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ギター復活の歴史

 

 

 

1984 右手フォームを変えようとして指を壊し、その後治らず、1988年ついにギター演奏を断念する。

 

 

1999年〜2000 バンド「Blank-Misc」でベースを担当。

 

 

200112 清田益章氏の「バースデー」という曲に感動し、その伴奏をしたくてギター練習を始める。ベースをやっていたおかげでimはそれなりに力が入るが、paはまったくだめだった。

 プロ・アクティブのセミナーで、食物とビタミン、ミネラルの関係を知る。これ以降、新陳代謝を活発にすることに心を砕き、ビタミン・ミネラルの摂取に対して前向きになる。

 


20023 清田氏の影響でスプーンを曲げ、こんなことができるなら自分の指の障害も治せると確信する。

 

7 心と体を調整するHemi-syncシステムのおかげで、指がとても早く動くようになりびっくりする。そして無謀にも東京国際ギターコンクールに応募。一次予選で敗退した。

 

10 スペインギターコンクール第二次予選で久しぶりにステージを体験し、完全に舞い上がってだめになってしまう。久しぶりの高台は、予想以上の緊張だった。

 

11 旧友の東昭年氏と出会い、スペインギターコンクールの失態を述べたところ、人前で弾く練習をさせてやる、とのことで、月に一回程度ギターを聞いてもらうことになる。

 

12 東氏の助言でpのタッチを矯正

 


20033月〜12 ステージ感を取り戻すために、バー「セルベッサ」で定期的に演奏

 

5 クラシカルギターコンクールに初めて挑戦し、本選出場。結果は6人中の最下位だった。

 

10 知り合いの薦めで、自然にできたミネラルが異常に豊富な水を入手。それを試したところ、好転反応で風邪と喘息のような症状となる。

 好転反応で鼻水を垂らしながらスペインギターコンクール第二次予選を受け、当然のことながら敗退

 


20041 pの新フォームが身に付いてきたので、人前での演奏を一旦辞めて、それ以外の指のフォーム矯正を始める。それまでの第二関節を曲げて小さくまとまった右手では、自分の音楽ができないと思っての判断だった。実はこれをやろうとして昔指を壊したのだが、今回はやれる自信があった。

 

4 東氏の基で続く勉強会のメンバーが増え、恵比寿会の名前でコンサートを開く。15年ぶりくらいのフォーマルなコンサートだった。

 

5 新フォームは間に合わず、一部だけ旧フォームで弾くつもりでクラシカルギターコンクールに挑戦。二次予選で緊張のためかいつもより全然指に力が入らず、新フォームで弾こうとした易しい部分をたくさん間違ってしまった。

 

10 スペインギターコンクール第二次予選敗退。また指が動かないのではという不安から消極的な演奏となり、本選に行けなかった。しかし実際には指は動き、このときが実はギターを再開して初めて、ステージでも練習と同じように指の力が入った記念碑的な日だった。

 

11 新フォームが安定してくる。清田益章氏のデビュー30周年記念パーティで自作曲を弾く。先月のスペインギターコンクールで指の不安がなくなったおかげで、初めて自分らしさを表現できた。

 


20052 久々に指の不安を覚える。恵比寿会で弾こうとしたら、mの第一関節にほとんど力がはいらなかった。しかし、力が入るはずだと信じて弾いた結果、恵比寿会を終えて自宅に戻ったときは何とか力が入っていた。

 

4 友人の前で5月のクラシカルギターコンクール予選曲を弾こうとしたら、信じられないほどmに力が入らない。最初はやはりプレッシャーによってだめになるのかと思ったら、どうも違うようだ。その後何日か指を観察すると、どうやらiの指が突然独立し始めたように見える。つまり、昨日までiの力も借りて動いていたmが、その日から単独で力を入れなければならなくなったわけだ。このmの問題は、一週間でだいぶよくなっている。

 

53 クラシカルギターコンクールの本選に行けず。ギターに復帰してから最高にやりにくい右手の運指がある。miまたはimの連続にpを合わせるのがどんなにゆっくりやってもだめで、その動きばかりのDanza Moraが予選課題曲になったのがすでに敗因だと言える。

 

