Road to FRANCE PART2 【1998ワールドカップ本大会篇】

サン・ドニの歌

1998年6月18日 サン・ドニ スタッド・ラ・フランス 
フランス対サウジアラビア

パリへ(6月18日 午前8時26分〜午後2時)

朝、ニーム駅でパリ行きのTGVを待っていた。遅れはしたものの、9時半前には列車は出発し、午後1時過ぎにパリのリヨン駅(Gare de Lyon)に着いた。インフォメーションに行き、カルティエ・ラタン(Quartier Latin)で星2つのホテルを手配。その場で電話で部屋を取ってくれた。手数料25フランを払う。メトロを乗り継いで、オデオン(Odeon)駅から歩く。映画館も本屋もカフェもクリュニー美術館も懐かしい。

"Hotel Centrale des Ecoles(学校群の中央ホテル)"という名そのままに、ソルボンヌの隣だった。部屋はものすごーく狭いが、シャワーもトイレもテレビも電話もある。おそらくは、あとからバスルームを付け足したのに違いないが。ドア裏の定価420フラン/日よりもインフォメーション手配価格360フラン/日の方が安い。ワールドカップであろうが、このランクのホテルならあまり影響がないということか。

しばらく休憩。昨日まで激しい移動の連続だったので、さすがに今日は休もうかと思う。今回はとにかくサッカー一筋で行って、あまった時間は別のことを考えるというパターンに決めていた。

チケットはどこで?(6月18日 午後3時)

さあ、問題は今日のフランス対サウジアラビアのチケットをどこで入手するか? だった。スタジアム近くなら2時間前くらいからだが、どこかで「取り引き」が行われているはずだ。普通のプレイガイドにあるとは思えないし、だいたい東京のようにぴあやセゾンやローソンでクラシックからサッカーまで各種チケットが買える都市は他に知らない。というか、そういう情報がなかなかないのだな。コンピューター発券だったのはウィーンのオペラ座ぐらいだったし、そこだって国立4劇場しか扱っていない。コンシェルジェが腕を振るう余地があるわけだ。

さて、トゥールーズやモンペリエなら中心となる広場や通りは一目瞭然だった。ところが、あまりにあからさま過ぎて交渉している様子はなかった。そういう意味ではモンペリエでの遭遇は幸運だったとも言えるし、あんなに小さな街ではどこかで需要と供給が出会うとも言える。

パリでは、果たして、どこで会えるのだろうか? 

とにかく外へ(6月18日 午後4時20分〜5時30分)

4時20分、さあ、出かけよう。今晩、ワールドカップのメインスタジアムでホスト国がゲームをするというのに、じっとしてはいられない。しかし、チケット探しには早すぎる。目標もないのはなんなので、「日本の新聞を買おう」と思う。たしか、ルーヴルに通じる地下にあるCDやグッッズの雑貨ショップに衛星版の朝日新聞と日刊スポーツを売っていた。そこを起点にシャンゼリゼを凱旋門方向に歩くというおのぼりさんコースで、出会いを待つという作戦なのだが。

途中、クロアチア人のスポーツジャーナリストと日本人の奥さんが経営するスポーツショップを通り過ぎる。2人の息子さんは日本語もできるという。やがてセーヌ河岸へ。いい天気だ。ルーヴルの裏からピラミッド(イアン・ペイの設計したあれ)を回って目当てのショップを探すが、ない。仕方なく東京堂書店をめざすが、今度はそこは日本の文化観光局のようなところになっていた。このへん一帯はなぜかラーメン屋(もちろん日本の)が増えていた。

懸案のユナイテッド航空のリコンファームは、すでに期限が切れていた。一応、不要ではあるのだが、電話がつながらないというのが不審だ。ようやく見つけた公衆電話でもやっぱりつながらない。どうしたものか。ここは別の手で電話番号を調べよう。オペラ座付近をウロウロするのは性に合わないが、ここはポピュラーなところを歩かねば目的の「供給者」に出会えない。

計画変更(6月18日 午後5時30分〜5時50分)

日本の新聞をあきらめ、シャンゼリゼに戻る。たしか、このへんに英語の書店があったはずだ。それにしてもみやげもの屋ではワールドカップ関係の帽子やらTシャツばっかり。どれも「非」公認と一目でわかるが、けっこう売れている。

ようやく書店を見つけ、"Lonely Planet"の"Paris"を立ち読みしてユナイテッド航空のパリオフィスの電話番号をメモ。ついでに同じシリーズの"Japan"を読んだら最高に面白い。つい、買ってしまった。あ〜あ、また荷物が重くなった。

