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荘子の部屋】ChuangtseWorld
[荘子内篇第四 人間世篇]人間世界(その2)

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人間世界[荘子内篇第四 人間世篇](その2)

 大工の石(せき)が斉の国に旅をしていた。曲轅(きょくえん)という地に着いて,「土地の神」を祀(まつ)る神社の聖なる神木のクヌギが目にとまった。
 それはとてつもない大木で,木がつくる陰は数千頭もの牛の大群を覆うほどであった。またその幹周りは(手の指をいっぱいに拡げた幅のスパンで)100スパンもあるというしろもので,枝の生え際までは80フィートもの高さがあるその木は,丘のいただきを覆って立っていた。その木からは,一ダースもの小舟が造れることだろう。
 大勢の人がその木を見つめていた。大工はといえば,まるで気づかなかったかのように,後ろも振り返らずに,すたすたと去っていった。その一方で,その木をしげしげと見つめていた弟子は師匠に追いついて,「私は<RUBY CHAR="手斧","ちょうな">の扱い方を親方さんから教わって参りましたが,初めてこんなりっぱな立木を見ました。親方,どうかされましたか,立ち止まってよく見るなんてことなさらずに」

 「忘れてしまえ,そんなこと。取り上げる価値などさらさらないね」と師匠は答える,「いい木なんていうものではないさな。舟を造れば沈んでしまうし,棺桶を造れば腐るし,戸にすれば油分が染み出すし,柱にすれば虫食いだらけになるだけだ。そんなふうに役立たずの使いどころのない木なんだ。そんな木だから,今まで切られずにすんだ(長寿が保てた)ということなんだな」 

 この大工が家に帰って休んだ夢の中に,くだんの木の精が現れて次のように述べた:「お前はいったいこの俺を何と比べようとしているのかね。りっぱな木目の木と比べようとでもいうのか。エゾノコリンゴ(マンシュウズミ)やナシ,ミカン,ポメロ(グレープフルーツ),あるいは他の果樹などとかね。それらの実が熟するや,もぎとられ手荒に扱われる。大枝はへし折られ,小枝はそこら中に投げ散らされる。こうした木は自分の価値のためにその寿命が損ねられる。そうしてもともと与えられた寿命を全うできずに,世間のほめ言葉の中で,自分を痛めつけて寿命半ばに果てるのだ。こうして一巻の終わりだ。
 俺の方は長い間,無用であるように努めてきた。その間,幾たびも俺は切り倒される危険にさらされてきたのだが,なんとか生き延びられてきたし,無用に徹することこそが己自身にはとても有益なことだったのだ。
 ともかく,俺もお前も共に創られた物だ。そしてお互いにけなし合ってきた。差し迫った死の危険の中にある役立たずの野郎が,役立たずの木を云々するのがいい格好とでも言うのかね」
 大工の石は夢醒めて,その夢を語ると,弟子が言った,「その木が無用であることを意図したのでしたら,なぜ神社の神木などになったのでしょう」

 「し〜っ」と師匠は続けて,「静かにしろ。それはだな,神木はちっともその価値がわからない輩の手ひどい仕打ちから逃れるために,神社に避難しただけのことだ。聖なる木でないとなれば,どれだけの人が切り倒すことを思わなかったか,わかったものではない。そういうことだから,ありきたりの基準で批評するなどは見当違いも甚だしいことなんだ」

 南伯(ぱく)子□(しき)は商の丘を旅していたとき,びっくりするほどに大きな木を見かけた。木の日陰に四頭仕立ての馬車の一千台もがすっぽり入るほどの大きさである。「何という木だ,これは」と子□(しき)は叫んだ。「確かに尋常ではないりっぱな立木だ」
 見上げるその木の枝は,たるきにするにはねじ曲がりすぎていた。視線を転じてその根元はと見ると,幹の木目はひどくねじれて,棺桶にも適するどころではない。その葉を噛んでみると,唇が千切れそうで,その匂いときたら,三日もの間人を酔わせてしまうほどに強烈だった。
 「ああ」と子□(しき)は言った,「この木は,全くのところ使い物にならない。だからこそこんなにまで大きく生長できたんだ。神人というのも,この木のように無用だからこそその境地に達し得たのだろう」

 宋の国に荊氏(けいし)という土地があって,そこではキササゲ,ヒマラヤスギ,クワなどがよく育つ。それらの木は幹が1スパン(指幅)ほどで,猿のおり用として切り倒される。幹が2〜3ほどにも太くなった木は,家の梁(はり)にするために切り倒される。幹幅が7〜8スパンほどにも太く生長したものは,金持ちの棺桶の継ぎ目のない一枚板にするために切り倒される。
 こうして,それらの有用な木は,本来備わった木の寿命を全うできずに,若くして斧に切られて果てる。これは価値あるゆえに引き寄せた不運というものだ。
 河に捧げる(黄河の氾濫を鎮める)生け贄としては,白い額の牛でも,高鼻の豚でも,痔疾持ちの人などでもない(そうした欠点がない)ものが使われる。こうしたことは占い師なら誰でも知っていることで,それは不吉なこととされるからなのだ。
 しかし,賢人はこれらの(不浄とされる)ことこそ,吉兆とするものなのだ。

 疏(そ)というせむし男がいた。そのあごはへそに届き,肩は頭より上にそびえており,首の骨は空に向かって突き出ていた。その内蔵は上下がひっくり返っており,尻があばら骨のあるはずのところにあった。
 服の仕立てや洗濯をして,彼は難なく生計を立てていた。もみをふるいにかける仕事で十分に10人の家族が養えた。人々にお上からの徴兵令状がとどいても,せむし男は群衆の中を吾関せずと歩き回った。同様に,お上が公共工事で人々を徴用するときも,彼は不具のせいで徴用されないですんだ。その一方で,不具者にお上からの慈善の穀物が下賜されるとき,穀物3鍾(しょう)と10束の薪を受け取った。そしてもし肉体的な欠陥のゆえに,生の終わりの日まで体をまっとうさせられたならば,道徳的精神的な不具者にはなおさらのこと,効能があることだろう。

 孔子が楚に行った。変わり者の接輿(せつよ)が門の前を通りながら,口ずさんでいた,「不死鳥(フェニックス)よ,不死鳥よ! 汝の徳は衰えたり! 明日の世を待つなかれ,過ぎし時を惜しむなかれ! 正しい規範が世に行きわたっていたとき,予言者たちはその務めを全うした。正しい規範が消え失せて,彼らは己自身を保つのが精一杯。今の世に彼らは監獄にぶち込まれまいと汲々だ。この世の幸せなど,鳥の羽毛より軽いというわけ。この人生の不幸は大地ほどにも重いのに,誰もそれを避ける術(すべ)を知らない。止めよ,止めよ,汝の徳を見せびらかすことなかれ。用心,用心,動くのに気を付けるのだ! おお,茨(いばら)よ,茨よ,わが歩みを傷つけるな! 踏む路を選ぶ我を,きずつけることなかれ!」

 山の木は,切り倒してくれと,人を招く。灯油は自分を燃やせと人を待つ。桂皮(シナモン)は我を食べよと叫ぶ。そこで木は切り倒される。漆(うるし)は有用さの故に,皮を剥がれる。誰もが物の効用は知っているが,無用の用は知らない。


 
[荘子内篇第五 徳充符篇]奇形,豊かな徳の徴(その1)