ことばをめぐるひとりごと
その14 執筆再開の筒井作品 マスコミの用語自主規制に抗議して1993年以来筆を断っていた筒井康隆氏が、96年12月19日に「断筆」を解き、年明けに作品を発表しました。ファンにとっては、もう活字では読めないと思っていた筒井作品が帰ってくるわけで、こんなに喜ばしいことはありません。 もし会社が住まいを世話してくれないのであれば、高価なマンションよりも、古い町屋を一軒安くで買って住むのも風情があっていいぞと夫は言った。(「RPG試案」) 嘉久三は売れない歌手だった筈の入谷精一がどうやって妻川重太郎の別荘を手に入れることができたのか不思議がる。「殺人事件があった別荘だから、安くで手に入れたのかなあ」(「邪眼鳥」)
ほかの読者は知らず、中学生のころの僕は、何よりも筒井氏の周到な措辞(ことば・文字の用い方)の虜になりました。彼の作品はいわば長大な散文詩ともいえ、ひとつひとつの語・文・表現を何度も読み返しながら玩味することで無上の悦楽が得られます。
〔前略〕そしてクイズが始まるのだ。 これが爆笑せずにいられましょうか。ほとんどナンセンスと思われるこのような表現も、長大な散文詩の一部と考えると、欠くべからざるものといえます。
クーロクロクロ黒トンボ黒トンボ 日本語を読む喜悦を存分に味わわせてくれます。 (1997年記) 追記 「安くで」という言い方は、『日本国語大辞典』にも載っていません。筒井氏の他の例をもう一つ。 早く言えば、狂牛病騒ぎ以後も、さほど困ってはいない。それに豚肉や鶏肉は家でも食べさせてもらえる。惜しむらくは、高級な牛肉が非常に安くで手に入った期間、最高級のステーキをむさぼり食うという贅沢をする機会がなかったくらいのことであろう。(筒井康隆・狂牛肉の酸鼻歌「文藝春秋」2002.03 p.294) 筒井語というわけではなさそうで、ほかでも聞いたことがありますが、なかなか例が取れません。(2003.02.11) |
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