時評 1997/01/10 真に高齢者のために働く官僚に

 「日本は官僚が支えている」という「信頼」が、音をたてて崩れている。  特別養護老人ホームをめぐる前厚生事務次官・岡光序治容疑者と前埼玉県高齢者福祉課長・茶谷滋容疑者が、贈賄側の彩福祉グループ代表の小山博史容疑者が起訴された。  高齢社会対策を進める立場にある者が、福祉を食い物にして「私腹を肥やす」という最悪の犯罪行為を行っていた。補助金制度を悪用して、実際の費用との差額を巧妙に生み出すという最悪の犯罪である。

 しかし、問題は個人的なものではなく、ここ20年以上の厚生行政の福祉切り捨ての方針の中で培われた、高齢者無視、国民無視の考え方に求められるべきである。

 1983年制定の老人保健法は、高齢者を「金を食う厄介者」扱いにする政策の嚆矢となる法律であった。人口全体の高齢化のなかで、高齢者福祉が大きな課題になっていたのに、当時の橋本龍太郎厚生大臣らは、高齢者が病院を占拠して、医療費を無駄に使っていることを宣伝し、高齢者に医療費を負担させて、病院から遠ざけることを目的に老人保健法を制定した。高齢者が入院の必要がないのに病院のベッドを占拠している実態があるとしても、その原因は、老人ホームや在宅介護・在宅福祉が決定的に不足していることは、当時から多くの専門家が指摘していることであった。北欧のように総合的な医療・福祉政策が準備されていない、自助原則中心の日本社会で、身体の自由が十分でない高齢者が安心して過ごせる場所は、病院しかなかった。その原因を見ることなく、費用・効率の視点からだけで判断して、高齢者を病院から遠ざけるのが、老人保健法の目的であった。

 とくに、深刻なことは、老人保健法では明確でないのに、その実際の運用のなかで、老人病院の制度が生み出されたことである。看護婦が少なくてすむ「介護」中心の病院として、老人病院は位置づけられた。しかし、実際には、人手をかけずに老人を大量にベッドにくくりつけて、金を儲けるという悪質な「老人病院」が続出した(詳しくは、大熊一夫『老人病棟』朝日文庫)。おむつをはかせて、ベッドにしばりつける、非人間的な扱いを、実際上知っていながら放置して、業者の利益を保障してきたのが、厚生省であった。

 国民の声におされて、在宅福祉の必要性に応えざるを得なくなって、国は、1989年、高齢者保健福祉推進10ヵ年戦略(ゴールドプラン)を作ったが、今回の事件は、ここでもやはり、高齢者や福祉を食い物にする厚生省の姿勢を浮かび上がらせただけである。

 改善のためには、高齢者の生活と健康を真に保障するという国の政策の転換しかない。その政策を熱意をもって進めたいと思う人物を登用すべきである。東大法学部出身でも、私利を追求するだけの人間は、お断りである。



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