ショパン:ポロネーズ

Frederic Chopin : Polonaises
ポロネーズはその名の通り、ポーランドで古くから踊られている三拍子の舞踊曲です。鍵盤楽器曲としてのポロネーズにも相当長い歴史があり、J.S.バッハ以前の時代から存在しています。ショパンの時代には舞踏としてのポロネーズはかなり廃れていたのですが、やはり子供の頃からポロネーズには親しんでいたようで、彼の最初の作曲もポロネーズであったと伝えられています。
譜例:典型的なポロネーズのリズム(「軍隊ポロネーズ」より)

さて、ポーランドは歴史上他国から侵略されることが多く、ショパン本人も強い愛国心を抱いていたことは明らかです。そのため彼自身の民族意識を音楽として残していくことになりますが、それは興味深いことに「マズルカ」「ポロネーズ」という2つの方向性を持つことになります。ポロネーズは、最初のうちはマズルカと同じように2曲ずつセットで出版されていましたが、次第に規模が大きくなっていき、第5番以降はバラードやスケルツォのように1曲ずつ出版されるようになります。この点に関しては、常にマズルカが小品としてまとめられていたこととは対照的といえます。マズルカは最後までショパン自身の日々の心を映し出すミクロコスモスのような作品でありつづけたのですが、ポロネーズは民族的意識だけでなくショパン独特の芸術的な美意識までも統合した作品として結実していったことを示しています。
成人以後にショパンがピアノ独奏用として書き下ろしたポロネーズは全部で7曲で、その他にも「チェロとピアノのための序奏とポロネーズ」、オーケストラ伴奏付きの「アンダンテ・スピアナートと大ポロネーズ」という2曲があり、これらを合わせた9曲が生前に出版されました。
民族意識を作品に強く反映させるのは、19世紀後半のスメタナやドヴォルザークに代表される「国民学派」の作曲家たちですが、ショパンはそのような人たちの先駆者にもなっている点に注目しなければなりません。ポロネーズやマズルカに色濃く記されたスラブ的要素は、19世紀後半には東欧諸国の音楽の中核的要素になっていくのです。

 

第1番 作品26-1
appassionato(情熱的に)と指示された激烈な序奏から開始され、この曲を世に問うにあたってのショパンの並々ならぬ決意を感じさせる始まり方になっています。三部形式になっており、劇的な嬰ハ短調の主部と、柔らかな雰囲気の支配する変ニ長調の中間部の対比が鮮やかです。中間部において左手にメロディが移りますが、この旋律線が練習曲Op.10-7に酷似しています。ただ、各パートに満遍なくリピートが入っており、ややもすると冗長さを感じさせます。

第2番 作品26-2
第1番とセットで出版されています。第1番がメロディ+ポロネーズ風伴奏でシンプルに作られているのと比較して、こちらは密集和音を多様して重苦しさを演出するなど作曲上にさまざまな工夫が見られます。構成的には、第1番と同じ三部形式ですがこちらの方が規模が大きく、音楽的にも充実した作品になっています。

第3番 作品40-1
「軍隊ポロネーズ」として大変に有名な曲です。構成的にはやはり三部形式でモチーフや和声が極端に単純化されており、威勢の良さだけが前面に押し出される格好になっています。大変に演奏効果の高い書法になっているのに、単一の曲として見た場合は少々内容が希薄な作品という評価になってしまいます。したがって40-2と組み合わせて出版されたところに意味合いを見いだす必要があります。

第4番 作品40-2
第3番とセットで出版された曲です。低域で奏される旋律がとても陰鬱ですが、奥に秘められた複雑な感情が表現された、味わい深い名曲です。第3番の約2倍の規模を持っていますし、トリオには調性的に複雑な様相が見られ、音楽的に充実した曲になっています。作品40でショパンが訴えたかったものは「軍隊ポロネーズ」ではなく、こちらの方だということを強く意識しておく必要があります。第3番が故国ポーランドの栄光を象徴し、第4番が悲劇的な運命を象徴しているのでしょうか。そのように様々な推測ができ、この2曲をセットにして出版したショパンの意図に想像を膨らませて聴きたい曲です。

第5番 作品44
一般的にはマイナーな曲ですが、隠れた名曲としてショパン好きの間では知られています。三部形式で、ポロネーズの間にマズルカが挿入されるという非常に凝ったことをしています。つまり、ポーランドの舞踊曲2つを合体させてしまったわけで、「民族舞踊のリズムを用いて自らの民族意識と美意識を芸術として表現する」というショパンの強烈な自意識が結晶化した曲と言えます。このようなショパンの思い入れはそのまま演奏難度に反映しており、1〜4番と比較して技巧的に格段に高度なものが要求されます。また、マズルカ部は拍子の表現が難しく、旋律も終止を避けて先へ先へと続くように作られているため、焦点の合わせにくい内容になっています。これにより、弾く方も聴く方も掴み所の無い感覚に陥りやすい曲となっています(それが汲めども尽きぬ幻想性を感じさせてくれる要因にもなるわけですが)。あとこの曲は強弱指示が異様に少なく、何も考えないで弾いてしまうと延々フォルテやピアノのままで続いたりします。このあたりの料理の仕方も演奏家の腕にかかってくるようで、聴き比べの面白さにつながります。

