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98.09.01

「沙石集」のことわざ

 コインランドリーに行くと、洗濯機の上に、見覚えのある文庫本が置いてありました。見ると『沙石集』と書いてある。おや、珍しい。鎌倉時代のこういう古典を読んでいる人がいるのかと思って、ぱらぱらめくってみると、僕の筆跡で書き込みがしてある。
 何のことはない、手前の本だ。たしか1ヵ月以上前になくなって、どこに行ったかと思っていたら、こんなところにあったのか。よくも盗まれなかったものだ……。まあ、こんな本を盗む人はいないでしょうが。
 『沙石集』無事生還の記念だ。今日は、この説話集に出てくることわざをいくつか書き留めておきましょう。

 (1)「牛羊{ごやう}の目を以て、他人を評量するなかれ」と言へり。(岩波文庫・上巻 p.168、文字を改める、以下同じ)

 これは、牛や羊が、自分の目からほかの動物を見て悪口を言うようなまねをしてはならない、自分の基準で他人を批判するな、ということ。いいことばですね。『沙石集』が書かれた鎌倉時代後期は、いろいろな宗派の仏教があって、互いに批判し合っていた。作者は、どの宗派にもいいところと悪いところがあるんだから、互いに論難しあうのはよろしくない、と主張しているのです。

 (2)世間のことわざにも、「にぎれる拳{こぶし}、笑{ゑ}める面にあたらず」とて、(上巻 p.211)

 握り拳も、笑っている人の顔には当たらないということです。昔、インドに信仰心の深いお妃がいて、厚く仏を敬っていた。国王はこれが面白くなくて、お妃を弓で射殺そうとした。ところがお妃はちっともうらめしい顔をせず、むしろ王様の狭い心を哀れんだ。すると、矢は返って国王の胸を射たというのです。

 (3)「習ひ先よりあらずは、懐念いづくんぞ存ぜん」と言へり。(下巻 p.127)

 「懐念」は「思い」ということです。くだいていえば、トレーニングを積んでいなければ、本番の時にうまく行くはずがないということですね。極楽往生をしようと思っている人は、ふだんから修練をしておかなければ、いざ臨終の時になって悟ろうとしても遅い、というようなことが書かれています。
 このほか、「青きことは藍より出でて藍よりも青きがごとく」とか、「情けは人のためならず」(これは『日本国語大辞典』の「太平記」の例より古いかもしれない)など、馴染みのあることわざもたくさん出てきます。
 『沙石集』は、仏教を一般の人に分かりやすく説明しようとする本なので、ことわざやたとえを多く使っているのです。

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