Road to FRANCE PART2 【1998ワールドカップ本大会篇】

フランスへの第一歩

1998年5月9日 東京・国立競技場

フランスへの道を、再び語り始めたい。今度は、私自身が、いかにしてたどり着くかの物語になる。

プロローグ 1998年4月

世間のワールドカップ熱はさめなかった。ツアーもゲームチケットも暴騰したまま。1戦観戦ツアーが4泊6日程度で28万〜30万程度。3戦ツアーでは軽く50万円を越す。ツアー嫌いの私としては、個人で行ってもエアーとホテルは何とかなると思っていた。問題は、ゲームチケットだった。2〜3万円から下がらない。頼みの日本協会分の放出は、抽選で落選した。あらゆる懸賞にも応募したが、当然のことながら吉報は来ない。

時間はたっていく。ヨーロッパでのチケット追加発売も、売り切れになった。日本戦なんて誰が観るんだ? 日本人目当ての買い占めじゃないのか? だいたい、予選リーグの試合はいつも空席があったじゃないか? しかし、楽観的な観測は次第に雲行きが怪しくなってきた。まず、アルゼンチン、クロアチアにはヨーロッパで人気のある選手が多い。バティストゥータ、クレスポ、オルテガ、シメオネ、サネッティ(以上アルゼンチン)、ボクシッチ、スーケル、ボバン、プロシネツキ、ヤルニ(以上クロアチア)と思いつくだけで10人をすぐこえる。ジャマイカなら、と思ったが、旧宗主国イギリスには75万人のジャマイカ系がいるそうで、初出場に盛り上がっているらしい。ピンチだ。チケットなしで現地へ行くリスクを冒すか?

エアーについても、入ってくる情報は見通しが暗い。パリ直行便はおろか、ブリュッセル、バルセロナ、ジュネーヴなど近隣の都市へもむずかしいようだ。ねらいは出発1か月前のキャンセル時期と定めていたので、5月の連休明けには申し込みをする必要がある。しかも、今回は休暇申請が微妙なので、できるだけ短い日程にしたい。

ホテルについては、はなから押さえるつもりがない。開催都市を避けて、クラスを落とせば大丈夫だろう。シャワー共同で十分だ。ただし、今回はテレビが、しかもCANAL+が必須だ。

本当に行くのか?

もう、行くのをやめようか。NHK-BSが全試合を、しかも8試合をのぞいてナマで放送する。フランスへ行けば、かなりの試合のテレビ放送を見逃す公算が高い。通信環境も問題で、ホームページの更新だってむずかしい。ASAHI-NETでは、日本のアクセスポイントからしかアップロードができないし、第一、私はパワーブックはおろかノートパソコンをもっていない。そして、モデムやら電話プラグの形状やら、頭がいたい。

お金も時間もないし。面倒くさいし。フランスなんて、いつでも行けるし。みんな、「行かなくていいよ、日本にいなよ」となぐさめてくれる。行こうかな、なんてつぶやくと「え〜、いまごろもう売り切れじゃん。どうするの?」。そう、もういいのさ。

Jリーグへ

ある日、西友で買い物をしてチケットセゾンをのぞいたら、浦和レッズ主催ゲームを売っていた。駒場は満席でも、国立なら行けるかも。それも、5月9日・京都パープルサンガ戦がある。これなら、小野伸二も観られる。迷わず、A席の自由席を買った。

しばらくして、会社に師匠から電話があった。師匠の勤める財団の関係で横浜フリューゲルス戦が安く入手できるらしい。5月5日のサンフレッチェ広島戦と、8月1日の鹿島アントラーズ戦に行こう。それも、横浜国際競技場だ! もちろん、行きますとも。

5月5日 火曜日(祝日)

