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[荘子内篇第六 大宗師篇]至高の存在(その1)

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至高の存在[荘子内篇第六 大宗師篇](その1)

 神の働きを知り,人の何たるかを知る者は,実に人智の極みにある。神の働きを知る者は,その生き方を神の働きに従う(模倣する)。人が何たるかを知る者は,なお知り得た知識を用いて未知の領域にまで至らせようとする,そうして,長寿を全うして若死にすることはない。これこそが知識の円熟である。
 とは言っても,なお欠陥はある。正しい知識というものは対象に依存するが,知識の対象は相対的で絶えず変化している。人のあり方とは異なる自然を,また自然のあり方とは異なる人について,どうして知り得ようか(知り得ない)。
 われわれはさらに,真の知識を得るまえに,真人たちを待たねばならない。

 しかし真人とは何か。古の真人たちは逆境に逆らわず,無理矢理の蛮力で目的に達しようとはせず,そして自分の周りに相談相手を集めることもなかった。そうして,失敗しても残念がることはなく,成功しても自己満足に陥ることもない。そしてまた,高所にあってもおびえることなく位置を計り,水中に入っても濡れることはなく,火の中を通っても熱さを感じることもない。
 そういう知識(のレベル)というものは,道(タオ)の深みにまで達しているのだ。

 古の真人たちは眠る際には夢を見ることはなく,目覚めて憂いを抱くこともない。食しては味の善し悪しにこだわらず,呼吸は深く保つ。というのは,真人たちは息はかかとから吸い込むが,凡人は喉先で息をするだけだ。心がゆがんでいるので,出す言葉はへどを吐き出すかのようだ。物事への執着が深い者は,神からの賜りもの(人の資質)が浅薄である。

 古の真人たちは生を愛することも死を憎むことも知らなかった。彼らは誕生を喜ぶことなく,また死滅を先へと延ばそうともしない。来し方に関心を示さず,行く末にも無関心である。それが全てだ。己の生まれきた所以(すなわち生の由来)は忘れずとも,やがていずこへ行こうとするか(すなわち死)について詮索することはない。喜々としてその生を享受し,その生の返還(死への回帰,終末)を気長に待つ。こうしたことは,“心を平らかにして道(タオ)を踏み迷わせず,人為により自然に余分なものを加えることもない”と言われる。
 このような人は真人と称される。こうした人の心は何ものにもとらわれず,その態度は平静そのもので,その額は高く保たれる。ある時は寂然(せきぜん)として秋の寂しさを帯び,またある時は春日の暖かさにあり,その喜びと憂いは四季を通じて生きとして生けるものとの調和の中に相交わって,さえぎることがない。
 このようであるから,聖人は戦(いくさ)を起こして,その王国を破滅に追い込んだとしても,なお人々の人心を失わない。彼が全ての事物の上に恩恵を及ぼしたとしても,それは人民への意識した愛によるものではない。
 だから,物質界をよく理解し把握し得たと喜ぶ者は聖人ではない。個人的好悪を抱く者が,人間性豊かなのではない。己の行為の時を細かく選ぶ者は,賢人とは言えない。利害得失が相通じあうことを知らぬ者は,賢人ではない。己の身の危険を顧みず名声を求める者は,よく学ぶ者ではない。身を滅ぼして己の生に忠実でない者は,人の主となり得ない者である。
 こうして,狐不偕(こふかい),務光(むこう),伯夷(はくい),叔斉(しゅくせい),箕子(きし),胥余(しょよ),紀他(きた),申徒狄(しんとてき)は為政者の僕であったし,また他人のために生きても,本来の己の生き方をしなかった者たちである。

 古の真人たちは高くそびえ立つように見えて,しかし引き倒すことはできない。彼らは徒党を組みたがるかのように行動するが,他人のもとを訪れるのでもない。自然に心は独立を保ち,しかし頑固ではない。何ものにも邪魔だてされずに自由に生きているが,それを誇示するのでもない。いかにも楽しげに笑みを浮かべて,周囲とはごく自然に応対している。その物腰の伸びやかさは,内面の善なるものに由来するのだ。社会との対応では,内なる性格をしっかり保っている。ゆったりと広い心は,その姿を大きく見せ,のびのびとそびえ立ち,何ものにもとらわれない様子だ。そしていつも変わらずに,心の扉を固く閉め切っているかのように見えて,心はうつろで,ことばを忘れたかのようだ。

 彼ら(真人)は刑法の面で外部との形(関わり方)を示す。すなわち,社会的儀礼におけるあり方,知識面での便宜的な応用,道徳面での指針などである。それは何故かというと,彼らにとって,刑法とは温情溢れる行政であり,社会儀礼は世間とうまくつきあっていくための手段であり,知識は避け得ないことを為すために助けとなるものであり,道徳は彼らが他の人といっしょに岡に歩いていくための指針である。([原注]これらのことは,生きていく上での便宜的動作である。)そして世間の人たちはみんな,彼らが正しく生活していくために努力してそうしているのだと(実は楽々と自然にそうしているだけなのに)思いこんでいるのだ。

