ……。1分もたっただろうか、少し遅れてドアの開く音が聞こえた。
「んん? なんだい、今の音は」
 2階からリサの声。その後すぐに階段を降りる足音。
「パティ、夕べは何してたのさ。彼氏かなにかかい?」
 リサはからかうような口調だった。もとよりリサ自身、本気でそう思っているわけではない。それを間に受けたのか、パティは横目でぎりっと睨みつけた。
「おっと、冗談だよ、冗談。にしても、誰だったんだい。優しそうな男の声がきこ……」
 リサは途中まで言いかけた言葉を飲みこんだ。鼻元に剣先が付きつけられていたのだ。剣を握っているのは、パティ。
 だが、パティが店の中で暴れたりすることを何よりも嫌っていることを知っているリサは、冗談に対して冗談で返しているのだと受け取った。そして、それなりの対応をした。
「おいおい、何の冗だ……ん!?」
 声は再び途切れた。リサはとっさに後方に跳び退いていた。
 パティの右手は剣を持ったまま真横に開かれていた。表情は、うつむいていて確認できない。
 その一歩半先にリサ。剣が閃くと同時に跳び退けたからよかったものの、反応が少しでも遅かったら……。鼻に触れると、ほんの少しだけ指に血が付いた。
「いったいどういうつもりなんだ、パティ」
 驚きと苛立ちが混ぜこぜになりながら、無理やり落ちついた様子で訊いた。パティからの返事はなかった。
「どうやら、ただ事じゃないようだね」
 リサは勢いよく息を吐き捨てると、両手にナイフを構えた。そして息を止める。
 じっと相手を観察して、動きを探る。パティはリサをまっすぐに見て離さない。全く動かない。パティの構えは隙がないというよりは、むしろ隙がありすぎてどこからでも攻められるような感じだ。
 だが、相手が何を考えているのか分からない。そして、パティを傷つけるのはできる限り避けたい。
「なんだ、落ちついて見ればそんなに真剣にならなくてもよかったんじゃないか。まあ、どうしてパティが剣を振るうのかは考えなきゃいけないが」
 いけないが、ひとまずはパティをおとなしくさせねばなるまい。
 リサは意を決した。
「やあっ!」
 リサは一気に間合いを詰め、パティの死角に入った。すぐに方向転換して背後に回る。パティはまだ動こうとしない。完全にリサのペースだった。パティの足元にナイフを投げる。同時に、もう片方のナイフで後頭部を叩き気絶させる。念に念を入れた攻めだった。が……
「なんだって!?」
 鋭い金属音がこだました。ナイフはあと一歩のところでパティの剣に受け止められていた。フェイントも完全に見切られていたらしい。
「ふっ、どうやら本気を出さなきゃいけないようだね」
 床を蹴って、間合いをとる。相変わらずパティは隙だらけに見える構えだ。
 本気を出すと言ったものの、勝算があるわけではない。なぜかこちらが動かなければ仕掛けてこないようなので、考える時間だけはある。それこそフェイントかもしれないので、相手の動きをよく見ることは忘れない。
(どう攻めればいい? 闇雲に動いてもだめだ。しっかり見極めないと)
 パティのほうをじっと見つめる。その視線は、自然に銀白色の刃へと向かう。
(あの剣はなんなんだ? あんな立派なのがこの店にあったのか? ……そんなはずないか。マーシャル武器店にあれがあったら速攻で売れちまうだろうし、筋が見えないな)
 いつの間にか推理モードに入ってしまっていた。慌てて構えを取りなおす。だが、慌てる必要はなかったかもしれない。パティは微動だにしていないのだから。
(パティの目的も分からないな。私と闘う意味もない。第一、店の中で暴れて困るのはパティじゃないか。だとすると……)
 また推理モードに移行する。今度はパティをじっと見据えながら。
(誰かに頼まれた、いや、パティが了解するはずはない。なら、誰かに操られている、か?)
 基本的に、人を操る魔法を掛けている間は、操られる側を見ていなければいけない。そんなことを耳にしたことがある。なぜかはよく分からないが。
 リサは神経を研ぎ澄まして、近くに誰かいないか探ってみた。パティもリサも動いていないせいもあり、全くの静寂だった。
(近くには誰もいないか。だとすると……あの剣か!)
 手にした人を逆に操ってしまう妖刀や魔剣の類についての話は、誰でも少しは知っている。ほとんどが問答無用の殺人鬼に変えてしまうものだが、話に例外は付き物だ。
(問題は、この剣がどうしてここにあるかだな。それはパティを正気に戻してから訊くしかないんだろうな)
 結局は、パティをおとなしくさせなくてはいけない。どうやら、力でパティ――というよりは剣――に打ち勝たなくてはいけないようだ。魔剣のことを考えると、強力な魔法が使えたほうが心強い。しかし、リサにはそこまで強い魔力があるわけではない。
「私の魔法じゃ、焼け石に水だろうな」
 弱気なセリフを、唇を噛みながら吐き出す。これには相手に動きがあった。
「なかなか的を得たこと言うじゃない」
 声のトーンはいつもと同じだったが、その口から出てくる言葉は普段のパティとはかけ離れていた。パティは言いたいことをはっきり口に出すタイプだ。嫌味をたっぷり含んだ言い方はしていなかった。
「アイシクル・スピア!」
 試しに魔法を掛けてみる。リサにも魔法が使えないわけではない。他人と比べて少し劣る程度だ。
 氷の矢はまっすぐにパティを捉えた。パティは避けようとしない。防御姿勢すらも取らないまま、自分に向かってくるものを見ていた。
 それがパティに当たる瞬間、氷の矢は消えた。
「ね、言ったでしょ?」
 パティが嘲るような笑みでリサを見た。
「予想以上だな。魔法をぶつけて返すとか、受け止めるとかは思っていたが」
「それもできるわよ。言うまでもないけど」
「で、あんたは何がしたいわけ?」
「さあね」
 埒が明かない。状況は進展しない。時間だけが過ぎていく。

