最近行った展覧会など(1998年)

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パティ・スミスと仲間たち展
(美術館「駅」KYOTO)

はっきり言って時間と体力の無駄以外の何物でもなかった。 ほんの1、2枚を除いて凡庸極まりないdrawingと、 これまた何のimpactも与えない「仲間たち」の写真のみ。 メイプルソープに影響を与えた アーティストということでだまされた私が馬鹿であった。

会場ではパティ・スミスのプロモーションビデオや、 メイプルソープが撮った映像などが上映されていたが、 パティ・スミスのロックミュージシャンとしての評価はいかほどなんでしょうか。 私は全くその辺がわからんので、 詳しい方がいらっしゃったら教えて下さい。

(1998年11月27日観賞、28日執筆)

と書いたところ、後輩の
小池上君 からメールをいただきました。 以下にほぼそのままの形で載せます。 小池上君、どうもありがとうございます。

「パティ・スミスはニューヨーク・パンクの始祖(他にトーキング・ヘッズ等が います)の一人としてロックの世界では非常に敬愛されている方です。 このニューヨーク・パンクというのは、セックス・ピストルズ(私の ホームページの「音楽」のところを御覧下さい)に代表されるロンドン ・パンクとはやや趣向の異なり、インテリ層が過激なビートによって社会との 違和感を表明したムーブメントであったようです。 パティ・スミスの特徴といえばやはりその呪術的な声でしょう。 歌っているというよりも叫んでいるといった方が良いあの歌い方は その後の女性ボーカリスト達に、ジョニー・ロットン(セックス・ピストルズ のボーカル)がロック・ボーカリスト全般に与えたのと同じくらいの影響を 与えたと思います。パティ・スミスは70年代後半から80年代前半にいくつかの 名盤とされるアルバムを出したあと主婦業に専念していたようですが、 数年前に旦那さんを亡くしてしばらくしてから活動を再開したようです。 最近ではニューヨーク・パンクの精神を受け継いだバンド(ソニック・ユース等) が非常にもてはやされていて彼女の評価もますます高まっているようです。」

(1998年12月1日加筆)


シャガール展
(大丸ミュージアム梅田)

シャガールは名前は非常によく聞くにもかかわらずほとんど見たことがなかったので、 勉強も兼ねて見に行った。 線も色使いも非常にやわらかで奇麗なのだが、 何と言うか、訴えかけてくるものが感じられないというか、 人畜無害というか、どうも納得しがたいものがあった。 2つ前に見た絵が全く思い出せないという経験もそうあるもんではない。 絵を見ていて、「これは女性の生理には合うんやろうなあ」 と思って周りをふと見渡すと、これが90%以上女の人。 ひどい時には、 監視員のおっちゃんしか男が視界に入らないというすさまじい状態であった。 「ただでくれるんやったら家に飾っとってもええんとちゃう」 というのが結局のところシャガールに抱いたイメージ(ファンの方、ごめんなさい)。

(1998年9月19日観賞、執筆)


シュルレアリスムの巨匠展
(近鉄アート館)

シュルレアリスムは、 20才くらいのときにダリを見て衝撃を受けて以来ずっと関心を持ってきた。 しかもポンピドゥーセンターの所蔵作品が中心だというので期待して行ったのだが、 ダリ、ミロ、マン・レイ、マグリット、エルンスト、デルボーなどかなり 広範な作家が取り上げられていて、その一人一人について丁寧な解説が付いていた。 逆に言えば、その広範さのせいで少し展示の傾向が拡散気味になっていたのが ちょっと残念だった。 しかし総合的に判断すれば、かなり意欲的な展覧会だったと思う。 印象に残ったのはイヴ・タンギーの絵。 絵画教育を受けていないのに、 ダリ並の緻密な絵を描いているのには感心させられた。 ロビーでは「アンダルシアの犬」も見られて非常にお得であった。

(1998年9月19日観賞、執筆)


