最近行った展覧会など(2000年)

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死の舞踏 中世末期から現代まで
(国立西洋美術館)

改めて言うまでもないことなのだが、 「死」というのは人間にとっては不可避だけに、 あらゆる種類の芸術にとって非常に重要なテーマの一つである。 この展覧会はデュッセルドルフ大学のコレクションを中心としたもので、 副題の通り、 中世の版画から現代の死をテーマにした作品までを網羅していた。

中世の版画についてはキリスト教を背景にしているようで、 主題や構図は作者が違っても共通している部分がかなりあり、 正直退屈な部分もあった。 それでも、 老いも若きも、男も女も、 王としての栄華を誇っていても、 バクチ場で賭事に興じていても、 飲み屋でゲロを吐いていても (これらはすべて実際に展示されていた絵の構図である)、 死は平等に訪れるということが、 ある意味非常にわかりやすい形で描かれていて、 それはそれで面白いものがあった。

近現代の作品については、中世の作品よりも期待していたものがあったのだが、 それでも比較的静かで地味な作品が多く、 自分が期待していたような 強烈な訴えをはらむような作品は、それほど見受けられなかったように思う。 現代の作品は、2度の世界大戦、 近代兵器による大量殺戮、 核兵器の開発という、 中世にはありえなかった事態を踏まえたものがあったが、 そういうテーマに頼るのは、 かえって死というものの普遍性を損なうようにも思えた。

総じて強く感じたのは、 死というテーマは通常の感覚では重いテーマであるにもかかわらず、 どことなく可笑しさ、 ユーモアのようなもの(もちろんブラックではなく) すら感じさせるものが非常に多かったことである。 重いテーマだからこそ、 そういう違う視点がより際だつのかもしれないし、 絶対避けられない死と折り合いをつける、 人間の知恵なのかもしれないが、 正直なところ、なぜそう感じたのかはうまく私には説明できない。

あと、中世の版画ではエングレービングという 細かい線を用いる手法(お札の肖像をイメージすればわかりやすいと思う) によっているものが非常に多かったのだが、 骸骨はなぜかこの緻密な線による描写が、 非常に適切というか、はまっているように思えた。 他の手法で描かれた骸骨に違和感を覚えるほどであった。

この展覧会も非常に意欲的なもので、 実際面白いものであったのだが、 総じて地味であったというところが不満であった。 絶対日本ではありえないと思うが、 それこそ例えばエゴン・シーレの「死と乙女」を メインに据えるくらいの、 死をテーマにした大規模かつ大胆な美術展の企画が将来ないものか、 と思わずにはいられなかった。

(2000年11月25日観賞。26,7日執筆)


マティスとモデルたち
(東武美術館)

マティスは簡素な線からなる構図や、 単純な色彩からなる絵というイメージが強かったのだが、 比較的写実的な絵も描いているというのがかなり意外であった。 それから、同じ時期に描かれたリトグラフでも、 単純極まりない線からなるものもあれば、 細かい線で陰影をつけた対照的なものもあり、 表現の幅の広さを感じた。 やはり偉大な芸術家というのは、 広範な表現の手法の獲得についても貪欲なのだろう。 しかし、 単純な線からなる全く無駄のないリトグラフが、 やはり一番マティスらしく強い印象を受けた。

あと、有名な切り絵のシリーズ「ジャズ」20点全ても展示されていた。 もちろんそれはマティスの非常に重要な作品群であり、 実際強い印象を与えたのだが、 これらのシリーズはモデルの描写では全くないのだから、 「マティスとモデルたち」 というこの展覧会の趣旨と本当にあっているのか、 と疑問に思ったのも事実である。 そこでもらった案内チラシには、 「ジャズ」のシリーズに関する言及は全くなかったので、 ひょっとしたら急きょ展示が決まったのかな、と思ったりもした。

(2000年9月1日観賞。2日執筆)


野村仁 生命の起源:宇宙・太陽・DNA
(水戸芸術館現代美術ギャラリー)

水戸芸術館に行った時、たまたまやっていたので見ることにした。 基本的に全て科学をモチーフにした作品なのだが、 同じ場所、同じ時間に太陽などの天体を 一年間撮り続けて場所の変化を記録するなど、 理科系の人間にとっては非常に面白いものばかりであった。 ソーラーカーのプロジェクトの記録もあったのだが、 「なんか楽しそうやなあ〜」といった印象が強く残った。

最も強烈な印象を与えたのは、 五線譜を写し込んだフィルムで月を適当に写して、 それを楽譜にした音楽であった。 アイデアとしては確かにありそうなものなのだが、 実際にその楽譜に基づいて録音されたCDがあって、 それなりに音楽になっていることは衝撃的ですらあった。

他にも液体酸素を透明な魔法瓶に入れたコンセプチュアルアートなんかも あったのだが、 何でも学芸員の人が毎日液体酸素を補充しているんだそうな。 まさか学芸員の人も、 美術館の仕事で液体酸素を使うことなんか 夢想だにしなかったのではないだろうか。

