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きょうのことばメモへ三省堂国語辞典
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98.08.05

であってみれば

 前回に続いて、使い方が難しいことばの話です。
 「であってみれば」ということばも、相当に難しい。前回の「ことほどさように」は、僕だって場合によっては使えないことはないのです。その点、「であってみれば」は、意味があいまいで、不用意に使うことをためらってしまう。今日はこれを考えてみよう。
 「であってみれば」といっても、「多くの人に出会ってみれば心が豊かになる」とかいうのではありません。たとえば次のような例があります。

政党がきょうの選挙で掲げ、党首が広言した方針が、明日は百八十度変わってしまう昨今であってみれば、「信義にかかわる問題だ」と言い切った青島氏が新鮮に見えるのは当然だ。(朝日新聞 1995.05.02 p.6)

「政党の方針がすぐ変わってしまう昨今なので」というほどの意味でしょうかね。「なので」、つまり文法用語でいえば「確定条件」を表すということか。
 しかし、こういう例もある。次の例はオペラ公演の批評記事。

現行版『お蝶夫人』へのニホン人の「嫌悪感」をいくらか払拭(ふっしょく)してくれる初演版上演の意義は大きいし、とりわけ、初演版への意欲をばねに、今回の公演への情熱を注いだ大野和士(指揮)の力が、舞台を大きく支えたのであってみれば、記念すべきことだ。(林光・朝日新聞夕刊 1990.02.28 p.9)

 こちらのほうは、「たしかに大野和士の力が舞台を支えたのならば」という感じでしょう。こちらは「仮定条件」というべきかな。ただし確信に近い仮定ですが。
 用例は、やはり極端に少ないです。朝日新聞記事では、97年は0件、96年は4件、95年は3件しかない。
 そういう少ない用例を総合してみると、このことばは、「なので」と「ならば」をなんとなく混ぜたようなニュアンスを持つようだ。これでは、厳密な論文などでは使いにくいんじゃないか。
 構成要素の意味も分かりにくいですね。「あってみる」というのはどういうこと? 「使ってみる」「食べてみる」ならば分かります。「ためしに使う」「ためしに食べる」ということだろう。しかし、「ためしにある」というのは意味をなさない。どうも意味を分析的に説明できないことばです。
 このように、厳密な意味を見きわめにくく、また、それほどよく使われるわけでもないのに、死語にもならず、さまざまな人がふと思い出したように使うことばがあるんですね。不思議です。


追記 「あってみれば」は二葉亭四迷「浮雲」(1887-89)にも出ています。

ト昇は憤然{やつき}と成ツて饒舌{しやべ}り懸けた。お勢の火の手を手頸{てくび}で煽り消して、さてお政に向ひ、
「しかし叔母さん、此奴{こいつ}は一番失策{しくじ}ツたネ。平生の粋にも似合はないなされ方、チトお恨みだ。マア考へて御覧じろ、内海といぢり合ひが有ツて見ればネ、ソレ……といふ訳が有るから、お勢さんも黙ツては見てゐられないやアネ、アハヽヽヽ。(金港堂版第一編 p.154。ルビは一部省略、句読点を付加、誤植を訂正)

 せりふの主は、エリート官僚です。この例も、現代の「であってみれば」の意味とそう変わらないと思います。(2002.01.10)

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