ロバート・メイプルソープ展
(大丸ミュージアムKYOTO)

(1998年8月13日観賞)


森村泰昌[空装美術館]絵画になった私
(京都国立近代美術館)

森村泰昌は、 有名な絵画の中の人物に自分がなりきったような写真で非常に有名なのだが、 今回の展覧会はそのような作品の集大成であった。 このようなアイデアはいざやられてみると大したことはないと思ってしまいがちだが、 やはり最初にこのようなアイデアを出したという点では 高く評価されてしかるべきであろう。

作品を見ていて強く感じられたのは、 作るのに相当な手間がかけられているということであった。 例えば印象派的なタッチを再現するために自分の顔、 あるいは置かれているものにかなり入念に色を塗っている点には感心させられた。 ただの思いつきだけで出せるqualityではないとはっきり言える。 あと、そこかしこに感じられるユーモアにも感心させられた。 大笑いしたのは、花をいけている金属製の容器が実はカップで、 表面には「優勝」とかかれていたというものだった。 他にも「なんでこんなところに交通安全のお守りが?」とか 「パフェ持ってるやんけ」とか 「なぜここに招き猫?」とか色々あった。 短いドキュメンタリーが放映されていたのだが、 そのなかで「モナリザは妊娠していたのではないか」 と考えてモナリザの一連の作品を作ったというところにも 彼の発想の非凡さを感じさせられた。

会場には自分も名画になれるという、 プリクラならぬ「モリクラ」が置かれていて、 実際にはやらなかったが話のネタにやってみればよかったと少し後悔した。

(1998年7月24日観賞、執筆)


ピエロ・クロムランク版画コレクション
ピカソ「愛とエロチシズム」
(美術館「えき」KYOTO)

実は美術フリークを自称してる割には ピカソも版画もほとんど知識がないので、 勉強も兼ねて見てきた。

版画には様々な技法があることがよくわかったが、 結局名前が覚えられたのは「エッチング」だけであった。 エッチングはかなり硬質の線が出るのでなかなか good 。 印象に残った版画はほとんどこの技法によるものだった。 あと、油膜をわざと残して、独特の模様をつける技法も印象に強かったが、 つい「これって何かの相分離のパターンで出そうやな」 と思ってしまう職業病の自分が少し悲しかった。

ピカソは版画でも、かなり空間を再構成したデフォルメを施していたが、 それでも全く不自然さを感じさせない構築力の見事さは、 さすが天才の技と感心せずにはいられなかった。

しかし主題は多くがエロそのもの。かなり生々しい版画も多かった。 性というのは人間の最も根源的な部分のひとつなわけだから、 そこに深く切り込むにはやはり相当のパワーがないといけないわけで、 「偉大な芸術家はすさまじいえろパワーを持っている」という私の持論が 再確認できた。 帰り際にどこぞの兄ちゃんが 「ピカソは偉大なるえろじじいやな」と言っていたが、 まさにその通りだと思う。

(1998年2月15日観賞、2月20日執筆)


パリの写真家たち
ポンピドー・コレクション写真展
(サントリーミュージアム[天保山])

割と最近は写真芸術にも興味を引かれているのと、 やはり現代美術最高のコレクションの1つである ポンピドーセンターの所蔵品であるというのに 強く興味を引かれたので見てきた。

昔は「写真というのはシャッターを押せばいいだけなんやから 芸術としては格が落ちるんじゃないか」と浅はかなことを 考えていたが、 シャッターを押せば写真は撮れてしまうだけに余計に、 写真家が何にどういう点で興味を持って現実を切りとるかということが より純粋に作品に現れるという、 おそらく写真芸術のもっとも根源的な意味というものが 改めてよくわかった。

さらに、シャッターを押すという次元とは違う、写真の技法自体も、 上から着色する、フィルムを引っかく、わざと現像前にフィルムに光を当てる など様々な試みがあったことがわかり勉強になった。

(1998年1月18日観賞、2月20日執筆)


最近行った展覧会など
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