欧州からの風の便り

Mr.人間喜劇のエッセイ

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《ご挨拶》

当HPのお客様で欧州にてご活躍中のコンサルタント人間喜劇さんが、ゲストブックに時折エッセイを寄稿されています。このページではそれらをまとめて転載致しました。Mr.人間喜劇への激励、ご感想などはゲストブックにどうぞ!なお、ご自身の運営されるHPはこちらです。



第18話:魔法の力

「父は僕がまだ小さかった頃亡くなったけど、僕の覚えている父は、 自分が夢中になっていることを周囲に伝染させるのがとても上手だった。 父と働いていた人々を、それは上手に仕事の中に引き入れてしまう 魔法の力を持った人、そんな父だった」 (レオナルド・フェラガモ、伊サルバトーレ・フェラガモ社取締役)

英語でhigh energy levelという言葉がある。日本語で言えば、いかに 気合が入っているかどうか、ということだ。控えめが美徳の日本などでは、 あまりエネルギッシュでも、かえって逆効果の場合もあろうが、アングロ サクソンの間では、これは非常に重要な成功要素とされる。勿論、人間関係 構築能力も優れていなければならないため、いわゆる日本語のエネルギッシュ という言葉とは本質的に含みが異なるのだが、実際著者の勤める会社でも 中途採用面接や社内の人事考課などにおいて重要査定項目の一つにこれがあった。

熱意というのは何だろう。これを語る時、オーケストラに喩えると分かり やすい。指揮者はオーケストラのメンバーよりも一段高い視点から、 各個人の実力を見極め、一段高い成果が出る様に皆を引っ張っていかなけ ればならない。指揮者次第で1+1は3にも4にも、そしてマイナスにも なる(これをsynergyと言う)。指揮者は必ずしも、個々の楽器について、 各スペシャリスト程の技術は持ち合わせていない。それでも、優秀な指揮者 は、各メンバーの持つ力を能力以上に引き出すことができる。

リーダーもそれと似ている。リーダーは孤独だ。誰よりも、ストレスが 溜まる。人間は完璧ではない。どんな人間にも悪い面がある。ともすると、 悪い面ばかり目にとまる。そんな中で、良い面を見続ける。それをもっと 良くなるように伸ばしていく。同時に、悪い面もヤル気を削がずに改善 していく。メンバー各々について、それが出来た時、会社も伸びていく。 それがリーダーシップだと思う。

こういう指揮者の様なリーダーシップ能力の根底にあるものが、熱意の 正体だと思う。上述のイタリアの名門靴ブランド創業者の「魔法の力」も 正に「熱意」のことである。

Enthusiasm is contagious.(熱意は伝染する) という英国の諺があるが、伝染し得るほどの熱意は、欧米では重要な査定 項目の一つである。学生の時のみならず、会社に入ってからも、管理職に 昇進する時、役員に昇進する時、転職する時、節目節目で、この能力の 有無が大きく影響してくる。そして、熱意を持っていかにリーダーシップ 能力を磨いてきました、と具体的に自分の経験・能力を語れる力、語るべき 自分を持つことが、これから大きく変わっていく日本においても極めて重要 な資質と言えるのではなかろうか。


(2001年3月25日)




第17話:Divide et impera (ラテン語)

久しぶりに以前の部下(欧州人)と食事をした。数年前に転職 して以来会っていなかったが、久しぶりに旧交をあたためた。 現在は大手英国メイカーのA国現法で税務・法務及びリスク 管理部門のヘッドをやっている。

最近の状況を聞くと、『英国本社は、うちとB国現法を戦わせて、連中は何も決めないから、政治的に大変ですよ。スタッフ達は、Divide et imperaと内輪で皮肉を言っています。でも、仕事はチャレンジングで満足し てます』『マキャベリズムだね』『私もそう記憶してたんですが、 うちの社員はルイ11世の言葉だって言ってましたけどね』 『それは知らなかった』

このラテン語は、政治学を勉強した人なら誰でも知っている 言葉で、ラテン語でDivide and rule. (分割統治)を意味する。 要するに、民衆や政党などがお互いに反目しあっている限り、 彼らは共通の目的を持つことはなく、支配者に一丸となって 向ってくることはない、という意味である。マキャベリも引用 しているが、彼のオリジナルではない様だ (Divide a nation into parties, or set your enemies at loggerheads, and you can have your own way. Machiavelli).

実は、この原則はこの会社の様に、無意識・意識的を問わず、 様々な大企業でもグループ企業管理に用いられている。勿論、 大英帝国なども植民地政策に応用したはずである。おそらく そうした背景から、英国本社を皮肉ってこの表現を使ったの だろう。

ところで、この原則を日本に当てはめてみると(例:派閥政治)、 支配者にとっては最適な状況の様である。王様のいない日本 では、誰が陰でほくそえんでいるのだろう。


(2000年10月27日)




第16話:Change or Die

Progress is a nice word. But change is its motivator and change has its enemies.「前進という言葉は(響きの)良い言葉だ。だが、 その原動力となるものは、変革だ。そして、変革は前進を阻む要素を 持つ」(試訳)。これは、ボビーこと故ロバート・ケネディー(元米国 司法長官)の言葉だ。

変革にはエネルギーが要る。できれば、現状維持でいい。変革など、 問題が発生した時の話。その時、対処すればいい。問題ない、問題 ない。人は、そう考えがちだ。

変革にはリスクが伴う。上手くコントロールしないと、冒頭の言葉の 様に常に失敗と隣合わせである。綿密な計画と不退転の決意。それが 肝要だ。

しかし、特に問題がなくても、本当に今のままでいいのか、そう考え てみることは大切だ。疑問を投げかけてみる。それには勇気が要るか もしれない。試しに、今までと反対のことをやってみる。知識も経験 も大切だが、それが邪魔になってしまっては本末転倒である。変革の 時代には、適宜、リセットボタンを押さなければならない時が必ずある。

変革コンサルタントの使う手法には以下の様なものがある:

ステップ1:
Unfreezing = この段階では、情報を共有し不安を取 り除く、変革に対して利害関係者(stakeholders)が前向きな姿勢 (共通の理解)を持つ様な環境作りに徹する。

ステップ2:
Change and Movement = 実際に、変革を行う際には、 利害関係者達に、変革を推進する上での役割を与え(責任の明確化)、 「新しいもの」(組織、価値観など)を創造していく。当然、強力な リーダーシップを発揮できる人材が必要である。

ステップ3:
Refreezing = ここでは、その「新しいもの」を定着 させる。当然、利害関係者に対して報酬面など新しい制度下における 具体的なメリットを与えていく必要がある。