すでに5時50分だが、ここまで歩いてまだ全然交渉している気配がしないので、とにかくスタジアム方向へ向かうことにした。公衆電話も見つからないので、北駅(Gare du Nord)でいったん降りよう。

北駅から(6月18日 午後6時〜6時42分)

さて、北駅でメトロとRERを乗り換えるのだが、ここはどうもいつも迷ってしまうのだな。単なる乗り換えならまだしも、今回はいったん改札を出て電話を探したりしたので、なかなかうまく行かない。それでも、ようやくかけたユナイテッド航空は、電話番号が変わっており、さらに変わった先の番号も変わっていて、やっとこれだと思ったらすでに営業時間が終わっていた。何てことだ。プンプン。今日はここまで、運が向かない。さらに、チケットぴあの携帯電話にかけても状況がはっきりせず(もうゲームのチケットではなくて大きいスクリーンで見るためのチケットの話だ)、また明日電話することに。

窓口で、"St. Denis, Stade la France, aller simple.(サン・ドニまで片道)"と切符を求めた。わずか1駅。しかも、最寄り駅が3つもある。とにかく、一番先にホームに来た電車D線に乗った。あっと言う間に着いた。実にあっけない。何にもないところに出来た駅である。まだ明るいというよりは、陽射しが厳しいほど照りつけてくる。とにかく、人が歩く方向へと、わざわざゆっくり歩く。

ダフ屋から値切る(6月18日 午後6時50分〜7時)

いた。フランス国旗の3色で染め分けた派手な山高帽子の2人組と客が交渉している。遠目から見守る。実にチンピラらしい奴等である。交渉が終わったころ、近づきながらさりげなく手で合図する。目が合った。

"Combien?"「いくらか?」
"1,500 francs."「1,500フランだ」
"Tres cher!"「それは高い!」
"How many do you want?"「いくら欲しいんだ?」
(正しくは"How much do you pay?"と言いたかったらしい)
"Only 1 tickets."
"No, how many you pay?"(いまだにmanyとmuchの区別がついていない)
"Oh, how about 500francs?"

ここで彼らは両手をひらひらさせて、首を振り、そんな馬鹿な値段じゃやってられねえ! とばかりに背を向けた。ここが駆け引きの第一段階である。決裂させてスタジアム前での勝負に賭けるか、ここで粘るか。私の目算では、開催国フランスの、しかもサン・ドニでのゲームでは1,000フラン〜1,500フランまでは仕方がないと考えていた。日本円で2万5千円〜3万7千円ぐらいである。おそらく、日本で事前に入手しようとしたらもっと高かったであろう。他カードが軒並み3万〜6万円もしていたのだから。

「そうか、それならもう少し考えてもいいよ」
「いいか、1,000フラン以下には絶対ならないぞ」
「う〜ん、仕方ないなあ。1,000で手を打とう」

ということで、めでたく1,000フランで落着。さあ、現金とチケットの交換という時に警官が通りかかった。慌てて素知らぬ顔をし、「あれがスタジアムだよ」としゃあしゃあと会話らしく見せようとする下手な芝居には笑ってしまった。

チケットは天下の回りもの?(6月18日 午後7時)

思うに、いかに馬鹿な警官だってあそこで私と奇妙な2人組がやっていたことはバレバレだったのに、わざと見逃したとしか思えない。それは、受け渡しの瞬間をつかまえるしかないからか、もしくは多少のヤミチケットの流通がなければむしろ混乱を招くということか、悪質なダフ屋(金だけ取って逃げるとか)だけを警戒していたのか。

とにかく、予定金額の範囲内で無事にチケットを手に入れた。しかも、最初の提示額の半額で。もっとも、後で聞いたところによれば、フランス戦では需要を過大に見込んだダフ屋が買い占め過ぎてチケットが余り、キックオフ近くにはさらに価格が下がったらしい。1,000フランも出せばカテゴリー1の席が買えたそうである。確かに、値段で折り合ってからでも「もっといい席はないのか?」と交渉する手はあったのだが、後からならいくらでも知恵は回るのだ。

チケットは私の手の中に(6月18日 午後7時〜7時30分)

