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01.09.29

子を貸し屋

 宇野浩二の小説に、「子を貸し屋」という作品があります。1923(大正12)年発表。浅草公園の裏手、いかがわしい銘酒屋の立ち並ぶ一角で、男の子と一緒に暮らす佐蔵という団子屋が主人公です。彼は、娼婦たちが仕事でおもてに出るときのカムフラージュのために子どもを貸してやり、その謝礼で何とか暮らしているという、貧しい男です。
 ところで、この「子を貸し屋」というタイトルは、日本語としてはちょっと変わっているようです。「飯を炊く商売」が「飯炊き屋」、「土地(の値段)を上げる商売」が「地上げ屋」であるならば、「子を貸す商売」は「子貸し屋」となるはずのところ。「子を貸し屋」の「を」は余計であるように思われます。
 「を」にかぎらず、格助詞は、後に動詞を必要とします。「子を貸す商売」ならば「貸す」が動詞だからいいのですが、「子を貸し屋」となると、この「貸し」は一種の名詞で、「を」と受けることはできないはずです。
 この小説の主人公である佐蔵は、奈良(大和)の生まれだそうですから、もしかすると自分では「子ォ貸し屋」と延ばして言っていたかのもしれませんが、それはこの際関係ないでしょう。
 似たような妙な言い方としては、1885(明治18)年に羅馬(ローマ)字会という団体が定めたローマ字の書き方のタイトルがあります。「羅馬字にて日本語の書き方」というのです。
 「羅馬字にて」の「にて」は格助詞ですから、やはり後には動詞が来てほしいものです。「羅馬字にて日本語を書く法」とでもなっていれば、違和感は消えるでしょう。
 こうした言い方は明治・大正の古い言い方なのかと思っていると、そうでもなさそう。このたび、近く国会に提出されるというテロ対策法案の名称が
「米国において発生した国際テロリズムに対処するため国連安全保障理事会決議及び国連憲章25条の規定に基づく米国に対する協力に関する法律」
 なのだそうです(朝日新聞 2001.09.20 p.1)
 ちょっと長いので分かりにくいのですが、つづめていうと、「テロに対処するため米国に対する協力に関する法律」、さらにつづめると「テロに対処するため協力に関する法律」となります。語法としてはやはりおかしいのではないか。
 「ため」は格助詞ではありませんが、ここでは副詞句を作っているので、やはり後には動詞が来てほしい。「テロに対処するため協力することに関する法律」とすれば「協力する」という動詞が入るので問題がなくなります。
 もっとも、法律や条約の名前にはおかしなものが多いようです。「外為法」は、「外国為替および外国貿易法」ですが、これでは「外国為替」と「外国貿易法」とが並立することになります。「外国為替および外国貿易に関する法律」としたほうが正確ではないでしょうか。
 「子を貸し屋」の語法に話を戻すと、古く、万葉集の和歌には、格助詞の下に動詞がないものもよくありました。たとえば

衣手{ころもで}を打廻{うちみ}の里にあるわれを知らにそ人は待てど来ずける(589)
少女{をとめ}らに行相{ゆきあひ}の早稲{わせ}を刈る時に成りにけらしも萩の花咲く(2117)

といった具合。「衣手を」とくれば「打つ」と動詞が続いてほしいのに、「打廻の里」という名詞になっている。「少女らに」とくれば「行き会ふ」ときてほしいのに、「行相の早稲」と名詞が来る。
 もっとも、「衣手を」も「少女らに」も、ここでは枕詞として使われているので、ふつうの文章と同じようには扱えません。懸詞などでも、文のねじれのように見える場合はよくあることです。
 修辞的な意味合いもないのに、「子を貸し屋」のような言い方をする例は、あまりないのではないでしょうか。

追記 その後、テロ対策特措法案の名は次のように定まったようです(10月5日国会提出)。いわく――
「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法案」(朝日新聞 2001.10.05 p.17)

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