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第106回  工房の 社長の心得


或る朝の事だった。

「あっ、社長。
 おはようございます。 いつもお早いですね。」
「おぅ、輝っくん、おはよう。
 輝っくんも、いつも早いねぇ。」
「朝、目が覚めちゃうんですよ、ぼく。」
「ワシもじゃよ。全く 年寄は朝が早くてイカンわぃ。」
「ぼ、ぼく、年寄りじゃないんですけど。」
「そうじゃったかのぅ、、、。」



今、輝豸雄の前にいるのは、
街のみんなから ” 社長 ” と呼ばれている人だ。
輝豸雄のことを、輝っくん(てっくん)と呼ぶのはこの人だけだ。

或る人は、「物凄く大きな会社の社長だったから、今もそう呼ばれているのだ」といい、
また、或る人は、「その仕草が社長に似ているからだ」といい、
「自分で社長と言っているのを聴いたので、そう呼んでいる」という人もいた。

朝の散歩が日課なのか、
輝豸雄ともよく、一緒に歩いたりした。



「いい天気だねぇ。」
「そうですね、南太平洋上に張出した高気圧の影響ですかね?」
他愛も無い世間話をしながら歩いてきた二人だったが、
何時の間にか、町外れの公園にまで来てしまった。
工房は、この角を右に、社長の家は左に行った所に或る筈だった。



「なぁ、輝っくんや。」
「何ですか、社長。」
「輝っくんは、社長にとって、一番大事なものは何だと思うかい?」
「? 社長にとって? ? 」
「ワシ個人にとって、ではなく、
 社長と言う ” 職業 ”にとって 一番大事なものは何だと思うかのぉ。」
「う〜ん、、、。」
輝豸雄は首を傾げて考えた。
「人を見る眼、、、、じゃないですかねぇ。
 企業にとって、一番大切なものは 人材 ですから、
 その人材の能力を見抜く眼の力 が、一番大切なんじゃないでしょうか。」
「ほっほっほっ、、、。
 輝っくんも、まだまだ若いのぉ。」
「だから若いっていってるじゃないですかっ、社長!。」
社長は、輝豸雄を見上げながら、微笑んでいる。


  

「企業の長たる社長にとって一番大切なものは、、、」
「一番大切なものは、、、」 輝豸雄は思わず身を乗り出した。
「それは、
  ” 可愛さ ” じゃよ、輝っくん。」
「はぁ?」
「ワシのような可愛いのが社長をやっておってみぃ。
 自然に商売も上手く行くに決まっておろう。
 実際、み〜んな、可愛いワシの為に一生懸命働いてくれたぞぃ。」
「はぁ、、、。
 可愛さ、、、、ですかぁ?」
「なんじゃ、ワシが可愛くないとでも言うのかっ!」
「いや、そうじゃないんですけど、、、
 本当にそれが、社長にとって一番大切な事なんですか?」
「そうじゃよ、輝っくん。
 いずれ、輝っくんが人の上に立つ様になった時、もう一度考えてみるが良いぞぃ。」
「そうですかぁ、、、、。」






その日の朝の散歩は、そこで終わってしまった。
それ以来、輝豸雄は社長には逢っていない。

それでも、時折、輝豸雄は社長を想い出す。
あの、可愛かった社長の微笑を想い出すのだ。

そして、
いつか自分も、あの社長の様に、微笑みたい と、想うのだ。
                                                   第107回に続く