わたしは、なにも組織変革だけのことを言っている訳ではない。こう いう手法は普遍性があり、例えば転職を考えている人間と家族の関係 に応用してみることもできるし、様々な場面で応用できる。

「ものをなくせば小さく失う。信用をなくせば大きく失う。勇気をな くせば全てを失う」(原文失念)とは彼の兄貴(ジョン)の言葉だが、 全てをなくす前に、勇気をだして前に進みたい。


(2000年10月19日)




第15話:鏡に脅える小犬

米国のビジネススクールでは「リーダーシップの習得」に力を入れて いる様だが、リーダーシップ能力というものは、学校で学べるものな のだろうか。 答えはYes and Noである。多様な価値観を認められる 人間性(高いEQ若しくは成熟度emotional maturity)を持ってい る人間ならば、それを如何に効果的に表現していくかという手法を学 ぶことは有意義だと思う。しかし、自分の人格に基本的な欠陥を持ち ながら、テクニックや手法(「奇」)だけで人を動かそうとしても、 長期的には成功することは難しい。それは人を操る術にすぎず、すぐ に化けの皮が剥がれ、相手の中では不信感だけがいたずらに募ってい く。基礎となる人格の良さ(「正」)があって、初めて手法というも のはいきてくる。孫子はこの点を「正と奇を合する大切さ」と説いて いる。

「多くの米国ビジネススクール卒業生は、MBAの限界をよく理解し た上で社会に戻るが、旧体質の日本の会社を辞めてMBAを自費で 取得する場合など前職とあまりにも大きなギャップの前に一種のショ ック状態に陥ると、本質を見誤り、勘違して帰ってくる輩がでてくる」 (米国人事コンサル会社日本支部幹部のコメント)。

私自身も、仕事柄、米国MBAを持った日本人に会うことが多い。 特に、自費留学の学生達の「選難」の姿勢は大きく評価できる。しか し、時折、盲目的拝米主義+日本否定主義+自己過信に染まりきった 人間を見かけ、滑稽を通り越して悲しくさえ感じることがある。父祖 伝来の日本の美徳の数々はどこへ行ってしまったのだろうか。

私は、そういう人間に会う度に、ある精神分析学者の次の様な話を思 い出す。「座敷犬は自分を人間だと思い込んでいる。自分が犬だとは 夢にも思っていないので、鏡を見るとおびえる」 アメリカを礼讃 (らいさん)し、日本を否定するのは、鏡を見て脅える犬に似ている。 「自分は日本人だ」という事実は変わらない。大切なのは、日米の良 い面、悪い面を理解した上で、究極的には、それを如何に将来の日本 の発展に役立てていくか、ということではなかろうか。アナクロニ ズムに浸る訳ではないが、幕末の日本人エリートはこの点に秀でて いた。彼らは「選難」を行っても、自己陶酔して本質を見誤ること はなかった。

職務経験の少ない人間達が机上の理論を振り回し(over simplification) と詭弁で何でも解決したような気分になって「俺達が21世紀のリー ダー」などというカルト集団的なチャントをそのまま鵜呑みにしても、 それは自慰行為に等しい。アメリカ人ならば、それでもいいのかもし れない。アメリカ社会は特殊であり、強者の理論通りに、ごく一部 の人間が国を動かしていることは事実である。しかし、それはアメリ カ人には当てはまっても、外国人、ましてや日本人には、幸か不幸か、 あてはまらない(尤も、アメリカで生まれ育った日系米国人なら別だ が、日本語のできない日系米国人の知人曰く、(アメリカ社会では) 「ずっとアウトサイダーだった」とのことだった。アメリカに数年 しか住んだことのない、おそらくは宣誓文も暗唱できない日本人が アメリカかぶれして叫んだところで、それは戯言に過ぎない)。

米国MBAには非常に良い部分がある。日本的な注入教育とは趣を異 にする啓発教育が上手く機能している。しかし、日本人の場合、その 限界を理解した上で良い面を活かすという姿勢がないと、良い面自体 が曇ってしまう。限界の一つに、アメリカがイデオロギー価値観の 支配する国である点も挙げられよう(自由主義、個人主義、平等主義、 人民主義、放任主義)。アメリカは、世界で唯一、信条によって作ら れた国であり、イデオロギーを排除するものは「非アメリカ的」(悪) となる(cf アレクシス・トクビル:仏人政治学者・歴史学者)。 しかし、そうした理想論的な国家運営が上手く機能していない点は、 教育荒廃、銃社会(学校のピストル事件多発等)、訴訟社会、貧富の 差の増大など明らかである。歴史的価値観を持つ日本人や欧州人とは、 根本的に、視点が異なるのである。

結論としては、人一人の力などたかが知れている。リーダーはその ことを理解した上で、チームメンバー各人の持つ強みを最大限引き 出せるような環境作りをしていくことだ。それはうわべだけのテク ニックではなく、本人自らの人格を磨いた上で行うことが肝要だ。 そして「自分以外は全て師なり」という謙虚さがなければ、アメリカ であれ日本であれ幸運の女神は前を通り過ぎていく。本当のところ 自分が一番よく知っている実力不足を棚に上げ、他人を責め、社会を 批判し、そのくせ野心ばかりふくらませたところで、討死にするのが おちである。以前、有名な米国戦略コンサル会社の米国人管理職研修 テキストを基に「ジョハリの窓」(拙稿欄参照)を書いたが、そこ で言う「盲目の窓」 (blind window)が病的に大きくなってくると、 どこにいてもつまずき易くなる様だ。そう考えてみると、リーダー シップは、頭ではなく体で覚えることであり、やはり実社会で磨いて いくことが大切なのではないだろうか。


(2000年8月15日)




第14話:“ジョハリの窓”本当の自分って?

ファイト氏の書き込みを読んでこの理論を思い出しました。おそら く、彼の言う「転職後失敗した人々」は、新しい職場で他人からの 指摘に耳を傾け「盲目の窓」を小さくしたり、表現力を磨いて 「隠された窓」を小さくすることができなかったのでしょう。

ジョハリの窓=アメリカの心理学者二人の名前(ジョセフとハリー) を取ってつけられた理論。

第一の窓から見たあなた= 自分も知っているし、人も知っている (明るい窓)。

第二の窓から見たあなた= 自分だけが知っていて、人は知らない (隠された窓)。

第三の窓から見たあなた= 自分は知らないが、人は知っている (盲目の窓)。

第四の窓から見たあなた= 自分も知らないし、人も知らない (暗い窓)。

この理論の結論は「本当の自分は第四の窓から見た自分、つまり自分 も他人も知らない自分」だそうです。あなたの「本当の自分」はどう いう人なのでしょうか。

+因みに、血液型は関係あるのでしょうか?わたしの娘は欧州で産ま れましたが、生まれたとき何型か知らされませんでした。とはいいつ つ、日本出張で飲み屋に行くと血液型の話をついだしてしまいます。 わたしは何型でしょう???


