その七(マリオネットの巻/ALGOのテーマ・孔雀の城)

湯淺隆

◆1987年、初めてリスボンのサン・ジョルジュ城跡を訪れたとき、その古城壁内の庭で、放し飼いにされている孔雀と遭遇した。「遭遇」というのはいささか大袈裟かもしれないが、その時その場所で、孔雀が大きく広げた羽根を微動させる様は、私にはどうも不釣合いで「遭遇」したという感じがふさわしかった。

◆孔雀は、縁あって大阪・中津の南蛮美術館を訪ねたおり、「南蛮屏風」にも描かれているのを見つけた。館長の北村芳郎先生によれば、当時、日本で珍しかったものがよく描かれたらしい。

◆話は飛ぶが、その頃たまたまご縁があり、京都で細野晴臣さんに会う機会があった。何かプライベートな会の打ち上げで、数名のファンの人に囲まれ「宇宙」だとか「タオ」だとかいった単語がよく聞こえた。私が「YMOには驚きました。裏切られたような感じもありましたが・・・」と言うと、「君、27才?でしょ・・・。だいたいその歳の人は、皆そう言うんだよ。ポルトガル?ファドでしょ、知ってる知ってる」と。

◆その後、何を話したが忘れたが、会全体のお開き近くには、ファンの人達にしきりに「孔雀の道」と言っておられた。私はその会に中途参加だった為、話の脈絡を理解できなかったが、当然「孔雀」という単語には反応した。

◆後日、また細野さんに会うことでもあればと思い、南蛮美術館・館長の北村芳郎先生にご無理を申し上げて「南蛮屏風」の孔雀を写真で撮らせてもらった。文化的にも貴重な所蔵品を、気安く写させてくれなどとは、なんたる若気の至り・・・。赤面の想いである。誠に申し訳ない。また恥ずかしながら、孔雀の写真は未だ機会を得ず、引き出しの奥にある。重ねて、我が無礼を詫びる次第である。

◆それからは、どうも「孔雀」が気になり、動物園などに行ってもみたが、インスピレーションを感じる程ではなく、羽根を微動させる音の鋭い繊細さに、かの「遭遇」を思い出すばかりだった。

◆ところで、意外なことに孔雀はその優美な姿態に反して、実に悪食らしい。毒蛇・毒虫・毒草など、平気でついばみ解毒してしまう。それ故に、その不思議な力を人は取り込もうとして、古代より孔雀は神格化の対象となった。

◆さて・・・、もし、仮に私がかつて「遭遇」した孔雀は、実は古城壁の隙間に無数に生息する毒蛇駆除の為に、放し飼いにされており、その時その場所の光景は、大きく広げた羽根を微動させながら、毒蛇を追い回しついばみ咀嚼している姿だったら、果たして私は、今日まであの不釣合いな感じを、内に持ちえただろうか?否、きっとその生々しい光景は、それ故にある理解に落ち着き、単なる場面として処理されたであろう。

◆思うに、孔雀と私の間には、この曲に結実するまで不安定な「ALGO(=何か)」が継続していたのだ。

◆孔雀の屍はこび去られし檻の秋のここに流さざりしわが血あり(塚本邦雄/感幻樂) 夏至の夜の孔雀瞑れる孔雀園くれなゐの音樂は歇みたり(同/星餐圓)


番外編(マリオネットの巻/霜月、途中経過)