54 コンクールの後で練習していたら突然分かったことがある。どんなゆっくりした曲を弾いても感じていた弾きにくさは、すべてpの指に原因があったようだ。この指には、自分が今まで思っていた以上に力を入れないとならないことに気づいたのだ。そうしないと音は出ていても、i,m,aのすべてがそのpの音を出すために緊張して引きずられる。つまり巻き込みの症状が起きる。これが起きないようにpにしっかりと力を入れて、固定して弾くようにするのがコツなのだろう。それにしても、一週間前にこれに気づいていたら、Danza Moraはもっとずっと楽に弾けたのだが・・・。

 

7 東京国際の第一次予選課題曲の録音を始めようとした日、pimの動きが突然だめになってしまった。5月に起きたのと似た症状だ。前回と同様に、最終的にmiとpのコンビネーションはパワーアップしたのだが、その前に録音を出さなければならず、さんざん替え指をして不満足な録音を送ることになってしまった。当然結果は落選。しかも翌年から突然年齢制限ができて、このコンクールはもう受けられなくなってしまった。

 

10 スペインギターコンクール二次予選敗退。コンクールとしては珍しくいつも通りに指の力が入ったが、ちょっとしたミスから雑念が成長し、最後には指がもつれてしまった。技巧もそうだが、心ももっともっと鍛えなければならないのだと悟った。

 

 


20062 モイスィコス国際ギターコンクールという始まったばかりのコンクールに出てみた。告示が遅く、課題曲が異常に多かったので、受けに来たのは5人だけ、しかも日本人だけだった。予選の30分間は割とまともに弾けて、結局本選の3人に残ってしまった。しかし本選の曲の準備は不満足で、前半は指が震えていて惨憺たる演奏だった。結果は1人が3位になり、私ともう1人は選外となった。

 

5 クラシカルギターコンクールで首尾よく本選の6人に残ったものの、本選ではミスタッチの連続。「あれっ、なんでこれが弾けない?」「これも弾けないの?」と言わんばかりに指が言うことを聞いてくれない。やはりあがっていたのだろう。弾き終わったときから最下位だというのは覚悟していた。6人中の6位になったことよりも、相変わらずプレッシャーに負けて指が動かなかったことがくやしい。筋トレももちろんまだまだ必要だが、メントレが本気で必要だ。

 

5 知人が私の右手フォームを見て「壊したのはiでしょう」と言って来た。なぜ分かったのかと思い、改めてiの動きを見ているとかなり挙動不審だ。芯がしっかりしていない動きとでも言おうか。このときからiの芯をしっかりさせるためタッチを変え、またいろいろな曲が弾けなくなった。そしてこの矯正は意外に長く、数ヶ月かかることになる。

 

8  大阪の日本ギターコンクールを初めて受けた。しかしiの矯正はまだまだダメで、モイスィコスのときからずっと弾いて来たバッハのリュート組曲第一番のプレリュードを、このときはほとんどiを使わずに弾かなければならなかった。そして本選には行けなかった。

 

10 スペインギターコンクールに出て本選に行けなかった。しかし本選に進出した人の何人かは、自分と同じように微妙だったと思う。ただ、彼らの場合は自信を持ってミスしているように見える。つまり印象的に、日頃は十分弾けているがたまたま間違ったという感じを与えるのだ。また自分は負の遺産を持っているということに気づいた。今のように指が安定してきたのはここ一ヶ月くらいで、それまでにあちこちでさんざん指が動かないことを見せてしまっている。そんな人がちょっとミスると、当然「こいつ、また弾けねーな」と思うのではないだろうか。

 

11 2日に、死期を間近にした友人のディクシャを受けた。ちなみにディクシャというのは、インドの聖者カルキ・バガヴァンが “悟り” を人々に授けるために2003年に始めたエネルギー伝授のこと。すると、次の日から、mを弾いてからすぐiを弾くという連携ができなくなった。それまでに3回ほどディクシャを受けていたが、そういった変化は一度もなかった。ただ、今までにもある日突然何かの動きができなくなるということはあったので、このときもそれと同様に1,2週間で元に戻り、その際、総合的な動きが飛躍的に伸びるのを期待していた。しかし、この11月の動きが実際に復活したのは、翌年5月だった。それまでの間、限られた曲を徹底的に替え指を使って、人前で弾き続けることになる。

 

12 11日が初めて受ける名古屋ギターコンクールだったので、何とかその曲だけを弾けるように頑張った。しかし予選自由曲に選んだのが、指がまともなときでも十分難曲なカタルーニャ(アルベニス)だったので、仕上がり不十分で本選には行けなかった。しかし後で聞いたところによると、決選投票で負けた結果本選に残らなかったという、実に微妙な位置だったらしい。

