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荘子の部屋】ChuangtseWorld
[荘子外編第九 馬蹄篇]馬のひづめ

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馬のひづめ[荘子外篇第九 馬蹄篇]

 馬には自分を霜や雪の上を運んでいくひづめがあり,風や寒さから身を守る毛がある。草を喰らい水を飲み,尻尾を跳ね上げて勢いよく駆け回る。こうしたことが馬の生まれつきの性質である。格式張った建物や大邸宅など馬たちには無用である。
 かつてある日,高名な馬の調教師(孫陽658-619 B.C.;あざ名を伯楽として伝えられる)が現れて言った,「私は馬扱いの名人だ」。そして彼は馬の毛に焼きごてをあてて切りそろえ,ひづめの爪を切り落とし,焼き印を押した。首の回りを紐で締め付け,脚に足かせをし,馬小屋の順に番号を割り振った。こうしたことをした結果,馬の二三割が死んだ。そのうえ彼は,馬に食べ物も水も与えずに,軽い走り(トロット)をさせたり全力疾走(ギャロップ)をさせたりし,馬の前部にはくつわや手綱を付けて苦痛を与え,尻を節くれた鞭でおどすなどをして,隊形を組んで走るように調教した。そんなことで,馬の半数以上が死んだ。
 陶工が言った,「私は粘土細工の名人だ。丸くしようと思えばぶんまわしを用いるし,真四角なら角定規を使う」。大工が言った,「私は木の細工の名人だ。きれいな曲線なら曲げ尺(円定規)を当てればよいし,真っ直ぐなら線条(紐定規)を当てればよい」。
 しかし,粘土や木材の本性がぶんまわしや定規や曲げ尺や線条を当てられるのを望んでいるんだと,どんな根拠があって言えると思うのかね。それなのに,いつの世でも伯楽は馬の調教の名人だし,陶工や大工は粘土や木材扱いの名手だと賞賛している。
 天下国家の問題を扱う人(為政者)たちも同じ過ちを犯している。
 私が思うに,天下をよく治めるやり方を心得ている人は,そうではない。というのは,人々には自然の本能が備わっていて,布を織って身にまとい,野を耕して自らを養っている。これは当たり前の姿で,みんなに分け与えられていることだ。このような本性は“天賦(天与のもの)”と呼ばれる。そのように,自然本性の日々に,人々は落ち着いた動きの中にその表情は晴朗である。その時代,山を越え行く道はなく,水を渡る小舟も橋もなかった。すべてのものは昔からの土地の中で作り出されたものだ。鳥やけものはよく群れをなし,木々はよく繁茂していた。こうして(人を恐れる心配がない)鳥や獣は人の手に手なづけられ,人は木にのぼってカササギの巣をのぞき込んだりしたものだ。
 というのは,暮らしが完全に自然のままであった時代には,人々は鳥や獣と共に住み,暮らしに生き物の種類での違いなどはなかったのだ。誰が紳士と凡夫(君子と小人)との違いなど知り得たろうか(そんな違いなどあるはずもなかったのだ)。生き物は等しくすべて知識などとは無縁で,徳はさまよい行くことはなかった(自然のままで道にかなっていた)。生き物は等しく欲得とは無縁に自然そのままに満ち足りていた。満ち足りた自然の状態の中で,人々はその本来の性質を見失っていなかった。そして聖人たちが現れて,慈善(仁)を説いてはいずり回り,義務(義)を説いてのたうち,あげくは人々の心に猜疑と混乱を植え付けたのだ。聖人たちは人々に音楽によって楽しくなるべきだとのたまい,儀式を守ることで他との違いを強制し,そして天下を分裂状態に導いた。真っ直ぐなままの木を切らないで,誰が祭儀用の入れ物を作れようか(祭儀用の入れ物のために真っ直ぐな木が切り倒される)。自然の白玉を傷つけないで,誰が王室の徴の宝器(王冠など)を作れようか。道(タオ)や徳が破壊されないで,慈善や義務(仁義)の効用が出てこようか(仁義の出現で道(タオ)や徳は失われる)。人の自然の本能が失われないで,音楽や儀礼の効用が出てくるのだろうか(楽や儀礼の強制で,人の素朴な本能は失われる)。五色に混乱を生じさせないでは,誰が飾りを施せるというのだろう(飾り立てることで,五色は混乱したものとなる)。五音に混乱を生じさせないで,誰が六律の調子を奏でられるというのだろう。
 いろいろな種類の事柄がこしらえられるために,自然に生成される事物が破壊されること──これが技巧家たちの罪である。仁義が導入されることで,道(タオ)や徳が破壊されること──これが聖人たちの過ちである。
 馬は乾いた大地に生きて草を喰らい水を飲む。喜び満ちると,馬たちはたがいに首をこすり合う。怒れば駆け回り,お互いにかかとで蹴り合いをする。このようにして馬たちは自然の本能のままに過ごす。しかし,おもがい・くつわなどの馬具を付けて杭につながれ,額に月の形のプレートを付けさせられると,馬は不機嫌になり,噛みつこうと首を回し,くびきをつつき,口のくつわをはずそうとし,頭のおもがいをはずそうともがく。こうして馬の気持や動きは(ずるがしこい)盗人のそれに似てくるのだ。これは(馬を調教し始めた)伯楽の罪である。
 (大昔の)赫胥(かくしょ)氏(神秘的な帝王とされる)の時代には,人々は家にあって格別なことをするわけではなく,また歩くにしても行く先のあてがあってそうするわけではなかった。鼓腹撃壌して(一杯食べて満足し,腹を叩いて)あてもなく歩き回るのだった。このように人々は天与の育ちで自ら日々を過ごすのだった。  
 そこへ聖人たちがやってきて,人が交わるための外面的な型を整えるために,作法と音楽付でお辞儀をし腰をかがめるようにさせ,そして人の心が従順であるようにと,彼らの前に仁義をぶらさげてやった。そこで人々は働き始め知識欲を増進させ,所得への欲望でお互いに格闘し始めたのだが,そこでは終わりということがない(争いは果てしなく続く)。これが聖人たちが犯した過ちである。




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