日本の政治的景気循環

深谷 庄一

 政治的景気循環とは通常、経済(景気)が政治(選挙)という雑音に撹乱される現象を意味するが、日本は議院内閣制をとっているので、アメリカのように、選挙(関連の諸変数)を独立変数、景気循環を従属変数として扱うことには抵抗がある。しかし、政治と経済との関連を一般的に調べることは可能である。政治と経済といってもここでは特に、経済状況が政権党に対する評価=選挙に反映され(支持率関数)、その選挙の結果=政治状況がどのように経済政策に影響を与えるか(政策関数)という、マクロ的問題に限定している。以下では、この政治と経済の相互連関を分析する際の困難と将来の課題について、主に日本のケースを念頭におきながら論じてみたい。

【データ不足】 −−政治変数と経済変数の数量−−

 ここでいうデータ不足の問題とは、経済的データに比べて政治データの数があまりに少ないという問題である。つまり、政治的変数と経済的変数の性質があまりに違いすぎるという問題である。性質の差が数量の差として現れるのである。  日本では、終戦後昭和二一年の第二二回総選挙以来、平成二年二月の第三九回衆院総選挙まで、一八回の総選挙が行なわれている。最近一〇年間をとってみれば、三回しか行なわれていない。それに対して経済は日々、月々、年々、それぞれの連続的データがある。もっとも、たとえば合衆国の場合でも、大統領選挙は一八九二年以来一九八八年まで二四回しか行なわれていないのである。

 これだけのデータから引き出される一般化は、風説を出ないものが多い。たとえば、「六年目の浮気(six-year itch)」(在任六年目の大統領はそのときの中間選挙(上院)で平均七議席失う。)などというものである。一九九〇年の中間選挙の際には、「十年目の浮気」(a)という言葉も紹介されていた。

 他の一般化の例として、「過去一〇回の大統領選挙で、選挙年の失業率が前年の失業率より八回低下し、二回(六〇年と八〇年)は逆に失業率が高くなった」という事実から、それが政治的景気循環を確証している[2]と判断していいのか、という問題を少し検討してみよう。実は、一九五〇年から一九八九年までの四〇年間、前年と比較して失業率が低下した年は二六回(六五%)もあった。つまりもともと前年に比べて失業率が低下した年が半分以上あったわけである。比較しなければならないのは、この26/40と8/10である。これは、有意水準五%で二つの比率には差がないと検定できる。一八九一年から一九八九年の九九年間を見てみると、失業率が低下したのは五七回である。大統領選挙年では二五回のうち一七回である。数字だけ見るとほとんど五〇%で、大統領選挙期に失業率が低下している例証にはならない。この57/99と17/25を検定すると、やはり有意な差がないのである。しかし表1を見ると、大統領選挙期に失業率が増加したのは戦前戦中期であり、戦後は八〇年を除いて(六〇年も軍人を含めれば増加した年)ほとんど低下していることも、また確かなのである。

 なお、インフレ率でいうと、過去四〇年のうち前年に比べて低下した年は一七回なのに、大統領選挙時には一〇回のうち七回も低下している。これは検定するまでもなく、明らかに有意な差があるといえるであろう。この意味では米国でもインフレ・センシティブだったといえる。経済成長率についていえば四〇年のうち対前年で二〇回(丁度半分)低下している。一方、一〇回の選挙時のうち五回低下しているので、選挙時の効果はないということになる。米国のように選挙制度からいって、政治的景気循環がおきても不思議ではない国でも、この程度の感触しか得られていないのである。

 筆者はこの政治的データの自由度の問題が分析上のネックになっていると認識して、解決策を調査・検討した。

 この問題に対する一つの解決は、州[13]や地域[8]に分割して自由度を増やすというものである。この方法によってある程度の展望が開けたが、地域的に意味がもたない国政レベルでのマクロ的変数(たとえば自民党議席数)がでてくるという問題があったように思われる。つまり、地区レベルと全国レベルとのデータをいかに関連づけるかという問題が、最後まで残されてしまうようである。