第6番 作品53
「英雄ポロネーズ」として非常に有名です。このタイトルはショパンの付けたものではないのですが、曲の内容を象徴している点では当を得ていると思います。
構成はやはり複合三部形式です。主部の合間にいろいろなエピソードが挿入されていますが、第5番で少々掴み所のない曲を作ってしまった反動か、各エピソードは過不足なくまとめられ特徴づけもはっきりしています。そのため曲想の移り変わりを把握しやすいくなっている思います。そんなわけで、完成度の高いポロネーズとして評価されているわけですが、序奏とトリオ後半以外ではショパンらしい調性へのこだわりがあまり感じられない点が残念なところだと思います。構成がはっきりしているため演奏設計のやりやすい面がありますが、演奏家による個性の表れにくい曲ともいえます。

第7番 作品61
チェロソナタや舟歌などと同時期の作で、ショパンが身体的にも精神的にも弱っていた時期にあたります。いくつかのモチーフを組み合わせて曲を仕上げる手法は「幻想曲 作品49」と同じですが、各モチーフの作りは非常に自由度が高いのが特徴です。幻想曲は「幻想」という名前とは裏腹に、しっかりとした形式感を持ったモチーフで構成されていたのです。しかし、ショパンはすでに「英雄ポロネーズ」などで完璧に形式のととのった曲を作っていますし、チェロソナタでも対位法を駆使していますので、「作曲技巧や構成を追い求めるのはもういいや」と考えて純粋に音楽としての美を追究しはじめたような雰囲気です。したがって、序奏からドビュッシーを先取りしたような音響表現を使ってきますし、一応はポロネーズのリズムも出てくるのですが、その足取りは弱く、しばしば消えてしまいます。ポーランド人としての民族意識を表現していたポロネーズのリズム、それはショパンの強烈な自意識の現れでもあったのですが、その自意識を忘れるほど新たなピアノ表現に没頭してしまったのではないでしょうか。こうしてショパンの新たなピアノ表現の幕開けを告げる素晴らしい曲となったわけですが、残念ながらショパンの病気はそれ以上の創作を彼に許さなかったのでした。
この曲は「幻想ポロネーズ」と呼ばれていますが、ショパン自身が「幻想」と命名したのがポイントです。実は当初はポロネーズではなく「幻想曲 Fantasy」として作曲されたとも考えられます(ポロネーズのリズムが弱い点、構成が「幻想曲」に似ている点など)。ただこの曲の幻想性の根源は、転調にあります。変イ長調が基本になっていますが、展開しながらどんどん転調しますので主調は常に曖昧です。この曲のトリオはロ長調で、比較的長い展開があるのですが、ここに至るために変イ長調→変ロ長調→ロ短調→ロ長調という長い推移があります。ここを聴いてるうちに普通の人は主調がわからなくなってしまいます。トリオも長調と短調をいったりきたりしますので聴きにくい曲かもしれません。かのフランツ・リストなどは出版されたこの曲を見て「ショパンはとうとう精神がおかしくなってしまったようだ」と本気で心配したようです。しかし、これらはすべて十分に吟味された上でのことなのです。実際、ショパンはこの曲を完成させるのに大変な苦労をしたようで、友人に愚痴をこぼす手紙などが残っています(笑)。ショパンの音楽は完璧なまでに磨き上げられていますので、楽譜を見ているとショパン本人も完璧な人間に思えてしまうのですが、天才といえども苦労するし、時には愚痴をこぼしながら努力することもあるということですね。


チェロとピアノのためのポロネーズ 作品3
ゆるやかなテンポの序奏を伴ったポロネーズ。20代前半に、ラジヴィウ公(ショパンのパトロンであり、チェロが趣味だった)と演奏することを前提に作曲されたと思われます。チェロとピアノで交互にメロディを演奏する構成になっていて、後のチェロソナタを暗示するような雰囲気があります。ポロネーズのリズムは用いていますが、ピアニスティックな装飾が美しく、上品に仕上がっていると思います。ショパンの初期作品にはよくあることですが、ピアノのフレーズが非常に技巧的で演奏効果が華やかです。ショパンのチェロ曲はマイナーな存在でしたが、近年チェロのリサイタルにおいてアンコールで弾かれることが多くなりました。明るく華やかな曲調がいかにもアンコールピースにふさわしいということと、チェロ曲では伴奏に徹することが多いピアニストもこの曲なら見せ場がいっぱいあるというわけです(笑)。
近年、ショパン自身が書いたピアノ独奏用の編曲譜が発見されて、小山実稚恵さんなどが録音しておられます。

アンダンテ・スピアナートと大ポロネーズ 作品22
こちらはオーケストラ伴奏付きのピアノ曲です。20歳前後にポロネーズ部だけ作曲されていたのですが、少し後に「アンダンテ・スピアナート」と名付けられた序奏をつけて出版されました。従って、構成的には作品3と同じです。こちらの序奏は左手のアルペジョに乗って右手がメロディを奏でるだけなのですが、スケールが大きくとてもロマンティックで素敵です。(余談ですが、シューマンの「謝肉祭」という曲集に「ショパン」と名付けられた曲が入っていて、それがこの序奏にそっくりで笑えます。)ポロネーズ部はオーケストラのファンファーレで始まりますが、ポロネーズのリズムそのままで「パンパカパーン」なのでちょっと恥ずかしいかもしれません(笑)。結局、その後もオーケストラはピアノの合いの手にしか登場しません。そのため、現在この曲はピアノ独奏で演奏されるのが通例になっています。明るく華やかなポロネーズということで、やはり演奏会にはよく取り上げられる曲になっています。演奏技巧的にはかなり高度ですが、同時期に作曲されたピアノ協奏曲のように速く細やかなフレーズがきらきらと散りばめられていて、とても魅力的に仕上がっています。 


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