わんだふる ペルーアンデス (7)

  1.プロローグ 
  2.ペルーへ向けて出発 : 08月06日(木) 
  3.ブランカ山群1 (リマからワラスへ) : 08月07日(金) 
  4.ブランカ山群2 (ウルタ谷、ウルタ峠) : 08月08日(土) 
  5.ブランカ山群3 (パロン湖、ヤンガヌコ谷) : 08月09日(日) 
  6.ブランカ山群4 (ヤンガヌコ峠、デマンダ谷 : 08月10日(月) 
  7.ワイワッシュ山群1 (ワラスからワヌコパンパへ) : 08月11日(火) 
  8.ワイワッシュ山群2 (ケロパルカからカルアコーチャ湖) : 08月12日(水) 
  
9.ワイワッシュ山群3 (カルアコーチャ湖滞在) : 08月13日(木)
  10.ワイワッシュ山群4 (カルアコーチャ湖からミトコーチャ湖) : 08月14日(金) 
  11.ワイワッシュ山群5 (ミトコーチャ湖からマタカンチャ) : 08月15日(土) 
  12.トレッキングを終えてワラスへ : 08月16日(日)
  13.帰路(成田へ向けて) : 08月17日(月)、18日(火)、19日(水)


                                             => Prev. Page
                                             => Top Page


11.ワイワッシュ山群5 (ミトコーチャ湖からマタカンチャ) : 8月15日(土)

 前夜も夜空がとても美しく、月も出ていました。テントに霜が降りるので、零度前後まで冷え込んでいると思います。

 6時ちょっと前に起床しました。テントの外に出ると、ちょっともやあるいは薄い霧が出ているような感じでしたが、快晴が予想されました。日が出る頃になると、ロンドイ、ロンドイ・チコ、ニナシャンカが真っ赤に輝き始めました。アンデスの山々の朝焼けは本当にきれいですね。

 今日はトレッキング最後の日です。そろそろ疲れも出てきているようで、早くホテルで風呂に入り、ベッドで寝たいとか、マグロや寿司が食べたいナーなどという考えが頭の中を巡り始めました。あと1日と思うと、やや寂しいですが、うれしさも込み上げてきました。

 7時に朝食ですが、体調がすっかりよくなったので、食事も食べることができるようになりました。家内の歯の痛みの方は和らぐ様子はなく、バファリンを飲んでとりあえず痛みを抑えました。ちょっと心配でしたが、歯医者がいるわけではないので、我慢してもらうしかありません。

 8時にテント前に集合し、軽い体操の後、最後のトレッキングに出発しました。今日は、今回のトレッキングの最高地点カカナン峠(Cacanan、4,685m)を越えて、マタカンチャ(Matacancha,4,150m)のテントサイトまでです。標高差は約500m強なので、たいしたことはないのですが、疲れも出てきているので、気合を入れて出発しました。

 始めはゆったりとした草原の登りです。1時間ごとに休憩を取りながら、のんびりと登ります。今日も歩いている途中、西洋人やその荷馬隊に出会いました。9時40分頃、今日越えるカカナン峠方面の山が見えてきました。日本の山のように、急峻な谷あるいは尾根を登るのではないので、気分的にはたいへん楽でした。

 途中、右下の谷のほうに褐色色のコカコーチャ湖が見えてきました。この湖から流れる川は、我々の最初のトレッキングのスタート地点のケロパルカへ続いているとのことでした。しばらくすると道もきつくなってきます。さあ頑張れ!です。

 11時過ぎ、ようやく峠の登りの取り付き点に到着しました。少々の休憩を取りました。

ミトコーチャ湖の朝(5:55) ロンドイ・グランデ&チコ(6:17)
トレイル下の谷(8:30) 荷馬隊(9:20) 荷物を運んでくれるロバ君 カカナン峠方面を望む(9:40)
コカコーチャ湖(10:20) さあ頑張れ(10:48) 登ってきたトレイル(谷)(11:10) カカナン峠を望む(11:25)