繰り返しになるが、理科系の人間には異常に訴えかけるものがある、 非常に面白い展覧会であった。 最初から見るつもりで行った展覧会でなかっただけに、 余計にポイント大であったように思う。

(2000年8月27日観賞。28日執筆)


マックス・エルンスト
彫刻・絵画・写真−シュルレアリスムの宇宙
(東京ステーションギャラリー)

シュルレアリスムには昔から関心を持っていて、 エルンストがシュルレアリスムの代表的な作家ということも 前から知っていたので、興味を持って出かけた。 基本的には彫刻中心の展覧会で、 その彫刻は非常に単純な要素からなる造形をしていながら、 容易な解釈をことごとく拒絶する、 典型的なシュルレアリスムの作品であった。 特に、私の背丈をはるかに超える大きさの作品に、 微生物という題名が付けられていたのは全く理解不可能であった。 それから、毎年一点ずつ妻に捧げたDのシリーズ (Dは妻ドロテアのイニシャルである)も、 普通の絵画もあればコラージュもあれば、 どっかから取ってきたかのような木切れを釘で打ち付けただけのものも あったりして、非常に面白かった。

展示にはかなり詳細な解説が多くつけられていた。 難解な作品ばかりであることを思えば、 それは非常に丁寧な配慮であるし、 実際解説に教えられることも多かったのだが (鳥が作家本人を象徴していることは全く知らなかった)、 逆に作品の解釈を強く限定されるような印象もあったし、 さらに「本当に作者がそのような意図を持ってこの作品を作ったのか?」 と思わずにはいられないような解説もあった (もちろん、 作品は一度作者の手を離れたら、 どのような解釈も許されるということも言えるのだが)。 そういう意味では、 展覧会における解説の意義というものについても考えさせられるものがあった。

(2000年8月8日観賞。9日執筆)


エリック・サティ展
(伊勢丹美術館)

自動演奏のピアノが入口で迎えるこの展覧会は、 もちろんサティ自身が描いた何かよりも、 サティを取り巻く芸術家たちの作品が主な展示物であった。 登場する芸術家はピカソ、ロートレック、マン・レイ、マグリット などと言った、錚々たる面々である。 そんな中でも私が最も驚いた事実は、 脚本ジャン・コクトー、音楽サティ、衣装ピカソ、 指揮ディアギレフ(あの「春の祭典」の初演にかんでいる人物である) という、ほとんど反則級の面々が組んで上演されたバレエが あったということである (「パラード」というこのバレエは、 上演当時大センセーションを巻き起こしたそうなのだが、 「春の祭典」などと違い、 全く歴史に刻まれているように思えないのはどういうことなのだろうか)。 あと印象に残ったのは、 サティの手になる楽譜と、 シャルル・マルタンの銅版画を組み合わせた「スポーツと気晴らし」。 マルタンの銅版画は、 細い線と明るくさわやかな色使いが非常におしゃれで、 できることなら一枚家に飾りたい、と思ってしまった。 「スポーツと気晴らし」は売店で一冊の本にまとまっていたのだが、 ちょっとお高かったので購入は諦めた。

さらにピアノの生演奏も聴くことができ (有名な「ジムノペディ」と「グノシェンヌ」以外は 後で演奏曲一覧を見ないとわからなかったが)、 企画する側の意欲の高さを感じることができた。 さらに、バレエの幕間に上映されることを前提に作られた映像作品も、 ビデオで上映されていた。 これは実際に動くサティが収められている唯一の映像ということで 貴重なものなのだが、 非常に中途半端なレベルのナンセンス映画で、 現代人の目からはとても観賞に耐える水準のものではなかった。 それでも、映像という全く新しい表現手段を得た 作り手の喜びのようなものがひしひしと伝わってくるように思われた。

(2000年5月4日観賞。7日執筆)


アンディ・ウォーホル展
(Bunkamura ザ・ミュージアム)

現代美術を語る上では アンディ・ウォーホルは絶対に避けて通ることはできないと思っていて、 昔から興味だけは持っていたので、勉強のために行った次第である。

観賞していて頭から離れなかったのが、 「芸術と資本主義(もっと平たく言えばカネ)は いかに結び付きうるのか」という問いである。 彼は自分のアトリエを「ファクトリー」という、 芸術とはほど遠い言葉でもって称していたわけだし、 白黒写真をシルクスクリーンにして、 色をつけて「肖像画」に仕立てあげているのを見て、 「ボロい商売やのう」という言葉がつい口を出てしまった。 さらに、ドルマークをモチーフにした作品には一種の開き直りすら感じた。 それから、 彼の手掛けた商業デザインも展示されていたのだが、 ダンボール箱に印刷されていれば その用途が済めば一顧だにされずに捨てられるデザインが、 木のブロックに印刷されていれば 「作品にはお手を触れないで下さい」 という言葉によって保護される芸術作品になるということに、 芸術というものの意味を改めて考えさせられた。 何の変哲もないキャンベルスープの缶がケースの中に 鎮座ましましている様にも、 同じことに思いを至らせずにはいられなかった。