いい天気だった。東海道線で横浜へ、地下鉄で新横浜から歩いて10分。横浜国際は、実にきれいで、観やすい競技場だ。席はバックスタンド2階。客席は3割以下の入りだったが、それでも2万をこす観衆。もっとも、たったこれだけで長蛇の行列になるトイレは何とかならないものか。

ゲームは、フリエ3-4-3が得点力を発揮して5-1で勝利。広島のバックスは大穴だらけで、ポホビッチが大車輪の活躍なのだが、いかんせんサイドをえぐられて第2線から永井や三浦敦宏に飛び出されてはどうしようもない。師匠と2人、とくに興奮することもなく、ビールを飲んで「いい芝生だねえ」と感嘆する。

期待していたのだが、売店に代表ユニはなかった。帰り、新横浜から横浜線→東横線を試したが、アリーナの帰りと重なって大混雑。2002年にはどうするんだろう? 

5月9日 土曜日

電車から人の降りる気配がする。もう着いたのか?  千駄ヶ谷駅だ。あやうく乗り過ごすところだった。どうせ、アウェイの京都サイドはガラガラだろう。のんびりと国立への慣れた道を歩く私の手に、チラシが手渡される。まだ、ワールドカップ・ツアーの募集をやっているらしい。もらってそのままサブザックに突っ込み、千駄ヶ谷門から入場。まず、売店をめぐって代表ユニを発見。ついでに京都パープルサンガのタオルマフラーも見つけた。合わせて約1万2千円。このユニフォーム・レプリカは、今度のキリンカップから使われる新デザインなのだ。

つづいて、ビール1杯(400円)をもって、12番ゲートからスタジアムへ。向こう側のゴール裏は真っ赤なレッズサポで埋まっている。こちら側の京都は40〜50人ぐらい。メインスタンドもバックスタンドもほとんど赤、こちら側のゴール裏までレッズが押し寄せてきている。さすがにロープで囲まれた京都サポのコア部分に近いところはガラ空きで、1列に2〜3人しかいない。

ここで、私は京都マフラーを首にかけて、さっきもらったチラシを眺めた。「日本VSアルゼンチン/278,000円」。そうか、そうか。別に安くはない。裏を返して、驚いた。この旅行代理店は、私がいつも使っているところだった。ここは、ツアーよりも個人旅行手配に強いはずだし、ヨーロッパも得意にしている。そしてよく見ると、これはツアー(主催旅行)ではなくて個人旅行(企画手配旅行)のモデルプランだった。エアー、ホテル(パリ)、パリ-トゥールーズ間の移動、観戦チケットのセットで、添乗員も現地ガイドもつかない。注目のエアーはなんとユナイテッド航空でアメリカ経由。これなら、たしかに行ける。ただ、この内容にしては、高い。ホテルか観戦チケットが値段を押し上げているのかもしれない。驚きはもうひとつあった。アルゼンチン戦、クロアチア戦のゲームチケットだけの販売もしている! ただし、価格は問い合わせだ。

電話はどこだ?

気がつくと、片手にビールを持ったまま公衆電話を探していた(私は今もって携帯電話もPHSも嫌いだ)。あった。空いている。いつも頼んでいる新橋支店に電話。さっそく観戦チケットがまだあるか聞いた。どちらもある! しかし、値段を聞いて落ち込んだ。2倍以上に値上がりしている。テレホンカードの度数が減っていく。もう1枚を差し込んでおいて、アルゼンチン戦モデルプランの状況を聞く。こちらも、まだ大丈夫らしい。私は、このモデルプランを延長して帰りを6月21日パリ発にし、クロアチア戦チケットをプラスして1名利用の場合はいくらか試算してもらった。30万円台後半。私は、私の声が「それではこの電話で申し込みます」としゃべっているのを、まるで遠くからの交信のように聞いていた。

