00.12.21
ある告白録
昔、おしどりと言われた作家夫妻が離婚し、世上の驚きを誘いました。作家の妻だった女性は、それから10年ほど経った年、ひっそりと告白録を出版しました。
ある時、僕はそれを人に勧められて読みました。しかし、読んで少なからず後味の悪い思いをしました。
告白録の中心の一つは、夫からの物理的、精神的暴力についての告発でした。その描写は凄惨なもので、事実とすれば、そうした過去の日常的なふるまいのために、作家は生涯にわたって十字架を背負うべきであると思います。また、同性である僕としても、人ごととして高みから眺めることはすまいと自戒します。
しかし、その一方で、著者である女性に、もうひとつ深い同情が湧いてこなかったことを否定できません。理由はいくつかありますが、その第一だけを挙げると、文章から、著者の強い自己中心性が感じられたからです。
たとえば、おそらくは正式のアポイントメントを取らず、編集者を伴って、ある作家に原稿を頼みに行ったエピソードが語られています。しかし、その依頼は断られます。著者であるこの女性は相手の作家のことを「まともな返答もしてこない」「酒乱だったのだ」「(手みやげの)もち菓子は、頭を素通りしてはるか遠くに飛んでいってしまった」と書きます。著者の筆致は恨みがましいものですが、常識に照らせば、いきなり押しかけた著者の方に非があるのではないでしょうか。
これにかぎらず、著者は、面識のあった作家や編集者たちについて、実名を記して容赦ない批評をしたり、あるいは、公知かもしれないが礼儀としては書くべきでない事実をあえて筆にのぼせたりしています。
そもそも、これらの人々に関する論及は、著者の結婚生活を告白する上ではまったく不必要なものです。人間に対する冷たい視線が、読む側の共感や同情を遠ざけています。
加えて、告白録を読み進める気を失わせるのは、その文章の粗雑さです。いくつか例を挙げましょう。書名を伏せているのですから、ページ数を書くのは無意味なのですが、僕自身のノートのために添えておきます。
……〔元夫の名〕は娘たちに……〔著者の名〕の片鱗のかけらを見るのも疎ましかったに違いない。(p.251)
すべての男がそうであるように、男は永久に子供である。(p.250)
「片鱗」は「かけら」とほぼ同義ですから、これでは重言です。次の、「すべての男が……」というのも、同語反復ということになりましょう。これは「おしなべて男は永久に子供である」とか、または「すべての男がそうであるように、夫もまた永久に子供である」とか書きたかったのかもしれません。
原稿のこのような部分を見過ごしてそのまま出版した編集者にも、大いに責任があるでしょう。
繰り返される「すべからく」の用法も気になります。
……〔著者の名〕は、その人間の最高から最低までの世界をすべからくかいまみれる〔ママ〕芝居というもののおもしろさも同時に味わっていた。(p.101)
双方の親は老いてもしたたかに生きることを忘れなかった。人はすべからく、たくましく生きられるのかもしれない。(p.243)
「すべからく」というのは「ぜひとも」という意味ですが、これを「すべて」という意味だと誤解しているように読みとれます。著者はべつに、「すべからく(ぜひとも)人間の世界をかいまみるべきだ」、「人はすべからく(ぜひとも)たくましく生きるべきだ」と言いたいわけではないでしょう。
上に「かいまみれる」という「ら抜きことば」がありますが、一方では「さ入れことば」もありまして、
一流の編集人は必ずしも一流の作家にはならない、という説は当たっているかもしれない。編集人側には、どこか人間をそじょう〔原文ひらがなのママ〕にのせて遊ばさせているといった感があるようにみえてしかたない。(p.134)
「遊ばせて」と言わず「遊ばさせて」と、「さ」が入るのが「さ入れことば」です。「ら抜き」「さ入れ」が行われるのは世の趨勢で、誤用とは言えないのですが、彼女の夫であった作家ならば文章ではまず使わないはずの語法です。
「感があるようにみえてしかたない」というのも、冗長ですね。「感がある」か「ようにみえてしかたない」か、どちらか一方だけでよいでしょう。
こうした部分が、大げさでなく1ページに1か所はあるので、文章を読むのが苦痛になります。
文章が上手でないことは、作家の妻として何らマイナスにはならないでしょう。しかし、その文章力を必ずしも自覚せず、むしろ自分は元来文学少女で文才もあると考えているらしい彼女が、元の夫であった作家の仕事を正当に評価し得たかどうかについては、非常に疑問を感じます。
なお、著者は後半部分で、夫の再婚後の生活に触れ、
「目の中に入れても痛くない男の子の誕生に有頂天でいるらしい。その……〔元夫の名〕が家事をする。ウーン、人は配偶者さえ間違わなければ、すべて家庭的という平和を得られるらしい」
と感想を述べています。その寂しそうな筆致(著者は現在は独居生活という)に、いささかの憐れみを覚えます。
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