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02.10.02

青い空と青空

 今回と次回は、形容詞と名詞とは、どういうところが違うかを考えてみようと思います。

 「古い新聞」と「古新聞」とはどう違うのでしょうか。べつに大して違わない、「い」があるかないか、それだけの違いのように見えます。
 「古い」は、「古くない」「古かった」「古ければ」というふうに変化する「形容詞」です。「古新聞」の「古」は、「お兄さんのお古」などと言うときの「古」で、まあ広くいえば「名詞」と考えていいと思います(厳密には、ここでは接頭辞といったほうがよい)。
 「古い」と「古」とで、どう意味が変わるか。
 「古新聞」は、もちろん、古紙回収に回すような新聞のことです。「古い新聞」も、やはり古紙回収に回します。違いはないようです。要するに「古い新聞」を「古新聞」と言うのです。
 しかし、
 「昨日博物館で、古い新聞が展示してあるのを見た」
 というときはどうでしょうか。これは、古紙回収に回すような新聞紙ではなく、明治時代とか大正時代とかの、歴史的に貴重な新聞のことを言っています。貴重な新聞のことを「古新聞」と言ってしまうと、違和感が生じます。それでは何だか、博物館の展示ケースを開けて、区役所の職員が貴重な展示物を回収してしまいそうな感じを受けます。
 反対に、「古新聞」は、昨日配達されたばかりの新しい新聞を指すこともできます。読み終わった新聞を折り畳んで、ひもで括ってしまえば、昨日の新聞でもその瞬間から「古新聞」です。「新しい新聞」と「古新聞」とが両立するのです。
 この例から、「古新聞」は「古い新聞」に比べて細かく限定されているということが分かります。「古い新聞」は、古紙回収に出すこともあれば、博物館に展示されることもあります。いろいろな場合に使われます。それに対して、「古新聞」はもっぱら古紙回収に出すような「用済み」の新聞を指します。

 同様のことが、「細い道」と「細道」にも当てはまります。「細い道」も「細道」も要するに幅が狭い道なのですが、使われ方が違います。
 「細道」のほうは、わらべ唄の「とおりゃんせ」に歌われているような道で、人ひとりが通れるような道。向かい側から人が来たときには、すれ違うのもちょっと大変な道です。自動車ならば、よほど気をつけないと側溝に落ちてしまう、そういう道です。
 一方、「細い道」であれば、自動車はわりあい楽に通れるかもしれません。僕の近所に「大久保通り」という2車線の車道がありますが、これは、その向こうにある片側3車線の「青梅街道」に比べれば「細い道」ということになります。その青梅街道も、名古屋などにある「百メートル道路」に比べれば、ずっと「細い道」に違いありません。それでも、決して「細道」とはいえません。
 「細道」には、「人や車がやっと通れる」といった決まったイメージがありますが、「細い道」は相対的なもので、青梅街道は場合によって、「広い道」にも「細い道」にもなります。ここでも、「古い新聞」と「古新聞」と同じようなことが起こっています。つまり、形容詞「古い」「細い」に比べて、名詞「古」「細」のほうが、意味のしばりが強く、状況に合わせてきめ細かく使い分けるといったことがむずかしいのです。

 「丸い天井」と「丸天井」も異なります。「丸天井」というのは、プラネタリウムのようなドーム形の天井のことを指しますが、「丸い天井」はそのように球形の丸さをもつ場合もあれば、平べったくて周りが丸い、つまり円形の丸さをもつ場合もあります。さらに「丸天井」は大空のことを指す場合がありますが、「丸い天井」にはそのような特殊な意味に限定された用法はありません。

 では、「青い空」と「青空」はどうでしょう。これはさすがに、ちょっとやそっとでは違いが見つかりません。よく晴れた日の空は「青い空」でもあり、「青空」でもあります。曇っていたり、夕焼けになっていたりするときの空は、「青い空」でも「青空」でもありません。両者にはイコールの関係があるように思われます。
 ところが、「青い空」であるのに「青空」でない場合があります。昔の国定教科書にこういう文が出てきます。

星のちらばった青い夜空は、子どものクレヨン画と同じだ。(国定読本 第6期4年生用〈1947年〜〉)

 夜、ぼうっと空が青く見えることがありますね。これが「青い空」です。「青い空」は、昼間について使うことが多いにせよ、夜の場合もありえます。しかし、「青空」は夜の空には絶対に使えません。「青空」は、あくまでも昼間の晴れた状態の空に限定されています。
 国定教科書では、ほかにも「夜になつても薄青い空」(第4期5年生用〈1933年〜〉ほか)「青みがかつた明かるい夜空」(第5期5年生用〈1941年〜〉)のように、青い色をした夜の空がしばしば描かれています。

 これらの例から、ただちに「古い」「青い」などといった形容詞は使用環境の条件がゆるく、逆に、「古」「青」などといった名詞は比較的厳密に意味が規定されていて使用環境の条件が厳しい、と結論してしまうのは、もちろん早計です。今回は、あくまで「古い新聞」と「古新聞」、「青い空」と「青空」などを比べたのであって、「古い」と「古」、「青い」と「青」などを比べたとまではいえないからです。
 この問題は、語と語の熟合の度合いの問題と捉えたほうがよいかもしれません。たとえば、「北の風」ということばが熟して「北風」となると、意味が変わります。「北の風」は夏でも北から吹いてくれば「北の風」ですが、「北風」は冷たさを伴った冬の風です。「青い空」が「青空」の形に熟することによって意味が変わったと考えれば、今まで試みたような検討では、必ずしも形容詞と名詞の違いを見たことにはなりません。
 とはいえ、「兄さんのお古」とは言えても、「明治期の新聞はお古だ」とは言えませんし、「君、顔色が青いよ」とは言えても、「君の顔色は青だね」とは言えないという事実もあります。さらに別の方法で検証する必要はあるかもしれませんが、「名詞は厳密に使われる。形容詞は臨機応変に使われる」という直感が大きく崩れることはないだろうと信じます。


関連文章=「青の洞窟」「「川の魚」と「川魚」

●この文章は、大幅に加筆訂正して拙著『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波アクティブ新書 2003.06)に収録しました。そちらもどうぞご覧ください。

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