本当は、予選3試合とも観たかった。しかし、この4月からの新しい職場では18日にもわたる休暇は困難だし、今の今までフランス行きをあきらめていたのだから、根回しをしていない。それに、50万円をこえるツアーは私のスタイルではない。ネックになっていた観戦チケットが入手できるのなら、2試合で30万円台、しかも個人手配というのは妥協のしどころだ(ただし、この中には宿泊代の半分は入っていない)。いや、もはや理性ではなかった。こんな高いチケットは買うべきではない。ただ、私は本当にワールドカップのピッチに日本代表が立っているのをこの目で見たい、それだけなのだ。きっと、試合開始前から、おそらくはスタジアムが視界に入るころから、もう涙が止まらないだろう。だって、そのことを想像しはじめている今、もうウルウルし始めているのだから。

電話相手の名前と連絡先を聞き、こちらの名前、自宅の電話、勤務先の電話を伝えた。11日月曜日の夕方に、確認の電話をもらうことに。フランスへ、行くぞ! こぶしを握りしめて、席へ戻る。うん? こぶし? さっきまでこの手はふさがっていなかったか? なんと、ビールを電話ボックスに忘れてしまっていた。

キックオフ

実は、レッズの応援も楽しみだった。彼らは、「オーオーオー」でエルガーの「威風堂々」を試合前に歌った。ここはイングランドか? いい曲だけど、イングランドの魂のようなものを真似してどうするんだ! まだまだ、日本のサッカー文化は底が浅い。試合が始まっても、私は夢遊状態をさまよっていた。フィールドが、トゥールーズに見えてくる。スタートメンバーは予想通り。レッズは4-4-2、フォワードは大柴と福永、トップ下に小野。サンガは黒崎の1トップで4-5-1。ただ、小野に森保を、2人のフォワードにDFをつけたマンマークで、ジュニオールがスイーパーをやっているので、3-3-3-1にも見える。前半は、私が観ても動きの少ないつまらない内容だった。浦和には決定力もないが、それ以前にディフェンスを崩す動きがない。マンマークなら、マーカーを釣り出すことでスペースがつくれるはずなのに。

遠い向こう側で、レッズサポの目の前で、黒崎がゴールしたらしい。「らしい」というぐらいで、隣の京都サポーター軍団も「あれあれ?」と目を凝らし、選手がセンターサークルへと戻ってくるのを確認して喜びはじめた。ペナルティエリアでボールを受けてゴールを向いたら、彼なら得点するさ。崩したというより、レッズの油断が生んだ点だろう。ハーフタイムを告げるホイッスル。覇気のないレッズの選手たちに、サポーターたちはブーイングの嵐。

好きだから

阪神ファンを長くやっていると、負けようがだらしなかろうが、悟りの境地に入ってくる。できの悪い放蕩息子みたいなものだ。愛するが故の苦しみも悔しさも悲しみも、すべてを包み込んで抱きしめて、一緒に生きていくのだ。それは、京都サポーターにも感じられた。1点リードしていながら、すでに不安なのだ。対して、浦和サポーターは強いことにプライドを持っている。攻撃的で、動き回り、つねに全力を尽くすことを求める。どちらがいいということではなく、一種の文化の違いだ。「俺のチームだ」と言い切れるなら、それでいいと思う。そして、私にとって「俺のチーム」は、死ぬまで自分を熱く燃やせるチームは、日本代表なのだ。

後半、レッズは早めに岡野を投入してリズムを変えた。岡野も小野も決してよくなかったが、一転して攻め合いになってゲームは一挙に白熱した。右サイドバックの山田のセンタリングをニアで合わせた大柴が同点ゴール。これも遠い向こう側のゴール。もちろん、レッズサポは爆発。小野のヒールからネイハイスのセンタリングというプレーにもちょっと興奮した。そして、延長に突入。交代で入った山田(元マリノス→サンガの隆裕)が放ったシュートはクロスバーに当たって真下にバウンドした。惜しい! しかし、これも遠い向こう側のゴール。結局、延長後半ロスタイム、最後のフリーキックでこぼれた球を西野が蹴り込んでレッズが逆転Vゴール勝ち。これまた遠い向こう側のゴール。3ゴールすべてが反対側だった。

