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01.07.24

「猫々」は言えないのか

 日本語では、文法的に単数・複数を区別しません。たとえば1人なら「boy」、複数なら「boys」としなければならないというような「きまり」は、日本語にはありません。
 古事記・万葉の時代には1日のことを「ヒ」、2日以上の何日にもわたる期間のことを「ケ」といって区別したそうです。たとえば「万葉集」では「君が行き 長くなりぬ」(あなたの不在が長い間にわたっている=巻二・旧85番)と言っています。もっとも、これはかなり特別な例です。
 人や動物などの場合には「たち」「ども」「ら」などをつけて「私たち」「ペットたち」などと複数を表します。ただ、これは「きまり」ではなく、「何人もの女をだました」と言ってもいいし、「何人もの女たちをだました」と言っても差し支えありません。
 この言い方を拡張して、「本達」「機械たち」「家具たち」などと言ってもいいではないかという人もいます。たいていのものに「たち」が使えるようになれば、これは文法的な複数表現に近づくと思います。しかし、現時点では、歌詞や文学作品でもないかぎり、人間・動物以外に「たち」を使うことはあまりないようです。次はその一例です。

義母の艶然たる若さと瑞みずしいたたずまいのもとでその何らかの影響を受けることもなく家具たちが建物がなぜこれほど古び荒廃したのか英作には信じられない思いがする。(筒井康隆「邪眼鳥」=「新潮」1997.02 p.48)

 複数を表すために「たち」をつける形よりももっと一般的に用いられるのは、当該の名詞を繰り返す形でしょう。畳語形と言っておきます。「日々」「折々」「人々」「山々」のように、有情物・非情物、具体物・抽象物を問わず使うことができます。
 ところが、おかしなことに、この畳語形は「山々」は言えても「川々」は言えない、「人々」は言えても「猫々」は言えないというように、対象となる名詞をえり好みするのです。これはなぜでしょうか。
 この解釈はむずかしいのですが、畳語形は単に複数であることを表すのではなく、その構成要素がそれぞれ独立していることを表しているのだという説明が成り立ちそうです。
 山登りに行って四方をながめると、高い山もあれば低い山もあり、丸い山もあればとがった山もあります。その変化に富んださまを表すのが「山々」。
 一方、日本では、一望の下に多くの川をながめるというシチュエーションはあまりないと思います。見渡せば、大きな川も小さな川も、激流もゆるやかな川も、そこらじゅうにうねっているという情景は考えにくい。ふつうは隅田川なり信濃川なりが1本、目の前に横たわっているだけだ。そこで「川々」という表現は出てこないのでしょう。
 「人々」も同じで、いい人もいれば悪い人もいる、富んだ人もいれば貧しい人もいる、性格も生い立ちも職業も人生観も異なるいろいろな人を指して「人々」というわけです。一方、猫は、それは三毛もいれば虎も黒猫もいるかもしれませんが、猫屋敷でもなければそう猫が群集することもないし、人間と比べれば猫ごとの個性の違いは実感されにくい。
 もっと多くの名詞を対象に調べてみましょう。そもそも、こういった名詞の畳語形にはどのようなものがあるのでしょうか。
 インターネットの電子図書館「青空文庫」の収録作品から、五十音順に約500作品を選び、その中で「○々」「○○々々」などのように畳語形になっている名詞を抜き出してみました。
 拾われた畳語形は81種類。出現度数上位20位までの語を挙げると、順に、「人々我々(吾々)・時々種々色々方々(かたがた・ほうぼう)・所々(処々)・度々折々日々家々様々数々山々口々代々(だいだい・よよ)・町々(街々)・木々(樹々)・年々月々」などとなっています。
 ほかに、「朝々穴々駅々丘々親々組々件々崎々谷々花々藩々店々宿々夜々」、さらには「教室々々職務々々」など、これだけ取り出してみれば「本当に言えるのか?」と思われるようなことばも、文章の中ではごく自然に使われています。2つだけ例を出しましょう。

そしてそれらの穴々が、いつの間にか次々に塗り固められて行つてゐるのを見た。(島木健作「ジガ蜂」)

音吉が独り残って教室々々を掃除する音は余計に周囲(まわり)をヒッソリとさせた。(島崎藤村「岩石の間」)

 「教室」さえも畳語形にできるのは意外に思われますが、複数の教室を全体として捉えているのではなく、音吉が順番に掃除をする個々の教室を独立的に捉えているため、この形が可能になったのでしょう。
 とすれば、先ほど「言えない」と判断した「猫々」だって、場合によっては、まるきり不可能ではないかもしれません。
 たとえば、このような状況を考えてみます。
 ある動物病院に、今日はいったいどうしたわけか、病気の猫ばかり次々に連れられて来ます。1匹の治療が済んだら、すぐまた次の猫という具合で、とてもさばききれない。獣医は食事の暇もなく、訪れる猫々に注射をしたり薬を飲ませたりして、奮闘を続けるのでした……。
 どうでしょうか。このように「来る猫来る猫にそれぞれ治療を与えた」という意味でなら、比較的抵抗なく受け入れられるのではないでしょうか?
 おそらく、日本語で「山々」「猫々」などが言えたり言えなかったりするのは、程度問題に過ぎないのでしょう。「山」は、個々の山を独立して捉えて表現する場合が多いために畳語形が使いやすく、「猫」は、個々の猫を独立して捉える場合があまりないために「猫々」とは言いにくいのだろうと思います。

●この文章は、大幅に加筆訂正して拙著『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波アクティブ新書 2003.06)に収録しました。そちらもどうぞご覧ください。

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