いい天気だ。ケバブの屋台を見つけた。そういえば、ニームのホテルの朝食以来、何も食べていない。回転する串の回りに薄切り肉を積み重ねて焼いたものを縦にこそげてパンにはさんでくれる。これにミネラルウォーターをつけて40フラン。うまい。スタジアムまでの道は、いかにもできたばかりだが、テントを張った屋台が並んでいて楽しい。ついでに、「FRANCE98」キャップを買った。西陽よけだ。60フランだったが、100フラン札におつりの10フランがなくて、50フランでいいことになった。ラッキー。しかし、このときケバブのおつりが5フラン少ないことに気づいた。差し引き5フランのプラスではあるが、なんかすごく悔しい。

まだ日は高い。「UFO」の異名をとるスタッド・ラ・フランスがだんだん近づいてくる。巨大だ。スタジアムの回りでは、バスケットを広げてワインを飲むピクニックのようなグループも見える。各スポンサーのブースもいろいろあって、いかにもメインスタジアムの風情。

キックオフ1時間半前(6月18日 午後7時30分)

まだ7時半なのに、あせる気持ちを抑えきれず、入場してしまう。チェックがモンペリエよりもこころなしか厳しい。階段に向かって歩くと、大声で"Bon soir!"と呼びかけられる。"Bon soir!"と返すと、チケットの呈示を求められ、案内してくれた。階段の下にも上にも人がいて、いちいちチケットのチェックがある。座席の案内というよりは、不審人物の警戒という感じだ。こっちがあいさつしても答えない奴すらいる。それでも、スタジアムの内部に入ると興奮が止まらない。客席を完全に覆う屋根、きれいな緑の芝生。ここで開幕戦が行われた。やがて、決勝戦もここで行われる。

しかし、屋根付きといい芝生は両立しない。芝生の生育に必要な日照と通風に問題があるためだ。しかも、サン・ドニでは廃棄物処理場跡地に建てられたため、試合コンディションの維持に疑問符がつけられている。

嫌な予感(6月18日 午後7時30分〜8時)

隣の席には先客がいた。"Bon soir!"とあいさつすると、めんどうくさそうにうなずいただけだった。無愛想なオヤジだな、と思い、客席はまだガラガラだったので、涼しそうな階段口の上に立って風に吹かれていた。場内を探検しようにも、一周するのは気が遠くなりそうな距離だったし、ショップにもカフェにも興味がなかった(あるいは行く気力がなかった)。

フィールドを2面に分けて小学生くらいだろうか、ちびっ子たちがミニサッカーのゲームをしていた。これがけっこう面白い。サイドチェンジもセンタリングも一丁前なのだ。ディフェンスもスライディングするし、1対1ではキーパーが勇敢に前へ出ていいセーブをする。スピードが遅いのとサイズが小さいだけで、きれいなサッカーを楽しませてくれた。観客はまだ1割も入っていないが(ワールドカップ本大会はすべて指定席なので、席取りで並ぶ必要がない)、いいプレーには惜しみない拍手が起きる。ゴールのあとの喜びのポーズにも個性があって、サッカーを楽しむ底辺の広さを実感させられた。ワールドカップが開かれている、そのピッチでサッカーをした思い出を胸に、子どもたちはどんな選手に成長するだろうか? 21世紀は君たちのものだ。

サウジアラビアに囲まれて(6月18日 午後8時〜9時)

よくよくチケットを見れば、サウジアラビアサッカー協会のものだった。ということは、サウジの人々の中で私は孤立するのだろうか? 同じアジアとして、ぜひいい試合をしてほしい(アジア枠を増やすためにも)のだが、今回のサウジのサッカーはどうも好きになれない。まあ、前回だって守ってカウンターではあったが、オワイランの独走ゴールをはじめ、ときどき見せる切れ味鋭い攻めがあった。それが、今回はなんかパッとしない。やっとオワイランが復帰したものの、彼が謹慎していたのは「女性問題」のためらしい。いかにもイスラム国家らしいが、アラブ特有の「ご詠歌」のような不気味な応援ともあいまって、なかなか「サウジがんばれ!」と身も心も献げようという気にはならない。

だんだん席が埋まってきた。スキンヘッドにペインティングという猛者もいる。さらにアジア系の若者とフランスの若者が明るくフランスの三色旗をまとってやってきた。後ろの人々にもアピールするが、案の定まったく受けない。無言だがサウジの人々の大きな壁を感じる。私の隣の無愛想おやじは、やはりサウジサポで、続々仲間がやってきているようだ。国旗はともかく、国王の大きな写真を掲げるのにはびっくりした。あからさまな個人崇拝が、どうやら強制ではないようなのだ。

今日もまた、どちらにも肩入れせずにいいプレーには拍手を、という方針で臨む。どちらかを応援するというのならフランスだが、ここでそんなことをまともにやったら生きて帰れるかわからない。