(2000年7月2日)




第13話: 縄張り

「法曹界には、試験が易しくなり、数が増えれば質が下がる、という 考えが染み付いている」という新聞記事があった。最近日本でも、 アメリカ等からの外圧により司法試験合格者を増やしたり、ロースク ールを設置して法曹人口を増やそうとしている様だが、日本の法曹界 は反対している様だ。

本来、数が増えれば競争原理が働いて全体として質は上がるはずであ る。良い例がアメリカの会計士試験である。短答式主流の試験で、 科目数も少ないので、外国人にも比較的合格し易い。易しい分、合格 者の質については非常にばらつきがある。米国会計士の資格を持って いても、それでけでは大半はBig5やその他一流企業には入れないし、 入ってもどんどん切られていく。試験合格はスタートに過ぎない。 その後の競争の方がはるかに激しい。当然、生き残った人間の質は 総じて高いし、そういう人間をBig5から企業が積極的に管理職 として引き抜く。人材の流動化も進む。

日本でも最近、米国会計士試験の塾が乱立している様だが、試験テク ニックだけ教えて、あたかも「受かれば薔薇色の資格」の様に誇大 宣伝するから、資格を取っても、十分にメリットを享受できない人で 溢れかえる。歪な資格マニア(日本語スラングでは資格オタクと言う らしいが)も増えている様だ。先日、わたしの会社の日本支社の採用 担当者と話していたら、試験を通ったばかりの人間を100人面接して、 採用可能なのは5人にも満たないと、嘆いていた。試験だけ通っても ペーパードライバー以下なのである(路上教習=修習も受けていない 純粋にペイパーだけの試験合格は単にスタートに過ぎない、という点 を強く認識すべきである)。

ところで、米国が弁護士国家だとすれば、英国は会計士国家である。 米国でMBAが重視され始める前から、15科目に及ぶ論文式会計士 試験及び3、4年の修習期間がその代わりとされてきた背景がある。 多くの大企業の幹部には勅許会計士上がりが極めて多い(米国では 弁護士上がりが多い)。未だに、転職においては勅許会計士資格は MBA以上の効果があり、事実上Big5はビジネススクールのよう に使われている=修習期間中、高給とは言えないが給料ももらえるし 履歴書の箔もつくし、実務経験も同時に積めるので、トレイニー入社 の倍率は高い=3次試験合格と共に半数以上が辞めて各方面に羽ば たいていく(わたしの友人は勅許会計士だが英国のマッキンゼーに 転職したばかりの頃、米国MBAをやらせて欲しいと会社に言った が、不要と一蹴されてしまった)。

因みに、(在英日本企業を含めても、日本人にはほとんど知られて いないのだが)日米と異なり、英国の公認会計士資格は何種類もある。 そして、それぞれが、あたかも階級社会の如く、棲み分けを行って いる。ACA(勅許会計士)、 ACCA(公認会計士)、CIMA (管理会計特化の公認会計士)、CIPFA(公益事業体特化の公認会計 士)等など。Big5(少なくとも私のいた会社)に入るには、ACA (勅許会計士)のみ。中小会計事務所はACCA。企業の経理部は ACCA若しくはCIMA(或いはBig5出身のACA)。公益事業体の 経理部はCIPFA若しくはACA。因みに、この違い(特にACAと ACCAの違い)を知らないため(在英日本企業では「公認会計士は 1種類」という思い込みがあるために)、必ずしも最適な人材を最適 な費用で採用できていない。

また、日本人公認会計士はアメリカ式に自分は「CPA」だと言って しまうから、知らないうちに「CPA? certifiedか、それじゃ ACCAやUSCPAと同じだな」と頭の堅いACAの人間達から 格下と思われてしまう。わたしは、一度そう強く主張する英国人に 「日本の資格はそんな簡単ではないよ」と反論したが、理解できない 様子だった。「言葉の持つイメージ、言霊」というのは強く、人間は 簡単には思考を切り替えることができないのかもしれない。

やや脱線してしまったが、結論として大切なことは、海外ビジネス では文化やその国独自の背景も考えた上で行わないと、この例の様 に、見えない壁に知らないうちに、阻まれてしまう。

話を戻すが、最近、ACAも人数を増やすために、科目別合格を許容 し、試験を受かり易くした様である。長年に渡ってこの話は議論され てきたが、冒頭の日本の弁護士会の長老達と同様の台詞を、筆者が 所属する勅許会計士協会で以前何度となく聞いた(因みに、日本の 会計士協会も科目別合格を導入して合格者を増員する予定)。縄張り 意識、既得権益の前では論理的思考は無力なのかもしれない。


(2000年6月30日)




第12話:「転職35歳限界説」は本当か?

Perhaps you should take it with a pinch of salt. =「話半分に聞いたほうがいい」。

あの新聞記事(「転職市場の常識のウソ:日本的慣行が生み出した 35歳限界説」)が少し前にこの掲示板で話題になっていた様です が、読んだ瞬間にこの言葉がわたしの脳裏をよぎりました。結論から 言うと、35歳限界説は日本に限らず「ある程度」事実です。但し、 わたしなら「転職した後、その会社で指揮官(経営幹部)まで出世し ていく可能性を持つには」という但し書きをつけます。「歩兵」若し くは「下士官」のままでいい、という方ならば、その他の資格要件を 満たしていれば何歳でも転職できるでしょう(歩兵、下士官といって も、そこそこやっていれば一千万円程度はもらえる会社は結構あるし、 それならそれで出世はなくてもいいという人もいるでしょう。人それ ぞれ価値観は違うし、それはそれでいいのですが、あの記事のトーン は「35歳以上で転職しても皆、更に上の職位を狙える」というよう な薔薇色トーンだったのが腑に落ちません)。しかし、転職をステッ ピング・ストーンとしてより上の職位を目指すならば35歳説は有力 な指針といっても過言ではないでしょう(無論、プログラマーやゲー ムソフト開発者等はもっと若い30歳程度が峠でしょうが)。この手 の転職関連の記事を読む時のポイントは以下です。

