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Uncontrollable Force

第1章 ミッドナイトブルーの時間

浅桐静人

 常闇、微かに明滅を繰り返す星たち、見えない月、新月。
 誰もいない道、誰もいない公園、エンフィールドの夜。
 体じゅうの力を抜くとふっと吸いこまれそうな真夜中の街、さくら亭の2階から、パティはずっと眺めていた。街を、夜空を、星を。
「なんだろう、眠れない」
 誰もが寝静まる深夜、パティ自身の声だけが耳に届けば、この世に自分だけしかいないような錯覚に陥る。
 窓から見下ろす街は、薄く星明かりに照らされている。それ以外の光はない。だが、大地が微かに光を発しているかのように見えて神秘的な側面もある。
 空と街が、コーヒーに入れるクリームのようにマーブル模様を描き、混じり合っていく。自分のいるこの部屋もぐるぐると渦に巻きこまれている。
 パティははっと目を見開いた。当然、自分は確かに足のつく場所に立っているし、言うまでもなく街も変わりない。ぼやっとする頭を振り、ひとつため息をつくと、パティは短い髪を掻き上げ、額に手のひらを当てた。
「もう寝ねきゃ。明日も仕事はたくさんあるんだし」
 そう言うが早いか、パティはベッドに倒れこんだ。さっきまで眠れなかったのが嘘のように、そのまますぐに眠りこけてしまった。

 目を開け、幾度かまばたきをする。薄明かりの部屋の中で、そっと起きあがり、ベッドのふちに座る。
 まだ、夜が明けたばかりだった。弱く太陽の光を感じるが、まだ暗い。
「昨日の夜といい、今といい、なんか変よね。熱でもあるのかな」
 そう言って手の甲を額に当てたが、熱はなさそうだ。体もだるいところはなく至って健全。ただ頭がぼやっとするだけだ。
「単なる疲れだったりしてね。今日はちょっとだけ休ませてもらおっかな」
 さくら亭の手伝いというのは、結構大変なものだ。慣れているパティであれど、時には辛く感じることだってある。
 それにしても意識がはっきりしない。かと言ってもう一度寝なおす気にもなれない。パティは大きく背伸びをすると、ゆったりとした足取りで階段を降りていった。
 一歩、また一歩と階段を下っていると、異世界へ迷い込んでいきそうだ。カーテンに遮られ星明かりの届かない一階は、さながら異世界への通路と言ったところか。
 パティがもう一歩と足を伸ばすと、あと1段あると思ったところはもう平坦になっていた。1段短く見積もってしまった場合はバランスを崩してこけることもあるが、今のように長く見積もった場合はそこまでは至らない。パティの運動神経なら、一番短く見積もってもバランスを持ちなおすくらいわけはないだろう。
 段を数えるとひとつ多かったり短かったりというのは、怪談なんかでよくある話だが、パティは数え間違えただけだと、変な想像を頭の片隅に追いやった。実際に数えていたわけではないが、慣れていればなんとなく段の終わりくらい予期できるものだ。
 やっぱり今日は疲れてるのかな。
 とりあえず、暗くてはどうしようもないので部屋の明かりを灯す。瞬時に暗所が明所に変わり、パティは目を手で覆った。
 明かりに目を慣れるまでに何秒かが過ぎた。明順応がいつもより遅いのは、もとが真っ暗闇だったせいだ。
「はぁあ、もう一回寝る気もしないし、朝までなにしてよっかな」
 カウンターを挟んでいつもと違う側、つまりカウンター席に腰を下ろして誰にともなく呟く。
 こんなときこそ誰か話し相手が欲しいが、いかんせんこの時間ではエンフィールドで起きているのはあたしだけなんだろうな、などと考えながらパティは暇を持て余していた。
「……暇、ね」
 パティは独り言を言いながら、何か思いついたかのように立ち上がると、窓を開け放った。心地よい風が短い茶色の髪をそよぐ。パティはその窓から一番近いテーブル席に移り、頬づえをついた。何にせよ、することがない。
「早く朝になんないかなあ。暇で暇でしょうがないわ」
 そのまま肘をついた姿勢のままで、歩くのも動くのもしゃべることも億劫になってじっとしていた。
 いつしかパティは目を閉じ、寝息を立てていた。風は心地よく、眠る彼女の髪を揺らしていた。