日本代表の歴史

陽はまだ高い。急ぐ理由もない。京都の選手たちが、こちら側に挨拶に来た。手を挙げ、おじぎしてサポーターに感謝。客席からは温かい拍手。かつての日本代表たち(黒崎、岩本、山田、森保、松永、そしてオフト監督)だが、今回の代表候補には噂ですら上がっていない。しかし、彼らはたしかに歴史をつくったのだ。あの、ジョホールバルの歓喜は、突然の贈り物ではない。長い努力の結晶なのだ。

ぼーっとしていたら、FIFA ANTHEMが流れてきた。向こうの客席が騒がしい。小野と岡野がピッチに出てきていた。代表合宿を前にした壮行会か? なんのプログラムもなかった。アナウンスがあって、2人が手を振ってくれた。レッズサポの軍団は、ニッポン・コールを始めた。クラブサポーターがそのまま代表サポーターの核になっているということは、世界的には珍しいことに属する。あの連中のうち、何人がフランスへ行くのだろう? そうか、俺だってフランスへ行くんだな。もうすぐじゃないか。来月だよ。

いつものように人波に流されて駅にたどりつき、帰途についた。師匠の携帯に電話して焼鳥屋で会った。「フランスへ行くことにしました」。そう言葉にしてもまだ現実感がなかった。「そうか、行くのか」。勝てるなどとは思わない。いい試合どころか、みっともない大差をつけられるかもしれない。それでも、歴史的瞬間には違いない。ワールドカップという舞台。

5月11日 月曜日

この日は遠来の客を案内し、仕上げる書類が2つあった。しかし、かかってくるはずの電話を忘れてはいなかった。申し込んだ時には浮足だってよく見ていなかったが、アメリカ経由だけに乗り継ぎの問題と時間の問題がある。ダメもとで南回りかマイナーなエアラインで取れないか聞いてみよう。また、着いた当日のパリだけ1泊ホテルをとっておけば、トゥールーズからナントまではゆっくり国内を回れる。あとのホテルも移動もいらない。パリ→トゥールーズのTGVは一応予約をお願いしよう。ただ、「取れない場合は夜行寝台を・・・」というくだりが気がかりではあったが。

電話がきた。ところがなんと、ユナイテッドでもアメリカ-パリ-アメリカ間は未確定なのだった。「2回乗り継ぎがあってもいいですか?」いいけどさあ。どうも成田→サンフランシスコとシカゴ→成田はOKなのだが、大西洋越えが難関らしい。ほかの便も聞いてみる。サベナは運航曜日が合わない。マレーシア航空だと1泊よけいにかかる。ユナイテッドのエアオンは12万円。しかも、これだけの距離を乗るとマイレージが大きく、一発で成田-バンコック往復をもらえる。これに心が動いてユナイテッドに決定。すると、「サンフランシスコで5時間なんですが」と言い出す。空港で空しく5時間も? ストップオーバー(いったん入国して再度チェックイン)は可能だが、市内観光にはあまりにも短い。さらにワシントンで乗り換え。試みに、パリ着には拘らない旨を伝えたが、ブリュッセルやジュネーヴなど近場でも事情は一緒。それなら、パリがいい。

宿泊は、13日のパリ1泊のみの手配で依頼。14日のTGVがとれなかったら、その宿泊もキャンセルして夜行で行く。「TGVはボルドー経由で、しかも試合開始の1時間前到着ですが」。それは問題だ。ボルドーはともかく、スタジアムに間に合わなかったら一大事だ。しかし、前日の夜行で行くとなると、12日に日本を出て14日までベッドに寝られずシャワーもない。14日だって、トゥールーズで泊まるのはむずかしいから、すぐ移動するつもりなのだ。とりあえず、運行時間を教えてもらうことに。