 あるいは、連続的にとれるデータのみに分析を限定してしまうというのも、一方法である。たとえば、政党支持率の調査がある(内閣支持率はあまり使われない)。しかし、これら面接あるいは電話調査は、各調査機関の多様性などを考慮すると、分析そのものの信頼性に欠けるものがあるといわざるをえないのである。政党支持率は重要なデータであるが、政治的変数がこれ一つだけというのでは、やはりデータ不足の問題は解決したことにならない。筆者の主張では、政治的変数を一つに限ることは、支持率関数(経済状態が支持率や得票率などにどう反映されるかを示す関数)を推定する場合は問題にならないが、政策関数(政治的変数から経済政策を導き出す関数)の推定には根本的な欠陥を露呈すると思われる。つまり政治的変数が一つでは裁量的政策(特に循環的動き)をモデル化することが極めて困難になるのである。

 最後に筆者がとった方法を紹介しておこう[6]。それは、データを三次のスプライン関数で補間するものである。これは機械的であるが故に(データの初めと終わりは恣意的になるが)、間主観性が保たれるという利点がある。ただし、得票率を補間できても選挙のない期間の得票率にどんな意味があるか疑問ではある。あるいは議席率をどうするか。これもスプライン関数で補間すべきか、階段状のデータをそのまま使うか、という問題も残る。データのリアリズムという点では問題があるが、この方法によればしかし、多変数の政治変数と多変数の経済変数を使って、通常の多変量解析や計量モデルの作成が可能になるのである。多変量解析の例として正準相関分析を行ない、政治変数の経済変数に与える影響の大きさと、逆に経済の政治に与える影響の大きさを比較することもできる。

【政策の裁量性】  −−−支持率関数と政策関数−−−

 前節では、政治変数と経済変数の、「数」の非対称性について述べた。次に、両者の相互作用を表現する「関数」の非対称性について述べてみたい。それは、経済変数が政治的変数に与える影響(評価関数、支持率関数)と、政治的変数が経済変数に与える影響(政策関数)、どちらが推定しやすいかという具体的問題として表出する。

[支持率関数]

 この点に関する筆者の経験では、支持率関数の推定の方がはるかに容易であると結論できる。政権交替のなかった日本の場合には特に容易である。支持率関数は、残念ながら必ずしも決定係数が高いわけではない(経済的要因が政権評価にかならずしも大きな影響を及ぼさない)が、符号条件などの解釈に問題が残ることは少ない。インフレが高まれば支持率が減り、失業が増えれば支持率が減るという関係である。あるいは経済成長率が高まれば政権の評価を高めるであろう。経済的パフォーマンスを何によって測るかについては、その時点での争点と有権者の判断に依存し(何を基準に判断するかを理論的には決定できないと思われる)、支持率関数はそれら有権者の行動をそのまま表す関数と解釈できる。つまり理論的問題があまりなく、実証的に調査すべき問題のみが残されているという状態である。

 ただ興味深いことに日本では、特に失業率に関して、失業率が政権党支持率に対してプラスの影響をもつという報告がいくつか行なわれている(いた?)ということを指摘しておきたい。つまり、失業が増えた方が自民党政権にとって有利で、支持(得票)率が高まるというものである([3][4]など)。なかには「高度成長時代は、景気上昇期の選挙は自民党有利とされたが、低成長期に入り、むしろ景気後退期の選挙の方が政権党に期待が集まり有利となっている」[9]と断言する向きもあり、筆者を驚かせた。

 一体これをどう解釈すべきなのであろうか。これらは常識と全く逆の関係である、と思う。筆者はこれらの報告をつい揶揄してしまったのであるが[7]、あるいはまじめに議論すべき問題かもしれない。いずれにせよ、これらは変数のとり方を工夫すればいくらでも修正できるし、修正して報告すべきでなかったかと思われる。通常は、投票装置や面接調査が、国民の選好(の一部)を反映していると仮定せざるをえないからである。

 ここで、一九七三年第1四半期から一九八九年第4四半期までの一七年間、四半期ベースのデータを使って行なった分析の結果(表2)を報告しておこう。

 自民党支持率(朝日新聞の調査を四半期に調整)はインフレ率のみで説明すると、決定係数は約三〇%であった。確かに日本においては失業率の政党支持率に対する影響は小さく、しかも従来指摘されてきたように失業率との相関は確かにプラスになっている。今回のデータでは単相関係数は〇・六三九七(t値六・七六一九)である。そこで、自己回帰型の回帰式を推定すると、たとえば(1)式のようになる。