 窓を叩く音が聞こえて、リサは我に帰った。ちらっとそっちのほうを見る。
「おい、店ん中でナイフ振りかざして何するってんだ?」
 緑色の髪に少しだけ混じる黄色い髪、エルフ種族の象徴である長い耳、エルだ。彼女のいる場所からは、パティは死角になって見えていない。
 リサはパティの方向に目を向けながら、そこへ駆け寄った。そして窓の鍵を外す。
「どうもパティが剣に乗っ取られちまったみたいなんだよ。手伝ってくれないか」
 こっちへ来い、と手招きする。エルはためらいながらも窓枠に手をかける。
「はあ、珍しいね、リサが他人に援護を頼むなんてさ。よっと」
 飛び越えてさくら亭の中に入り、やっとパティの姿を目にする。
「今回ばかりは私だけじゃ対処できそうにないんでね。魔剣を相手にするには、強力な魔法を使えることが絶対条件だからね」
 リサの視線がパティの手に向けられる。
「ふたりがかりであたしと戦うっていうの? まあ、それでもいいけどね。でも……」
 パティがゆっくりと剣をふたりに向ける。
「どっちみち勝敗は変わらないだろうけどね。さて、こっちの準備はできてるわよ。いつでもどうぞ」
 パティは不敵な笑みを浮かべている。リサはエルをみながら苦笑いする。
「確かにいつものパティじゃないな。だが、パティはパティなんだろ? 攻撃加えていいのか?」
 状況を把握しきっていないエルは、リサに答えを求めた。
「ああ、やむを得ない。全力で頼むよ、エル」
「全力、ねえ」
 あまり気乗りしないエル。リサが冗談で言っているとも思えないが、やはりパティに危害を加えるのは気がひける。
 そんな考えはよそに、リサは「ふう」と呼吸を整えるや否や、全速力でパティに飛びかかった。
 左と見せかけて右から剣を振る、位置を入れ替えて一直線に突く、地面に突き刺さっていたもうひとつのナイフを取って二刀流で挑むが、ことごとく銀色の長剣に弾かれる。
 パティはずっと防御に徹していた。手加減しているとすら思える。
「エル!」
「あ、ああ」
 いきなりの剣技戦に呆気に取られていたエルを呼ぶ。エルはすぐに魔法の構成を編みはじめる。
「ルーン・バレット」
 炎の球がパティに向かう、が、直前であえなく消滅。それを見て、
「ああ? 消滅だ?」
「言ったろ、全力でやれって。手加減は一切不要だ」
 エルは本気にならざるを得ないことをやっと知った。パティとリサはずっとナイフで戦っている。つまり、ルーン・バレット程度なら何もないに等しいというわけか。
「なら、カーマイン・スプレッド!」
 ルーン・バレットとは比べものにならないほどの炎がパティを襲う。
「おっと、やっと本格的なやつがきたわね」
 パティは炎に向き直って――リサのナイフを受け止めながら――左腕を突き出す。炎は次第に収縮し、消える。
「無茶苦茶だな、いとも簡単に……」
「それで終わりなの? 邪竜の力も大したこと無いわね」
 言っている間も、剣とナイフは衝突を繰り返している。そのテンポはだんだん速くなっていた。
「まだだ、今度こそ全力でやらせてもらう」
 エルの表情は真剣だった。目を閉じ、息すら止めて、最大級の魔法の構成を編んでいく。長い間封印されて眠っていた力を呼び起こす。
 邪竜の力の覚醒のあとも、ここまで力を使おうとしたことはない。制御できるかどうか不安ではあったが、そんなことを気にしちゃいられない。
「援護するよ、エンチャント・マジック」
 リサが少し身を引いてエルに魔力の増幅呪文をかける。エルの魔法の詠唱と共に、パティから跳び退く。
 この魔力を感じ取っても、パティは動かなかった。ただ、剣を構えてエルのほうをじっと見つめるだけだ。
「行けえ、デッドリー・ウェッジ!」
 極限まで力を高めた魔法。属性は邪竜と同じ、闇。
 負の力を凝縮した楔を打ち込む。目標は、パティ!


あとがき

 Uncontrollable Force の第2章です。思えば、こういう雰囲気のSSって初めて書いた気がします。(こういうの好きなんですけどね)
 今回の目標というかコンセプトは、章ごとに雰囲気を変えたうえで、全体をまとめることです。今までの作品の2、3倍の分量になるので、結構苦戦してます。
 とりあえず、あと2章。早く書いて11作目に取りかかりたいっ。(笑)


History

1999/01/28 「白い魔剣」を書き始める。
1999/03/07 「白い魔剣」を破棄。(笑)
1999/07/17 「白い魔剣」を原案として、書き始める。
1999/07/28 原稿の第1案(後半は紙上)完成。
1999/07/29 第2章(紙上)を書き始める。
1999/08/07 第1章を書き終える。
1999/08/09 第2章を書き終える。
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