 休憩の後、やや急ながれた道をジグザグにゆっくりと登りはじめました。ときどき息が上がりそうになるので、深呼吸をして呼吸を整えます。そして、ようやく11時55分、カカナン峠(Cacanan、4,685m)に到着しました。これで辛いトレッキングは終わりです。ツアーリーダーと握手をし、喜びを分かち合いました。みんなも歓声を上げて喜びました。

 例によって、この峠でもコックさん一人が我々を待ち構えており、おいしいランチをサービスしてくれました。まわりの景色を見ながら、またようやくトレッキングを達成したという(まだ下りがありますが)思いをかみしめながら、ランチを食べました。

カカナン峠から1(11:55) カカナン峠にて カカナン峠から2
 ランチの後、13時10分に、最後のテントサイト、マタカンチャへ向けて出発しました。峠の付近では、標高4,500mもあるというのに、花が咲いていました(今までの草原ではあまり花は見られませんでした)。もちろん花の名前は分からないのですが、厳しいトレッキングで疲れた心を癒してくれるようでした。後は下るだけですので、鼻歌交じりの歩きで、それぞれ思い思いに歩きました。峠の反対側は、低い山が連なっており、その間は草原になっていました。車が通る道路が谷にそって走っているのが見えました。久し振りなので、ほっとした気持ちになりました。

花1 花2 花3 花4
裏側からのニナシャンカ マタカンチャの谷(14:00) マタカンチャのキャンプサイト(15:00) ニナシャンカ&ロンドイ(18:05)

 15時5分、マタカンチャ(Matacancha、4,150m)のキャンプサイトに着きました。これで本当にトレッキングは完了です。みんな握手でお互いの健闘を称えあいました。私も何とか完走できたので、本当に喜びもひとしおでした。もちろん、家内も、当初の不安にもかかわらず、とうとう目的を達成できたと感激していました。テントに入って、少しリラックスした後、ダイニングテントでティータイムがあり、クッキーを食べながら、楽しいひと時を過ごしました。

 18時ころテントの外に出ると、夕日に輝いているニナシャンカ(Ninashanca、5,607m)とロンドイ・グランデ(Rondoy Grande5,870m)がきれいに見えました。今日もすばらしい天気でした。しかし、トレッキングが終わったといっても、まだ標高4,000m以上の高地です。夕方になるとやはり冷え込みが厳しくなりました。

 8時30分から夕食をとりました。高所順応チェックを行いましたが、問題ありませんでした。食後はテントに戻り、最後のホッカロンを足先などに貼って、シュラフにもぐりました。しかし、家内の歯茎付近は痛みが強まってきたようで、頬が腫れ、さかんに痛がっていました。バファリンヲ飲んでとりあえず痛みを抑えていましたが、どうにもしようがありません。3日後には日本に帰るので、なんとかもってもらうしかありませんでした。


12.トレッキングを終えてワラスへ : 8月16日(日)

 16日、トレッキングを終えて、ワラスへ戻る日です。いつものとおり6時のモーニングコールで起きました。これもまたいつものように、現地スタッフから出された洗面器に入ったお湯で顔を洗い、サービスされたティーを美味しく飲みました。これも今日が最後です。天気は快晴で、やや山頂を赤く染めたニナシャンカとロンドイ・グランデがきれいに見えました。気温はマイナス5度くらいまで下がったようで、大変寒い朝でした。7時から朝食を食べました。私は体調は完璧に戻ったので、久し振りに美味しく、かつすべて食べることができました。しかし、家内の方は右頬の辺りが腫れてきて、痛みが収まらないようで、さかんに嘆いて?いました。

