啓明情報-V:keimei Intelligence-Vh3へようこそ


荘子の部屋】ChuangtseWorld
[荘子内篇第六 大宗師篇]至高の存在(その3)

荘子の部屋もくじバック



至高の存在[荘子内篇第六 大宗師篇](その3)

 顔回は仲尼([原注]孔子の名前)に言う,「孟孫才の母が死んだとき,彼は泣きはしましたが涙は流しませんでした。心では悲しんでいず,喪に服しても悲嘆に沈むことはありません。このように三つの点で欠けているのに,彼は魯の国で喪に服するに最高の人の評判を得ております。実際評判倒れで実がないことはなはだしいのではありませんか。たまげたことですよ」

 仲尼は言う,「孟孫は道(タオ)を体得しているんだよ。彼は賢人たちの域を超えている。なお彼が完全には断ち切れない事柄はある,だが彼は別のことからは断ち切れている。孟孫氏はわれわれがどこから生まれ来たり,どこへ死に行くのかは知らない。生と死のいずれが始めにあり,いずれが終わりにあるのかも知らない。彼は(自分の死後に)何に生まれ変わるのかに心を煩わせずに,生まれ変わりへの心の準備はすんでいる,‥‥それですべてだ。変化しているものを変化しない言えるものか,また永遠と考えられるものを,それはすでに変化していると認められようか。お前だってこの私だって,おそらくいまだ醒めぬ夢の中にいるのかもしれない。その上,彼は己の形は変化していくものであるが,その精神は同じものとして留まることを知っている。彼は死は滅びであるとは信ぜずに,死は新しい家への引越くらいに考えている。彼は,ごく自然な情感の動きとして,泣いている人を見ると泣くのだよ。

 「その上にだね,われわれはよく“自分”ということを言う。われわれが問題にするこの“自分”とは何なのか,知っているのかね。お前は鳥となって天高く舞い上がる夢をみるだろうし,また魚になって大海の深くにまで潜ることを夢見ることがあるだろう。そこで,お前は今話している人が醒めているのかそれとも夢見ているのかを言うことができないだろう。
 「人は微笑む前に喜びの気持を抱き,微笑むべきだと考える前に微笑む。事の成り行きに身をゆだね,命の変化(生と死)のことを忘れよ,そうしてはじめてお前は純粋にして,至高の神,一者に合一するだろう」

 意而子(いじし)が許由(きょゆう)に面会したとき,許由が尋ねて言った,「お前さんは堯から何を習ったかね」

 意而子は答えた,「彼は私に,慈善を行い義務を果たし(すなわち,仁義の徳を実践し),善と悪とをはっきり区別するようにせよ,と命じました」

 許由は言った,「それなら何を求めてここに来たのかね。もし堯がすでにお前の心を慈善や義務(すなわち,仁義)で染め抜いており,お前の鼻を善悪でそぎ落としているのだから,お前は自由で囚われない,拘束されない,来るものを拒まないこの世界で,何をしようと言うのだね」

 意而子は答えて,「それはそうなんですが,私はそうした界隈でぶらついていたいんですよ」

 許由は言い返して,「あのな,両目をなくした人は顔や姿見の良し悪しをあげつらったり,青い礼服と黄色い服とが見分けられないのだよ」

 意而子は答える,「無荘(むそう)(不躾(ぶしつけ)者)は自分の美しさを鼻にかけず,拠梁(きょりょう)は自分の強さに無頓着で,黄帝がそのあふれるほどの知恵になど関心を持たなかった‥‥これらはいずれも清めと浄化の過程の賜物です。ですから,創造主が私のからだから染みついたものを取り除き,新しい鼻を授け,あなたの弟子にふさわしい者に作りかえてくれないと,決めつけられますか」

 許由は「それはそうだな」と答えて,続ける,「じゃあな,お前におおまかに教えようか。
 ああ,私の師よ,私の師(道(タオ))よ! 師は万物をこなごなに砕き(生み出し)ながら,正義ぶった顔などをしない。師はあらゆる創造物を生長させながら,恩恵を施したなどと思ってもいない。はるかな太古よりさらに昔から存在しながら,自分で長寿だなどとは思ってもいない。天を覆い,地を支えて,おびただしい物を形作りながら,自分を巧みだと思わない。それこそがお前が求める彼(創造主)だよ」

 顔回は仲尼(孔子)に言った,「私に進境がありました」 

 「どんなふうにかね」と,仲尼が尋ねた。

 「私は仁義から脱しました」と顔回が答えた。

 仲尼が言った,「よろしい。でも,まだじゅうぶんではないな」

 別の日,顔回は仲尼に会って言った,「私に進境がありました」

 「どんなふうにかね」

 「私は礼楽を止めました」と顔回は答えた。

 「よろしい。でも,まだじゅうぶんではないな」

 別の日,顔回は再び仲尼に会って言った,「私に進境がありました」

 「どんなふうにかね」

 顔回は答えた,「私は座忘にはいりました(座っている間に自分をなくしました)」

 「それはどういうことだ」と,仲尼は顔色を変えて言った。

 「私はこの体から自由になりました」と,顔回は答えた。「推理の力(理性の力)を捨てました。そして心と体解き放ち,造物主(道(タオ))と一(一体)となりました。これが,座忘にはいるという意味です」

 仲尼は言った,「もし君が“一(道(タオ)と一体)”になったのであれば,偏向の(脇道にそれる)余地はないね。もし君が自分を超えてしまったのであれば,すべては無碍だ。多分,君は真の賢人だろう。私は信頼して,君が歩く後からついていこうと思う」

 子輿(しよ)と子桑(しそう)は友だちであった。あるとき,雨が十日も降り続いた。子輿は「多分,子桑は病気だろう」と言った。そこで彼は,食べ物を包んで,子桑に会いに出掛けた。
 戸口にやって来ると,弦楽器の音にまじって,歌っているとも泣いているともつかぬ声が聞こえてきた。その声は「父よ,母よ! これは神の仕業でしょうか,人のせいでしょうか」と。その声は途切れ途切れで,ことばはたどたどしかった。
 子輿は中に入って尋ねた,「どうしてそんな風に歌っているのかね。

 「こんなひどい状態に私を追い込んだのは,いったい誰なんだろうといろいろ考えていたんだ」と子桑は答えた,「父や母は私がみじめになることなど,とても望んではいまい。天はあまねくすべてのものを覆い,地はあまねくすべてのものを支える。天や地が私だけを差別してひどい貧乏に追い込んだのでもあるまい。私を突き落としたのは誰かと見つけようとしたんだが,うまくいかないんだ。結局のところ,運命が私をこのひどい状態に落とし込んだのにちがいないよ」



[荘子内篇第七 応帝王篇]治者・帝王の王道 へ