98.07.20
なんでそんなこと言うかなぁ
「なんでそんなこと言う(する)かなぁ」という言い方を僕が初めて聞いたのは1993年ごろだったと思います。初めはとくに気に留めていなかったので、いつ聞いたかを記録していないのが残念です。発生はもっと古いでしょう。ある方は、中学生の娘さんがこういう言い方をよくするので腹が立つ、とおっしゃいます。
どこが注意を引くかというと、「なんでそんなこと言うのかなぁ」のようには「の」を入れていないというところです。僕自身のことばでは、原因を追究するときには「なんで〜のかなぁ」「なんで〜のだろう」のように「の」を入れています。
「の」が落ちるのは、発言者の意図が、じつは〈原因の追究〉ではないからかもしれません。いわば〈反語〉で、「常識があればそんなことを言うはずがない」という意味を込めているのではないかしら。「の」を落とすことで、〈反語〉であることを示していると考えることもできます(一般的な〈反語〉とはやや趣が異なります)。
ここで考え合わせられるのが、二葉亭四迷「浮雲」(第二編第八回 金港堂版p.56、1887年)にある次のせりふです。女学生のお勢が、主人公の文三の優柔不断なのを評して
「何故アヽ不活溌だらう
ト口へ出して考へてフト両足を蹈延{ふみの}ばして莞然{につこり}笑ひ狼狽{あは}てゝ起揚{おきあが}ツて枕頭の洋灯を吹消して仕舞ひ枕に就いて二三度臥反{ねかへ}りを打ツたかと思ふと間も無くスヤ/\と寐入ツた
「なぜああ不活溌なのだろう」ではなく「なぜああ不活溌だろう」と言っているのです。これはちょっと古い人なら言いそうです。
この明治20年代は、準体助詞「の」の用法が今とやや違っていたフシもあります。しかし上の例もやはり〈反語〉で、「ふつうの人はあそこまで不活発ではない」という意味を込めているとも受け取れます。とすれば、現代の「なんでそんなこと言うかなぁ」に通じる言い方です。
即断はできませんが、こういうことでしょうか。形容動詞(「不活溌」)の後の「の」が落ちるのは前からの語法だが、それが新たに、動詞(「言う」)の後の「の」にも適用されるようになってきた、と。〈原因の追及〉と〈反語〉を区別したい意図の現れかもしれません。
「どうしてああ強情だろう」などという言い方を、「サザエさん」か何かでも目にしたような気がします。今、失念。
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