 7時40分に、現地スタッフ全員を含めて集合し、簡単なお別れのあいさつと記念写真を撮りました。我々はここからはバスで戻るので、ポーターの人たちはここでお別れとなり、彼らはそれぞれの家(トレッキングをスタートしたケロパルカ方面とのこと)に戻るとのことでした。ポーターの賃金はここで支払われるとのことでした。
 
 この後、昨日から迎えに来ていたバス(来るときにも乗ったバスです)に乗り、8時10分マタカンチャを出発しました。来るときと同じように、砂利道の山岳道路を延々と走ります。途中に集落があり、ゲート前でストップしました。ここでは、通行料を徴収されるとのことでした。集落の観光収入になるようです。ところが、幸いか不幸か、ちょうどここでバスのタイヤがパンクしてしまいました。日本では使用禁止となるような、かなり平らなタイヤを使っていたようです。そのため、この集落の中を散歩しました。少し道を上がっていくと村の広場があり、土レンガでできた2階建ての長屋のような住居がその集落を囲った形になっていました。小さな教会もありました。


朝のニナシャンカとロンドイ(6:20) 現地スタッフ全員と記念写真(7:50) ゲートのあった村(8:50) ゲートのあった村の広場と教会

 30分くらいでパンク修理が終わり、バスはゲートを開けてもらい、再びワラスへと向かいました。途中でかなり大きなチアキンという町の中を通りました。バスはその町を見下ろすところに停車しましたが、緑の芝生?のサッカー場などもあり、この地方の中心地のようでした。ここからは、白く輝いたイエルパハの山塊がくっきりと見えました。再びバスは一所懸命走ります。だんだんと退屈になり、また暖かいので、ついついうとうととてしまいました。運転手さん、済みません。

村のゲートにあったサボテン 途中の大きな町(11:05) 白く輝くイエルパハ(11:05)

 11時40分、2車線の広い舗装道路に出ました。来るときに通った道路で、左に行けばすぐにコノコーチャ峠の近くに着く地点でした。バスは右折して、少し走り、路肩の広場に止まりました。ここはワイワッシュ山群の全体が見渡せるビューポイントなので、ここでランチをとるとのことでした。バスを降りるとかなり冷たい風が吹いていました。コックさんがランチの準備をしている間、ワイワッシュ山群を見るために、小高い丘に向かって少し斜面を上がっていきました。丘の上に着いたら、どうでしょう、すばらしいワイワッシュ山群が眼前に広がっているのが見えました。本来は行きでも見えるはずだったのですが、このときは曇り空で見えなかったわけです。4泊5日のトレッキングで仰ぎ見たワイワッシュ山群の氷雪の山々が青い空をバックにしてくっきりと見えます。左からニナシャンカ(Ninashanca、5,607m)、ロンドイ・グランデ(Rondoy Grande、5,870m)、ヒリシャンカ(Jirishanca、6,094m)、イエルパハ・チコYerupaja Chico(、6,089m)、イエルパハ(Yerupaja、6,617)、シウラ・グランデ(Siura Grande、6,334m)です。いやー、昨日で感嘆は終わりかと思っていたのですが、またまたすばらしい山を見せてもらって、また感嘆!でした。ありがとう!

 しばらく写真を撮ってから下へ下りると、コックさんが料理を作り終えて、待っていました。さっそく、おいしいランチをたっぷりと食べました。これがコックさんの最後の料理でした。コックさんにもありがとう。

ワイワッシュ山群左側(12:00) ワイワッシュ山群右側 ヒリシャンカ(Jirishanca、6,094m) イエルパハ(Yerupaja、6,617m)
バスとワイワッシュ山群 料理するコックさん(12:30) 丘にあった珍しいサボテン
 
ランチを終えて、12時50分、バスに戻り、出発となりました。13時には、コノコーチャ峠に到着し、そこを右折して、ワラスへ向かいました。3度目の国道?ですが、だんだんと高度が下がるにつれて暑くなってきました。とちゅう、町のお祭りがあり、着飾った人たちが道路を行進?しているのが見えました。

