ことばをめぐるひとりごと
その21
極北とは何ぞや
わりとよく聞くことば(意味)なのに、辞書に載っていない、という場合があります。
『広辞苑』の編者・新村出は、昭和30年に初版を出したあと「スモッグ」ということばを載せなかったことを気にしていたとか。当時は公害問題が深刻ではなかったので、ついつい見落としたか、無視したのでしょう。「スモッグ」は、昭和44年の第2版ではさすがに載っています。
新語・流行語ならともかく、前から使われているようなことばでも、たまに辞書に載らないことがあります。たとえば「極北」ということばです。
ここは、加藤芳郎という、日本漫画界の極北の偉業を称える会である。(山藤章二『忘月忘日II』)
いつも読まない小説雑誌なのに、たまたま目にした。すらすら読めて、読んでいったらだんだん凄くなって、私小説の極北と言われる作品を読んだのと同じくらいの感動があった。(「週刊文春」1993.9.30)
それにしても、ばくち打ちで、ばかに物知りで、戯文の名手で、なおかつ小説の極北を究めようとする書き手でもあった色川さんとは、〔後略〕(井上ひさし『文学強盗の最後の仕事』)
「頂点」とか「傑作」ともちょっと違うんですね。このほか、「ネーミングの極北」「ポルノグラフィーの極北」「漫画やジャズを解体した極北にある作家」「聖マルコ伝は新約聖書の極北」などという具合に使われます。
この「極北」、辞書には一応、次のように書いてあります。
北極に近い・こと(ところ)。 (三省堂国語辞典)
北極に近い・こと(所)。「−の地」 (新明解国語辞典)
北の果て。「−の地」 (岩波国語辞典)
北の果て。また、その地方。北極に近い所。 (集英社国語辞典)
その他、『広辞苑』も『大辞林』も似たような説明です。しかし、「日本漫画界の北極に近いところ」「私小説の北の果て」ではわけが分かりません。
『講談社カラー版日本語大辞典』は、やや詳しく、
(1)北極に近いこと・所。(2)物事の限界点。[用例]屈辱の−。
と、2つの意味を書いてあります。ただ、この(2)の説明を当てはめても、「日本漫画界の限界点」などというふうになりますから、やはり意味不明のような感じ。
こういうときは、拾った例を読み比べながら、どういう意味なのかを推測するしかありません。たしかに、こういうことばは人によって好き勝手な意味で使われている可能性はあります。でも、集めた例から帰納してみると、どうやら、次のようになるのではないでしょうか。
きょくほく【極北】(3)文学や芸術などの特定の分野の中で、もっとも非凡な領域、および、そこに位置する作品・作家。
この説明は当たっているでしょうか?
(1997.02.20)
追記 岡島昭浩氏より、用例のご教示をいただきました。角川文庫『モルグ街の殺人事件』(昭和29.7.20初版)の解説「編集部H・O」氏の文章に
その詩精神のいはば極北に立つヴァレリイ
と出てくるそうです。その後の方には
人間性のいはば《極北地域》
とあって、そこにウルチマ・チユウレとルビが振られているとのこと。
研究社『新英和中辞典』によれば、「ultima Thule」は「ラテン語‘remotest
Thule’の意から;古代の航海家がブリテン島の北方にあると想像した島の名から」、「1 世界の果て.2 最北端.3 a 極限,極点.b はるかなる目標[理想]」と書かれています。「北方の地点=理想の地点」という意味の結びつきが西洋の言語にあったのですね。日本語で上記の意味に使う「極北」は、一種の翻訳語でしょうか。(1999.07.30)
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