・ 引用された人材会社の種類(「歩兵」を狙った会社かそれとも 「士官」を狙う会社か)=あそこで語っている人材会社の人は年収 1500万円以上の士官を狙う小規模ニッチ・ブローカーであり、 おそらく引用された20代の転職希望者は売り物にならなかったの でしょう。こういうハイエンド特化の人材会社の手数料は平均的に 年収の35%であり、人材会社としては何としてもパイ(市場)を 大きくしたい、「35歳説」が目障りだ、という気持ちはわかります が、美談になる話ではありません(書き手は全くわかっていないので しょうが、あまりにもレベルの低い記事だと思います)。逆に、これ が所謂「履歴書集配業者」ならば、転職30歳限界説を唱えることで しょう。彼らのターゲットは第二新卒や20代後半の人間であり、 そういう人材を持ち駒に当てはめて手数料20―35%を稼ぐ商売 です。

・ 転職することと、転職後の満足度や成功は全く別物であること。 極論を言えば、満足度を無視すれば年齢に関係なく転職はできます。

・ 「転職」の定義は「将来のある歩兵としてなのか」「将来のある 下士官としてなのか」「指揮官としてなのか」「駒としての歩兵、 下士官なのか」「職人としてなのか」などなど、それによって限界 年齢は変わります。全部ではないにしても、多くの人材会社は、こう いう分類をせず、ノルマ、ノルマで人材を商品として横流ししている 気がするのはわたしだけでしょうか(因みに、株式公開している某 人材会社は創業当時、自分達の仕事を「人身売買」と揶揄していま した)。

それから「重視・重視しない」というランキングも盲目的に鵜呑みに するのは愚の骨頂です。第一に、あのランキングは「技術者・エンジ ニア」採用基準です(IT企業81社と書いてありますが、日系と 外資の比率はどうなっているのでしょうか)。現実問題として、あの ランキングの「重視しない項目」の多くは、コンサルや投資銀行若し くは一般企業の日本支店・現法の幹部候補者などの採用において 「重視する項目」と断言できます。因みに、「技術者」で経営幹部 候補になる人間は既に内部にいるか、直接トップとして引き抜かれて きます。外からとってくる必要があるのは「職人」でしょう。そうい う「手足」としての技術者は常に足りません。こういう人達に彼らの 言う「重視しない項目」があると、使いにくいのかもしれません。

因みにわたしはアングロサクソン系の多国籍企業に勤めていますが、 欧州でも、米国でもそして日本でも、やはり35歳限界説です。それ 以降に入ってくる場合は、原則として、役員としてのdirect admissionであり、既に別の会社で役員を務めている人を引き抜いて くる訳です。但し、「職人」も必要なので、そういう人間には、35 歳以上でも、特殊な肩書きとある程度の報酬を与えて、雇うこともあ りますが、そのまま定年を迎えます(つまり通常のキャリアパスの 枠組みの外で、絶対に上にいきません)。マネックスの社長もたしか 30歳ほどで役員になっているし、多くは35歳位でなれなければ辞 めていきます(Up-or-Out culture)。

最後に、わたしなら「重視する項目」のトップは「人生でどれだけ 苦労や失敗をしたか、修羅場をくぐりぬけてきたか、そしてそれを バネ、教訓にしていかに進み続けてきたか」とするでしょう。但し、 その経験の中で、小さくまとまってしまっていては駄目です。粗削り でも、磨けば光る石、そういう人材には惹かれます(こういう人材は 35歳以下に多いのも事実です)。言うまでもなく、あの記事で 「重視しない」と一蹴されてしまった「忍耐力」や「独創性」そして 「前職で何を成し遂げてきたか」(経験年数)は重要です(勿論、 外資に入るなら、英語などできて当たり前です。また特別な資格の 必要な会社なら資格は持っていて当たり前です。持っていなければ 相手にもされないでしょう。つまり、書類選考を通るための査証程度 と考えるべきです。尤も、英語やその他資格に関しては、マスコミや 予備校の宣伝に踊らされた歪な「資格オタク・マニア」が増えている のは事実であり、当然こういう人間が間違って入社しても淘汰されて いきます)。

自己責任と自助努力。結局はこの二つに集約されるのではないで しょうか。それを肝に銘じて頑張ってきた人ならば、年齢など関係 ないとも言えます。人生にマニュアルなどありません。少なくとも、 わたしはそう思っています。


(2000年6月30日)




第11話: 英語第二公用語論争

ある雑誌を読んでいたら、オリックス会長がこの問題について非常に 明快に「言葉は文化だ。二流英語国民を増産してどうなるのか。そん な無意味な事に血税を使うならば、わたしは税金を払うのをやめる。」 と鼻息荒く語っていたが、同感である。わたしもこの問題について、 半年程前に書いたので、以下に引用したい。

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日本ではこの問題が真剣に論議されている様だが、「国際語・英語= 日本の第二公用語」という方程式の正当性を、シンガポール等の例を 挙げて、まことしやかに論じる人達の気が知れない。わたしは「英語 =国際語」という主張には賛成だが、だからと言って「公用語にすべ きだ」などと結論づけるのは不可解でならない。明らかに、論理の 飛躍ではないだろうか。シンガポール等で英語が公用語である理由 は、日本には該当しない三つの要因があるからである。つまり、

一つは(旧英国)植民地、もう一つは多民族国家、そして最後に極端 な英米教育至 上主義(エリート主義:あの国では国家権力者や産業界のリーダーは 皆英米のエリート大学院で学んでおり、年配の人はイギリス、若手は アメリカで修士あるいは博士号を取っている。そして、それが権力者 になるためのパスポート・最低条件と言われている。一方で、英語と は言ってもかなり崩れた混成語{シングリッシュと英米人に揶揄され る}しか話せない中国語方言スピーカーが国民の大多数を占める)の 三つだ。

日本の様に、単一民族国家で、国民の間の意志疎通に何の問題もない 国で、何故、公用語=英語を公用語としなければならないのか。 国際 派のある議員の言う「英語は地方語にすぎないから公用語とすべきで ない」という主張には賛成しかねるが、国際取引の多い企業の国際部 門で英語を「部門内言語」として使うのならいざ知らず、日本全体で 英語を公用語などにしろというのはおかしな話である。むしろ、こう いう時代だからこそ、もっと日本語教育に力を入れるべきではないだ ろうか。活字離れ、語彙力の低下等、コギャル用語、等など。日本の 若年層の日本語能力は低下の一途を辿っていると言われるが、そんな 中で英語などを導入したら、それこそかなりいい加減なパトワ(混成 言語)ぐらいしか彼らは話せなくなり、日本語も英語も中途半端にな ってしまうだろう。