 14時35分、ワラス(3,050m)のホテル(Hotel Anduno Club)に到着しました。本当に、これで今回のトレッキングはThe Endです。早速、部屋へ戻り、風呂に入って、体の汚れを洗い流しました。11日のワヌコパンパ(HuanucoPanpa)から、5泊6日のテント生活の間は当然風呂に入っていないわけです。やはり風呂は毎日入りたいものですね。風呂から上がって、荷物を整理したりして、少しのんびりと体の疲れを癒しました。空は快晴にもかかわらず、ワスカランなどのブランカ山群は雲に覆われ、窓からは見ることができませんでした。なかなか気難しい山のようですね。
 
お祭りの楽器演奏隊(14:00) レストランでの夕食(19:00) サンポーニャの演奏者
 
 今日の夕食は、ホテルでの食事ではなく、フォルクローレの演奏を聴けるレストランでの食事でした。夕方6時にバスに乗り、まずは町中の小さな食品スーパーでショッピングをしました。ここで、ペルーのワインを2本買いました(東京で開けてみたら、1本はリキュールでしたが)。

 ショッピングを済まして、レストランに行きました。なかなか素敵なレストランで、久し振りの通常?の食事が出されました。もちろん体調は完全回復しているので、みんなおいしく食べました。ビールが解禁となったので、グラス1杯ほどをおいしく飲みました。家内は顔が腫れ、歯茎が痛むようでしたが、食欲はあるようで、おいしそうに?食べていました。食事中に、2人の演奏者(ギターとサンポーニャ)が入ってきて(我々のグループが呼んだとのことでした)、すてきなアンデスのフォルクローレを熱演してくれました。もちろん、「コンドルは飛んでいく」も演奏してくれましたよ。いやいや、本当によかったです。通常は、演奏者のCDをその場で売るのだそうですが、今回は持ってきていなかったので、買うことが出来なく残念でした。

 8時半頃にホテルへ戻りました。明日はリマへ戻る日ですが、かなり長時間のバスツアーになるので、トレッキング時より早い、7時30分出発(5時30分、モーニングコール)とのことでした。忙しいですね。部屋へ戻ると、お土産などを手早くパッキングし、疲れもあるので、すぐに寝てしまいました。もちろん、もうホカロンを貼る必要もありません・・・


13.帰路(成田へ向けて) : 8月17日(月)、18日(火)、19日(水)

 8月17日(月)、いよいよブランカ山群とワイワッシュ山群にお別れする日になりました。と、感傷に浸っている場合ではありませんでした。家内は夜中から右の歯茎辺りが痛く、頬が大きく腫れてきてました。医者をと思っても、ワラスで探すのは難しい感じでした。早朝5時ころに、ツアーリーダーを電話で呼び出し、どうしたらよいか相談しました。ツアーリーダーは現地ツアーガイドに電話で相談し、その結果「現地ツアー会社がリマで病院と通訳者を手配をするので、夕方まで待つってほしい」という話でした。東京まで実質あと2日間ですので、とりあえずリマで救急処置をしてもらい、何とか東京までもつようにするしかないという結論になりました。家内も大変でしたが、私のほうも途方にくれ、何とか頑張ってくれといった気持ちでした。
 

 5時半にモーニングコールがあり、最終的な荷物の整理を行い、スーツケースなどをドアの外に出しました。窓の外は快晴で、今朝はブランカ山群がよく見えました。ワスカラン(Huascaran、6,768m)の右にはチョピカルキ(Chopicalqui、6,354m)のピラミッドがよく見えました。今までよく見えなかった山なので、感激でした。それにしても、ワスカランが大きく、立派ですね!6時30分に、朝食をとりました。家内の方は、歯茎は痛いものの、まだ食事は食べることができました。