どうやら、かなり辛い旅になりそうだ。旅行保険も依頼。返事は明日か遅くとも明後日。

5月12日 火曜日

また、電話があった。行きの成田→サンフランシスコ→ワシントン→パリはOK。帰りのパリ→シカゴがキャンセル待ち。もしものために翌日のロンドン→サンフランシスコ→成田も押さえておく。キャンセル条件の確認。保険の条件の確認。日程と総費用の確認。と、もろもろがあるので、まとめてFAXを送ってもらうことにした。現在のオファーは8泊11日(機内泊2)で次の通り。

6月12日(金) 成田→サンフランシスコ→ワシントン→パリ(ユナイテッド航空)
6月13日(土) パリ着 同日パリ泊
6月14日(日) パリ→ボルドー→トゥールーズ(TGV) 日本対アルゼンチン
試合後は未定。今の心づもりでは、モワサック、オーリヤック、コンクを訪ねて(ロマネスクの殿堂巡り!)ペリグー(トリュフとフォワグラ)やボルドー(言わずとしれたワイン)やラ・ロシェル(大西洋が見える)を回ってナントへ近づいていく。
6月20日(土) ナント 日本対クロアチア
試合後、席が取れればTGVでパリへ。だめなら、たぶんシャルトルあたりで1泊。
6月21日(日) パリ→シカゴ→成田
6月22日(月) 成田着

ただし、帰りは

6月21日(日) パリ→ロンドン ロンドン泊
6月22日(月) ロンドン→サンフランシスコ→成田
6月23日(火) 成田着

の可能性もある。最悪だと、機内泊2、車中泊1、ホテル泊8の12日になる。

ここで問題は試合後の宿泊で、トゥールーズもナントもホテルがすぐ取れるとは思えないし、夕方からの行動開始では苦しい。近場へ移動するか、あきらめて夜行にするか。ダメもとでホテルリストを入手して、FAXで予約するか。または、シュラフ持参で野宿を決行するか。移動時間が多いうえに、つねに滞在先が変わるさすらい旅なので、荷物はぎりぎりまで軽量化する必要がある。観光どころか、サヴァイヴァル技術と忍耐力を問われる。フランスへの道のりは、平坦ではない。

ここまで書いて、また電話があった。パリ1泊だけでいいのか? どうもかなり大変らしいが? との心配だったが、「開催都市には泊まりませんから」という答えで納得してもらう。また、帰りを早めて21日ロンドンoutにするか? ということだったが、21日朝のパリ→ロンドン便だと乗り換えに1時間15分しかない。しかも、入出国に手間取って遅れても責任を取らないという。イギリスは入国審査に時間がかかることがあり、リスキーなことはしたくない。20日中にロンドンへ行く場合の移動手段を確認していくと、限りなく不可能に近い。試合が運良く5時に終わってもパリからの最終便は夜9時で、ナント-パリ間はTGVで2時間かかる。競技場→ナント→パリ→シャルル・ド=ゴール空港→出発20分前チェックイン。これは無理だ。果たしてこの担当者で大丈夫なのだろうか。とにかく、時刻を調べてオプションを書き出してFAXしてくれませんか、と頼む。ついでにそれぞれの価格を聞くと、ユナイテッドはワールドカップ値段で13万円だという。また、パリ→ロンドン間は別会社便の手配なので、+1万5千円。空港使用料もかさむ。パリは1泊2万円。さらにTGV、保険。そしてもちろん、試合のチケット。おそらく、30万円を軽く越えるだろう。これに自分で探すホテル代、フランス国内の移動費、食費を加えるとツアーと同じかも。でも、やっぱり自分勝手な旅がしたいんだな。自分で描いた設計図で動きたい。条件が難しければ、さらに燃える。あのバカ高いチケットを、無駄にしないぞ。

text by Takashi Kaneyama 1998

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