視野狭窄という心理学用語がある。英語では俗にtunnel visionとい う。トンネルの中では周りが見えず、前しか見えないことから来た 表現である。いくら、戦後から一貫した拝米主義を取ってきたからと いっても、単一民族国家で言葉まで連中にあわせる必要がどこにある のか不可解極まりない。結論としては、英語は国際語だが、国家の 強制ではなく、必要な人間が個人の意志で学べばいい、とわたしは 考える。


(2000年6月30日)




第10話:「Let me finish」

明日からプラハ出張です。ピルセン・ビールでも飲んできます。

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「Let me finish」

日本人や日本の文化について、日本にいる外国人が討論する番組を ビデオで見た。出席者の半数以上は、国費留学生だから、教育水準も 高いはずだし、当然、日本語も上手い。しかし、議論が白熱してくる と、相手が話していようが、おかまいなしに話し出す人間が多い。 この悪習自体がよく議論の対象になり、結局は民族間で罵詈讒謗を浴 びせ合い、困り果てた司会者が割って入り終わってしまう。

しかし、あれは民族性だけなのだろうか。個人の性格も影響するが、 案外重要なのが、語学力だと思う。皆、日本語が上手いが、やはり 完璧ではない。頭の中で話したいことがまとまると、それを言いたく なる。それが頭の中で膨張していく。どんどん、どんどん膨らんでい く。そのうち、それを抑え切れなくなって、発言してしまう。「相手 の主張を聞いてから意見を述べる」という基本は頭からすっかり忘れ 去られてしまう。それは、相手の靴を踏むのに似ている。

因みに、欧米人を挑発して自滅させたければ(自滅=四文字語で罵倒 し始めたらどんな場合も負け。たとえそこまでいかなくても、人間頭 に来ると判断力が鈍る場合が多い)、これを何食わぬ顔でやると効果 覿面。あなたが、相手の話の腰を折って発言するうちに、確実にぶち 切れて、怒り出すだろう。因みに、MBAなど発言重視の大学院の 授業では、話し終わっていないのに、横からしゃしゃり出て、発言権 を奪ってしまうのはタブーとされている。相手に、Let me finish. (まだ話し終わっていません、最後まで聞いて下さい)などと言わせ ないように、人の話は最後まで聞きたい。


(2000年6月12日)




第9話:パンの話(2)

連休最終日。私は料理に挑戦したが、失敗。フライパンを こがしてしまった。かみさんに怒鳴られる。仕方ないから書斎 に逃亡。それにしてもアスクタカさんはHPを十年もやられている のですね。大先輩ですね。わたしは未だ一ヶ月の新参者ですが、 面白い(?)経験ですね。(asktaka注:ゲストブックに書きましたが HP歴は10年ではなく、ネット歴10年です)

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パンの話(2):「パンがなければ、ブリオッシュを食べよ」

ウィーンは奇麗な街である。「ちょっと整いすぎて、遊びがない」 という人もいるが、わたしは好きだ。「正統派の美人」という感じ だろうか。ウィーンは東欧の玄関口でもある。仕事でスロバキアの 首都ブラティスラーバに行く時は、直行便がないので、ウィーンか らタクシーで行く。ハンガリーにも近い。

「パンがなければ、ブリオッシュを食べよ」というマリー・アントワネットの言葉は有名だが、彼女は今で言えばオーストリア人であ る。女帝マリア・テレジアの娘としてハプスブルグ家に生まれた。所謂 パーティー・フリークで毎晩大宴会を開いて散財を繰り返した。 民衆の反感を買い、フランス革命でギロチンにかけられてあの世に 行ってしまった。革命の前に、民衆がパンを求めて宮殿に詰め寄っ た時、彼女はそう言ったそうな。

何故、こういう人間ができてしまったのかわからないが、母親の マリア・テレジアは女腹で、なかなか男児に恵まれなかった(最後 はできたのだが、その子は、わたしの記憶が正しければ、駆け落ち 相手と山か森の中で心中したはずだ)。 そこで、娘達を様々な国の 王室に嫁がせて(政略結婚)強固な閨閥を作り上げた。そういう親 だから、彼女もあまり愛情を注がれなかったのかもしれない。親の 愛情がないと、全てとは言わないが、自己中心的な冷たい人間がで きてしまうものなのかもしれない。彼女は不幸な人だったのだろう。

最後に、食べ物の小話を一つ。 わたしの友人(日本人)は日本(地方都市)で「ウインナー・ コーヒー」(ウィーン風コーヒー)を注文して、コーヒーとウイ ンナー(ソーセージ)を出され、唖然としたと言っていた。冗談の 様な本当の話である。正しくは「アインシュペナー」という。 クリームたっぷりの美味しいコーヒー。ゲルマン系の国の食事は オーストリアを含めてあまりいただけないが(ソーセージ類・ 肉類が多すぎて吐き気を覚える)、オーストリアに行くと私は 「シュニッツェル」(豚カツに似ている)、ビール、「アップ フェル・シュトルッデル」(アップルパイ)、そして最後は例の ウインナーコーヒーというお決まり4点セットにして頼む。これは 全て美味しい。皆さんも行かれたらトライされてみるといいかもし れない。アウス・ビーダーゼーエン。


(2000年6月5日)




第8話:監査人とは何者か?

こちらは昇天祭で木曜から4連休なので、もう一つ書き込みま しょう。小職HPからのカット・アンド・ペイストですが。

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「監査人とは何者か?」(ビジネスマンのための基礎講座)

外部監査人=公認会計士というと、経理担当者以外はあまり馴染み がなく、「電卓片手に計算ばかりしている分厚い眼鏡をかけた人達」 といったイメージをもっている人が多い様だが(実際、公認会計士 を揶揄してアメリカでは俗にbean counter=豆を数える人などと いうことがある)、実際は電卓などあまり使わない。やる事は会社の 作成した財務諸表が「真実且つ公正なる概観」(a true and fair view:英国)を示しているか否か意見を述べる職業だ。 これを理解するには「会社は誰のものか」という議論から説明し なければならない。

日本では最近まで、「会社は社員のものだ」という前提に基づく 会社経営が行われてきた。しかし、英米で主流の考え方は、「会社 は株主のもの」であり、取締役のものでもなければ、社員のもの でもない(但し、最近では日本でも株主重視の経営スタイルが定着 しつつある)。とは言うものの、現実問題として、経営能力のない 多数の株主が会社を経営することは不可能なため、資本(株主)と 経営(取締役)を分離させ、言わば株主が経営者達を雇う訳である。

経営者達は株主に対し、会社を正しく運営する責任(受託責任= fiduciary duty)がある。しかし、株主には、「会社が正しく 運営されているか」「経営者が受託責任を果たしているか」と いった点をチェックする術がない。そこで、会社の所有者である 株主と会社をつなぐ唯一の手段若しくは生命線として財務諸表 (financial statements)は重要なのである。