 7時40分、バスに乗り、ワラス(Huaraz、3,050m)へ向けて出発しました。昨日通った国道を戻り、コノコーチャ峠(Conococha、4,050m)へ行き、そこから右折して、太平洋岸のバランカに出ます。その後は、パン・アメリカン・ハイウェイを南へ走って、リマへ向かい、深夜にリマの飛行場を飛び立つ手はずです。しかし、私と家内は、夕方リマに着いたら、すぐに病院へ行って、救急治療を受けなければなりません。なんとなくそわそわした感じで落ち着きませんでした。

ワンドイ、ワスカラン、チョピカルキ ワスカランとチョピカルキ(Chopicalqui) 朝食 コノコーチャ峠付近のビューポイントから

 ワラスとコノコーチャ峠の間の国道は4回目の通行になります。帰路のバスの中は比較的静かです。高度をかなり稼いで、もうそろそろコノコーチャ峠に近くなってきたのかなと思っていたところ、バスは草原の真ん中で停車しました。ここからブランカ山群の全貌が展望できるとのことでした。バスから降りると、道路の左側、すなわち東側に白い山々が連なっているのが見えました。山は5,000m〜6,000m級なのでしょうが、長く山が連なっているので、名前を教わってもどれがどの山かよく分かりませんでした。一応教わった山の名前を挙げると(正確ではありません)、左からワンドイ(6,395m)、ワスカラン(6,768m)、チョピカルキ(6,354m)、コパ(5,579m)、ヴァルナラフ(5,686m)、オクシャパルカ(5,588m)、チュルップ(5,495m)、ランラパルカ(6,162m)、イシンカ(5,530m)、シャクシャ(5,703m)、ワンツァン(6,395m)、ウルアシュラフ(5,722m)、ローレック()、プカラフ(5,372m)、ムルラフ(5,6xxm)、カウララフ(5,603m)ということでした。それにしてもアンデス山脈は大きいですね。

 9時30分にコノコーチャ峠に到着し、トイレ休憩となりました。ワイラス回廊に初めて入ったのが7日(金)ですから、11日間滞在したことになります。ここでお別れです。しばらく休憩後、ふたたびバスに乗り、(太平洋)海岸に向かって走り始めました。11時に、来るときにも休憩した町?(標高およそ700m)で再度トイレ休憩となりました。小さなお店で果物や飲み物を売っていました。

 休憩後バスは、海岸のバランカに向かって走ります。いったんパンアメリカン・ハイウェイに出て、左折し、しばらく南方向へ走り、バランカの町で右折して海岸に下りていきました。12時に、来るときもランチで寄った小さなレストランに到着しました。今回は外がやや寒いので、レストランの中で食事をとりました。しかし、家内は頬の周りが痛くて腫れているので、とても食べることができないといって、バスの中に閉じこもってしまいました。これでは、私もゆったりした気分で食事もできませんでした。食事中に黒人が入ってきて、箱イスのような「木箱」でドラム?(下の写真で腰掛けているもの)演奏をやってくれました。なかなか面白かったです。チップを出しました。

 食事の途中で、リマから電話が入り、日本語通訳と病院が決まったという連絡がありました。「私立の病院で保険がきかないが、お金はあるか」と聞かれたので、「いくら位か」と聞き返すと、「最大500ドル(正確には覚えていませんが)」といわれました。私のほうは「No Problem」と答え、通訳と病院の予約をお願いしました。こちらは、金額を気にして病院を選んでいる余裕はありませんでした。クレジットカードもあるし、AIUの海外保険にも入っているので一部は返ってくるので問題はないと思いました。とにかく救急治療を受けて、今日みんなといっしょにリマで飛行機に乗ることが最優先でした。
 