(……?)
(誰か……)
 1時間ほど後、パティは目を覚ました。店内の明かりはついているが、外は相変わらずの真っ暗闇だった。
 が、パティの耳はこの時間に不相応な音を聞き取っていた。
「こんな時間に、いったい誰だろう」
 小さな足音に興味を覚え、完全に目が冴えきってしまった。それならいっそのこと、この足音の主を探ってみようか。
 足音はこちらに近づいてきているようだ。しかも、ここからそう遠くない。
 パティは窓から外を仰いだ、が、あまりに暗くてほとんど何も見えない。しかしながら、足音の主はすぐに発覚する。
 どんどんっ。さくら亭の扉を叩く音。カウベルも微かにチリチリと音を鳴らす。
「はーい、今開けるわ」
 未知のものへの質疑や恐怖といったものより好奇心が勝り、迷いもなく鍵を外した。
 扉の向こうの暗闇の中に立っていたのは旅人風の男だった。
「こんな夜分にお邪魔するのも失礼かと思ったのですが、明かりが灯っていたので」
 男は見た目より礼儀正しいようだった。少なくともパティの目には、それが誠実な本心であると映った。
 彼は部屋の中を一瞥すると、
「見たところ、食堂か酒場かといった感じですが、そういったところで?」
「そうよ、両方ね。あと、宿屋もやってるわ。ま、とりあえず座ってて、何か作るから。何かご注文は?」
「いえ、そこまでしていただかなくても……」
 自分のペースで会話を先に進めるパティと対照的な遠慮がちな態度。普段からそういう人格でないとできない芸当だろう。
「いいの、眠れなくて退屈してたとこだから」
「そうですか」
 さすがにそう言われると遠慮するほうが失礼だと感じた。それならば何を頼もうかと一瞬、思案した。
「それなら、とりあえずコーヒーでもいただけますか?」
「了解っ」
 暇を持て余していただけに、パティは意外と話のわかる彼に好感を持った。元気な笑顔を見せて厨房へと向かっていった。
(今時珍しいな、あんな娘も)
 男は自分がずっと立っていることに気付き、窓際のテーブル席に腰を下ろした。背中の窓が開いている、さっきパティが座っていた席だ。
「あっ、砂糖とクリームは? それともブラックでいい?」
 厨房から威勢のいい声が飛んでくる。それに対し、顔に笑みを浮かべて答える。エンフィールドというのはこんな和やかな街なんだろうなと思いながら。
「砂糖だけでいいですよ」
「はーい」
 返事から十数秒で、パティはコーヒーカップを2つ持って現れた。片方は彼女本人のものらしい。
「そんなはしっこにいなくたって、こっちに座ればいいのに」
 カップを片手で支え、もう片方の手でカウンター席を指差して言う。
「いえ、こっちのほうが落ち着きますから」
「そう? なら、あたしも隣に座っていい?」
 パティは両手に持ったカップを少し上げる動作をした。さっき暇だと言っていたから、自分に話し相手になってもらいたいのだろうか。
 男のほうも、しゃべるのが苦手とか、そういうわけではなかった。旅をしていろいろな土地を訪れるなかでいろいろと聞かれることもあり、彼自身、それを語って聞かせることが好きだった。
「ええ、構いませんよ」
 パティは返事に満足して、すぐさまテーブルの向かいに座り、中身の黒いコーヒーカップを差し出し、ミルク入りのほうは自分の目の前に置いた。
 男は左手でカップを持ち、一口飲むと、大きく息を吐いた。
「そういえばあんたってそんな格好してるけど、旅人かなんか? この辺じゃ見かけない顔だし……」
 訊ねながら、パティはふと彼の右腰に携えた剣を見やった。素朴な彼の風貌とは裏腹に、その剣は宝石などで華やかに飾られている。それでいて、なぜか釣り合いが取れているのだから不思議だ。
「ねえ、その剣は?」
「これですか?」
 彼は剣の紐を解き、鞘ごと机の上に置いた後、ゆっくりと抜いて見せた。
 刃は豪華な装飾に負けないように、重みを感じさせていた。傍で見ているだけでも圧倒される。それを彼は、左腕のみで軽く持ち上げている。意外と軽いものなのだろうか。
「もう、よろしいでしょうか」
 彼の声を合図に、パティの目の焦点は剣の切っ先を離れた。それまではずっと剣に心を奪われていた。
「うん。あんまりすごいから見とれちゃったわ」
 パティが微笑むと、それに応じるように口の端を少し上げる。その仕草を、パティは剣に対する誇りと受け取った。ここまで立派な剣などそうそうあるものではない。武具の知識なんてほとんど持ち合わせていないが、武器屋で買えるような代物ではないことぐらい分かる。
 剣を鞘に戻し、腰に落ち着かせてもまだ目を離さないパティに気付いた彼は、
「この剣を手にして、数年、ですかね」
「やっぱり使いなれてるんだ」
 そうでなければ片手で易々と扱えはしないだろう。
「あんまり使う機会もありませんけどね。――それに越したことはないですが」
 使いなれてる、イコール、実践経験が多い、イコール、好戦的とでも受け取ったのだろうか。まあ、どう見ても彼が好戦的とは思えないが。
「ま、それもそうよね」
「まあ、切り札みたいなものですね。いざというときしか使いませんから。それでも愛着はあるかな、ずっと持ち歩いているとね」
 そう言って、帯刀したままかしゃかしゃと音を立てる。気品すら感じさせるその音は、穏やかな彼の雰囲気をいっそう引き立てていた。

