最近、小泉構造改革あるいは市場主義を否定するような話をよく耳にする。先日「骨太方針09」が閣議決定されたが、まさに構造改革が「骨抜き」にされた内容であった。そして、企業のトップからもこのような声をきくのは驚きを禁じ得ない。また、構造改革の議論に加わった中谷巌氏まで『資本主義はなぜ自壊したのか』の中で、自ら「転向」を宣言しているのには、驚きを超えたものを感じた(注1)。 まず、構造改革路線が市場原理主義と同義のようにいわれ、市場のメカニズムを活用するやり方は間違いだったのか。「市場主義」は取引される資源、モノ、サービスが無限に存在しない限り、資源配分上効果的なのである。もし財やサービスが無限に存在していれば、それらは自由財であり、そもそも市場は存在しない。ここで、市場主義(Market-oriented principle)とは「市場のメカニズムを十分に活用し、市場がうまく機能しない領域は規制や富の再分配などのセ−フティネットで補う市場重視の考え方」という意味で使っていて、ナイーブな市場原理主義とは区別している(注2)。 市場のメカニズムを使った市場経済が効果的なのは、各経済主体が分権的に意思決定する点と競争原理が働く点にある。企業なり消費者が自らの合理的基準で行動した方が、計画経済で政府が生産量を決めるよりもうまく機能する点はすでに歴史が証明した。そして、現状は完全競争市場ではなく、寡占市場あるいは不完全競争市場である。日本も含め先進諸国は独占禁止法によって少数企業による市場集中を避けようとしている。これは周知の通り、独占による弊害を避け、競争環境を維持することで消費者の不利益を避けようとしているのである。 しかしながら、競争原理が働けば、勝ち、負けが明らかになってくる。地域格差や業界格差は市場環境や保有資源に影響されるため必ずしも競争によるものではない。だが、企業格差、個人の所得格差などがあるとすれば、いずれも競争の結果生じたものだ。では、実際に日本はどの程度不平等なのか。手元にある所得分配の不平等の程度を示す指標であるジニ係数をみると、総務省統計局のデータでは先進諸国の中で中位(こちらを参照)、世界銀行のデータでは126カ国中125位(こちら)である。日本は格差社会になったといわれているが、それでも世界各国と比べてみると相対的に平等なのである。筆者は格差を恐れずに、今後さらに市場主義の本質を踏まえて競争することの意味を考えるべきだと思う。 日本は少子高齢化が進み、国内市場は縮小していくであろう。いくら内需拡大と叫んでもおのずと限界がある以上、海外市場に目を向けなければ企業成長は困難となる。実際、超ドメスティック企業が多かった流通企業も、国内市場の飽和を視野に入れて海外出店を強化しているのである。かくして製造業も流通企業を含むサービス産業も今後ますます世界市場での競争を余儀なくされる。すなわち、パイが縮小する国内市場での競争の激化に加えて、グロバールな競争市場の中で生き残りをかけた戦いが始まるのである。 ところで、これまでの日本企業の行動を振り返ると、果たして真の競争マインドが根付いていたのかと疑問になる。たとえば、業界横並びの発想、独自な製品・サービスやマネジメントを考えることなくモノマネする体質、談合体質など枚挙にいとまがない。ここは市場主義の本質、経済主体である各企業の自由な意思決定の下で競争する世界での行動を再考すべきである。つまり、ポーター教授に従えば「ライバルとの違い」こそ競争戦略のエッセンスなのである。 具体的に、どのようにライバルとの違いを出すのか。筆者は次の6つの観点から違いを創出すべきだと思う。
注1: 学者であれ,経営トップであれ途中で自分の意見を変えることに関しては何も言うまい.ただ,中谷氏の本を読むと,キューバやブータンの例をあげてこれまでの市場主義を否定しているように見受ける.筆者にはあまりにも拙速な結論に思えるが、このへんの話は別の機会に譲りたい. 注2: 市場原理主義(Market fundamentalism)とは,市場経済にすべてを委ねて政府が介入しない方が資源の効率的活用が進み一層の繁栄に寄与するとする思想をいう.実際は,市場経済において,さまざまな「市場の失敗」が存在し,規制が行われている. |
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