コノコーチャ峠(Conococha、4,050m) 休憩地点のお店 バランカのレストラン 木箱のドラムを演奏する黒人

 13時40分、バスに乗り出発しました。バスはパンアメリカン・ハイウェイに戻り、今度はハイウェイを南方のリマへ向かって走りました。家内は痛みで不機嫌でしたが、通訳と病院が見付かったのでとりあえず一安心でした。途中の海岸線は、太平洋からの湿った空気が流れ込むようで、霧または薄い低い雲に覆われ、遠くが見えないような天候になり、途中一時的に雨にも降られました。15時30分、行くときに寄ったガスステーションに立ち寄り、ガソリン補給とトイレタイムになりました。このあたりでは、雨も止み、うっとうしい天気でしたが、暑くはありませんでした。

 再度、バスは砂漠の海岸線を南へと走ります。私は早く病院へと気が急いていましたが、どうしようもありません。16時頃、ようやくリマの市街地に入りました。市街地の道路には緑地帯や、街路樹があるところもありましたが、排気ガスなどで空気がよどんでいるようでした。車が多いことと、舗装のよくない道路やレンガの建物などのせいかと思います。道路はかなり混んでおり、車は広いリマの市内の混雑した道路をあちこちと走り回りました。ドライバーも病院の所在地はよく知らないようで、途中で対向車のドライバーに聞いていたりしました。こちらはますます心配になってきました。「大丈夫かな?早く病院へ着かないかな」と考えるだけでした。

 16時55分、ようやくある建物(日本の高級マンションのような建物)の前に車が停車しました。そこには、日本人のような通訳者が迎えてくれました。Wさんという日系3世ということで、鹿児島にいたことがあり、日本語はたいへんうまかったです。ここで、みんなと別れました。他の人たちは、市内で食事とショッピングを楽しむことになっていますが、当然我々はキャンセルです。この建物の隣が病院(CAJA:Clinica Cenenario Peruano JAPONESA、日本の寄付で設立された病院とのこと)で、早速Wさんに連れられて病院の門をくぐり(ガードマンが入場者をチェックしています)、病院棟に入りました。ドアを入るとすぐに受付があり、緊急の旅行者なので診て欲しいと依頼したところ、比較的早く医者の診察を受けることができました。ところが医者は口腔科の医者なのかどうか分かりませんが、「これは自分の担当外なので、歯科へ行くように」と言われました。どうもツアーリーダー、現地リーダー、リマスタッフ、通訳者と話しが伝わっていくうちに、病状の歯痛のことが伝わらなかったようで、歯科のない病院に来てしまったようです。料金はいくらかと聞くと、治療をしていないので無料ということでした。診察料くらいは取られると思っていたので驚きました。

 Wさんは、病院を出るとすぐにタクシーを拾って、歯科の病院へ向かいました。ところが2、3分乗ったら降りてしまいました。先ほどの病院の近から歩いても行けるところに歯科の病院があったのです(診療所ではありません)。5時45分にその歯科の病院(Dental Clinica DE DIA)に入りました。受付で事情を話し、救急処置をお願いしたところ、$20を払えば割り込み?診療を受けられるとのことだったので、当然お願いしました。病院は夕方も外来診察をやっているようで、病院内は多くの人で混雑していました。日本の病院と同じような廊下の長いすで待ちましたが、なかなか割り込み?ができなかったような感じです。しばらくいらいらと待ちました。1時間ほどしてようやく診察を受け、「歯に細菌が入って、炎症を起こしている」との診断を受けました。家内は、「堅いチョコレートかりんごを食べたときに歯を痛めたようだ」と言っており、どうもそれが原因で細菌が入ったようです。「4、5日入院するか?」と問われたので、「とんでもない、救急処置を受けて、今日中に日本に向けて出発したい」とお願いしました。それで、医者は膿を取ったりして、救急処置を行い、薬の処方箋をくれました。とても親切そうな医者で、感謝でした。本当にほっとして、安心しました。