この「生命線」は原則として経営者が作成するため、正しく作成 されているか否か、外部の専門家(監査人=auditor)に依頼して 内容をチェックする必要がある。

但し、監査(=audit)は「数値・内容の正確さのチェック」や 「不正の摘発」(例えば粉飾決算等)が主目的ではなく(全ての帳簿 をチェックすることは物理的に不可能)、重要性 (materiality) の原則に基づいて、「作成された財務諸表が会社の実態を示して いるか否か意見を述べる」ことを目的としている。

往々にして、「監査人は経営者の不正を摘発する責任がある」 若しくは「監査人には財務諸表の内容を100%チェックする責任 がある」と誤解し易い一般投資家との間にexpectation gap(期待 の度合いのギャップ)が存在する。このため、英米の監査報告書 には非常に多くのcaveatを入れて、誤解し易い投資家や財務諸表 利用者に注意を促す必要がある訳である。

以上簡単だが、「監査人とは何者か」「株主、経営者、外部監査人 の関係」がお分かり頂けたと思う。尚、「閑散役」こと監査役に ついては次回説明する。


(2000年6月4日)




第7話:ストックオプションについて

アスクタカさんの今月の提言(ストックオプション)拝読させて 頂きました。僭越ながら(わたしもプロ=公認会計士の端くれです ので、ご宥恕賜りたく)、よくまとまっていると思います。ディス クロージャーの点など正に同感です。尤も、不十分なディスクロー ジャーはストック・オプションに限らず報酬の分野で言えば、 役員報酬・賞与全般に当てはまるのですが。 以下、(まとまりに欠けますが)私のコメントです。

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日本は確かに遅れているが、ある有力誌で、SBの孫氏は、その 原因を「役人メンタリティー」と結び付けていた。「官僚はスト ック・オプションを享受できないので性悪説でとらえて優遇を制限 している。一方、退職金には充実した優遇措置を適用している。 彼らは天下りで何度も退職金を受け取る人も多い」(引用)。

彼の理論の是非はわからないが、私見では、遅れている理由は 制度面の不備だけではない様な気がする。サラリーマン・メンタリ ティーにどっぷり漬かった役員のうち、一体どれだけの人が、 ストック・オプションを得ることによって孫氏の様な起業家・ 創業者マインドに自ら意識改革できているのだろうか。

本来、業績が悪い時や現在の様な企業が大きな方向転換を強いら れる変革期において、こういう長期インセンティブを効果的に 使って役員・社員の士気を高めるのがトップ・マネジメントの 仕事のはずである。気合、喝を入れる訳である。

一体どれだけの日本企業でストックオプションはそういう風に 使われているのだろうか。本当に業績回復に貢献しているので あろうか(勿論4年という短い制約が足枷になっている点は否め ないが)。全部とは言わないが、日本人にありがちな横並び意識で、 流行にのっているだけの企業も少なくないのではなかろうか。

因みに、フランスでは役員の報酬が高過ぎて不平等という理由で、 ストックオプション付与を制限しようという逆行した動きまであ る様だ(法案はまだ通ってないはずだが)。そういう意味では、 制度の不備があっても、まだ導入モードにある日本はまだましな のかもしれないが。


(2000年6月4日)




第6話:パンの話

ブリュッセルは小さな街だ。ロンドンやアムステルダムの様に (因みに、この二つの街は日本人の持つヨーロッパのイメージと 合わず、がっかりして帰る人も多い)、人でごった返していない。 ヨーロッパの趣がある。森が多い。ヨーロッパでグルメの街という とパリと答える人が多いかもしれないが、ブリュッセルはパリを越 える程グルメの街と言われる。ミシェランの星付きレストランの数 も多く、レベルは極めて高い。

EU本部があるので、欧州各国から外交官やビジネス・エリートが 集まる。様々な国際会議も頻繁に開かれる。英語が最も通じる 非英語圏の一つだ。小さな国で、他にすることもないので、訪れる 人は皆、レストランで金を落としていく。だから、レストランが 増える。競争するから、味のレベルも上がっていく。

先日、戦略コンサル会社に勤める友人が出張がてら遊びに来たの で、ブリュッセルで最も高級と言われる3つ星レストランに連れ ていった(その男のおごりで)。普段は味に煩い男だが、かなり 満足して帰っていった。

我々の向って反対側のテーブルに観光客風の東洋人のカップルが 座っていた。パンが来ると、男の方が、丸かじりした。

「パンはちぎって食べよ」と日本でも言うけれども、小さなパン だと、つい、がぶりついてしまう人は今でも時折見かける。結局、 暗記させるから、いざという時に駄目なのである。何故か、という 点を子供達に教えないのは大人の罪である。論理的に教えれば身に つくのではないだろうか。

何故ちぎるのか。これもキリスト教の「与える喜び」「分かち 合う喜び」である。がぶりついてしまうと、もしここに突然、 餓えて死にかかった可哀相な人が現れたら、口をつけていない方 をあげることができない。だからパンは二つ割り、若しくは、 小さくちぎって食べなさい、ということになる。

即ち、がぶりつくと「品の悪い人」「育ちの悪い人」どころでは なく、もっと卑しいレベルの最低の人間と思われてかねないので ある。ここまで、説明すれば人目の気になる日本人ならばすぐに このマナーはマスターするであろう。

この話と関係するのかわからないが、ある時、アンドーラという ピレネー山脈付近にある国(日本では存在さえ知られていないの ではなかろうか)のカフェでお茶をしていると、ジプシーの 子供達がやってきて、客に食べ物をせびりだした。私の隣の席に いたアメリカ人家族は、狼狽しつつ、食べていたサンドイッチを どんどん取りあげられてしまった。最後は、奥さんも頭にきて、 Noときっぱり拒絶した。母は強し。こういう時、女性は頭の切り 替えが素早い。旦那は、子供の手前、沈黙に徹するしか術がなく、 彼のサンドイッチはお皿だけ残してきれいになくなっていた。 Give him an inch, and he'll take a mile.(厚かましい人に 隙を与えると、収拾がつかなくなりますよ)という言葉を作り だしたのもアングロサクソンなのだから、物事は杓子定規にやればいい、 という訳でもないとは思うのだが、子供の頃から繰り返し、繰り 返しそう教えられていると、人間は咄嗟の判断さえつかなくなって しまうものなのかもしれない(父親はあくまで、「与える喜び」を 子供に教えるために戦略的に沈黙に徹したのかもしれないが、どう いう訳か父親の顔が引きつって見えた。まるで、思考停止してし まったかの如く)。