キャリアの初めには絵本のデザインなども手掛けていたこと、 自動車事故の現場や飛び降り自殺の瞬間、電気椅子などの 「死」を強く意識させるモチーフをも取り上げていることなど、 勉強になることも実際多かったし、 上にも書いたように、 普通の展覧会では得られない刺激が得られたという点で 満足できるものであった。

(2000年4月2日観賞。4,5日執筆)


モナ・リザ 100の微笑
(東京都美術館)

最近全く美術を見に行ってなかった私が 半年ぶりに足を運ぶ展覧会にこれを選んだのは、 「偉大な芸術は多様な解釈を受容する」という私の最近の持論 を確かめるのに、これほど絶好の企画はないと思ったからである。 一応付け加えておくが、私は本物のモナ・リザをこの目で見たことはない。 それに、「『モナ・リザ』は偉大な芸術である」 ということを無条件に肯定しているわけでもなく、 逆に「『モナ・リザ』はなぜ500年もの間、 偉大な芸術として受容され続けてきたのか」 という疑問が、この展覧会の存在を知って頭をもたげたのが 本当のところである (冷静に考えれば、 「『モナ・リザ』はただの人物画だ」 と言い切ることだってできるのである)。

展示されていたものは基本的に、モナ・リザの模写や版画、写真などと、 モナ・リザを引用した創造との2種類に大きく分けられる。 もちろん私が興味があったのは後者で、 模写なんぞはっきり言って興味はなかったのだが、 描く人や時代によって同じ絵の模写でも全く雰囲気が違うところには、 意外な驚きと面白さを感じた。 色の異常に白いモナ・リザや、えらくふくよかなモナ・リザなどには、 多分描かれた当時の女性に対する美的基準が反映されているのだろう。 模写されたモナ・リザがこれだけ違うイメージのものがあるということは、 本物はそれら全てのイメージを包含するものだということになるわけで、 その辺がモナ・リザの偉大たる所以なのかしらん、とも思った。 あと、本物のモナ・リザは、両サイドにある 柱の部分が完成後に切り取られてしまったので、 それより古い模写には柱が描かれているということも勉強になった。 それにしても改めて思ったのだが、モナ・リザの微笑んだ表情ってのは、 冷静に考えれば相当気色の悪いものである。 模写が10点以上展示されている部屋で一晩一人で過ごせと言われたら、 間違いなく発狂してしまうんとちゃうか、 と思わずにはいられなかった。

それからモナ・リザを引用した創造については、 あらゆる種類の作品があり、そのアイデアの多様さは文句なく楽しめた。 私にとっての白眉はデュシャンの「L.H.O.O.Q.」であった。 これは単に印刷物のモナ・リザに鉛筆で鬚を書き加えただけのものなのだが、 芸術というものの意味を根本的に問い直した、 美術史に刻まれるべき作品を目の前にして深い感慨を覚えずにはいられなかった。 さらにその横に展示されていた同じ作者の、 モナ・リザのトランプを台紙に張っただけの 「鬚を剃ったL.H.O.O.Q.」にも、 そのアイデアの秀逸さには驚かされた。

「モナ・リザをモチーフに使っている」というテーマで 作品を集めるというのは、 ある作家の作品を集めるというような 作業よりもはるかに大変なのではないかと思う。 だから、この企画を成立させるための関係者の努力は 相当のものだっただろう。 美術の受容と変容を、 モナ・リザという絶大な評価を勝ち得てきた一枚の絵画を縦糸にして 俯瞰するという、この興味深く意欲的な企画を私は高く評価したい。 図録にCD-ROMをつけるという、 今までありそうでなかったアイデアにも驚かされた (私はCD-ROMにつられてこの図録を買ってしまった)。 ただ唯一の(おそらく贅沢すぎる)不満は、 「モナ・リザはいかにして後世の芸術に影響を及ぼしてきたか、 及ぼすほどの偉大な芸術であったのか」 ということは非常によくわかったものの、最初に書いた肝心の 「モナ・リザはなぜそれだけの偉大な芸術と思われ続けてきたのか」 がやはりわからなかったことである。

もちろんこの展覧会に本物のモナ・リザはなかったのだが、 その代わりにプラズマディスプレイで、その全体と部分が映写されていた。 それに目を留める人は多かったが、 「このディスプレイどないなっとるんかいな」 とディスプレイの後ろをのぞき込む人は私しかいなかった。 私はかなり変な奴だと思われてしまったかもしれない。

(2000年2月18日観賞。19日執筆)

最近行った展覧会など

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