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 ことばをめぐるひとりごと  その12

気分が悪いので……

 酒の席で友人と話していたとき、談たまたま、その人が、アメリカへ英語研修の合宿に行ったときのことに及びました。
 参加者は日本人ばかりだったそうですが、全員、すべて英語で話すことを義務づけられていました。それで、合宿が始まって何日か経ってくると、参加者はだんだん英語で話すことがイヤになってきた。
 ある夕方、彼らのうち何人か(女性)が仮病を使いました。「気分が悪いので、今日の夜の授業は休ませてください」というのです。ところが、アメリカ人の教師たちは驚いて、矢継ぎ早に質問を浴びせたそうです。
 「熱はあるのか?」「い、いいえ」
 「薬はのんだのか?」「まだですが……」
 「医者には見せたか?」「いえ、お医者に見せるほどでは……」
 質問がうっとうしくなって、結局、その日も全員めでたく参加ということになりました。「アメリカ人は、えん曲な拒絶ということを理解しないようだ」というのが、友人の言い分です。
 アメリカ人が実際にそうなのかどうかは知りません。単に、サボりを許さなかっただけかもしれません。ただ、僕は別のことを考えながら、面白いと思っていました。
 というのは、平安時代の女性が、なにかを拒絶する際に、「気分が悪いので……」というような言い訳をよく使っていたらしいのです。「源氏物語」から引用してみましょう。
 光源氏から「会いたい」と手紙をもらった玉鬘(女性)が、しぶしぶ返事を書く場面で……

ふくよかなる陸奥国紙に、ただ、「承りぬ。乱り心地のあしうはべれば、聞こえさせぬ」とのみあるに……(胡蝶巻)

 「お手紙は拝受しました。でも気分が悪いので、(詳しい)ご返事はできません」というのです。また、薫君にどうしてもなびくことができない大君(これも女性)は、夜中に訪ねてきた薫に対して、

心地のかき乱り、悩ましくはべるを、ためらひて、暁方にもまた聞こえん」
(総角巻)

と言って、奥に入ろうとします。「気分がすぐれず、苦しいので、治ってからまた明け方お会いしましょう」というわけです。
 王朝の物語では、女の人はしょっちゅう「気分が悪い」と言っています。ちょっと読むと、「昔の貴族の女性は、そんなに健康状態が悪かったのかしらん」などと思ってしまいます。たしかに、今ほど元気でなかったのは確かでしょうが、上に挙げたようなセリフは、もちろん、男の誘いを断る口実なんですね。

(1997年記)

●この文章は、大幅に加筆訂正して拙著『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波アクティブ新書 2003.06)に収録しました。そちらもどうぞご覧ください。

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