ところで、レストランマナーといえば、、こちらでは米を食べる 習慣がないので(あっても、少量の付け合わせに過ぎない)あまり 関係ないのだが、日本のフランス料理屋に行くと皆、杓子定規に フォークの背に一生懸命、米粒を擦り付けて食べている。

何故「フォークの背」を使うのだろうか。「あれは滑稽だ、 何故だ」と、英国人の知人に聞かれた事があるが、私は答えに 窮して、苦し紛れに「倒錯したスノビズム」と答えておいた (因みに、私は、そんな面倒な食べ方はしない。人が何と言おう が、右手にフォークを持ち替えて食べる)。おそらくテーブル マナー教室あたりでそう教えているのかもしれないが、何故そんな 出鱈目を教えるのか未だに分からない。この例も、常に何故、何故 と考えずに、人の言うことを鵜呑みにすると、知らないうちに失敗 する好例と言えるだろう。


(*)以上は、小職HPより抜粋。


(2000年5月31日)




第5話:英語コンサルティング・その4

帳簿の調理人達:cook the books, etc.

「逆オークション」というビジネスモデルで有名なA社という アメリカのネット関連会社がある。この会社は、所謂「情報仲介」 (Infomediary=information + intermediaryからできた新語)を 本業としており、常識的に考えれば、例えば航空券などの取り扱い 商品の売上ではなく、仲介手数料を売上とすべきなのだが、前者を 売上計上している様である。

素人投資家は、こういう会社の数字を鵜呑みにする傾向があるので、 「投資家に誤解を与える」(misleading)として当局に目をつけ られる訳である。しかし、新しいビジネスの場合、必ずしも、現行 の規定では対処しきれないことも多い。

この様に、法の抜け穴を巧みについて、自社に有利な会計処理を 選好することを「創造的会計」と呼ぶ。所謂、婉曲表現だが、 必ずしも全てが違法、粉飾という訳ではない。関連表現をいくつか。

・「帳簿をごまかす」= 料理に喩えて、cook the books。

他に、口語でdoctor numbersとも言える(数字をごまかす)。 漢語で言えば、falsify recordsといったところか。

因みに、「税務署課税」といわれる程、日本を含めた多くの国 では、調査官の裁量で解釈される場合が多い。これは、事実上 「ノルマ主義」が蔓延しているからである。悪質な意図がない 単純な「申告漏れ」でも、「隠蔽又は仮装」と見做され、税率 の高い重加算税がかけられる場合がある(特に中小企業=因み に、大企業には移転価格税制を盾に攻めてくる)。

尤も、「帳簿の調理人達」が跋扈するからこそ、課税強化せざ るを得ない、という側面もあるので、一概に税務当局を非難で きないのだが。

・「粉飾決算」=window dressing

以前も説明したが、あくま で、不正が起きないような内部管理体制を構築するのは、経営者 の責任である。しかし、訴訟では、金のない経営者よりも「懐が 暖かい」監査法人などの利害関係者が狙い打ちされる訳である (Big Pocket Syndromeという)。

・「比較可能性」=comparability

一昔前は日本の会計基準で 作成された財務諸表は「比較可能性」を欠く、と言われたもの だが、最近はかなり世界標準に近づこうと努力が見られる。

(2000年5月24日)




第4話:英語コンサルティング・その3

駱駝の背骨をへし折る藁一本(2)noblesse oblige

補足説明:この言葉は、一般的には高貴の生まれには高貴の行い を課す」「高貴の義務・美徳」などと難しく訳されているが、 「経験のある人は、ない人に知識・経験を分けてあげよう」、 「無償で与える喜びを感じよう」という風に解釈すると、 スノビッシュなうさん臭さがぬける。皆さんも、「常識とは?」 でいらいらされた時はこの言葉を思い出して、忘れましょう。 (と、偉そうなことをのたまいながら、さてどうやって処理しよ うか、週末に思い悩む「だめおやじ」でした)
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「青い血」(小職HP日記より引用)

雑誌である日本株のTOB(takeover bid)を仕掛けた人の敗戦記を 読んでいたら「正直言って、家で遊んでいたって食っていけるんだ。 あえて通産省に入ったのも、辞めてTOBをしかけたのも全て国の ためだ。」などと、鼻息の荒いコメントがあった。

こういう人のことをborn with a silver spoon in his mouth (銀のスプーンをくわえて生まれてくる)と表現する。もっと簡単 に言えば、born rich, born to wealthでいい。この一件はいろ いろ物議を醸したが、アメリカの受け売りをやっても、日本はなか なか変わらないということなのだろうか。尤も、誰かがやらなけれ ば変わらないのだが。

おそらく、彼はエリート中のエリートとして(the best and the brightest) 挫折知らずで、ずっときたのだろう。You can't win'em all.(人生、常勝無敗とはいかず)ということか。

因みに、noblesse obligeという言葉がある。「高貴の生まれには 高貴の行いを課す」「高貴の義務・美徳」。フランス語風だが、 典型的なアメリカニズムである。

元々は南部で流行った言葉で、奴隷制度という現実を前に「べき論」 の好きなアメリカ人が作り出した理想論と小職は理解している。 当時は、これを曲解した者達の間で「貴賎結婚」(morganaticism) が流行った(実態は、奴隷に「お手つけ」をした主人が、彼女たち を妾とした訳で多くは結婚ではなかった)。しかし、時を隔てて、 それはアメリカの美徳となっていった。

実際、アメリカの成功者達はこれを実践している人が多いので感心 する。週末に地元のためのボランティアを大企業の役員達がかって でるという風景はなかなか日本では見られないが、アメリカでは多い。 戦争が勃発すると、アイビーリーグの大学生や院生が多数休学して お国のために戦地に向う。善し悪しは別として、これがアメリカの 強さである。

イギリスでも、貴族がいる割には、あまりこういったことを積極的 に行っているビジネスマンは多い様には見受けられない(伝統的に はnoblesse obligeは名門パブリック・スクールの精神のはずだが)。

自分のことを「神の子」と表現していたけれども、もしかすると、 あの日本人はnoblesse obligeということを言いたかったのかもし れない。

(2000年5月20日)




第3話:英語コンサルティング・その2

駱駝の背骨をへし折る藁一本& noblesse oblige

ミナという方の掲示板を見ていたら、少し前に「常識」ついての 議論がありました。発端は、「キャンパスビジットに来る人間に 親切に案内してやっても挨拶一つなし」「推薦状書いてやっても、 その後音沙汰なし、そんな人間に今後何があろうと面倒見てやら ん」などなど。

