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 ことばをめぐるひとりごと  その23

万葉集の「わたし」

 俵万智さんのベストセラー歌集『サラダ記念日』は、初版が1987年ですから、もう10年前に出た本ということになります。この歌集では、「わたし」という代わりに「吾」「我」ということばが主に使われます。

陽のあたる壁にもたれて座りおり平行線の吾{あ}と君の足

左手での指ひとつひとつずつさぐる仕草は愛かもしれず

どうしても海が見たくて十二月ロマンスカーに乗ると君

海に石投げる青年を見ず海の色して無頼たるべし

 すぐに気づくのは、「吾」で1音を、「我」で2音を表しているということです。ふりがなによれば、「吾」は「あ」であり、「我」は「われ」と読むようです。出版当時、早大で行われたサイン会にミーハーにも参加した僕は、この点を万智さんに聞いてみたのですが、やはり「吾」「我」はそれぞれ「あ」「われ」と読ませているということでした。
 日本語の「あ」も、中国語の「吾」も、「あこ(吾子=ゴシ)」「あせ(吾兄=ゴケイ)」というように、親族を親しみを込めていう接頭語として使われます。だから、接頭語としてなら「あ=吾」という彼女の表記は正しいのです。
 ただし、一般にはこういう使い分けはないと思います。たとえば古い話ですが、「万葉集」の漢字を読む際、われわれの先祖は「吾」を「あ(あが)・わ(わが)・あれ・われ」のいずれにも訓読して来ましたし、「我」を「あが・わ(わが)・われ・あれ」とも読んで来ました(たとえば角川文庫版では「吾」を73番歌で「あ」、337番歌で「わ」、379番歌で「あれ」、1番歌で「われ」。「我」を36番歌で「あが」、2489番歌で「わ」、1番歌で「われ」、1908番歌で「あれ」)。
 さて、今回は俵万智さんの表記法を枕に、「万葉集」(奈良時代に成立)の「わたし」を表すことばの使い分けを考えてみようと思ったのです。いま見た中だけでも、「万葉集」では「あ・わ・あれ・われ」が使われているけれど、それぞれどう違うのか。
 これについては岡崎和夫氏のくわしい考察があります。それに寄りかかりながらいうと、要するに「あ・あれ」のほうが古い言い方らしいのです。「あこ(吾子)」「あせ(吾兄)」など古いことばの接頭語に使われていることや、「あが恋ひ渡る」というような、決まり文句の中によく使われていることから、「わ・われ」よりも古いと推測されるらしい。
 一方、「あ・わ」と「あれ・われ」を比べてみた場合、この「れ」の有無は何によるのか? 「あれ・われ」の場合、上に長い修飾語を付けることが出来るのです。たとえば、

天ざかる ひなにあるわれを うたがたも 紐解きさけて 思ほすらめや(巻十七・3949番歌)

むら鳥の 朝立ち去なば 後れたる あれや悲しき 旅に行く 君かも恋ひむ(巻十七・4008番歌)

の「天ざかるひなにある」とか「後れたる」とかいう部分は修飾語ですね。こういう修飾語を「あ・わ」にくっつけることは出来ないそうです。
 ついでに、「万葉集」の時代の代名詞にはどんなのがあったか、みてみましょう。「われ」の東国方言として、「わぬ」とか「わろ」とかいうのがありました。また、中央語で「わたくしめ」というようなへりくだったことばとして「わけ」があります。

わが君は わけをば死ねと 思へかも 逢ふ夜逢はぬ夜 二つゆくらむ(巻四・554番歌)

「あなたさまは、拙者を『死ね』とお思いだから、逢ってくれる夜と、そうでない夜と二通りあるのでしょうか?」という、男からの恨み節です。ああ、「万葉集」っていいなあ。
 二人称・三人称もけっこうな数がありますが、紙幅が尽きました。

(1997.03.15)

*岡崎和夫「上代の一人称代名詞ア・ワ・アレ・ワレ並存の問題」『佐伯梅友博士喜寿記念国語学論集』1976

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