 インフレ率についても失業率についてもt値が小さいので、支持率についての経済的要因はほとんどないと受け取られかねない。そこで経済的要因のみを使って説明してみたのが(2)式である。このように、貿易収支や為替レ−ト(説明はやや困難)を含めると、ある程度有意な結果を得ることが出来る。ただしダービン・ワトソン比は悪い。

 このように、有権者は投票や世論調査の形で、経済その他の政策及びその結果に対する評価・監視を正常に行なっているという仮説は、一応受けいれることが可能であろう。

[政策関数]

 評価関数に比べると政策関数の理論と実証は相当の困難を覚悟しなければならない。

 政権政党が自らの政権維持を目論んで、選挙前に政策を変化させるという理論[11]や、(右翼と左翼の)政権交替によって選挙後政策が変化するという実証調査[5][12]などが知られている。

 フリードマンの貨幣供給成長率一定ルールや、増分主義(incrementalism)[15]などの機械的ルールによって政策を説明できるかもしれない。ただし、裁量的要素が全然ないのでは、政策といえないだろう。

 経済分析になじんできたものとして、反応関数がある。反応関数とは政策変数(公定歩合や財政支出)をインフレ率や失業率などの経済状態で回帰したものである。この反応関数は最適化モデルから導くことが出来る。その意味で理論的根拠付けが容易であるという長所をもつ。しかし、この関数を政策当局の行動と見なすことは方法論的に問題がある[1]。反応関数は政策当局の意図と経済メカニズムを未分化なまま反映しているものだからである。この反応関数をあえて政策関数の一種と解釈したくなるのは、政治的変数を明示的に扱わなくても済むという隠れた動機があるかもしれない。反応関数が想定しているのは、有権者と政策当局とは一体化しており(有権者の出る余地はなく)、政策当局は経済条件にのみ制約をうけるという世界である。

 政治的変数を明示的に導入したモデルを提示したのはフライ[10]である。それは、イデオロギー政党に妥当する議論である。例えば、保守政党は経済状態がある程度良好で支持率が高いときには、公約である安価な政府をめざすが、支持率がある水準以上に悪くなると景気拡大政策を採用するというモデルである。その政策が切り替わる水準(閾値)は各国それぞれ別個に推定されている。これにより、循環的動きを政治的変数(支持率)によって説明できるのである(b)

 このように政策関数は、政策当局が経済法則だけでなく、政治状況にも制約をうけることを前提にする。政策当局は有権者からある程度制約はうけるが、独立した存在と見なされる。政策当局は有権者(プリンシパル)の代理人(エイジェント)として、有権者からの信用を得ようと試み、有権者からの監視をうける。有権者からの信用を得る手段として経済政策を行ない、有権者によるモニタリングの手段として選挙が行なわれる。このように支持率関数も政策関数も、これら両主体の関係を調整するために必要なメカニズムである(c)。なお理論的には政策関数も、反応関数を拡張して最適化モデルから簡単に導出できることはいうまでもないであろう(d)

 表2(3)式はそのような仮定から推定した政策関数である。実は以前[6]、同様の式を一九七二年から一九八二年について推定したことがあるので比べてみよう。前回の推定では決定係数が八二%であったが、今回は同じ方程式で三九%と半分以下に低下してしまった。公共投資は政治的影響から離れつつあるのかもしれない。反応関数の考え方を取り入れて、インフレ率と失業率を含めて計算したところ決定係数は六〇%に上昇したが(5)、まだ満足できる数字にはなっていない。ただし符号条件は景気対策として納得のいくものである。一期前の公共投資を説明変数に加えて自己回帰型の方程式にすると、決定係数は七八%に上昇する(6)。まだ不満ではあるが、これらすべてについて、自民党支持率と議席率に関する符号条件は変わっていないこと、t値から判断して一応有意であることに注目すべきであろう。