 たくさんの化膿止めなどの薬を受取り、診察料等を支払って(結局トータルで$140くらいでした)、7時45分、ようやく病院を出ることができました。おなかも減っていたので、近くの売店でサンドウィッチを買って食べました。家内も食欲だけは問題ないようで、痛みがとりあえず止まったので食事をすることができました。ほっとしましたね。Wさんは携帯電話で我々のグループと連絡をとり、ある場所で落ち合うことにしました。グループはショッピングを終え、食事がちょうど終わる頃だったようです。現地スタッフの会社から車が用意されていたので、それに乗せてもらい、落ち合う場所に向かいました。8時30分に、ようやくみんなと合流することができました。Wさんには、通訳料(およそ$80)を支払って、お別れしました。本当に日系の通訳者がいて助かりました。ここで改めてお礼を言わせてもらいます。

 バスの車内では、早速診察状況の簡単な説明を行いました。みんなもほっとしたことと思います。たいへん迷惑を掛けてしまいました。ここでお詫びします。9時30分、飛行場ターミナルに到着し、現地スタッフとお別れとなりました。最後があわただしかったので、あまりお礼をいう機会もなかったのですが、ほんとうに12日間お世話になりました。特に最後の通訳と病院の手配は本当に助かりました。この場でお礼を申し上げます。「お世話になりました。ありがとうございました」。

 チェックインのあと、10時頃に通関、出国審査がありましたが、厳重なチェックのため、大変な混雑でした。家内は腫れて膨らんだ頬を隠すためにマスクをしていましたが、出国審査でパスポートの顔と違うと言うことで引っ掛かるのではないかと心配しましたが、何とか無事にパスすることができました。出国審査の後、我々はお土産を買っていなかったので、急いで免税店で適当なお土産を買いあさりました。いやいや忙しかったです。

 11時50分、デルタ航空に搭乗し、翌18日(火)、0時20分リマの飛行場を離陸しました。これで、およそ24時間後には成田に到着できます。安堵のため息が出るようでした。その後は、8時10分にアトランタに到着、そこで再入国、出国の手続きを行い、14時20分にアトランタを離陸、翌19日(水)夕方4時に成田に到着しました。やったーという思いでした。こんなに日本についたのがうれしかったのは初めてでした。空港で皆さんにお礼を言ってお別れし、バスで自宅へ戻りました。

THE END
 
デルタ航空の飛行機

 


<後日談>
 家内は帰国後歯医者に行って治療を受け、現在では完治しました。他方、我々はAIU海外旅行保険に入っていたので、ツアー会社を通してAIU保険会社に治療費を請求しました。ツアー会社の話では、治療中の虫歯などの病気は支払い対象外であるが、新たな歯茎等の病気なら支払われる可能性があるとのことでした。ところがAIU保険は、1か月くらい音なしで連絡がありませんでした。それでツアー会社に問い合わせたところ、「AIU保険は現地歯科病院に問合せをしているが、連絡がつかない。もし連絡がつかない場合は、提出された”診断書(スペイン語でA5サイズのメモ用紙に手書きされたもの)”を翻訳して、支払いの可否判断をする」とのことでした。そして、11月にはいってから、AIU保険から「”診断書”を翻訳した結果、当該病気は歯科疾病なので契約上支払うことはできない」との通知が届きました。

 歯科疾病が保険対象外ということは初めて知りました。皆さんは知っていましたか?何か詐欺にあったような気持ちです。契約条文を読めば書いてあるということでしょうが、申込書のパンフレットなどにきちんとわかりやすく書いておくべき条項ではないかと思いました。その後、直接AIU保険の担当者に電話で確認したところ、”外部から何らかの衝撃等を受けて歯の障害(歯が欠けるとか)が発生して治療を受けた場合は保障されるが、今回は
堅いチョコレートやりんごのようなものを食べて歯に障害が生じたということを証明するものがないので、支払いは不可である”とのことでした。まあ$1000といった金額ではないのでよかったですが、ツアーのあと2か月も過ぎてからちょっと不愉快な気分になってしまいました。




                                              => わんだふる山中湖(Close)