 というのは,彼らが好むものは“一”であったし,彼らが好まないものも“一”であったからだ。彼らが“一”と考えるものは“一”であって,また“一”と考えないものも同様に“一”であった。“一”としたものに,彼らは神をおいた。“一”としなかったものに,人間をおいた。そして生ける人間と聖なる神との間には,軋轢は起こらない。これこそが真人(といわれるものの条件)であった。

 “生”も“死”も“運命”の一部である。それらの生起は,昼と夜があるように,神の仕業に属することで,人間の手のはるかに及ばぬところだ。これらはすべて避けられぬ自然の摂理である。人は素直に天を父親と仰ぎ見る。形ある自分を生んでくれたもの(その天)を敬慕するのだから,形あるものよりもなお大いなるものを生みいだす存在(すなわち運命)を愛し得ないことはないだろう。
 人は自分よりすぐれた存在として君主をあがめたてて,その君主のために自分の身体を犠牲にすることをいとわないのだから,自分の心を純なるもの(天・運命)に捧げ得ないことがあろうか。

 泉が涸れて,魚たちが乾いた大地に取り残されたとき,お互いのからだの湿り気や吐き出すつばでお互いを湿らせあおうとするよりは,魚たちをもともとの川や池の中に戻して,そんなことを忘れさせる方がよっぽどすばらしいことだ。そして堯を誉め称え桀を非難するといったことよりは,そんな善悪を忘れて,道(タオ)と一体になることがすぐれているのだ。

 偉大なる自然(世界)は私にこのからだを与え,人間として労働させ,老年でからだに安楽を与え,死において休眠させる。そうして私の人生を仕立ててくれた自然は,確かに私の死の最上の仕立て人でもあるのだ。

 小舟を入江に隠し,あるいは沼地に隠すのは,普通には安全だと考えられる。だが,真夜中に力の強い者がやってきて,小舟を背に背負って運び去ることができよう。しかしながら,浅はかな考えの者は小さな物を大きな場所に隠すのは,いつでもそれを失ってしまうことがあるということに,思いが至らない。もし仮に,全世界に属する物を全世界に預けてしまうなら,そこから盗みおおせることなどできるものではない。すなわちそれが万物の偉大なる掟(万物を貫く法)である。

 われわれが人間としての形の中に生をうけたことは,われわれにとって喜びの源泉である。そうしたわれわれの認識を超えて,われわれがたまたまこの人間のからだをしているこの現在は,創造主の御心の中だけにある,その数え切れないほどの変容の過程のただ中にある,というより大いなる喜び(を知る)。そうだから聖人は,決して失われず常に持続する,そうしたものの中に喜びを見いだすのである。というのは,もしわれわれが長寿や短命あるいは栄枯盛衰のならいを優雅に受け入れるこうした聖人を見習うならば,すべての変転きわまりない現象の源泉である創造(の真髄)を知り得よう。

 というのは,道(タオ)は内なる真実(実在)と明証をもつ。それは働きも形も無い。それは(その存在を,人に)伝え得ても,(人はそれを)受け取ることができない。それは体得されても見ることはできない。それは自らのうちに根拠をもち,自らに根ざしている。天地の始まる前から,道(タオ)はそれ自身の力で常に存在していた。それは神々や為政者たちにその精神的な力を与え,「天」と「地」を存在たらしめた。道(タオ)にとって天頂は高からず,天底は低からず,流れる時間の如何なる時も遠い昔ではなく,年の経過を経てなお古びることはない。

 ※韋氏(しいし)は道(タオ)を得て,天地(宇宙)を秩序よく整えた。伏戯(ふくぎ)([原注]陰陽変転の原理を発見したと伝えられる神秘的帝王(紀元前2852年))は道(タオ)を得て,(天地の)永遠の原理の秘密を探ることができた。大熊座(北斗七星)は道(タオ)を得て,けっしてその運行を誤ることはなく,太陽と月はその公転を止めることがない。堪坏(たんぱい)(人頭獣身の神)は道(タオ)を得て,※崘(こんろん)の山々に住処を定めた。馮夷(ひょうい)(黄河の神)は道(タオ)を得て,河川を統治する。肩吾(けんご)(山の神)は道(タオ)を得て,泰山の神となった。黄帝([原注]伝説的帝王;紀元前2698-2597)は道(タオ)を得て,雲に乗り天に昇った。※□(せんぎょく) ([原注]堯帝よりすぐ前の伝説的帝王;紀元前2514-2417)>は道(タオ)を得て,玄宮(暗黒宮殿)に住む。禺強(ぐうきょう)([原注]人面鳥身の河の神)は道(タオ)を得て,(神として)北極に立った。西王母(せいおうぼ)は道(タオ)を得て,少広山(しょうこうざん)に住まいを定め,それいらいどれほど長生きをしたことか誰も知らない。彭祖(ほうそ)は道(タオ)を得て,舜(しゅん)の時代から五伯(ごは)(春秋時代の五覇)の年代に及ぶ長生きをした。傅説(ふえつ)は道(タオ)を得て,武丁(ぶてい)([原注]商(殷)王朝の君主;紀元前1324-1266)の宰相としてその覇権を帝国全土に伸張させた。そしていま彼は,東維(一つの星座)にうちまたがり西維(他の星座)に引かれて,その本拠を天の星々の間に確保して(神々の列に加わって)いる。


[荘子内篇第六 大宗師篇]至高の存在(その2)