 これらの式は経済政策を、純経済的な景気対策の手段としてより、有権者との信頼関係を確保・維持する(bonding practices)手段としての側面をまず重視している。政策当局は、既に得ている議席で割り引きながら(つまり議席が多ければそれだけ拡張政策の意図を弱める)、有権者からの支持に応える政策を行なってきたと説明できるであろう。しかも、普通の選挙制度では得票率の増加は議席の増加を生み出すであろうから、この式だけでも、政策変数(ここではやむを得ず公共投資をとっている)の循環的動きを説明できるのである。

【要約】

  1.  経済変数に比べて政治変数のサンプル数は極端に少ない。政治的変数を増やすためには積極的な工夫や細工が必要である。

  2.  支持率関数に比べると政策関数の理論化と実証的推定には困難が伴う。しかし、政策当局はすでに得ている議席と比較して自らの支持率(得票率)を高めようとする、と仮定する政策関数がもっとも実証的頑強性(robust)が強いと思われる。またこれによって政策変数の循環的動きも説明できる。

  3.  政策当局と有権者の関係はエイジェントとプリンシパルの関係であり、経済政策や選挙もこれら両主体間のエイジェンシ・コストを引き下げ、調整するという観点から再検討さるべきである。


(a) 同じ政党が一〇年続いたときにはその中間選挙で議席を失うことを意味する。フランクリン・ルーズベルト政権(一九四二年)、ハーディング、クーリッジュ、フーバーと共和党政権が一〇年続いたときの中間選挙(一九三〇年)など、下院でそれぞれ四五議席、四九議席失ったという。

(b) フライモデルの解説および批判はアルト・クリスタル[1]を参照されたい。循環的動きを説明する肝心の閾値を、分析者が独自に与えなければならない。以上概観したように、欧米の研究では政権交替や特定政党のイデオロギーを前提にしていることが多く、日本の場合に当てはめにくいのである。

(c) あえて、エイジェンシの理論の言葉で説明してみた。政策当局が有権者の完全な監視下にはなく、独自の行動が可能であることを前提しなくては、政策関数の存在を説明できないと思われる。なお、政治的景気循環はノードハウス[12]のいうように悪いものではなく、正常なものであり、為政者の管理能力を国民に知らしめる、社会的に効率的なメカニズムであるという主張は[14]を参照せよ。つまり経済政策はプリンシパルの信頼を得るための、効果的な情報伝達手段と見なすことができる。

(d) たとえば政策変数をx経済変数をy政治変数をzとすると、y(x)で経済メカニズムを、z(y)で支持率関数を表し、W(x,z)をxについて最大化すると、x(z)という政策関数が導かれる。あるいはW(x,y,z)の最大化でもいい。


【文献】

[1] アルト・クリスタル(1990)『政治経済学入門』多賀出版。

[2] 伊藤隆敏(1990)「選挙と経済」(『日本経済新聞』1990/5/5-)。

[3] 猪口孝(1983)『現代日本政治経済の構図』東洋経済新報社。

[4] 加藤寛編(1983)『入門公共選択−政治の経済学』三嶺書房。

[5] 竹中平蔵(1989)「政党と経済政策」(『経済セミナー』1989/2)。

[6] 深谷庄一(1990)「政治と経済の相互作用の計量経済学的分析」『季刊理論経済学』June 1990, 41, 166-182.

[7] 深谷庄一(1990)「対話型変数選択による重回帰分析」(『経済セミナー』1990/11)。

[8] 福地崇生・康(1981)「投票行動の計量経済学的分析」『季刊理論経済学 』Vol 32,April,pp.29-44.

[9] 毎日新聞社編(1990)『’90総選挙』毎日新聞社。

[10] Frey,Bruno S.,(1978)"Politico-Economic Models and Cycles",Journal of Public Economics, 9, 203-220.

[11] Hibbs, Douglas A. Jr. (1987),The Political Economy of Industrial Democracies ,Harvard.

[12] Nordhaus, W.(1975)"The Political Business Cycle." Review of Economic Studies 42:169-90.

[13] Peltzman,Sam,(1987)"Economic Conditions and Gubernatorial Elections", American Economic Review, May, 7, 293-297.

[14] Rogoff,Kenneth,(1990)"Equilibrium Political Buget Cycles," American Economic Review,March 1990, 80, 21-36.

[15] Wildavsky,Aaron,(1964)The Politics of the Budgetary Process,Little Brown and Company.小島昭訳『予算編成の政治学』勁草書房。


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