哀愁のヨーロッパ オーストリア・ドイツ篇 第4話

ブリューゲルへの旅

美術館という名前のカフェ

9月19日、ウィーン。カフェ・ムゼウムでコーヒーを頼んだのは午前10時25分だった。まだ革のジャケットを買う前で、ものすごく寒かった。ムゼウムの内装は素気ない。丸いテーブルと赤い椅子。簡素な帽子かけ。まるで装飾が感じられないのは設計したアドルフ・ロースの若さだろうか。目の前には常連らしいお爺さんが赤ワインを友に新聞を読んでいる。片隅ではやはり常連らしく、ウェイターと冗談を交わしながらワインを飲んでいる二人がいる。この光景は20世紀が始まったころからほとんど変わっていないに違いない。そう思わせる空気がたゆたっている。

11時。さて、そろそろ旅へ出かける時間だ。そう、ブリューゲルへの旅に。

怪物への想像力

まずはアペリティフだ。ムゼウムから歩いて数分のところに造形美術アカデミーがある。その名の通り、ここは学校なのだが、その中に絵画館がある。入り口で「絵を見るのか、それなら、こっちだ」と右側を指さしてくれた。ここにはヒエロニムス・ボッシュの《最後の審判》がある。アカデミーの内部の構造は迷路のようで、一般の人が迷わないように、ボッシュのポスターに矢印で方向を指し示してくれる。ときどき、大きなキャンバスをもった画学生が通りがかる。ようやく絵画館に着く。入って最初の部屋に《最後の審判》があった。

ボッシュ《最後の審判》(部分)ボッシュ《最後の審判》(部分)

小さな祭壇画(トリプティク)の中央下部には、ボッシュの特徴である、地獄絵。醜悪な姿をさらす怪物たち。ボッシュの作品を見るたびに思うのは、これだけの怪物を生み出す想像力には何らかのトラウマがあったのではないか、という疑いだ。時代というよりも、ボッシュ自身の個性が今まで描かれてきた地獄絵にない、怪獣たちや責め苦を画布に出現させたような気がする。

このギャラリーにはボッシュだけではなく、途方もなくたくさんの絵画、彫刻が展示してあった。急ぎ足で見ていく。クラナッハ、ヨース・ヴァン・クレーヴ、ディルク・バウツなどのフランドルの作家に加え、ティツィアーノ、ムリーリョ、ヨルダーンス、ルーベンスらの大作、小品がずらりと並ぶ。最後にはクールベまであった。初期ルネッサンスから近代まで一望できる内容だ。アペリティフで満腹してはいけない。いよいよ、次はオードヴルそしてメインディッシュなのだから。

念願の聖地へ

さらに北西へ歩くこと10分で目的地のウィーン美術史博物館(Kunsthistrisches Museum)に着く。マリア・テレジア像をはさんでちょうど対称をなすように自然史博物館(Naturhistrisches Museum)が建っている。美術史博物館に入って、階段を上がると、正面にカノーヴァの彫刻がある。踊り場で折り返すと、(日本流にいうと)2階の大ギャラリーだ。壁画はクリムトの手になる。ちなみに、1階には古代のエジプト、ギリシア、ローマの美術品、3階にはメダル・貨幣のコレクションがあるが、今回は割愛して、2階の絵画部門だけを回る。

足が変だ。まるで足が地に着かない。動悸がする。暑くて、手と顔に汗をかいている。落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせる。オードヴルは北方ルネサンス。ヴァン・デル・フース、ファン・アイク、メムリンク、ワイデン、ヘラール・ダヴィッド、ヨース・ファン・クレーヴ、そしてボッシュの小品。

ブリューゲルの部屋

そして、いよいよメイン・ディッシュが登場する。

ブリューゲル《雪中の狩人》ブリューゲル《雪中の狩人》

ピーテル・ブリューゲル(父)の部屋だ。《雪中の狩人》は6枚ないし12枚の月歴画の連作中の冬を表す一枚とされている(ちなみにニューヨーク、メトロポリタン美術館の《収穫》も同じ連作のひとつということらしい)。私には中学校の時の美術の教科書にあった絵だ。近景、左手の丘の上には猟犬を連れた狩人たちが右手を眺めやっている。その視線の彼方には荒涼と広がる町、畑、そして山々が遠景をなす。そして、画面は寒々とした雪に覆われている。画面を横切る対角線と直立する木々が画面を分割する。細かく見ていくと、左手では豚をあぶっている。右手に広がる空間に点在する小さく描かれた人々一人一人にもそれぞれ動きや表情がある。空にはかささぎが飛ぶ。ブリューゲルの傑作はこれだけではない。《農民の結婚式》《子どもの遊び》《バベルの塔》のいずれもていねいに細部まで神経が行き届き、なおかつ画面を大胆に分ける線、近景と遠景のバランスが絶妙だ。しばらく、この部屋で放心したように歩いては立ち止まり、立ち止まっては歩く。

ブリューゲルにはピーテル・ブリューゲル(子)とヤン・ブリューゲル、そしてブリューゲル工房という後継者がいるが、父に比すべきものはない。素人目にもその差は明らかで、父ブリューゲルの存在は際立っている。唯一、ヤンの花を描いた静物画が光っているぐらいだ。