 

1227 国分寺のクラスタにてデビューライブを開催。このデビューライブを決めたときは、11月のようなことが起きるとは思っていなかった。それでも替え指を駆使して、なんとかそれなりの内容でできたと思う。

 


20071 文章を書く仕事が増えたこともあって、両手が疲れ筋が痛くてどうしようもなくなった際、快磁効を紹介された。快磁効というのは血液・リンパ液のスムーズな循環、神経の正常な働きを回復・維持し、自然治癒力を高める世界初の8極複合磁気治療器。快磁効を用いた先生の施術によって痛みはなくなり、その後先生は快磁効を貸してくれた。これを付けると、演奏家は楽器の鳴りが良くなり、歌手は声が良くなるという。だが自分の場合はなんとなく、これを身につけているとiに力が入らなくなるような感じがして、あまり利用していなかった。

 

2月〜4 miのコンビネーションは少しずつ、本当に少しずつ良くなり、4月頭の時点ではかなり11月前に戻ってきていた。一方ではそれと平行して、過去にできなかった動きが飛躍的に伸びている。やはりディクシャによる11月の変化もまた、今までに例がないほどスパンが長かったものの、指を総合的に良くする為の一時的変化であったと言える。
そしてこの頃、快磁効に関してひとつの考えが頭に浮かんでいた。もしかしたら、快磁効を身につけるとiに力が入らなくなるというのも、「一見悪くなったように見えても、それによって総合的に良くなるように視えない力でサポートしているのではないだろうか。」、そんな風に思えてきたのだ。

 

5 借りていた快磁効を返しに行ったら、まだ借り続けていろいろ試して欲しいということになり、5月は初めて本格的に快磁効を使ってみていた。ところが5月25日、今度は突然和音が弾けなくなった。和音を弾くと弦を引っ張ってしまい「バチン」という音がしたり、3和音のはずが2つの音しか弾けなかったり、とにかく全然弾けなくなってしまったのだ。
これも、さらに良くなる為の一時的変化だったとしても、11月の変化から元に戻るのに半年かかっている。となると、この変化から元に戻るのは1年先なのか、2年先なのか。iの第二関節をテーピングして固定すればある程度弾けなくはなかったが、結構絶望感にさいなまされていた。ギターに復帰してから初めて、ギターを止めようかと思ったのはこのときだ。

 

6 数日して、中西研二氏の遠隔ワンネス・ディクシャの案内が目に留まった。そのとき私は直感した。「ディクシャで始まった一連の悩みはディクシャで解決できるのではないか」と。家にいながら受けられる4回1セットのディクシャを私は早速申し込み、6月10日から毎週日曜日、7月1日までそれを受けることになった。

 

624 ひとつの大きなきっかけが訪れた。仲間由紀恵さん関連のDVDを「すぐ返すから」という言葉を信用して貸したのに、延々と、何度催促しても2年以上返してくれなかった友人がいる(ひどい!)。その彼がDVDを返しにやってきた。その中にギタリスト、エリオット・フィスクのDVDもあり、「こんなのも貸していたんだ」と思いながら久々にそれを見てみた。驚いたことに、その彼のpは非常に反り返っていて、私が捨て去ってしまったフォームだったのだ。
私はそれを見たとき「このフォームでもこうして世界的に有名になっているんだ」と感心し、「何も弾けないよりは昔のフォームでも弾けた方がいい」と思い、再びpを反り返らせた。これが実はジャストフィットだった。昔のimaのフォームのままでpを反り返らせるのと、矯正したimaと一緒に反り返ったpを使うのとでは全然違う。このpのフォームは「正解」だと確信した。より少ない力で、しっかりした音を出せる。それによって、全く弾けなかった和音が40%くらい弾けるようになってきたのだ。

 

82 ヨーロッパのフェスティバルに行ってきた友人がギタリスト、アルバロ・ピエッリから右手小指にボールペンを挟んで弾く練習方法を教わってきた。変わった練習方法もあるものだと思い、試してみてびっくり。あれだけ弾けなくなっていた和音が嘘のように弾けるのだ。これによって急速な連打以外は問題なく(ボールペンを挟んでいれば)なってしまった。


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