 夜は深く長い。だが、話をしていればあっという間に過ぎ去っていくのが時間というもの。
 暇でしかない無駄な時間も、何かすることがあればずっと続いていてほしくなることはよくあることだ。
 だが……永遠に続くことはない。
 彼の向こうに見える景色、窓から覗く街並みはもう薄明かり。夜は静かに明けようとしていた。
 パティの瞳に写る光を見て朝の到来を知ると、彼はゆっくり立ちあがった。
「そろそろ行きます。どうもごちそうさま」
 彼は手元のカップからコーヒーの最後の一滴を飲み干すと、ゆっくり立ち上がった。
「あっ、もう行っちゃうの? ゆっくりしてけばいいのに」
「それもいいんですけどね。でももう十分に休みましたから。また次の街を目指します。当てのない旅ではありますけどね」
 穏やかでありながらもしっかりとした口調だった。無理に引きとめるつもりはなかったが、少しためらいも生まれた。
「そう。なら……機会があったらまたこの街――エンフィールド――にも寄ってよね。このお店、さくら亭にもね」
「ええ、心に留めておきますよ。では」
 パティの言葉の後、彼は先に返事を用意していたかのような口振りで答えた。迷いもなく、即座に。
 背を向けて歩いていく彼を、パティは無言で見送った。後ろ姿が見えなくなるまで。
 カウベルの音は、いつもと違った音を立てていた。


あとがき

 さあて、記念すべき10作目。いつもに増して気合いが入ってます。(笑)
 このお話は破棄作(笑)「白い魔剣」を原案にして書いているんですが、もはや原案の影は薄いです。(って、分からないだろうけど)
 とりあえず3話(か4話)構成の予定です。


History

1999/01/28 「白い魔剣」を書き始める。
1999/03/07 「白い魔剣」を破棄。(笑)
1999/07/17 「白い魔剣」を原案として、書き始める。
1999/07/28 原稿の第1案(後半は紙上)完成。
1999/08/07 第1章を書き終える。
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