キックオフ直前のスタジアム

キックオフ(6月18日 午後9時〜9時33分)

国歌、黙祷につづいてゲームが始まった。9時3分。フランスの怒涛の攻め。しかし、点にならない。デュガリーが、アンリが、ジダンが攻めまくるのだが。18分、サウジの3番があからさまなバックチャージで一発退場。30分、左足を引きずってデュガリーが下がってトレゼゲがイン。私はモナコがけっこう好きなのでアンリ、トレゼゲの2トップには期待してしまう。

フランスがサウジを圧倒(6月18日 午後9時33分〜39分)

ジダン、決定的シュートをはずす。さらにサウジのゴールキーパーのデアイエが1対1をナイスセーブで防ぐ。こういう展開ではえてして圧倒的に支配しているチームが一発のカウンターでやられるパターンがあるのだが、この試合ではそんな予感がしない。なぜかと言えば、フランスのディフェンスが完璧だからだ。もともとデサイー、テュラムにブランが組んだ4バックは強いのだが、そのうえにラインを高く保ってバックパスがほとんどなく、どこからでも組み立ても決定的パスも出せる感じなのだ。しかも右のテュラムや左のリザラズーが上がっていくとデシャンが下がってカバーするサポートにはスキがない。

サウジは攻撃どころではない。さすがに身体能力の高さでパスカットしたりはあるが、そこから中盤でせきとめられ、ロングパスを出そうにもフォワードが走り込めない。唯一の突破口は高いバックラインの裏を突く手だろうが、パスを供給するところを厳しくマークされ、俊足のトップがいるわけでもない。ついに、いるのかいないのかわからなかったオワイランは交代させられた。

ついに1点目(6月18日 午後9時39分)

36分、左から崩してゴール前の横パスに反応したアンリがゲット。ゴールに喜ぶイレブンや客席を立ち上がって写真を撮っていたら、後ろから両肩を押さえつけられた。座れ、ということらしいが、まだゲームは再開されていないし、だいたい無言で突然押されたら恐怖である。日本だったら「失礼な奴だな」とじろっと睨むところだが、何しろ四面サウジ歌なので、がまんして座る。ゲームの流れからすれば、大差でサウジが敗れる可能性が高いという読みもあって、派手なアクションや叫びはがまんするしかない。

後半へ(6月18日 午後9時40分〜10時29分)

1人少ないサウジは4-1-3-1か。ジダンのキープ力とスルーパスの鋭さは凄い。デサイーやテュラムはまるでサイボーグのように強い。こうして見ると、フランスチームは「スタートレック」のエンタープライズのクルーに似ているような気がする。誰が誰とは言わないが、分かる人には分かるはず。1-0で前半が終わった。

後半が始まっても、そのままフランスの優勢は変わらない。後半12分にはジョルカエフが入ってますますスタートレック風になった。とにかく4分に1回は惜しいチャンスを演出する。22分、「やっと」という感じでトレゼゲがヘッドで2点目を入れた。モナコの若いコンビの活躍でムチャクチャ嬉しいのだが、控えめに拍手するだけに自粛する。サウジがいいプレーしたら惜しみなく拍手するつもりでいるのだが、ファウルで止めるばっかりで、回りのサウジサポは陰鬱に押し黙るのみ。

ああ、ジダンが(6月18日 午後10時31分)

24分だったろうか、笛が鳴った。レッドカードだ。ジダンが退場? 倒れている選手をわざと踏んだという判断らしい。背景には「もっと厳しい判定を」というプレッシャーが審判にかかっていたかもしれない。となりの無愛想オヤジが、英語で、"Zidane, number10, superstar, is out!"と繰り返し耳元でがなり立てる。私は、事態が飲み込めないでいたので、呆然としていて受け答えもしないでいたが、それをいいことに、いつまでも同じことを言い続ける。それにしても、サウジサポがジダンの退場をしつこく喜ぶのには白けた。さらに、中立のファン(には見えなかったかもしれないが)にイヤガラセをするにいたっては怒りを通り越して悲しくなってきた。なんと品性の低いことよ。イスラムであろうがアラブであろうが(はたまたアジアであろうがヨーロッパであろうが)、民族や宗教でレッテル貼りをするつもりはないが、私の回りのサウジを応援する人々のようには絶対ならないぞ、と決意させるのに十分なものがそこにはあった。