結論から言うと、私はファイトという方と同意見です。有難うを 言ってもらうために、やる訳ではなく、「自分のためにやる」 (引用)訳です。私流に言えば、「与える喜び」です(これは キリスト教の概念ですが、父祖伝来の江戸っ子の美徳でもありま す。東京人は冷たい、田舎の人は優しい、などと時折、非論理的 な事を言う人がいますが、視野狭窄ではないでしょうか。そもそ も東京にいる人のマジョリティーは様々な地方出身者なのですから)。

この考え方の一つの側面として、私のサイトで以前日記に書いた noblesse oblige があります(後でそれも載せておきます)。 Asktakaさんがご多忙中、これだけマメに書かれているのも、 「与える喜び」だと思います(実際やってみると、HP管理と いうのは非常に手間がかかるし、訳のわからないメイルも来たり します。正直言って、忙しいビジネスマンがHPを続けるのは 難しいと痛感しました。Asktakaさんのマメさには脱帽です)。

Mr人間喜劇

(2000年5月20日)




第2話:バルザック La Peau de Chagrin

Asktakaさん

「あら皮」には行ったことがありません(貴職と同意見で他の 2店の味で十分だと思うのですが、ゴリオのシェフ曰く「あら皮」 の味は別格とのこと)

ゴリオ、バルザックには何度か行きましたが、「あら皮」の 値段を考えると思いとどまってしまいます。バルザックはとも かくゴリオなど隣の席との間が狭く会話まる聞こえで雰囲気は お世辞にもいいとはいえません。あら皮もあんな感じなので しょうか?あの雰囲気で一人6万以上だとしたらパスです。。 そのお金をだすなら味だけではなく雰囲気も必要です。

ところで、バルザックの「あら皮」という本はまだ読んでいない のですが(Le Pere Goriot「ゴリオ爺さん」は読みましたが) どなたか内容をご存知の方いらっしゃったらお教えください。 読んでから、あの店に行ってみようかと考えています。 アマゾンで調べたら6ドル程度でした(仏文学などの邦語訳は あまり上手いのが少ないので、英語で読んだ方が読みやすいと わたしは思います)= 何故、日本一高いステーキ屋のオーナー が3店のうち最高級店に「あら皮」と名づけたのでしょうか。 (バルザックが食通だったからバルザックの作品にこだわって いる、おそらくオーナーは仏文科出身でフランス留学をしたかも しれないし、もしかしたらフランス料理屋崩れかもしれない、 は読めるのですが)

仏語タイトルは、「後悔の皮」という意味だと思います。最高級店 にはふさわしい名前とは到底思えませんが。 因みに英語のタイトルは Wild Ass's Skin =野生のロバの皮と なっています。日本語訳は何故、鹿という字を三つくっつけて 「あら」と読ませるのかわかりません(あれでロバと読むので しょうか。鹿が三つ集まって、野生のロバになるのでしょうか。 漢字三つくっつけるとたいていロクな意味にはならないのですが。 例=姦)

こうやってくだらないことでも常日頃から Why? Why? と考え ながら、きっとこうではないかと推測していると、勘が冴えて きます。仮説が当たると脳の中の線がつながる感覚が味わえます。 加えて、話題が豊富になります(外人との話では話題が豊富に こしたことはありません)。外人との横飯が不得意な方は常日頃 からこういう筋トレをすべきなのです。結局は語学ではなく 「語るべき自分を持つ」ということです(特にフランス人は文化的 な話ができないと駄目です)。

Mr人間喜劇

(2000年5月14日)




第1話:英語コンサルティング・その1

「最大限、努力してまいる所存」「前向きに検討する」

こういう玉虫色の表現は日本語だけ、と思われるかもしれないが、 特に契約書ではアングロサクソンの弁護士が戦略的にこういう 言葉を使ってくるので、注意が必要だ。日本語だと信用しなく ても、英語だと信用してしまう人が結構いる。

結論としては、 endeavour, best effortsといった単語を 見たら、身構えた方が賢明だろう。「努力する」では法律的な 責任を問うことはできないし、泣き寝入りという場合も多々ある。 後から、「知らなかった」では済まないのだ。

だから、こういう言葉を見たら、韓非子的な目(人間不信の哲学) で対応する、つまり「努力する」の内容や期間を具体的に明文化 して、いざという時に何らかの法律的責任を問える様に契約内容 を変更しておくことが肝要だ。

結局、契約というのは曖昧さをどれだけ排除できるかにかかって いる。What if ? の発想で、どれだけ違う種類の the blackest-possible scenario (the worst-possible scenario) を積み重ね、備えておけるかが、勝負の分かれ道となる。「そこま でやらなくても」で片づけるのは簡単だが、私ならこれを healthy scepticism(健全なる猜疑心)と呼ぶ。

因みに、国際税務(税務も結局は税法や租税条約の解釈なので、 法務の範疇と言える)でも、この言葉はよくでてくる。一番有名 なのが、OECDモデル条約第25条の「相互協議」条項、経営者 や経理担当者用に簡単に言えば、「移転価格税制でよくでてくる あの条項」である。二国間で二重課税等回避に「解決に努める」 (shall endeavour to resolve)とは書いてあるが、その保証は ない。

先日、新聞を見ていたら、某国の日本企業現法社長逮捕という記事 があった。もしかすると、言葉のわからない国で訳のわからない 契約書にサインをしてしまったのかもしれない。

リスク管理は大切だ。結局は自己責任なのである。わたしの クライアントには、この辺を熟知している「法務優等生」が多く、 契約書のレビューにしても「法務面と税務面の両方でチェックして 下さい」と来るが、わたしが社長ならば全ての契約書にそうする だろう。相手側も会計士、弁護士を使って戦略的に契約書を作って きているのだから、こちらもサインする前に、十分な金と時間を 使って相応の対応をすべきなのである。お金というものはケチって も仕方ない時がある。

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欧州発「英語コンサルティング」

−外資系コンサルタントの斬れる英語表現−

欧州の中心(非英語圏)に住む著者がアングロサクソン系コンサル タント会社勤務を通して体得した斬れる表現(及びその背景にある 考え方、狩猟民族の掟など)をご紹介していきます。

例えば、次のようなテーマなど。

 崚崟个播屬哀蝓璽澄璽轡奪廖
◆峭盖の生まれには高貴の行いを課す」
「表か裏か」
ぁ峩銘鄂Г留儻譴叛鑪的法務リスク管理」
ァ屮檗璽薀鵐匹離船ンレース」
Α孱達味佑辰堂拭」

本稿について、ご意見、ご感想等がございましたら小職のHP(こちら)あるいは当HPのゲストブック(こちら)までお寄せ下さい。

(2000年5月13日)



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