私は、この部屋で、16世紀フランドルにタイムスリップしていくような幻覚におそわれていた。

光の画家フェルメール

先を急ごう。フランドル絵画はまだ続き、ヨルダーンス、スナイデル。現在のドイツ圏では、デューラー、クラナッハ、アルトドルファー。多数のホルバインとルーベンス。レンブラントの自画像。そしてもうひとつのメインディッシュはフェルメールの《絵画芸術(画家のアトリエ)》。

フェルメール《絵画芸術》フェルメール《絵画芸術》

フェルメールは生涯に31〜35点(この数の差は、真贋が議論されている4点を含むかどうかによる)の作品しか残さなかった。その彼の最高傑作とも言われるのが通称《画家のアトリエ》、研究者には《絵画芸術》と呼ばれている、この作品だ。ウィーンにあるフェルメールは、この1点だけだが、この1点に会えただけでも、来たかいがあったというものだ。完璧な光。

フェルメールの絵のほとんどが室内で、左手に窓があり、射し込む光はカーテンや壁、床に反射し、1人ないし2人の人物は静かに佇んでいる。この絵も例外ではない。最近の研究によれば、モデルのもつ楽器は音楽の寓意で、掛けられた地図は世界を表し、後ろを向いている画家が象徴するのが、芸術のなかでも絵画の寓意画ではないかという。そういえば、よく見ればモデルの頭には月桂樹の冠がかぶせられている。私は絵をゆっくりと愛でた。写真や本ではわからない細部を見、本物をじかに見る時だけにある、心の中に巻き起こる静かな感動を待った。

スペイン、イタリアの画家たち

あとの絵はデザートのようなものだが、このデザートはボリュームがある。カラヴァッジョ、ベラスケス、ラファエロ、ティツィアーノ、ジョルジョーネ、マンテーニャいずれも名作だが、それぞれ、プラドやウフィーツィには一歩譲る。ティツィアーノ以下は今度ミラノ、ヴェネツィアを訪ねた時にゆっくり見ることにしよう。外に出た時には2時間がたっていた。

公園でひなたぼっこ

路面電車2番で楽友協会(Musikverein)へ。裏手に回るとチケット売場があった。あしたのウィーン・モーツァルト・オーケストラを予約する。490シリング(約5694円)。けさ買った今夜のオペラ「スペードの女王」の2000シリング(約23240円)と合わせて、ウィーンでのふたつの贅沢。路面電車2番は、リンクを一周する。寒さしのぎにゆっくり回ってみることにする。運河の水は冷たそうだ。ブルク劇場前で下車。市庁舎の公園でのんびりする。子どもたちがサッカーボールで遊んでいる。老人たちはひなたのベンチを選んで座っている。午後3時20分。午後7時開演のオペラまで、予定は何もない。

大地母神

ベンチはやはり寒いので、自然史博物館の中へ入ることにする。ここには、美術の歴史の最初の1ページに出てくる作品がある。《ヴィレンドルフのヴィーナス》。ヴィレンドルフで発見されたので、こう呼ばれている。おなかがふくらみ、足のつけねに女性器らしい筋があり、顔の中では目が極端に大きい。おそらく、地母神として、豊作を願ったシンボルではないかと言われている。そのほかにも、いろいろな石のコレクション(宝石の原石も)や、恐竜の骨格などがある。

クリムトの絢爛

翌20日。ベルヴェデーレ上宮を訪れた。ここには、ココシュカ、エゴン・シーレ、クリムトなどの近代絵画のコレクションがある。目玉はなんといってもクリムトの《接吻》だ。鮮やかな金と緑。背景は紋様と化している。言いようのない官能美。

近現代の作家たち

さらに21日。近代美術館へ。作家だけを並べてみよう。イヴ・クライン、タピエス、ベーコン、ポロック、ジャコメッティ、モンドリアン、カルダー、カンディンスキー、クレー、ピカソ、マン・レイ、マルグリット、キリコ、マッソン、ミロ、エルンスト、ピカビア、クプカ、リプシッツ、ヴィヨン、バッラ、アルプ、レジェ、ブランクーシ、バルラッハ、クリスト、ニキ・サンファール、セザール、ナム・ジュン・パイク、ヨーコ・オノ。近代というよりは20世紀の作家たちがひしめいている。ポロックの絵の具をたたきつけたような《No.7》、ジャコメッティの針金細工に粘土をかぶせて作ったような細く平面的な彫刻《枢機卿》、モンドリアンの直交する線で画面を分割した作品などを見ていると、どこかなつかしい気がした。とくにナム・ジュン・パイクの作品は充実していて、面白かった。《Zen from TV》などは、画面の中央に横線が一本入っただけのテレビがぽんと置いてある作品で、シンプルななかに現代への皮肉が利いている。

旅はつづく

考えてみれば、先史時代から現代まで、3日間で回ったことになる。もちろん、ウィーンの美術館はこれだけではない。だが、またウィーンに来ることがあったら、やはり、ブリューゲルの部屋を訪ねるだろう。ブリューゲルへの旅は、まだ終わってはいない。

哀愁のヨーロッパ オーストリア・ドイツ篇 第4話 【ブリューゲルへの旅】 完

text & photography by Takashi Kaneyama 1997

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