これで、少なくともこれから2試合はジダンは出場できない。グループリーグ最終戦と決勝トーナメントの初戦をフランスがジダン抜きで戦うのも痛いだろうが、それよりもジダンの焦燥感を思って私の胸は痛んだ。

獲物に襲いかかる猛獣のように(6月18日 午後10時38分〜10時46分)

この退場がフランスに火を点けた。7分後、3点目はアンリがディフェンダーのトラップミスをカットして独走、ゴール隅に蹴り込んだ。

39分の4点目は完璧だった。自陣から左サイドへ大きなサイドチェンジ。その長く正確で視野の広いパスを見て、私は置かれた状況を忘れて「うまい!」とうなっていた。左タッチライン沿いに走るピレスからジョルカエフへ。サウジのディフェンダーを撹乱してヒールで戻したところからリザラズーがシュート。これこそが、崩しの見本。のちにテレビでクライフが今大会ベストゴールと称えたのがこの一連のプレーだった。スーパーな個人技よりも、基本技術とチームワーク。ダイレクトでなくても、判断の速さと広い視野があれば、文句のつけようのない得点が生まれる。オーウェンのスーパーゴールの衝撃と並んで、サッカーの奥深さを感じさせてくれたこのゴールを目の当たりにできたことに、深く感謝した。

観客から自然発生的に歌が流れた(6月18日 午後10時50分)

気がつくと、ある歌がスタンドに広がっていた。静かに、ゆったりと、旋律が流れる。フランスのホームにしては、イングランドやイタリアのような興奮はなく、熱狂というよりも心地よい一体感がフィールドの回りに漂っていた。勝利を確信したチームにだけ与えられる栄誉。それが特別な歌であることは、知らなくても感じることができる。チームを支える誇り、勇気への褒賞。立ち上がって胸に手を当てて歌う彼らを、心からうらやましく思った。特別な歌を持っていることに、歌と共に歩んだ歴史を持っていることに、賞賛に値するチームを持っていることに、勝利を確信する瞬間を持っていることに。

たかがサッカーに魂を奪われた人を、あなたが笑うことを止めはしない。サッカーを知らなくても別に人生の楽しみが減るわけでもなく、むしろ思い煩うことの少ない幸せな日々を送れることだろう。たかがサッカーで「みんなの心がひとつになる」なんてことも、幻想でしかない。そんな大政翼賛会のような偏向は、不気味ですらある。

しかし。ある時、あるスタジアムで、一瞬にしろ心が通い合うマジックを味わってしまったら、もはやその恍惚を忘れることはできないのだ。それは幸せとは言えないかもしれないが、少なくともその感動のために何年も苦しみ続ける代償を払ってもありあまるものがある。そして、外から観客として喜びを「感じる」段階から、参加する主体として喜びを「作り出す」までには、歴史を必要とする。

今、私はフランスの歌を全身で受け止めながら、感動を共有する「彼ら」に憧れるしかなかった。日本が、サッカーにおいて文化を作り上げるのはこれからだ。こんな素晴らしい一体感を日本が生み出すのは、私が生きている間にはないかもしれない。だが、未来に向かってレンガを積むことはできる。サッカーの歴史と文化を積み上げるのはプレーヤーだけではない。

戦いすんで日が暮れて(6月18日 午後10時53分〜11時40分)

スタジアムの外はとっぷりと夜の闇に覆われていた。最寄りの駅は3つある。とにかく人の波のままに歩いて駅に着いた。RERのB線だった。巨大スタジアムから8万人がはけたにしては、電車は混んでいない(日本のレベルから見れば)。まっすぐリュクサンブール(Luxembourg)駅まで行けばホテルは近いのだが、あえてサン・ミッシェル-ノートルダム(St. Michel-Notre Dame)駅で降りて歩くことにした。案の定、まるで新年の祝いのように車はクラクションを鳴らし、若者たちは身を乗り出してフランスチームのフラッグを掲げて"ALLEZ LES BLEUS! ALLEZ LES BLEUS!"(「行け、青よ!」ブルーはフランスチームのカラー)を連呼していた。

私は余韻を味わうつもりで、周囲を散歩した。大通り沿いのカフェでは大騒ぎだが、ひとつ道をはずれると怖いぐらい静かだ。スタジアムを、ゲームを、サポーターを思い出しながら「これがワールドカップなのだろうか?」と自問自答していた。今は、まだわからない。

ただ、頭の中をぐるぐるとあの歌が鳴り響いている。それは、たしかに「幸せ」といっていいような気がした。

「サン・ドニの歌」完

text & photography by Takashi Kaneyama 1998

backmenuhome