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98.08.20

「五輪」の生みの親

 ワールドカップを「W杯」というのと同じく、オリンピックを「五輪」というのは、略称のように使われる。でも、考えてみれば、ふつうに略したのでは「五輪」にはなりません。この言い方を発明した人がいるんですね。
 ではだれか。「五輪」ということばは、すでに1943(昭和18)年の『明解国語辞典』にも出ていますが、生みの親の名前は、主だった国語辞典には記述されていないようです。
 ところが、1996.06.18のやや小さな新聞死亡記事に、その答えがある。

川本信正氏死去 「五輪」の訳語発案
 川本 信正氏(かわもと・のぶまさ=スポーツ評論家)一七日午前四時一六分、急性心不全のため、埼玉県狭山市の病院で死去、八八歳。〔略〕
 東京商科大(現一橋大)時代は陸上選手として日本学連役員を兼ね活躍。卒業後は読売新聞運動部記者、戦後はフリーのスポーツ評論家として活動した。三六年にオリンピックを「五輪」と訳したことで知られる。三二年ロサンゼルス五輪の陸上男子百メートルで活躍した吉岡隆徳選手を「暁の超特急」と名付けた。(「朝日新聞」1996.06.18 p.31)

 つまり故川本信正氏であったわけですが、「訳したことで知られる」とあるからには、有名な事実なのかもしれません。僕は知らなかった。この死亡記事については1996.07.26の「週刊朝日」で堺屋太一氏がふれており、堺屋氏もこの記事で初めて知ったようです。
 死亡記事が出た日の同じ「朝日新聞」スポーツ面(大高宏元記者)によれば、川本氏は1936年のベルリン・オリンピックで水泳の前畑秀子らが活躍したとき、読売新聞社の担当記者だった。整理部記者から「ベースボールを野球としたでんで、記事の見出しに使える短い訳語はないものか」と持ちかけられ、

 以前から五大陸を示すオリンピックマークからイメージしていた言葉と、剣豪宮本武蔵の著「五輪書」を思い出し、とっさに「五輪」とメモして見せたら、早速翌日の新聞に使われた。(「朝日新聞」1996.06.18 p.23)

のだそうです。
 どんなことばでも、だれかが発明したわけですが、生みの親を突き止めることは難しい。「野球」は正岡子規の発明だとか、いやそれは間違いで、それ以前に中馬庚・井原外助らが考案したとか。「演説」は福沢諭吉の発明と言われているが、杉本つとむ氏によればすでに19世紀初めの『道訳法爾馬(ドゥーフハルマ)』にredeの訳語としてみられるとか。
 ところで、「親」といえば、「おふくろの味」ということばもあるけれど、このことばの発明者はだれだろう。答えはやはり新聞の死亡記事に出てきます。

 「おふくろの味」という言葉を生み出し、テレビの料理番組でも知られた料理研究科で土井勝料理学校長の土井勝(どい・まさる)氏が、七日午後二時二十分、肝臓がんのため、大阪市住吉区帝塚山西四の一三の四の自宅で死去した。七十四歳だった。(「朝日新聞」1995.03.08 p.35)

 故土井勝氏は1953年、大阪に関西割烹学院を設立し、1954年、NHKテレビがまだ草創期だったころから「きょうの料理」などに出演して家庭料理を紹介したということです(毎日新聞)。「おふくろの味」はそうした中で広まったことばだったのですね。


追記 小林信彦氏が「週刊文春」2001.03.22 p.68で次のように書いていました。

 そもそも、〈お袋の味〉というのが、そんなに大したものかどうか、吟味{ぎんみ}しなければならない。
 この言葉じたい、一九六〇年代のお握り屋流行の時のコピーのように記憶する。バーのあとで、お握り屋に寄るという時代だが、まあ悪くはなかった。いや、そのコピーは、もう少しあと、一九七〇年代に入ってからのような気もする。

 この記述は、土井勝氏が「おふくろの味」の生みの親であることと矛盾するとはいえないかもしれませんが、ついでに記しておきます。(2001.04.21)

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