高知と「満洲」
高知県は戦前に旧満洲(中国東北部)との縁が深かっ た県です。農業移民「満蒙開拓団」は10,482人で、人口比では全国3位(1.4%)と多く、職業移民を含めると県民の100人に1人以上が満洲へ渡った計算になります。これほど移民が多かった背景には、山がちで農地が少ない環境があり、昭和恐慌の影響を強く受けて人口に対し、食料生産が追いつかない経済問題がありました。移民の歴史は、戦後の山林開発や過疎化、中国残留婦人の問題ともつながっており、現代の高知を考えるうえでも重要なテーマです。また、敗戦後の日本への引き揚げの過程で、過酷な逃避行や収容所生活により約2,000人が亡くなっています。
高知県における満洲開拓団、
満蒙開拓青少年義勇隊の動き
満州開拓団 高知県関係 (『高知県満州開拓史』より) |
1934年10月21日 瑞穂村開拓協同組合(16県の混成) 31名(1001名中) |
1935年 哈達河開拓団(全国混成)13名(1029名中) |
1935年 朝陽村開拓協同組合(中国・四国・九州の混成)24名(1029名中) |
1937年 黒馬劉四国村開拓団(四国四県) 45名(428名中) |
1938年3月 四合屯高知開拓団(高知)228名 |
1939年2月8日 柞木台開拓団(徳島・愛媛・高知)198名 (577名中) |
1939年3月25日〜 平安高知開拓団(高知全県の分郷の集合)831名(他に北海道9戸徳島3戸) |
1939年4月15日 大連泡高知開拓団(中村町・佐賀町・白田川村・具同村 その他)115名 |
1939年7月 下欧根土佐郷開拓団(高岡郡・長岡郡・土佐郡一円)373名 |
1939年 東黒馬劉予土阿村開拓団(高知・徳島・愛媛)45名(304名中) |
1939年 湖水別林葉(宮城・熊本・高知ら6県) ? (158名中) |
1940年 欧根久礼郷開拓団(久礼町その他) 216名 |
1941年3月10日 那吉屯高北郷開拓団(旧日下村、加茂村その他) 293名 |
1942年3月26日 大清溝江川崎開拓団―分村―(江川崎村)終戦直前356名 |
1942年3月 金堂雲井開拓団―分村―(中土佐町) 163名 |
1942年 杏木崗高知開拓団(高知市、一部県下一円) 381名 |
1943年5月 萬山十川開拓団―分村―(十和村) 547名 |
1943年 海南高知開拓団(吾川郡小川村 下八川村)307名 |
1944年3月1日 新城高岡開拓団(土佐市高岡町―分村―)61名 |
1944年3月 大土佐開拓団(10ヶ市町村の総合組織) 1682名 |
吾川郡 神谷村 246名 清水村 140名 |
幡多郡 大正村 273名 津大村 124名 |
安芸郡 安芸町 172名 川北村 137名 |
井ノ口村 203名 吉良川村 82名 |
野根村 41名 羽根村 83名 |
1944年4月29日 初月郷開拓団(高知市) 163名 |
1944年 報国農場(飲馬河)奉仕隊(高知農業会) 300名 |
1945年3月 海域名野川開拓団(名野川村) 39名先遣隊のみ |
1945年 虻牛硝高南開拓団(高知市長浜) 143名 |
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満蒙開拓青少年義勇軍 1938年1月設置を決定 |
高知県では昭和13年度(1938年)第一期生募集に182名入所 終戦までに1331名。(移行開拓民と義勇隊訓練生) |
1944・45年 第5次不二義勇隊開拓団 186名 |
1944年 寧安訓練所広瀬中隊 172名 |
ほか第123次の全国混成団に在団しているが資料がなく、人員・氏名は不明 |